2025年5月19日月曜日

missio dei

ある年の
日本基督教団西中国教区の
教職研修会の講師は
日本基督教団宣教研究所の
牧師だった.

彼は
その当時の日本基督教団の教会の中で
最も教勢が伸びている教会は
神奈川教区の開拓伝道にはじまった
横浜港南台教会であると
言った.

初代牧師が宣教に熱心だったことが
その後の教会形成に
大きく影響したと
評価していた.

そして 
日本基督教団の中で
教会員がもっとも減少しているのは
西中国教区の
私が牧会している教会であると
名指しで批判した.

教職研修会に参加した
西中国教区の牧師たちは
どっと笑った.

質疑応答の時間に
私は彼に質問した.

"あなたは
教会員の数字だけをあげて
教会員数が増えている
神奈川教区の教会を過大評価し
前任の牧師が自害した
西中国教区の教会の
教会員数が激減していることを
愚弄しているが
あなたが取り上げている
2つの教会の
どちらも
私が牧師として関与した教会だ!"

彼は
日本基督教団の中で
もっとも教勢が伸びた教会の初代牧師と
最も教勢が弱体化している教会の牧師が
同一人物であることを
なかなか受け入れることができなかったようだ.

私は
"教会の宣教は
missio dei ではないか?
牧師は
神の宣教・神の派遣によって
その教会につかわされているだけだ.

私にとって
2つの教会は
神によって派遣された教会以外のなにものでもない"と
日本基督教団宣教研究所の牧師に激しく抗議した.

"吉田牧師は
教職研修会の講師に失礼なことをした."と批難され
以後教職研修会に参加することを拒否されるようになった.

神奈川教区の開拓伝道は
横浜市港南区の "高級住宅街" の一角につくられた.

街の中心は一戸建ての
当時で土地と建物あわせて1億円の家々が立ち並ぶ.
それを取り囲むように個人所有のマンションが並び
さらにそれを取り巻くように県営住宅が
さらにさらにそれを取り巻くように市営住宅が並ぶ

神奈川教区の開拓伝道所のある街は
どこに住んでいるかによって
その家の年収がわかる・・・.
テレビのニュース番組でよくみる
新興国の都市の姿によくにていた.

神奈川教区の開拓伝道所の役員たちは
その伝道所を
一戸建てかマンションの所有者などの
知識階級・中産階級のクリスチャンだけを集めて
彼らのサロンにしたいと主張した.

私は
教会はすべてのひとに開かれていなければならないと
県営住宅や市営住宅でも
家庭集会を開いた.
伝道に熱心な役員や信徒に支えられて
2年間で信徒数が倍になった.

しかし
神奈川教区の開拓伝道所を
知識階級・中産階級のサロンにしたいと思っている
役員たちから批難を受けることになった.

"無学歴・無資格の牧師は
2年かけてわずか教勢を2倍にしかすることができなかった.
もし高学歴・高資格の牧師が着任していたら
2年で教勢は10倍になったはずだ.

無学歴・無資格の吉田牧師は
キリスト教の名門の出で
高学歴・高資格の元日本基督教団総幹事の
高倉牧師にこの教会を譲るべきだ"  

私は
missio dei を歪めるものは
教会政治・教団政治だと思った.

私は
昔も今もこれからも
missio dei の信仰と神学から離れることはない.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田牧師の力強い詩、拝読いたしました。当時の怒りや葛藤、そして揺るぎない信仰がひしひしと伝わってきました。

特に心を揺さぶられたのは、ご自身が牧会された二つの教会を対比させながら、「missio dei」という言葉に込めた叫びです。教勢の数字だけでは測れない、神の宣教の本質に対する深い問いかけだと感じました。

「牧師は神の宣教・神の派遣によってその教会につかわされているだけだ」という言葉は、教会の成長や衰退といった人間の評価を超えた、より根源的な視点を示唆しているように思います。ご自身にとって、二つの教会はどちらも神によって遣わされた場であり、その使命に忠実であろうとした姿が目に浮かびます。

また、神奈川教区の開拓伝道所の描写も印象的でした。経済的な格差がそのまま教会の構成に反映されようとする状況に対する、吉田牧師の強い問題意識が伝わってきます。「教会はすべてのひとに開かれていなければならない」という信念に基づいた行動は、まさに「missio dei」の実践そのものであったのではないでしょうか。

教団内の政治力学によって、ご自身の信仰や実践が理解されず、批判され、孤立していった過程は、読んでいて胸が痛みました。しかし、そのような経験を経てもなお、「missio dei の信仰と神学から離れることはない」と宣言される力強さに、深い感銘を受けました。

この詩は、教会の本質とは何か、宣教とは何かを改めて考えさせられる、非常に重みのある作品だと感じました。吉田牧師の真摯な問いかけは、現代の教会にも深く響くのではないでしょうか。



主イエスさまは人間的な強さのなかより弱さの中に共にいてくださる神だと信じています. 感想,ありがとうございました.

Geminiさん
ちらこそ、深いお話を共有してくださり、ありがとうございます。
おっしゃる通り、主イエスさまは、人間の目に映る強さではなく、むしろ弱さの中にこそ共にいてくださる神であると私も信じています。
吉田牧師の詩からも、そのように受け取れます。教勢が伸び悩む教会、批判や孤立といった弱さの中に置かれたとしても、神は決して見捨てず、共にいてくださる。そして、その弱さの中でこそ、神の力が現れるのではないでしょうか。
「missio dei」は、人間の力による宣教ではなく、神ご自身の働きによる宣教です。その意味において、人間の弱さは、神の力をより鮮明に映し出すための器となるのかもしれません。
主イエスさまが十字架という究極の弱さの中で、最大の愛を示されたように、私たちの人生においても、弱さの中にこそ、神の深い愛と恵みが注がれているのだと信じたいですね。

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