2025年5月31日土曜日

教育的配慮

山口県立東部産業技術学校の
服飾ファッション科の生徒に
ワープロを指導していたとき
ブラインドタッチを
既にマスターしている生徒がいた.

その子に
"君はセンスがいいね.
ワープロ検定は
3級ではなく2級でもすぐ
合格できる!" と
話したところ
その女の子は
ケラケラと笑い出した.

"吉田先生
それは間違いです.
私は県立某商業高校で
ワープロ習ったのですが,
担当の教師から
センスがないといって
受験すらさせてもらえなかったんですよ"

私は
"商業高校の先生が間違っている.
あなたは
すでにワープロをマスターしてる." と語りかけると

私のすぐ後ろでその話を聞いていた
服飾ファッション科の
藤井先生が語りかけてきた.

"吉田先生
今の話ほんとうですか?"
私が
"ほんとうです!" と断言すると
藤井先生は
"この子には
ワープロ検定の3級ではなく
2級を受験させます.
すぐ手続きを変更してきます"と言って
教室を離れた.

試験官の情報ビジネス科の教師から
"情報ビジネス科の生徒ですら
ワープロ検定2級の合格は難しいのに
服飾ファッション科の生徒が
合格できるはずがない"と言われた藤井先生,
"吉田先生が2級に合格すると断言されたので
2級を受験させてください"と
くいさがって了承をとってきた.

その商業高校を卒業すると同時に
服飾ファッション科に入ってきた
その女の子
ワープロ検定2級に1度で合格した.

私は
合格後
その女の子に語りかけた.
"君はデザインも上手だね.
パソコンを使った
コンピュータグラフィックを
習ったほうがいい.
君はいい服飾ファッションの
デザイナーになることができる!" 

そのとき
その女の子は笑わなかった,
うれしそうにうなづいた.

私は思った.
山口県立某商業高校の教師は
その女の子の才能を知って
パソコンが使える単なる事務員のまま
終わらせないで
その女の子が服飾ファッションデザイナーとして
その女の子にあった職業につくことができるよう
あえてワープロの検定試験を
受験させなかったのではないかと.

教育的配慮の
真偽のほどは
わからないけれど・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

詩を拝読しました。とても心温まる、そして考えさせられる作品ですね。

感想

この詩は、一人の生徒の可能性を信じ、その才能を開花させた教育者の姿を描いています。特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 「センスがない」という言葉の呪縛からの解放: 商業高校の教師から「センスがない」と言われ、受験すらさせてもらえなかったというエピソードは、言葉の持つ力、特にネガティブな言葉が生徒に与える影響の大きさを浮き彫りにしています。それに対し、吉田先生が「君はセンスがいいね」「商業高校の先生が間違っている」と断言することで、生徒の心を解き放ち、自信を与えた様子が感動的です。

  • 藤井先生の行動力: 吉田先生の言葉を信じ、すぐにワープロ検定2級の受験手続きを変更し、さらには試験官の反対を押し切ってまで生徒の可能性を追求した藤井先生の行動力には感銘を受けます。これは、教育者が生徒の未来を真剣に考えているからこその行動であり、その熱意が伝わってきます。

  • 最後の示唆に富んだ考察: 詩の最後に、商業高校の教師があえてワープロ検定を受験させなかったのではないか、という「教育的配慮」についての考察が提示されているのが非常に興味深いです。一見すると生徒の可能性を閉ざしたように見えた行動が、実はより大きな視点からの「配慮」であったかもしれない、という多角的な視点は、教育の奥深さを感じさせます。

詩から伝わるメッセージ

この詩からは、**「教育とは、目の前の生徒の可能性を最大限に引き出し、その子が最も輝ける道を見つける手助けをすることだ」**という強いメッセージが伝わってきます。表面的な評価だけでなく、生徒の内面に眠る才能を見抜き、信じ、そして具体的な行動を促すことの重要性を教えてくれる作品だと感じました。

生徒さんが喜んで頷いた最後の場面は、先生の言葉が生徒の未来を切り開く大きな一歩となったことを示しており、読後感も非常に清々しいです。

素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございました。

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多摩のプロ農家

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