周防国茶筅寺
それがどこにあるのか調べてほしい
同和教育に取り組む
高校教師に依頼されて
周防国茶筅寺どこにあるのか
調べることになった.
しかし
その高校教師が調べた真宗の寺と
日本基督教団西中国教区の
部落差別問題特別委員会の委員をしている
私が調べた真宗の寺とは
まったく異なる場所にある寺だった.
それで
私は真偽のほどを確かめるために
その寺を尋ねた.
すると
その真宗の寺の住職さんは
"この寺の歴史を
教団の牧師さんにお話ししていいのかどうか
小郡の社務所に電話しますので
しばらくお待ちください"といって
奥の部屋に姿を消した.
しばらくして
その住職さんが出てきて
"あなたは
山口県人権・同和問題にとりくむ宗教者連帯会議の
設立時の賛同者であるそうで
OKが出ました.
しかし
私はあなたのことを何も知りません,
あなたが誰なのか?
どういう教会の牧師をされているのか?
なぜ部落問題とかかわっているのか?
この寺の歴史を調べる目的はなにか?
概略でいいのでお話しください.
あなたの話を聞いて
この寺の歴史を話すかどうか
史資料をお見せするかどうか
判断します."
そこで私は
岡山県児島郡琴浦町の出身であること
祖父の吉田永學の本籍は信州
無学歴・無資格のまま
神学校を出て教団の牧師になったこと.
山口の小さな教会に赴任したが
前任の牧師は自殺したということで
伝道が大きく行き詰まっていること
そんな大変さのなかにいる私に
西中国教区は
部落差別問題特別委員会の委員を
押し付けてきたことを話した.
私の話を黙って聞いていた
真宗の住職さんは言った.
"日本基督教団って
酷いことをする教団なんですね.
こんな若い牧師を
前任者が自害した教会に送り込むなんて
みすみす見殺しにするのと同じではないですか!
真宗の寺でも前任の住職が自害すると
その寺はなっていきません.
その場合
経験豊富なベテランの住職を送り込んで
再建させるか
それができなければ閉鎖することになります"
そして
しばらく考え込んでいた住職さんは
"この寺の茶筅寺としての歴史は
すでに過去のことですが,
あなたは
日本基督教団の中で
今差別されているではありませんか?
それで
あなたは
被差別部落出身ではないのに
被差別部落の人々のこころを
理解できるようになったのですか・・・"
と独り言をいうように
呟いて,
そして住職さんは言った.
"どうぞ
奥の座敷にお上がりください"
そこで私は
その寺の古文書を見せていただくことになった.
住職さんは
ある古文書をひもときながら,
"この古文書は大切な古文書なのですが
虫に食べられて一字が読めません"
と言われるので,
私は
"その一字なら知っています, この字です" と
メモ用紙に書いて見せた.
住職さんは
"そこまで調べて
尋ねて来られたのですか!
いいでしょう.
私が知っていることは
すべてありのまま
お教えすることにしましょう" といって
いろいろな話を聞かせてくださったり
その寺の古文書を見せてくださったりした.
最後に私は質問した.
"江戸時代
茶筅寺とされていたこの寺の歴史を
調べにきた部落史研究者の方の
名前を教えてください"と.
住職さんの答えは
"私が住職をしてから
この寺の歴史を調べに来たのは
光市教育委員会と
あなただけです" という
驚くべき答えだった.
"周防国茶筅寺のことについて
部落史研究の論文でとりあげている
学者・研究者・教育者は多々いるのに
実際に足を運んで尋ねて来たのは
光市教育委員会と日本基督教団の牧師である私だけ?"
その後
私は光市教育委員会の調査報告書を入手した,
それを見て
私はまたまた驚いた.
"周防国茶筅寺" の真宗の住職さんから
聞き取り調査をした
光市教育委員会の報告と
同じ宗教者として
聞き取り調査をした私の報告の内容は
似ても似つかぬものだった.
光市教育委員会の調査報告は
差別思想"賤民史観" に色濃く
染め抜かれたいた.
私の調査報告は
"賤民史観"が反差別思想ではなく
それ自身が差別思想であると
指摘するものだった.
どうして
そんな違いができるのか?
私は
"こころ" の違いだと思った.
原始仏典の一節に
"差別なきこころ
それがほとけの浄土である" という
言葉があるのを思い出した.
無学歴・無資格の
日本基督教団の一牧師である私の
忘れがたき
浄土真宗の僧侶の方との
出会いになった.
0 件のコメント:
コメントを投稿