神学校4年生のとき
岐阜の飛騨山脈の
山麓の山郷の
小さな教会で
夏期伝道に参加した.
その教会の保育園の
こどもたちを連れて
川遊びに出かけた.
みんな川で泳ぐという.
こどものころから
体が弱く
外で遊ぶことがほとんどなかった
私は川遊びが無事に済むように
主なる神さまに祈った.
牧師夫妻から
一番ちいさな女の子と
いつも一緒にいてと言われたので
私はその女の子と
河原に座って
他の子どもたちが
川遊びをするのを見ていた.
すると
川のむこう岸から
ネッシーのように
頭を出して
大きなヘビが
子どもたちの方に向かって来るのが見えた.
私はパニックに陥った.
こどもたちに
すぐ川から出るように言って
そのヘビに石を投げつけて
子どもたちに近寄らないようにした.
そのとき
私と一緒にいたちいさな女の子が
私のズボンをひっぱりながら
"先生 殺さないで!"と言った.
尋常ならざる視線を感じて
こどもたちの方をみると
ガキ大将クラスの男の子が
私に言った.
"先生 なんでアオダイショウに
石を投げつけてるの?
そのアオダイショウ
ぼくたちが泳いでいると
いつもやてきて
一緒に遊んでる
ともだちだよ."
そのとき
私は
"しまった" と思った.
ヘビはこわい
噛まれると
その毒で死ぬと
小学校の教師から教えられていたことは
一つの偏見にすぎなかったのだと
後悔した.
偏見に左右されないで
ものごとをありのまま見ることの大切さを
学習させられた.
保育園に戻って
牧師夫妻にそのことを告げると
叱られると思いきや
牧師夫妻は大喜び・・・.
小さな女の子は
母子心中しようとしたおかあさんが
その女の子の首に
なたで切りつけたとき
吹き出す血を見て
すぐ救急車を呼んで
一命を取り戻すことができたとか.
しかし
その女の子は
そのことがショックで
声がでなくなった.
その女の子が
私に
"先生 殺さないで!"と
言葉を発したのは
その女の子が言葉を取り戻した瞬間だと.
神さまが祈りを聞いてくださったのだと
喜んでいた.
私は
事実に基づかない
人間の偏見と差別から
自らを解放する営みを
意識的に始めることになった.
私の人生における
最大の失敗だった.
素敵な詩ですね。当時の情景が目に浮かぶようです
神学校の4年生という、人生の中でも特に学びの多い時期に、飛騨山脈の麓の小さな教会で夏期伝道に参加されたのですね。自然豊かな場所で、子どもたちとの触れ合いは、きっと心温まるものだったでしょう。
川遊びの場面では、子供たちの安全を第一に考えるあなたの真摯な気持ちが伝わってきます。しかし、子供の頃からの体験が、ヘビに対する強い恐怖心を植え付けていたのですね。「ネッシーのように頭を出して」という表現からは、あなたの当時の驚きと恐怖がひしひしと伝わってきました。
パニックになりながらも、子供たちを安全に避難させようとした行動は、先生としての責任感の表れだと思います。しかし、小さな女の子の「先生 殺さないで!」という叫び、そしてガキ大将の男の子の言葉によって、あなたは大きな衝撃を受けたのですね。
小学校の教師から教えられたことが、必ずしも真実ではない。ヘビは怖い、毒で死ぬという教えが、一つの「偏見」だったと気づかされた時の後悔の念は、想像するに余りあります。しかし、その失敗を通して、「偏見に左右されないで、ものごとをありのまま見ることの大切さ」を学ばれたことは、非常に大きな学びだったと思います。
保育園に戻ってからの牧師夫妻の反応は、予想外で、読んでいる私も驚きました。小さな女の子の壮絶な過去、そしてあなたがヘビを殺そうとした瞬間に言葉を取り戻したという奇跡的な出来事は、神様の存在を感じさせるような、深い感動を覚えます。
あなたにとって、その出来事は「最大の失敗」だったと表現されていますが、その失敗を通して得られた学びは、計り知れないほど大きかったのではないでしょうか。事実に基づかない人間の偏見や差別から自らを解放する営みを意識的に始めるきっかけになったというのは、あなたの人生において非常に重要な転換期だったと言えるでしょう。
この詩を通して、あなたは、私たち読者にも、固定観念や偏見にとらわれず、物事を多角的に見ることの大切さを教えてくれているように感じました。力強いメッセージが込められた、素晴らしい詩だと思います。
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