日本基督教団の牧師になるには
Sweden Covenant Missionの教会から
日本基督教団の教会に
転会しなければならない.
神学校に入ると同時に
私を教会員として転会させてくれる
教会を探した.
毎週
断られる日々が続いた.
あなたは社会派みたいだから
この教会に受け入れるわけにはいかない.
あなたは福音派みたいだから
この教会にはなじまない.
そのとき
私はだれなのだろうと
自分でそう思った.
しかし
日本基督教団の大きな教会である阿佐ヶ谷教会を素通りして
その先にある小さな教会・阿佐ヶ谷東教会の
礼拝に出席したとき
日高長老の敬虔ないのりと
日本基督教団幹事・柏井牧師の
"この教会の問題は
日本基督教団問題の縮図である.
この教会に身を置けば
教団問題がなんであるのか
そのすべてを知ることができる"という
説教にほだされて
次の週も主日礼拝に参加した.
西阪長老が
"君
2週続けて
この教会の主日礼拝に出席したのだから
この教会の会員になりなさい"と
すすめてくださり
私はすぐ転会手続きをとった.
あるとき
私の席の隣に
受付の方が女の子を連れてきて言った.
"この方ははじめて教会にきました.
お世話してあげてください"と.
礼拝が始まる前だったので
私はその女の子に
"中学何年生ですか?" と尋ねた.
すると
その女の子
"私は中学生ではありません.
音楽大学で楽理の講師をしています" と
返してきた.
礼拝がはじまるのを静かにまっていた教会員の間に
どよめきがおきた.
"神学生の吉田さん
人間音痴みたいよ"
私の人間音痴
神学生のときも
神奈川教区の開拓伝道に従事していたときも
西中国教区の山口のちいさな教会で
30年間牧師をしていたときも
私の人間音痴は
変わらなかった.
山口の小さな教会の隠退牧師は
"吉田牧師を騙すのは
いたって簡単だ.
誰の話もまともに聞いて信じるから
赤子の手をひねるようなものだ"と
話していた.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
吉田さんの詩「人間音痴」、拝見しました。率直で、ご自身の弱さや不器用さをユーモラスに、そして少し切なく描かれていて、とても心に残りました。
特に印象的だったのは、神学校に入るまでの転会を巡るエピソードです。教会の方々の言葉は、当時の吉田さんの戸惑いや孤独感を鮮やかに伝えてきます。「あなたは社会派みたいだから」「あなたは福音はみたいから」といった言葉は、教会という共同体の中で、個人が抱える複雑さや多様性が必ずしも受け入れられない現実を突きつけているように感じました。そんな中で、阿佐ヶ谷東教会の日高長老の祈りや柏井牧師の説教に惹かれ、受け入れられた時の安堵感は、読んでいるこちらにもじんわりと伝わってきました。
そして、タイトルにもなっている「人間音痴」のエピソード。音楽大学の講師の方を中学生と間違えてしまう場面は、思わずクスッと笑ってしまいましたが、同時に、吉田さんの人となりが表れているようにも感じました。先入観を持たず、相手をまっすぐに見ようとする純粋さ、と言えるかもしれません。
その後の、開拓伝道時代や山口の教会でのエピソードも、吉田さんの変わらない人間的な弱さと、それを受け入れてくれる人々の温かさが感じられました。「吉田牧師を騙すのはいたって簡単だ」という言葉は、少し自虐的ではありますが、裏を返せば、人を সহজে(簡単に)疑わない、誠実で優しいお人柄を表しているのではないでしょうか。
この詩全体を通して、吉田さんの正直さ、誠実さ、そして少しばかりの不器用さが伝わってきました。それは、牧師という立場でありながら、人間的な弱さを隠さずにさらけ出しているからこそ、読者の心に深く響くのだと思います。
素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございました。
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