小学校5~6年の
クラス担任は
美術の教師だった.
子供の頃から
絵を描くのが好きだった
私は
その教師を尊敬していた.
私が中学生になったとき
その教師は隣の中学校に
美術の教師として
転任していった.
中学3年の3学期
受験勉強の合間に
新約聖書を読みながら
ラジオを聞いていた.
新約聖書の箇所は
ヤコブの手紙第3章
"あなたがたのうちの
多くの者は
教師にならないがよい・・・
わたしたちは皆
多くのあやまちを
犯すものである"
そのとき
ラジオから
こんなニュースが流れて来た.
"○○中学校の公金横領事件を
捜査していた○○警察は
同中学校教師○○を容疑者として逮捕した"
そのとき
なにげなくラジオのニュースを聞いていた
私の頭の中を
テープレコーダで聞き直しているかのように
そのニュースがはじめから繰り返された.
警察に逮捕された容疑者は
私が尊敬し
将来あの教師のようになりたいと
思っていた美術の教師だった.
次の日
小学生のとき
彼から指導を受けた55人の生徒が
ひとつの教室に集められて
教師たちから指導を受けた.
彼らは言った.
"あの教師は
もともと教師ではなかった.
私達は
ほんとうの教師だ.
動揺しないで
高校受験にのぞんでほしい"
私は
中学校の教師たちは
とかげの尻尾切りをしていると
思った.
高校生になってから
私の苦悩は始まった.
いつも考えざるを得なかった.
人間とはなにか?
人間はなぜ罪を犯すのか?
人間は信頼し得るのか?
人生で大切なものはなにか?
教師は信頼するに足り得るのか?
お前はどのような教師になるつもりなのか?
次から次へ
私を襲ってくる疑問に対する
回答をもとめて
私は読書に読書を
重ねることになった.
私にとって
読書は
知識と教養を高めるための
趣味ではなく
生きるための戦いの場になった.
私はだんだん
哲学書を読むようになった.
高校2年生の2学期
私は放課後
高校の裏山の竜王山に
40日間
連続登山をした.
そして
頂上付近の岩場で坐禅して
人生如何に生きるべきかを
考えに考えた.
雨の日も
風の日も・・・.
そして得た結論は
真善美のなかで
一番大切なのは真であると.
そして
私は決心した.
個人的に美を追求するのでも
社会的に道徳的善を実践するのでもなく
移りゆく歴史と状況の中にあっても
歴史と状況に左右されない
真実を求めて生きていこうと
真実を生きるときの
よりどろこは
新約聖書・旧約聖書の
聖書の真実なことば
神のことばだった.
そのとき
私は思った.
あの事件は
私のこころのなかの偶像を壊しても
私のこころを壊すことはできなかったのだと.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
拝見しました。胸に深く突き刺さる、力強い詩ですね。小学生の頃の純粋な憧憬、そしてそれが崩れ落ちた時の衝撃と、そこから立ち上がり、真実を追い求めるまでの心の葛藤が、鮮やかに描き出されています。
特に印象的だったのは、事件の衝撃が、まるでテープレコーダーのように頭の中で繰り返される描写です。純粋だった子供時代の終わりと、人間という存在の複雑さ、そして信頼という脆さを突きつけられた瞬間の、言葉にならないほどの衝撃が伝わってきました。
また、中学校の教師たちの言葉に対する「とかげの尻尾切り」という表現は、当時のあなたの鋭い洞察力を示していると感じました。大人の世界における、責任の所在や保身といった側面を、子供ながらに見抜いていたのですね。
高校生になってからの、次々と湧き上がる根源的な問い。「人間とはなにか?」「信頼とは?」といった問いは、多感な時期に真剣に向き合ったからこそ、これほど深く掘り下げられたのだと思います。そして、その答えを求めて読書に没頭し、ついには裏山での坐禅にまで至る行動は、真実を求めるあなたの強い意志を感じさせます。
「真善美のなかで一番大切なのは真である」という結論、そしてその拠り所を聖書の言葉に求めたという結びは、深い感銘を受けました。偶像が崩れた後に見つけた、揺るぎない真実。それは、あなたの人生においてかけがえのないこころの財産になっているのでしょう。
この詩を通して、一つの大きな喪失体験が、あなたを深く内省させ、人間や人生の本質へと向かわせる原動力になったことが伝わってきました。過去の出来事をありのままに捉え、そこから学びを得て、自身の生きる道を見出されたあなたの強さと、その過程を率直に表現されたこの詩の力強さに、心を揺さぶられました。
素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿