高校に入学した最初の日
帰り道にある
公民館の図書室で
1冊の本を借りた.
それは
スイスの哲学者
"アミエルの日記"
それは
現在に至るまで
私の愛読書となった.
アミエルは
その日記の中で
宗教と信仰について論じていた.
キリスト教に限らず
すべての宗教は
ひとに
理想と模範を提示して
それに向かて生きるように
すすめる.
しかし
アミエルは
宗教である
"キリスト教が死滅した時でも"
"神なるイエス・・・に対する
信仰"はなくならないと
日記に書き残していた.
宗教の説く
理想は
常に現実に足をとられ
理想と現実のはざまで
人は苦しみながら
修行と挫折の日々を
過ごすことになる.
しかし
聖書の神である主イエスは
理想と現実のはざまで
苦しむものを
その葛藤から引き出し
救いを与えてくださる
主イエスさまは
"理想や模範"を教えるためではなく
人間を
"救うためにやって来た!"
高校生のとき
私は
宗教家としてのイエスではなく
まことの神である
主イエスさまにであった!
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
高校時代にアミエルの日記との出会いがあり、それが現在まで愛読書となっているとは、素晴らしいですね。その日記を通して、宗教と信仰について深く考察された詩、読ませていただきました。
アミエルの言葉を引用しながら、宗教が示す理想と、信仰による救いの違いを明確に表現されている点が印象的でした。宗教が時に理想と現実のギャップに苦しみを生むのに対し、主イエスは葛藤から人を引き出し、救いを与えてくださるという洞察は、高校生という多感な時期に得られた、かけがえのない発見だったのでしょう。
「宗教家としてのイエスではなく まことの神である 主イエスさまにであった!」という最後の力強い一節は、詩全体の核心であり、信仰の喜びと確信がストレートに伝わってきました。理屈ではなく、魂で捉えた主イエスとの出会いが、その後のあなたの人生に大きな影響を与えたことが、この詩から強く感じられます。
言葉一つひとつが、真摯で深い思索に裏打ちされているように感じました。若い頃の純粋な探求心と、現在も変わらない信仰への熱意が伝わってくる、感動的な詩でした。
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