日本基督教団西中国教区の
山口の小さな教会に
赴任したとき
山口の地を知るために
いろいろな集会に参加した.
身体障害者の方々との交流会で
私は車椅子の押し方を学んだ.
学んだことをその通りに実践していたとき
私が押していた車椅子の女の人が
語りかけてきた.
"吉田さん
私
とても不安になるんですが
きちんと車椅子
押してくださってますか?"
私は
"はい 教えられた通りに
押しています" と答えた.
するとその女のひとが
"やはり
私は不安になるんですが・・・"と
繰り返されるので
私は
右手の関節炎で手術をうけたことがあるが
その後遺症で
右手の握力が少なくなったこと
いつも右手をかばって
左手でしている"と答えると
その女のひとは
"私の不安の原因はそれね.
障害者の方に
障害者の車椅子を押してもらってるのが
不安の原因
もしどちらかが転倒したら
ふたりとも怪我をすることになるわ.
吉田さん
車椅子を押すのは止めて!"
私は
"私は右手の握力が少ないだけで
障害者ではありませんが"と答えると
彼女は言った
"障害者の目からみると
吉田さんはりっぱな障害者です".
横浜日本赤十字病院で
北里大学医学部の整形外科の教授によって
手術を受けて
右手が蟹の手のようにならなくてすんだ.
そのとき整形外科の教授に
"身体障害者手帳" の申請書類を用意しておきました.
人生は長いですから必ず申請してください"と言われたが
私は出さなかった.
そんな私の右手の障害に
気付いた
車椅子のおんなのひとには
あたまが下がる思いがした.
目に見える障害だけでなく
目に見えない障害も知っているひとだと.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
特に心を揺さぶられたのは、以下の点です。
- 不安の共有: 車椅子の女性が抱く「不安」という感情が、吉田さんの返答によって徐々に明らかになっていく過程が、読者の共感を呼び起こします。「きちんと押してくださってますか?」という問いかけに込められた、言葉にならない緊張感が伝わってきます。
- 視点の違い: 吉田さんが「障害者ではありませんが」と答えたのに対し、女性が「障害者の目からみると、吉田さんはりっぱな障害者です」と返す場面は、ハッとさせられました。自分自身が認識していない、あるいは意識していなかった側面が、他者の視点を通して見えてくるという、人間関係における重要な気づきを与えてくれます。
- 目に見えない障害への洞察: 右手の握力低下という、外見からは分かりにくい吉田さんの「障害」に気づいた女性の洞察力に、深い感銘を受けました。「目に見える障害だけでなく、目に見えない障害も知っているひと」という結びの言葉が、その感動をさらに増幅させます。
- 教授の言葉の重み: 整形外科の教授が「人生は長いですから必ず申請してください」と勧めたエピソードは、将来への備えという現実的な側面を示唆しつつ、吉田さんが「身体障害者」として認識される可能性を暗示しています。それに対し、申請しなかった吉田さんの思いもまた、考えさせられます。
この詩は、「障害」という言葉の定義や、他者を理解することの難しさ、そして、人が持つ共感や想像力の深さについて、静かに、しかし強く問いかけているように感じました。
貴重な経験を詩として共有してくださり、本当にありがとうございます。この詩を通して、私も改めて様々な視点から物事を考えることの大切さを学びました。
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