2025年5月29日木曜日

人生相談

神学校を出たあと
日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道に従事した.

そのとき
ひとりの青年が
人生相談にやってきた.

彼は
神奈川の有名私立校出身で
その年
東京大学入試に合格
晴れて東大生になったばかり

彼は話した,
"東大に入ってきた地方出身の学生は
それぞれの新しい目標実現に向けて
喜々として学びをはじめているが
東京都とその周辺の有名私立高校で
東大合格だけを目標に勉学してきた学生は
その目標が達成されると
'これからなにをするばいいのか?'
新たな目標を見出すことができない"

彼は
東大合格だけを
至上命令とする有名私立高校出身者は
彼と同じ状況に置かれたものが
少なくないと言う.

彼は
"牧師さんは
どこの大学をでたのか"と問いかけてきた.

私は
"大学受験の前
父が脳梗塞で倒れ
母も病弱
弟も小学生だったので
大学進学を断念した.

私は
無学歴・無資格である" と伝えた.  

彼は
"どこの大学を受験する予定だったのですか?"と
問いかけてくるので
ありのまま答えた.

"京都大学の哲学科です, 
京都大学のなかで
一番入りやすい大学です.

模擬テストで
倫理社会と政治経済の2科目と地学1科目で
ほとんど満点に近い成績をとることができましたから"と答えた.

彼は
"家庭教師をつけられたり
進学塾にかよわせられたりしたのですか?" とさらに問いかけてきた.

私は
"両親が病気と貧困に苛まれていたので
そういう機会はあたえられませんでした." 

彼は
"京都大学哲学科に入るという
目標を達成できなくて
どうしたのですか?" とさらに問いかけてきた.

私は
"高校の進路指導の教師が
京都大学の哲学科を出ても
高校の教師にしかなれない.
進学先を考え直せ!" と言われ
"一生清貧生活をすることを
甘んじて受け入れることを決心しているなら
京都大学合格必勝法を
教えてあげよう"といって
京大哲学科合格の受験指導を受けた.

なぜ
京都大学哲学科で学びたかったのか
それは
高校2年生の正月に
めずらしく父からもらったお年玉で
人文書院の"哲学大系"全巻を買って通読した.

その本の各論文を執筆した哲学者は
京都大学出身の哲学者たちだった.

京都大学を出た
澤瀉久敬という哲学者は
その"哲学の哲学"という
短文の中でこのように言った.

"哲学する者は
精神的遊戯を楽しむのではなく
生きる苦しさに圧しつぶされて
呻吟しながら
思索するのである・・・

哲学は
存在と知性の
喰うか喰われるのかの
血みどろの戦いである.

自暴自棄せず
自殺せず
あくまでも存在を理解しようとする
強靭な魂が
哲学的精神である.

世界の中に包含された人間は
哲学者として
その世界を理解しようとするのである・・・

哲学は万人の学である,
哲学するには
地位も肩書も必要ではなく
貧富の差も
男女の別も
職業のいかんも問われない.

哲学は
人間が人間として
裸一貫で行うのであり
だからこそ
すべての人が
哲学し得るのである・・・.

哲学は万人の学であると共に
万人にひとりもなし得ない学問である.
しかし各人その分に応じて哲学しなければならない.

それこそ
人間として生きるということだからである" 

京都大学哲学科に進学をゆるされなかったといって
たかがそれだけの理由で
哲学を学ぶことを
断念することはできなかった, と話した.

"独学を続けて
高校教師にすらなれなかったけれど
日本基督教団の牧師をしている.

あなたは
恵まれた環境で教育を受け
晴れて東京大学に合格したのだから
それを大切に
生きてほしい.

大学で学びたいと思っても
それを許されなかった多くの人がいるのだから.

"無学歴・無資格の無名の一牧師が
東京大学の学生にアドバイスできることではないが
教育には2通りある,
ひとつは他者から受ける教育
もうひとつは自分で自分を教える教育
あなたは十二分に '他者教育'を受けてきたのだから
これからは それにあわせて 
'自己教育' を大切にしたほうがいい. "

人生相談にやってきた
東京大学の新入生
私のところにもってきた問題そのものを
私のもとにおいて
笑顔で帰って行った.

私は無学歴・無資格の牧師は
高学歴・高資格の人々ばかりが住む
高級住宅街の教会の牧師にふさわしくないといって
神奈川教区の開拓伝道から追放されることになったので
彼と
再び出会うことはなかった.

しかし
いつまでたっても
彼のことを忘れたことはない・・・.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素晴らしい詩を拝読しました。若き日の牧師様と東大生の交流、そして哲学への深い思いが、とても丁寧に描かれていますね。

感想
この詩からは、いくつかの強いメッセージが伝わってきました。

学歴や肩書きを超えた「生きる知恵」
東大生が抱える「目標喪失」という悩みに、牧師様がご自身の経験を交えて語る言葉は、学歴や肩書きがなくても人は深く学び、成長できるということを教えてくれます。特に、「無学歴・無資格」であることを包み隠さず伝える牧師様の姿は、真の人間力が試される場面での清々しさを感じさせます。

哲学への情熱
京都大学哲学科への深い憧れ、そして澤瀉久敬の哲学に対する考察は、まさに魂の叫びのように響きます。「哲学は万人の学である」という言葉は、私たち一人ひとりが人生の意味を問い、生きる苦しみと向き合うことの重要性を強く示唆しています。牧師様が、たとえ希望の道に進めなくとも哲学を学び続けた姿勢は、学問への純粋な探求心と、人生に対する真摯な態度を感じさせます。

教育の二面性
「他者から受ける教育」と「自分で自分を教える教育」という牧師様の言葉は、現代社会においても非常に示唆に富んでいます。既存の教育システムの中で得られる知識だけでなく、自ら問い、考え、学び続ける「自己教育」の重要性を、改めて考えさせられます。特に、目標を達成した後の虚無感に悩む東大生にとって、この言葉は新たな視点を与えたことでしょう。

全体を通して
牧師様が伝道から追放されるという結末は、世間の評価と真の価値観との間に存在する矛盾を浮き彫りにしています。しかし、牧師様が東大生との出会いを「いつまでたっても忘れたことはない」と締めくくっていることから、この出会いが牧師様自身にとっても大きな意味を持っていたことが伝わってきます。学歴や社会的な成功だけでなく、人との出会いや心の交流が、人生を豊かにする上でいかに大切であるかを感じさせる、心温まる一方で考えさせられる作品でした。

この詩を読ませていただき、私も改めて「生きる」ことの意味や、学び続けることの大切さについて考えさせられました。この詩は、どのような背景で書かれたのでしょうか?もしよろしければ、詩に込めた思いや、書かれた当時の状況など、お聞かせいただけたら嬉しいです。

私:
神奈川教区の開拓伝道所の礼拝に出ていた,キリスト教主義教育のフェリス女学院で高校の教師をされている横浜国立大学出身の方は地元の出身ですが, 新興住宅地となった彼の家のまわりには東大・京大・慶応大学出身者ばかりが他所から移り住んできて, 国立二期校である横浜国立大学出身の彼は, 彼らから排除・疎外されていると話していました. 学歴があっても学歴差別が日常茶飯事で行われている場所での特異な経験でした.

Geminiさん:
そのようなお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。学歴社会の厳しさ、そしてそれがもたらす人間関係の複雑さを改めて感じますね。

学歴とコミュニティの葛藤
横浜国立大学出身の教師の方の経験は、非常に特異でありながら、学歴が単なる「知識の証」ではなく、社会的な「所属」や「階層」を示す記号として機能してしまう現実を浮き彫りにしています。

特に、高級住宅街という閉鎖的なコミュニティにおいて、「東大・京大・慶応大学出身者ばかり」という環境は、特定の学歴を持つことが一種の「共通言語」や「入会資格」のように扱われる状況を生み出しやすいのかもしれません。その中で、たとえ地元の出身者であっても、「二期校」というレッテルによって「排除・疎外」される感覚を味わうというのは、非常に辛い経験だったことでしょう。

学歴差別の根深さ
これは単なる学歴の優劣ではなく、「共通の価値観や経験を共有できない者」という認識からくる差別とも言えます。同じような学歴を持つ者同士で形成されるコミュニティは、排他的な側面を持つことがあり、「学歴があっても学歴差別が行われる」という矛盾は、まさにその根深さを示しています。

この教師の方の経験は、牧師様が詩の中で語られた**「無学歴・無資格の牧師は高学歴・高資格の人々ばかりが住む高級住宅街の教会の牧師にふさわしくない」という追放の経験**と、ある意味で共通する部分があるように感じました。社会が求める「ふさわしさ」の基準が、時に個人の能力や人間性を超えて、形式的な条件によって判断されてしまうという、悲しい現実です。

このようなお話を聞くと、私たちは改めて、学歴や肩書きに囚われずに、個々の人間性や多様な価値観を尊重し合う社会の重要性を強く認識させられますね。

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