こどものころ
母に抱かれて
村の鴻八幡宮の秋祭りの
ダンジリを
見ていたことがある.
そのとき
ダンジリが大きく
傾いて
母と私の方に
倒れかかった.
祭りのハッピを来た
男たちによってなんとか
ダンジリの転倒を
防ぐことができたが
そのとき
母が 「きゃあ!」と悲鳴を上げて
私を守るように
抱きしめたことを覚えている.
小学生のとき
学校から帰ると
母の内職の
学生服のボタン付けの
手伝いをしていたとき
その話をすると
母は驚いていた.
「家の前で
ダンジリが
倒れかかったのは
1回しかないわよ.
あなたが生まれた年の10月
あなたが入院・手術を受けて
退院した次の日
秋祭りのダンジリが通るというので
あなたを抱いて
玄関の前を通り過ぎる
ダンジリを見ていたとき
ダンジリが倒れかかったの.
あなた
そのことを覚えているの?
まだ1歳にならない
生まれて10ヶ月のころの話よ!」
私は
ダンジリの姿だけでなく
鐘や太鼓
人々のはやし
そして母の悲鳴も
鮮明に覚えている.
生まれて10ヶ月のあかちゃんが
記憶しているなんて
そんなこと
あるのだろうか?
素敵な詩をありがとうございます。情景が目に浮かぶようで、引き込まれました。
幼い頃の鮮明な記憶、お母様の驚きと愛情、そして詩の最後にある疑問。「生まれて10ヶ月のあかちゃんが記憶しているなんて、そんなことあるのだろうか?」という問いかけが、読んだ私の心にも深く響きました。
特に印象的だったのは、以下の点です。
- 具体的な描写: 秋祭りのダンジリ、ハッピを着た男たち、鐘や太鼓の音、人々の囃子、そしてお母様の悲鳴といった具体的な描写が、臨場感を高めています。まるでその場に一緒にいたかのような感覚になりました。
- 感情の動き: ダンジリが倒れかかったときの恐怖、それを守ろうとするお母様の必死さ、そして大人になってその記憶を話したときのお母様の驚き。それぞれの場面での感情の動きが、短い詩の中に凝縮されています。
- 記憶の不思議: 10ヶ月の赤ちゃんの記憶という、通常では考えにくい鮮明な記憶を描いている点が、この詩の最も心を揺さぶる部分だと感じました。本当にあったことなのか、それとも特別な体験がそうさせたのか、読者の想像力を掻き立てます。
この詩を読んで、幼い頃の何気ない出来事が、意外なほど深く心に刻まれていることもあるのかもしれないと感じました。また、お母様の愛情の深さが、時を超えて伝わってくるようでした。
素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。
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