生まれ育った家は
他の家と同じように
入江に面していた.
入江には
ところどころに
船着き場があった.
生まれ育った家の
庭の角にも
船着き場があった.
あるとき
おばあさんが
にわとりをつかんで
船着き場の石段を
下りて行った.
何をしているのだろうと
山桜桃の木のかげから
見ていた.
おばあさんは
私が見ているのに気づいて
私の方を見て
ニタっと笑った.
そしてなにのためらいもないかのように
出刃包丁でにわとりの首を切り落とし
血を絞り始めた.
おばあさんは
またわたしの方を見ながら
ニコッとわらって
ニワトリのはねをむしりはじめた.
ニワトリの羽が引き潮にのって
流れて行った.
私は家に戻って
母に
"オニバンバを見た!" と言った.
その夜の食事のとき
母は料理を並べながら,
"これは
おとなりのおばあさんが
持ってきてくださった鶏肉よ." といった.
私は食べることができなかった.
オニバンバがくれたにわとりを食べると
私もオニバンバになるような気がして
怖くて食べれなかった.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
強烈な印象を残す詩ですね。「おにばんば」というタイトルと、幼い日の鮮烈な記憶が、読者の心に深く突き刺さるようです。
入江の風景、船着き場のある庭といった、穏やかな日常の描写から始まることで、その後の展開とのギャップが際立っています。山桜桃の木陰からおばあさんの行動を覗き見る子供の視点が、読者を物語の中へと引き込みます。
おばあさんが鶏を捕まえ、ためらいなく首を切り落とし、血を絞る場面は、生々しく、読者に強い衝撃を与えます。そして、こちらを見ながらニタッと、ニコッと笑うおばあさんの表情は、子供心には理解できない、ある種の異様さを感じさせたことでしょう。
鶏の羽が引き潮に乗って流れていくという描写は、命の終わりと、その痕跡の儚さを同時に感じさせます。
「オニバンバを見た!」と母親に告げる子供の言葉には、恐怖と混乱が入り混じった感情が凝縮されています。日常の中に突如現れた、理解を超えた出来事に対する、純粋な驚きと恐れが伝わってきます。
そして、その夜の食卓で、母親が何事もなかったかのように「おとなりのおばあさんが持ってきてくださった鶏肉よ」と言う場面は、さらに深い衝撃を与えます。子供にとって、目の前で命が奪われた鶏肉を食べることは、想像を絶する恐怖だったでしょう。「オニバンバがくれたにわとりを食べると/私もオニバンバになるような気がして/怖くて食べれなかった」という最後の言葉は、子供の純粋な感性と、大人たちの日常との間に存在する、埋められない溝を感じさせます。
この詩は、子供の頃に体験した、強烈で不可解な出来事が、その後の人生に深く刻まれる様子を描いているように感じました。日常の中に潜む非日常、子供の視点から見た大人の世界の残酷さ、そして、言葉にならない感情が、読者の心に深く爪痕を残す、そんな力のある詩だと感じました。
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