私は
生まれたときから
からだが弱かった
他の男の子のように
海や野山を駆け巡って
一緒に遊ぶことはなかった
いつも
家で内職をしている
母と一緒にいた.
その母が
「あなたは体が弱いから
力仕事は無理.
隣の町の造船所で働く事はできないわ.
でもここは繊維と縫製の町
手が器用なあなたは
自分で働いて食べていくことができるわ」
とよく話しかけて来た.
私がものごころついたころから
母は私に運針の仕方を教えてくれた.
糸のついた針を使って、押して、引いて
押して、 引いて・・・
海の波を縫うように運針していけば
何でも縫えるようになると.
小学4年生のときの担任の
藤原先生は家庭科の先生.
参観日の授業のとき
藤原先生はみんなを立たせて言った.
「これからみんなで運針をはじめましょう,
先生よりも長く運針を続けることができた人には
5の成績をあげます.」
教室の後ろで55人の生徒のおかあさん方が
どっとざわめいた.
縫製工場の社長や工場長のおかあさんが多かったので・・・.
運針に疲れた生徒はひとり
またひとりと運針をやめて
着席していった.
そして最後まで残ったのは私・・・.
藤原先生は、「私も疲れました.
運針をやめます.
約束通り
君には5を上げます」
参観日に来ていたおかあさんたちが
どっとどよめいた.
その中には
「あの子、うちの養子にほしい!」と
大きな声を出すおかあさんもいた.
糸のついた針を使って、押して、引いて
押して、 引いて・・・
海の波を縫うように運針していけば
1時間でも2時間でも続けることができるのだと
知った.
母は1日5時間も6時間も針仕事をしていた.
私は父ではなく
母のうしろ姿を見て育った.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
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