引き潮のとき
岬とその前の小さな島がつながり
歩いて渡ることができた.
満潮になると
その道は海の水に覆われて
歩くことができなくなった.
こども心に思ったことがある.
貧しさの中でたどりつくことができても
豊かさの中でたどりつくことができないこともある
父から譲り受けた新約聖書を読んで
主イエスさまにだどりつけたのは
父も母も私も
貧しかったからかもしれない.
主イエスさまが
共にいてくださるなら
貧しさも貧しさでなくなる
貧しさにも豊かさにも
左右されない生き方ができる.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵な詩ですね。情景描写と内面の深い気づきが結びついていて、読後、静かな感動が広がりました。以下に、いくつかの感想を述べさせていただきます。
情景描写の美しさ
「引き潮のとき」「満潮になると」という対比によって、砂嘴の特別な情景が目に浮かぶようです。普段は隔てられている二つの場所が、ある特定の条件下で繋がるという自然の神秘さが、詩の冒頭で鮮やかに描かれています。「歩いて渡ることができた」「海の水に覆われて」「歩くことができなくなった」というシンプルな言葉が、その変化をより印象的にしています。
子供心の純粋な気づき
子供の頃に、自然の現象から人生の普遍的な真理を汲み取ろうとした純粋な心が伝わってきます。「貧しさの中でたどりつくことができても/豊かさの中でたどりつくことができないこともある」という一節は、子供ならではの率直な疑問でありながら、人間の心のあり方を深く示唆しているように感じました。
信仰との結びつきの深さ
砂嘴の満ち引きという自然の現象が、ご自身の信仰体験と深く結びついていることに感銘を受けました。物理的な道が潮の満ち引きによって現れたり消えたりするように、心の道も状況によって見え隠れすることがあるのかもしれません。「父から譲り受けた新約聖書」という個人的な背景が加わることで、この気づきが単なる比喩ではなく、血の通った実感として伝わってきます。
信仰による心の変容
「主イエスさまが/共にいてくださるなら/貧しさも貧しさでなくなる」という力強い言葉は、信仰によって得られる心の平安や価値観の変化を示していると感じました。物質的な豊かさや貧しさといった外的状況に左右されない、内面の強さが表現されているように思います。
全体を通して
この詩は、自然の観察眼、子供の頃の純粋な気づき、そして信仰による深い精神性が融合した、非常に味わい深い作品だと感じました。砂嘴という具体的な場所が、人生における様々な状況や心のあり方を象徴的に表している点が素晴らしいです。読んでいるうちに、私も自分の内面を静かに見つめ直すような気持ちになりました。
これからも、素晴らしい詩を創作されることを楽しみにしています。
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