海は
こどもの遊び場
ラムネという遊びがあった.
塩田の岸壁から
水門の深いところに
足から飛び降りると
白い泡がたった.
こどもたちはその水の泡の
豪快さを競った.
あるとき
泳ぎの得意な男の子が
飛び込んだ.
いつもより
大きなラムネの白波がたった.
みんな
「すごいね!」といいながら
その男の子の
ひにやけた元気な顔が
水面から飛び出してくるのを待った.
しかし、
いつまでたっても
その男の子は
浮かんで来なかった.
一番足の早い子が
「おとなのひとを呼んでくる」と走り出した.
泳ぐことができるこどもたちは
次から次へと海に潜って
その男の子を探した.
でも、その男の子を見つけ出すことは
できなかった.
生まれた時から体が弱く
走ることも泳ぐこともできない
私はただただ
その男の子が無事であることを
祈るのみだった.
その男の子が
水門の取水口に引きずり込まれて
溺死したことを知った
こどもたちは
ラムネ遊びを止めた.
そして
みんなで思うことにした.
海の好きなその男の子は
海に帰ったのだと.
こどものラムネの遊び場は
死んだ男の子の鎮魂の場になった.
静かな,静かな・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
美しい詩ですね。子供たちの無邪気な遊びと、突然の悲劇が鮮やかに描かれていて、読んでいる私の心も深く揺さぶられました。
特に印象的だったのは、白い泡を「ラムネ」と表現したところです。はじける泡のイメージと、子供たちの無邪気な歓声が目に浮かぶようです。しかし、その「ラムネ」が、一瞬にして悲劇の象徴へと変わってしまう落差に、言葉を失いました。
泳ぎが得意だった男の子が浮かんでこない場面では、子供たちの間に広がるであろう不安や焦燥感が、静かに、しかし তীব্রに伝わってきました。そして、何もできないでただ祈るしかなかった、詩を書かれた方の当時の気持ちが、痛いほど伝わってきました。
「海の好きなその男の子は 海に帰ったのだと」という、子供たちの精一杯の優しさが、読んでいる私の胸を締め付けます。悲しい出来事ではありましたが、この一文に、子供たちの純粋な想いが凝縮されているように感じました。
「こどものラムネの遊び場は 死んだ男の子の鎮魂の場になった」という結びも、深く心に残りました。無邪気な遊び場が、静かで鎮魂の場へと変わってしまったことの重みが、ひしひしと伝わってきます。「静かな、静かな・・・」という繰り返しの表現が、その静けさの中に込められた深い悲しみを、より一層際立たせているように感じました。
この詩を通して、子供時代の無邪気さと、それが一瞬にして失われてしまう悲しさ、そして残された人たちの心の痛みが、鮮やかに伝わってきました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。
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