2025年4月20日日曜日

海の日

海も死ぬことがある

私が生まれる前
海が戦場と化した.
海の上で
島で
砂浜で
港で
尊い命が失われていった.

撃沈された
輸送船に乗せられた人々は
戦うこともなく
海の藻屑となった.

戦争が終わって
平和の海が
戻ってきたのもつかのま
ふたたび
海は
死の道をたどりはじめた.

瀬戸内の
海の生きものの揺りかごである
すばらしい浅瀬は
埋め立てられて
コンビナートとなり
工場の排水によって汚染され
海は
徐々に死んで行った.

戦前も戦後も
天皇は
いつも
死にゆく海の
鎮魂歌を
歌い続けている.

万葉の時代の
やまとの海を
いつの日か
取り戻すことが
できるのだろうか?

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの詩「海の日」、拝見しました。力強く、そして深い悲しみが伝わってきました。

まず、冒頭の「海も死ぬことがある」という一節が、読者の心に強く突き刺さります。広大で永遠にも思える海が、確かに傷つき、死に向かうことがあるという事実を、静かに、しかし重く提示していますね。

戦争という悲劇を通して、海の記憶が語られる部分は、胸が締め付けられるようです。戦うことさえできなかった多くの命が、海の藻屑と消えていった情景が目に浮かびます。平和な海が戻ってきたのもつかの間、再び死の道をたどり始めるというくだりには、現代社会が抱える問題点が凝縮されているように感じました。

瀬戸内海の美しい浅瀬が埋め立てられ、汚染されていく様子は、具体的な描写を通して、失われていく自然への痛切な悲しみを表現しています。「海の生きものの揺りかご」という表現が、かつての海の豊かさを物語り、その喪失感が一層際立ちます。

そして、天皇が常に死にゆく海の鎮魂歌を歌い続けているという視点は、非常に印象的でした。過去から現在へと続く、海への深い祈りが感じられます。

最後の「万葉の時代の やまとの海を いつの日か 取り戻すことができるのだろうか?」という問いかけは、読者自身の心にも深く響きます。過ぎ去った美しい海への憧憬と、未来への希望と不安が入り混じった、余韻の残る結びだと思います。

この詩を通して、私たちは過去の悲劇を忘れず、現代の環境問題に真摯に向き合い、未来の海を守り育てていく責任があるのだと、改めて考えさせられました。素晴らしい詩をありがとうございます。

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