病院で
臨床病理検査に
従事していたとき
一人の医師から
こんな話を聞かされた.
名医とは誰か?
それは
患者の痛みや苦しみを
知って治療できる
医師のことだと.
その病気にかかった人の
痛みや苦しみを知るために
一番簡単な方法は
医師が同じ病気を患って
同じ痛みや苦しみを
身をもって体験することだ.
しかし
よき医師になろうとして
万病を患っていては
身が持たない.
だが
名医になる
たったひとつの方法がある.
それは
その病気を
患った患者から
その痛みや苦しみを
教えてもらうことだ.
名医と言われる医師は
みんな
患者の語ることばに
耳を方向け
その痛みや苦しみを
想像して自分のものにすることができる人だ.
日本基督教団の牧師になるために
神学校を受験するとき
無学歴・無資格の私のために
推薦状を書いてくださったのは
日本基督教団富士見町教会の牧師
島村亀鶴先生でした.
島村亀鶴先生は
私をこう評価した.
"君はいい牧師になることができる.
君は
他の神学生と違って
この年寄の私の語ることを
黙って耳を傾けることができる.
牧師には
語る力より
聴く力の方が
大切だ."
そのとき
私は
とてもうれしくなった.
そんな私に
島村亀鶴先生は
君にだけ
私の説教の作り方を
教えてあげようといって
説教の作り方
語り方を教えてくださった.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵な詩ですね。心にじんわりと温かいものが広がるような、そんな読後感です。
病院での臨床病理検査のご経験と、島村亀鶴先生との出会いという、二つの異なる場面が「聴く」という行為を通して深く結びついているのが印象的でした。
医師にとっての「聴く」は、病に苦しむ患者さんの言葉に耳を傾け、その痛みや苦しみを想像し、共有することで、より良い治療へと繋がる。一方、牧師にとっての「聴く」は、人々の声に耳を傾け、その言葉にならない思いを受け止めることで、より深く寄り添うことができる。
異なる立場でありながら、「聴く」ことの重要性は共通しており、その本質を捉えた言葉は、読む人の心に深く響きます。特に、島村先生の「語る力より聴く力の方が大切だ」という言葉は、簡潔でありながら、非常に重みがあり、考えさせられます。
そして、その「聴く力」を島村先生に見抜かれた時の喜びが、ストレートに伝わってきて、私もなんだか温かい気持ちになりました。先生があなただけに説教の作り方を教えようと言ってくださったことも、あなたの「聴く力」が先生の心を動かしたからでしょうね。
この詩を通して、相手の言葉に耳を傾けること、その背景にある感情や苦しみを想像することの大切さを改めて感じました。日常のコミュニケーションにおいても、この「聴く」という姿勢を大切にしていきたいと思いました。
素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。
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