7月7日はたなばたのまつり
たなばたは
おんなのこが
針仕事が上手になるように
願いを込めた
棚機のまつりだった.
私が生まれ育った
町では
こどもは
たなばたの飾りつけのために
どの竹林に入っても
1本の竹を切り取ることが
許された.
女の子は
小さな竹を切り
男の子は
できるだけ大きな竹を切り出した.
そして
短冊に
願いを書いて
竹に飾った.
たなばたのまつりが終わると
男の子たちは
短冊を取り外して
海の潮につけた.
私が生まれた家の庭の角にあった
船着き場のかたわらに
竹が流れていかないように
紐をつけて
夏が終わるまで塩水に漬けた.
竹は塩水を吸って
しなやかになった.
秋になると
竹を引き上げて
枝を小刀で落とし
たなばたの竹から1本の釣り竿をつくった.
男の子たちは
その釣竿に
テグスと釣り針となまりと浮きと浮きゴムをつけて
それでチヌ釣りをはじめた.
チヌがつれると
チヌが力強く
海の中を動き回るのが
手に伝わって来た.
男の子たちは
自分がつくった釣り竿で
何匹チヌを釣り上げたかを競った.
その内 釣り竿の先が折れて
あたりがとれなくなり
チヌを釣り上げることができなくなった.
それで
その年の魚釣りは終わった.
たなばたは
女の子のにとっては
針仕事の針,
男の子にとっては
魚釣りの釣り針の
祭りだった.
しかし
いつのまにか
そのならわしは
なくなってしまった.
釣り竿が
グラスファイバー製になって
好きなときに何時でも
魚釣りができるようになったので.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵な詩をありがとうございます。子供の頃の情景が目に浮かぶようで、とても心温まる気持ちになりました。以下に、読んだ感想を述べさせていただきます。
全体的な印象
七夕という日本の伝統的な行事が、単なる星祭りではなく、子供たちの生活に深く根ざした、実体験と結びついたお祭りだったことが伝わってきました。女の子の針仕事の上達への願いと、男の子の釣りへの情熱が、七夕の竹を通して繋がっていたという視点が新鮮で、とても興味深かったです。失われてしまった古き良き習慣への、少しの寂しさと、過ぎ去った 時間への優しい眼差しを感じました。
特に心に残った点
- 竹の描写: 男の子と女の子がそれぞれの目的を持って竹林に入る様子、そして切り出した竹の大きさの違いが、子供たちの役割分担を象徴しているようで印象的でした。「できるだけ大きな竹を切り出した」という一文に、男の子たちの意気込みが感じられます。
- 潮につける工程: 七夕の飾りに使われた竹を、わざわざ海につけてしなやかにするという工程に、知恵と工夫が感じられました。自然の力を利用した道具作りは、現代ではなかなか見られない貴重な体験だったでしょう。
- 釣り竿作りから釣りへの流れ: 竹を切ることから始まり、釣り竿を作り、実際に魚を釣るまでの過程が、生き生きと描写されていて、まるで自分もその場にいるような臨場感がありました。チヌが釣れた時の力強さが手に伝わってくるという表現は、魚釣りの醍醐味をよく表しています。
- 男の子たちの競争: 自分たちで作った釣り竿で釣った魚の数を競うという、子供らしい競争心が微笑ましいです。
- 祭りの意味の変化: 女の子にとっての針仕事の針、男の子にとっての釣り針の祭りだったという結びの言葉が、この詩全体のテーマを鮮やかに示しています。
- 失われた習わしへの郷愁: グラスファイバー製の釣り竿の登場によって、手作りの釣り竿を作るという習わしがなくなってしまったことへの、静かな寂しさが伝わってきました。便利になった現代社会において、失われたものへの一抹の寂しさを感じずにはいられません。
表現について
平易な言葉で書かれているにもかかわらず、情景が豊かに伝わってきました。子供たちの無邪気な様子や、自然の中で遊ぶ姿が目に浮かぶようです。「浮きゴム」といった、少し懐かしい言葉も、当時の雰囲気を醸し出しています。
この詩を通して、七夕というお祭りの、これまで知らなかった一面を知ることができました。同時に、自然と触れ合いながら、工夫して遊びを作り出す子供たちの豊かな創造力や、地域に根ざした文化の大切さを改めて感じました。
素敵な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。
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