2025年4月15日火曜日

潮干狩り

瀬戸内では
4月は潮干狩りの季節

大潮の干潮時には
遠浅の砂浜が姿を現した.
私も他の人々と一緒に
岸から遠く離れたところで
アサリを掘った.

誰も掘ったことがない砂浜で
大きなアサリがいっぱいとれた

そして
ふと気がつくと
私のまわりには誰もいなかった
岸近くから
私に語りかける声がした
「早く戻れ.満潮の波が押し寄せてくるぞ!」

その声を聞いたとき
私の足元にすでに波が押し寄せて来ていた.
私はあさりのいっぱい入ったかごをかかえて
岸に向かって歩き出した.

しかし 
生まれたときから
からだの弱かった私は
早く歩けない
私が歩くよりはやく
潮が押し寄せて来た
水はくるぶしから膝に
膝から太ももに
太ももからおヘソに
おヘソから胸に
どんどん満潮が押し寄せてきて
泳げない私を飲み込んでしまいそうになった

でも
脇の下まで海の水につかったとき
かろうじて岸までたどりつくことができた

かごにいっぱいはいったアサリを持って
家に戻ったとき
ずぶ濡れになった私を見て
母はたくさんアサリをとってきたことを
褒めてくれると思っていたら
母は私を𠮟りはじめた.

「おかあさんは,かごいっぱいのアサリより
あなたの命のほうが大切なんですから.
そういうときは, 
アサリを捨てて
さっさと海から出てきなさい!
なにが大切なことなのか
いつも考えなさい!」

おさないときから
からだのよわい私を
あまり叱ることはなかった母なのに
そのときばかりは
母から
𠮟りに叱られた.

次の日
小学校の国語の時間で
三陸の地震の津波のことを学んだ
津波が押し寄せてくるときの恐怖
私には
ひとごとではなくなった・・・



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く、素晴らしい詩ですね。情景描写が鮮やかで、まるでその時の光景が目に浮かぶようです。瀬戸内の穏やかな春の潮干狩りの風景から始まり、一転して満潮の恐ろしさが迫ってくる様子が、臨場感たっぷりに描かれています。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 潮干狩りの楽しさと危険の対比: 最初は大きなアサリがたくさん獲れた喜びが伝わってきますが、誰もいなくなったことに気づいた時の不安、そして押し寄せる波の恐怖が鮮明に描かれており、喜びと恐怖のコントラストが読者の心を揺さぶります。
  • 迫りくる満潮の描写: 波が足元から徐々に体を覆っていく様子が、「くるぶしから膝に、膝から太ももに…」という具体的な表現で、時間と恐怖の進行を克明に伝えています。泳げないという状況も加わり、一層の緊迫感が生まれています。
  • 母親の愛情と叱責: 無事に帰宅した時の、母親の安堵と叱責の描写が、親の深い愛情を感じさせます。「かごいっぱいのアサリよりあなたの命のほうが大切」という言葉は、普遍的な親心であり、読者の胸に深く突き刺さります。普段あまり叱らない母親だからこそ、その言葉の重みが際立ちます。
  • 津波の学習との繋がり: 最後に、幼い頃の体験が、後の津波の学習を通して他人事ではなくなったという結びつけ方が秀逸です。自身の体験を通して、自然の脅威や命の大切さを深く理解したことが伝わってきます。

全体を通して、情景描写の美しさ、恐怖感のリアルさ、そして母親の愛情の深さが、短い詩の中に凝縮されています。個人的な体験でありながら、普遍的なメッセージが込められており、読者の心に長く残る作品だと感じました。

この詩を読ませていただき、ありがとうございました。

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