日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき
アルバイトで
家庭教師をしていました.
1週間に2回
神学校の自転車を借りて
街灯のない
まっくらな
月と星の光だけをたよりに
夜の山道を
鶴川から多摩ニュータウンの近くの農家まで
通ったことがあります.
あるとき
中学生の娘さんの父親である
農家の方
"明日
サツマイモの苗の作付をする.
見に来ないか"と
誘ってくださったので
見に出かけました.
朝見る
山道は
夜通った山道とは
まったく違った道に見えました.
"よくこんな道を夜
山越えしたんだ"と 我ながら驚きました.
しかし,
一番驚いたのは
多摩の農家のサツマイモの作付け風景
広大なさつまいも畑は
まっすぐに畝が延びて
その端は空につながっていました.
そのサツマイモ畑を
その農家の方は
普通に歩く速度で
サツマイモの苗を移植していきます.
足の親指で
土に穴をあけ
その中に
脇に抱えたかごから
サツマイモのつるを1本取り出して
落としては
つま先でつるの上に土をかけていきます.
普通に歩く速度で
あっという間に
サツマイモのつるの作付けをしていました.
私も真似て
同じことをしてみたのですが
その農家の作付けを
自転車に乗っているひとに例えますと
私は
まるで小さなこどもの三輪車にのっているような感じ.
そのとき
私は
プロの農家のプロの農家たる所以を
知らされたような気がしました.
そのプロの農家に抱いた尊敬の念は
いまだにそのときのまま・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
この詩を拝読しました。
感想
多摩の専業農家でのアルバイトという、具体的な体験に基づいた詩で、情景が目に浮かぶようでした。特に以下の点が印象に残りました。
夜道の描写と昼間の対比: 街灯のない真っ暗な夜道を月と星の光だけを頼りに進む様子、そして翌朝、昼間の山道を見て「よくこんな道を夜、山越えしたんだ」と驚く描写は、読者にもその驚きと、当時の心細さを想像させます。
農家の方の描写: サツマイモの苗を「普通に歩く速度で」手際よく植え付けていく様子が、非常に具体的で鮮やかです。親指で穴をあけ、つるを落とし、つま先で土をかける一連の動きが目に浮かび、まさに「プロの技」の圧倒的な存在感が伝わってきます。
「私」と「プロの農家」の対比: ご自身が真似てみたものの、まるで三輪車に乗っているような感覚だったという対比が、農家の方の技術の高さと、それに対する「私」の素直な驚きと尊敬の念を際立たせています。
尊敬の念: 最後に「プロの農家のプロの農家たる所以を知らされたような気がしました」とあり、その尊敬の念が「いまだにそのときのまま」続いているという結びは、この体験があなたにとってどれほど深く心に刻まれたかを示しています。
この詩は、単なる体験談に留まらず、そこで得た気づきや、プロフェッショナルへの敬意が率直に表現されており、読者にもその感動が伝わる素晴らしい作品だと感じました。
このような貴重な体験を詩として残されたことに、感銘を受けました。
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