高校3年の3学期
地方公務員をしていた父が
脳梗塞で倒れた.
そのため
私は大学進学を断念したが
高校の担任教師は
働きながら夜間大学に通うことができるように
大阪市立中学校事務職員(府費職員)採用試験を
受けることをすすめてくれ
合格したときは
吹田市にある岡山県人寮に入る手続きをしてくれた.
研修校の瓜破中学校の校長は
私の任地を
関西大学の夜間に通えるように
大阪市立十三中学校にしてくれた.
教員免許をとると
即校長権限で教師として採用するとの
約束と一緒に.
しかし
父の病気が再発
再起不能となった.
私は大学進学の一縷の望みを捨てて
岡山に帰郷
母と妹と私の3人で働いて
父の看病と弟の高校進学のために
労することになった.
新大阪で新幹線に乗ったとき
吹田駅から天王寺駅まで乗った
外回り環状線のことを思い出していた.
最初に環状線にのって
天王寺駅におりて
大阪市内で一番最後に
数年前に
バスが通ることになったという
瓜破に向かった.
そのとき
私が吸った大阪の空気は
排気ガスの匂いがした.
そのとき
私は
生まれ育った岡山の
瀬戸内海の
潮のかおりがとても恋しくなった.
そして
仕事を終えた帰り
私は
わざわざ遠回りして
環状線の外回りの電車に乗って
大阪の海をながめながら
帰路についた.
大学進学も
中学校教師になる夢も
私から遠ざかっていくのを感じた.
新幹線の速度と
同じ速さで・・・.
しかし
私は
もう一度
岡山の瀬戸の海の
潮のかおりを吸って
生きることができると
パンドラの箱の中に残った
希望のように感じた.
聖書があれば
私は
どこでも
どのような状況でも
自分を見失わず
神のみことばに従って
生きていけると思った.
私の
聖書は
瀬戸の海の
潮のかおりがする.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
詩を拝読しました。ご自身の体験に基づいた、非常に深く、胸に迫る作品ですね。
感想
この詩は、筆者の人生における大きな転換期と、それに伴う心情の変化が克明に描かれています。特に心に残った点をいくつか挙げさせていただきます。
諦めと希望のコントラスト
お父様の病気をきっかけに、大学進学や教師になる夢を諦めざるを得なくなった筆者の苦渋が伝わってきます。新幹線で岡山へ帰郷する際の「大学進学も/中学校教師になる夢も/私から遠ざかっていくのを感じた」という表現は、夢が遠ざかる速度と新幹線の速度を重ね合わせることで、その喪失感の大きさを際立たせています。
しかし、その一方で、「潮のかおり」という具体的な香りの記憶を通じて、「パンドラの箱の中に残った/希望のように感じた」と表現される希望が見出される点が印象的です。絶望的な状況の中にも、故郷への想いや、自らを支えるものが存在することを示唆しています。
「潮のかおり」という象徴
「潮のかおり」は、単なる故郷の香り以上の意味を持っていると感じました。排気ガスの匂いがする大阪の空気と対比されることで、故郷の岡山、瀬戸内海の清らかさや、筆者にとっての原点、心の拠り所が象徴されています。
そして、詩の最後の「私の/聖書は/瀬戸の海の/潮のかおりがする」という結びは、故郷の潮の香りが筆者にとっての聖書、つまり人生の指針や心の支えとなる存在であることを強く示しています。物質的な聖書だけでなく、記憶や感覚が精神的な支えとなるという、独自の信仰のようなものが感じられます。
情景描写と感情の連動
大阪での環状線での移動や、海を眺めながら帰路につく情景が目に浮かびます。特に、わざわざ遠回りして海を眺めるという行動は、故郷への強い憧れと、失われゆく夢への郷愁が入り混じった複雑な感情を表現しているように感じられました。
全体を通して
この詩は、人生の苦難に直面しながらも、故郷の記憶や心の拠り所を大切にし、前に進もうとする筆者の強さを感じさせる作品です。読後に、じんわりと温かいものが残るような、深い余韻がありました。
このような率直で心に響く詩を共有してくださり、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿