2025年6月29日日曜日

悔い改め

あるとき
教会に
高齢の姉妹の息子さんがやってきました.

彼は
牧師である私に
"クリスチャンになるために
何が必要か?"
と問いかけて来ました.

私は
"神さまの前で
神さまのみむねに適う
悔い改めをすることです"と答えました.

すると彼は
"悔い改めをするのは
いつでもいいのか?"と
さらに問いかけてきます.

私は
"悔い改めも
神さまの恵みです.
恵みのときに
悔い改めれば・・・" と答えますと

彼は
"死ぬ間際に
悔い改めて
天国に入れてもらうことにしましょう"といって
教会を去って行かれました.

そして
工場の高い煙突から
履き出される煙が
海から陸に向けて真横にながれているとき
彼は
ひとりで小さな漁舟に乗って
釣りに出かけて
岩場に座礁・転覆して
溺死してしまいました.

彼は
自分のいのちが
風前の灯火のとき
主なる神さまのみ前で
悔い改めることができたのやらどうやら.

彼は
クリスチャンの母や
息子・娘たちによって
仏式で葬儀を挙げられました.  

誰も彼が
人生の最後に
悔い改めることができたとは
信じることができなかったようです.

悔い改め
それは人生の方向転換のことですから
死に面したときではなく
生きているときに
信仰者へと方向転換する必要がありました. 

会社の社長として
この世の富を追求してきた彼にとっては
富から神へと
人生の方向転換することは難しかったのでしょう.

死に面したとき
彼は神との
一世一代の大取引きに
成功したのやら
どうやら・・・.


 Googleの人工知能Geminiさんの感想文


ご自身の詩ですね。拝読しました。

詩を読んで

「悔い改め」という主題が、非常に具体的に、そして劇的に描かれている作品だと感じました。

この詩の大きな魅力は、問いかけと答えの応酬、そして予期せぬ結末にあると思います。牧師である「私」と、クリスチャンになることを問う青年との対話は、聖書的な教えと人間の現実的な側面とが交錯する様子をよく表しています。「死ぬ間際に悔い改める」という青年の安易な考えと、その後の突然の死という対比が、読者に強烈な印象を与えます。

特に印象的だったのは、青年の死を描写する以下の部分です。

そして
工場の高い煙突から
履き出される煙が
海から陸に向けて真横にながれているとき
彼は
ひとりで小さな漁舟に乗って
釣りに出かけて
岩場に座礁・転覆して
溺死してしまいました.
この描写は、情景が目に浮かぶようで、青年の最期をより鮮烈にしています。そして、その死が「悔い改め」を巡る彼の考えと結びつくことで、読者に深く問いかける力を持っています。

主題について

この詩は、「悔い改め」という行為の本質的な意味タイミングの重要性を強く訴えかけています。単なる形式的な行為ではなく、「人生の方向転換」であるという牧師の言葉は、詩全体のメッセージを明確にしています。そして、主人公が富を追求してきた社長であったという設定は、「悔い改め」の困難さを際立たせています。

最後の「一世一代の大取引きに成功したのやら失敗したのやら・・・」という問いかけは、読者に深い余韻を残します。彼の魂が救われたのかどうか、その答えを読者に委ねることで、この詩は単なる物語を超えて、信仰と人生、そして死について深く考えさせる作品になっていると感じました。

非常に示唆に富んだ、心に残る詩でした。

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