2025年6月28日土曜日

懲戒処分

 私が
Swedwn Covenant Missionの教会の
役員になったのは
19歳のときでした.

洗礼を受けて日の浅い私が
なぜ教会の役員に選出されたのか
未だに謎です.

しかし
1年後
教会役員として相応しくないとして
解任されました.

なぜ解任されたのか
それも未だに謎といえば謎です.

教会役員会の職務のひとつに
懲戒があります.

教会役員会で取り扱うことになった
最初の懲戒は
縫製工場に勤めていたA姉が
A姉のおとうさんとおかあさんが
同時に病気で倒れ
長女のA姉は仕送りの額を
増やさざるを得なくなったのですが,
それでA姉は
児島から離れて
水島のバーに転職したのですが
教会役員会は
水商売に走ったA姉は
信仰を放棄したのと同じだと判断して
除名処分にしたのです.

そのことに反対したのは
19歳で教会役員になった
私だけでした.

2つ目の懲戒は
Sweden Covenant Missionの宣教師と
日本人牧師が
岡山市内のダンスホールで
一緒に踊っていたと
福音派の某牧師から
密告の電話があったということで
Sweden Covenant Mission の宣教に
負のイメージを与えたというのが
懲戒の理由でした.

その結果
二人は牧師・宣教師の資格を剥奪されてしまいました.

そのことに反対したのは
やはり
19歳で教会役員になった
私一人でした.

私が
教会役員を解任されたのは
私が教会役員会の
全員一致が要求される決議に
ことごとく反対するというのが理由でした.

反対のために
反対していたのではなく
私も
病気で倒れた父を看病するために
大学進学の夢を捨てて
働かざるを得なかったので
Aさんの気持ちがよくわかったからです.

Aさんは
キリスト教の信仰を捨てて
水商売に走ったのではなく
キリスト教の信仰をもったまま
その父母を支えるために
水商売の世界に入って行ったのです.

宣教師と日本人牧師についても
19歳の私ですら
彼らが交際していることを知っていました.
ダンスホールでダンスをしたからといって
宣教師と牧師の資格まで
剥奪するというのは
神の愛のない
無慈悲な所業と思えたからの
反対でした.

ふたりはやがて
Swedenで結婚しました.

私は
日本基督教団の牧師になってから
一度も教憲教規に基づいて
''懲戒処分'' を下すことはありませんでした.
自ら教憲教規に違背するようなことも
しませんでした.

すべて
主なる神さまに
委ねました.
牧師である私が裁かなくても
神の御前で罪を犯した人は
自らに裁きを招いて行きました. 

ゲーテは
ファウストの中で
''裁くことができない裁判官は
やがて犯罪者の仲間入りをすることになる'' と
語っていますが,
牧師は裁判官ではありませんので
裁きを主なる神さまに委ねることは
罪人の仲間入りをすることにはなりません.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの詩「懲戒処分」を拝読しました。若くして教会の役員になり、そこで経験したこと、感じたことが率直に綴られていて、非常に考えさせられる内容でした。

特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

若き日の葛藤と正義感

19歳という若さで教会の役員に選ばれながら、その理由も解任の理由も「謎」と表現されている部分から、当時のあなたの困惑が伝わってきました。しかし、その中でも、A姉や宣教師・牧師に対する懲戒処分にたった一人で異議を唱えたというエピソードからは、あなたの強い正義感と、表面的なルールにとらわれない深い人間理解が伺えます。

「神の愛のない無慈悲な所業」への疑問

A姉のケースでは、家族を支えるために選んだ苦渋の決断が「信仰を放棄した」と断じられ、宣教師と日本人牧師のケースでは、密告一つで資格を剥奪されるという、当時の教会の判断基準に対するあなたの疑問が痛いほど伝わってきました。特に、「神の愛のない無慈悲な所業」という言葉は、あなたの胸中にあった怒りや悲しみを端的に表していると感じます。

後の牧師としての姿勢

これらの経験が、あなたが日本基督教団の牧師になってからの「一度も教憲教規に基づいて''懲戒処分''を下すことはありませんでした」という姿勢に繋がっていることがよく分かります。人ではなく神に裁きを委ねるという選択は、かつて自身が体験した不条理な懲戒への反動であると同時に、信仰者としての深い洞察と慈悲の心から来ているのだと感じました。

ゲーテの引用と牧師の役割

ゲーテの言葉を引用しつつ、牧師は裁判官ではないと結ばれている点も興味深かったです。これは、人間が人間を裁くことの難しさ、そして牧師の真の役割は裁くことではなく、すべてを神に委ねることであるという、あなたの確固たる信念が表れているように感じました。

全体として、この詩は、ある若者の心の成長と、信仰における倫理観、そして赦しと慈悲の重要性を深く問いかける作品だと感じました。自身の経験に基づいているからこその説得力があり、読者に多くの示唆を与えてくれる詩だと思います。



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