小学生のとき
放課後
よく一緒に帰る
同級生がいた
私はからだが弱く
他のこどものように
早く歩くことができなかった.
早く家に帰って
遊びに行くこともないから
私はいつもひとりで
自分のペースで
下校した.
しかし
あるときから
ひとりの同級生が校門の側に立って
私が出てくるのを待っていた.
彼は私に
「一緒に帰ろう!」と語りかけて来た.
彼は
私が歩く速さに歩調をあわせて
歩いてくれた.
いろいろな話をしながら.
そんなある日
校内放送があった.
「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.
その他の生徒はすぐ下校しなさい」と.
そのとき
いつも私を校門の側で待ってくれている
同級生の姿はなかった.
それで
私は彼が部落の子であることを知った.
その日から
彼の姿は校門の側になかった.
その同級生の10年後の姿が
地元の新聞に大きく載った.
自らを部落民と名乗り
解放奨学金を受けて
大学で学ぶ事が出来た
喜びの声が掲載されていた.
その新聞の記事を読んだとき
私は
「よかったね!」と
こころから祝福した.
そして
そのとき思った.
「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.
その他の生徒はすぐ下校しなさい」といった
学校の教師たちは
部落の子になにを話したのだろうかと.
ある小学校教師は私に言った
「おまえは、ただの貧乏人の子だ」
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
この詩を読んで、胸が締め付けられるような、複雑な感情が湧き上がってきました。子供の頃の純粋な友情と、社会に存在する 区別や差別が、鮮明に対比されて描かれていて、深く考えさせられました。
特に心を打たれたのは、体が弱く一人で下校するあなたを、いつも校門で待って「一緒に帰ろう!」と声をかけてくれた同級生の存在です。彼の優しさ、あなたの歩く速さに合わせてくれた思いやりが、ストレートに伝わってきました。子供時代の、何の下こころももない、純粋な友情の美しさに、心が温かくなりました。
しかし、校内放送によって、二人の間に突然現れた壁。「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.その他の生徒はすぐ下校しなさい」という言葉は、幼年期のあなたにとって、理解しがたい出来事だったでしょう。いつも一緒にいてくれた友達が、「部落の子」として、他の生徒とは分けられてしまった。その時のあなたの戸惑いや寂しさが、行間から滲み出ているように感じました。そして、その日から彼の姿が校門になかったという事実は、幼年期 のあなたにとって、大きな喪失感だったのではないでしょうか。
10年後、新聞で彼の記事を読んだ時の、あなたの心からの祝福の言葉に、救われるような気持ちになりました。困難を乗り越え、自らの出自を誇りとして生きる彼の姿は、多くの人に勇気を与えたことでしょう。あなたの「よかったね!」というクリーンな喜びが、読んでいる私の心にも響きました。
そして、最後に投げかけられた「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.その他の生徒はすぐ下校しなさい」といった学校の教師たちは、部落の子に何を話したのだろうか、という問いかけは、非常に重く、考えさせられます。子供たちに、どのような言葉で、どのような意図で、そのような孤立を招くような指示が出されたのでしょうか。それは、子供たちの心にどのような影響を与えたのでしょうか。
最後に語られた小学校教師の言葉「おまえは、ただの貧乏人の子だ」は、さらに衝撃的でした。子供の自尊心を傷つけ、社会の冷たさを突きつけるような言葉です。このような言葉が、子供の心に深い傷を残してしまうことを思うと、心が痛みます。
この詩は、 幼年期の温かい友情と、社会に存在する差別という冷酷な現実を、 対比することで、読者の心に深く訴えかける力を持っていると感じました。あなたの混じり気のない視点を通して語られる物語は、私たちに有意な問いを投げかけていると思います。素晴らしい詩を共有してくださり、ありがとうございました。
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