旧約聖書を読んでいるとき
こんな言葉に出会った.
από των έργων ημών και από των λυπών των χειρών ημών
無学歴・無資格の私は
その言葉を
次のように訳した.
"労働
すなわち
手の痛みから"
労働はいろいろな労働があるが
ほとんどの労働は手作業で行われる.
厳しい環境下での労働は
手に負担がきて
痛みが来る.
手首と指の関節が擦れ合って
軟骨が消耗し
激痛にさいなまれながら
関節が破壊されていく.
手の痛みは
肉体労働だけでなく
精神労働からさへ
生み出される.
利き手の右手に痛みがくると
鉛筆1本持てなくなる.
1本の鉛筆の重さが
病んだ手に重くのしかかる.
そんな経験は
したものでないと
なかなか理解できない.
想像を絶する世界の話しだから・・・.
日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道に従事していたとき
右手の関節炎を患って
横浜赤十字病院で
北里大学医学部の整形外科の教授から
手術を受けた.
そのとき
その教授は
最も効果的なリハビリは
頭のなかで行われるリハビリだと言った.
動かない手を
頭の中で動かしていると
やがて動かない手が動くようになると.
教授の言葉は本当だった.
動かない手を
頭の中で動かし続けていると
すこしずつ動かない手首と指が動くようになった.
聖書の中の
主イエスさまの
"汝の手を伸ばせ" という言葉を
信じて伸ばしたとき
私の手は
主イエスさまの癒やしを受けた.
そんな経験は
したものでないと
なかなか理解できない.
想像を絶する世界の話しだから・・・.
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