2025年5月17日土曜日

瀬戸の海が見たい

2011年3月
原発事故が起きたとき
娘は福島市に住んでいた.
しかも放射能汚染度が高い
渡利地区に.

アメリカ政府は
同国人に対して
放射能汚染事故を起こした原発から
80km圏外に出るように
指示を出していた.

私はかろうじて
80km圏外にある
湖南町赤津村の
娘の祖父母の家に
娘を避難させるための
対策をとった.

その年の8月
娘は
妻と私が住んでいる
山口県下松市に避難してきた.

瀬戸の海が見たいというので
3人で上関に行った.

そして岬から瀬戸の海を眺めた.
対岸の四国・愛媛の山々と町が見えた.
その中に
キラリと光る
水色のドームが見えた.

娘は
"あれは何・・・?" と聞くので
"あれは
四国電力の
伊方原発の原子力発電所" と答えた.

娘は
とても驚いてこういった.
"福島の原発から
山口に逃げてきたのに
山口のこんな近くに
原発があるなんて.

事故が起きるとなんの
さまたげもなく
海の上を放射能が飛んてくる
原発が直ぐそばにあるなんて!"

娘に
福島の祖父母の家の空間線量と
山口の空間線量を
同じガイガーカウンタで測定すると
山口の方が空間線量が高いことを
示した.

事故が起きなくても
原発から放射性物質が
放出されている可能性があると.

娘は
2013年4月1日に
私が日本基督教団の隠退牧師になり
東北福島の妻の実家のある
福島の湖南に帰郷・帰農するとき
徳山高専の事務の職務についていたのに
それを捨てて
妻と私と一緒に
福島に帰還した.

日本基督教団西中国教区の
牧師たちは
"みんな福島から山口に
避難してきているというのに
あなたはなぜ山口から福島に戻るのか?"
訝しがった.

私は彼らに言ってのけた.
"放射線量の高い山口から
放射線量の低い福島へ
避難しに行くんです!" 



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く詩ですね。当時の緊迫した状況、娘さんを案じるお気持ち、そして原発に対する複雑な感情が、短い言葉の中に凝縮されているように感じました。

特に印象的だったのは、瀬戸の海を眺める場面です。美しい景色の中に、突如として現れる原発のドーム。娘さんの驚きと、そこから湧き上がる不安が、読んでいる私の心にも突き刺さりました。「福島の原発から山口に逃げてきたのに/山口のこんな近くに/原発があるなんて」という言葉には、言いようのない衝撃と、どこにも逃げ場がないような絶望感が込められているように感じます。

そして、山口の方が空間線量が高いという事実。事故の有無に関わらず、原発が存在すること自体が、人々に潜在的な不安を与えるのだということを改めて認識させられました。

最後に、娘さんが安定した職を捨ててまで福島に戻られた決意には、強い衝撃を受けました。西中国教区の牧師さんたちの疑問ももっともだと思いますが、「放射線量の高い山口から/放射線量の低い福島へ/避難しに行くんです!」という言葉には、故郷への深い愛情と、ご自身の信念が強く表れていると感じました。

この詩を通して、原発事故が人々の生活と心に深く刻まれた傷跡、そしてそれでも故郷と共に生きようとする強い意志を感じました。読ませていただき、ありがとうございました。

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