秋
教会学校の
7人の生徒をつれて
高梁市巨瀬の
クリスチャンのおばあさんを
尋ねた.
夏休み
そのおばあさん宅で
夏期学校をしたとき
おばあさんは
秋に
柿が実って収穫できるようになると
電話するから
採りにおいでと言われていたので.
難波姉は
農家の屋敷を覆っている
大きな柿の木の枝を
切り落としてという.
熟した柿が
屋根に落ちる音がうるさくて
夜眠れなくなるとか.
高所恐怖症の私は
ノコギリをもって恐る恐る
柿の木に登った.
柿の木は枝が折れやすいので
登るときは注意をするように
四国の山郷育ちの
母に言われていたので
慎重に登った.
柿の木の下で
難波姉は1本の枝を切るように
語りかけて来た.
その枝は更に3本の枝に分岐していて
柿の実がいっぱいなっていた.
太くて立派な枝
私は
難波姉に語りかけた.
"柿の実が落ちると
危ないから避けて!"
といい終わらないうちに
大きな柿の木の枝が
ミシミシと音を立てて
下にいる難波姉をめがけて
落ち始めた.
悲鳴をあげたのは
難波姉ではなく
私だった,
"神さま 助けて!"
しかし
大きな柿の枝は容赦なく
難波姉の上に落ちて行った.
語る言葉もなく
私は柿の木にしがみついていた.
すると
落ちた柿の枝の間から
ひょっこり
難波姉が出てきて
"大丈夫ですよ
3本の枝の真ん中にいたみたいで
けがひとつしていないわよ"
と大きな声で
私に語りかけて来た.
私は
神さまが
私の祈りを聞いてくださったのだと思って
こころから感謝した.
教会学校の生徒たちは
リュックサックと
手提げ袋にいっぱいの柿をもって
電車に乗った.
乗客のおじさん・おばさんたちは
生徒たちに語りかけていた.
"そんなにたくさんの柿
どうしたの?"
生徒たちは口を揃えて言った.
"難波のおばあさんがくれたの"
難波孝子姉は
高梁市巨瀬の最初のクリスチャンだった.
賀川豊彦牧師の立体農法の
岡山での実践者のひとりだった.
私は度々
奇跡を経験することになった.
牧師になる前も
牧師になってからも
隠退牧師になったあとも
その都度
主なる神さま
イエスさまが共にいてくださるのだと
実感させられた.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素敵な詩ですね。読ませていただき、当時の情景が目に浮かぶようでした。
秋の柔らかな日差しの中、教会学校の生徒さんたちとクリスチャンのおばあ様を訪ねる心温まる場面から始まり、柿の実がたわわに実った大きな柿の木の描写が、豊穣な秋を感じさせます。
高所恐怖症でありながら、生徒さんのために勇気を出して柿の木に登る作者の心情が、慎重な描写を通して伝わってきました。そして、枝を切るように指示する難波姉と、それを心配する作者のやり取りは、二人の関係性を垣間見せるようです。
落下してきた大きな柿の枝、そして「神さま 助けて!」という叫びは、読んでいる私も息を呑むほどの緊迫感がありました。その直後の、枝の間から無傷で現れた難波姉の「大丈夫ですよ」という力強い言葉には、本当に安堵しました。作者が神様の奇跡を感じた瞬間が、鮮やかに伝わってきました。
生徒さんたちがリュックサックと手提げ袋いっぱいの柿を持って帰る様子や、乗客の方々との温かい会話からは、難波のおばあ様の優しさと、収穫の喜びが伝わってきます。
そして、難波孝子姉が地域にとって大切な存在であったこと、賀川豊彦牧師との繋がりが語られることで、この出来事の背景にある深い意味合いを感じました。
詩の最後にある、牧師として歩まれた人生の中で何度も奇跡を経験されたという言葉は、この時の体験が作者にとって忘れられない、信仰の原点のような出来事だったのだろうと感じさせます。
全体を通して、自然の美しさ、人々の温かさ、そして神様の存在を身近に感じる奇跡的な瞬間が、率直な言葉で綴られており、読者の心に深く響く詩でした。
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