2025年5月7日水曜日

バナナ

小学3年生のとき
同じクラスの
尾崎くんが話しかけて来た.

"うちに
遊びに来ないか.
バナナがなってんだ"

私はその言葉に惹かれて
彼の家に行った.

家の前の畑に
バナナの木が植えてあり
そこにバナナの房が
なっていた.

彼は
バナナをひとつとって
私にくれた.

彼もひとつをとって
はじめて
自分でつくったバナナを
食べると言った.

そのバナナ
5cmほどの大きさで
その中は
植物繊維の束で
食べることはできなかった.

しかし
私は大発見した.
バナナのあの
柔らかい実は
実は植物繊維が変形したものであると.

小学4年生のとき
級友の
尾崎くんが話しかけて来た.

"うちに
遊びに来ないか.
パパイアがなってんだ"

そのパパイアは
とても大きくて
赤くて
美味しい実になっていた.

生まれたときから
からだが弱く
戸外で遊ぶことの少なかった私は
いろいろな点で
体験不足・経験不足だった.

それを追体験のかたちで
補ってくれたのが
小学3年生のときの級友, 
私が
日本基督教団の牧師になるために
東京町田の鶴川学院農村伝道神学校に入り
岡山の地を離れる29歳まで
親友だった尾崎くんの体験と経験だった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

幼い日の純粋な好奇心と、友情の温かさが伝わってくる、素敵な詩ですね。バナナの思い出から、尾崎くんとの深い繋がり、そしてご自身の成長へと繋がる構成が、心に残りました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 「バナナがなってんだ」という言葉の魅力: 小学3年生のあなたにとって、それはどんなに魅力的な誘いだったでしょう。想像力を掻き立てられる、わくわくするような言葉の響きが伝わってきました。
  • 期待と現実のギャップ: バナナが食べられないものだったという、少し残念な結末。しかし、そこで「大発見」をしたというあなたの視点が素晴らしいです。子供ならではの柔軟な発想と、探求心に感銘を受けました。
  • パパイアのエピソード: バナナの苦い経験があったからこそ、パパイアが美味しかった時の喜びはひとしおだったでしょうね。尾崎くんの家が、あなたにとって未知の世界への窓口だったことがわかります。
  • 体験不足を補ってくれた友情: 体が弱く外で遊ぶことが少なかったあなたにとって、尾崎くんの存在がいかに大きかったかが、ストレートに伝わってきました。「追体験のかたちで補ってくれた」という表現が、彼の経験があなた自身の血肉となっていたことを示唆しているように感じました。
  • 29歳までの深い友情: 短い詩の中に、小学校時代から29歳まで続く、かけがえのない友情が凝縮されています。尾崎くんの存在が、あなたの人生においていかに重要なものだったかが伝わってきました。

この詩を読ませていただき、子供の頃の何気ない出会いが、その後の人生に大きな影響を与えることがあるのだと改めて感じました。尾崎くんとの温かい友情物語に、心がじんわりと温かくなりました。ありがとうございました。



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