2025年5月28日水曜日

高校3年生のとき
洗礼を受ける前に
3つの夢を見た.

最初の夢は
イスラエルで迫害されて
そこを離れた
親子3人が
海沿いの道を旅して
日本にたどりつき
私のところにやってきて
"あなたに福音を伝えるために
万里の波濤を超えて
やってきた"と言った.

2番めの夢は
海から龍が上陸して
人間を襲った場面・・・.

多くの人は
それから逃れるために
群衆となって陸地の奥に
逃げて言った.

私も同じ方向を目指したが
途中モーセのような
白髪の老人に出あった.

彼は言った
"救われたいか?"
私は "はい" と答えた.

すると
彼は
"汝の救いに至る道は
群衆がたどる道の反対方向にある"と言った.

私が群衆とは反対の方向に
彼らを押し分けて
進んでいくと
また先程の老人が現れた.

そして同じ質問をしてきた.
 "お前は救われたいのか?"
私は"はい" と答えた.

すると
彼は   
"お前は救われない"と言って
悪魔の龍に変身した.

それでも私は
途中出あった
モーセのような白髪の老人が
教えてくれた場所を目指した.

そのとき
天から声が聞こえた.
"急ぎなさい!
天使ミカエルが
あなたを待っています!"

第3番めの夢は
知恩院の五重の塔の前だった.
私は
サタンに連れて来られて
仏像の前で
主イエスに対する信仰を捨てるように
言われた.

"私は
真の神を捨てることはできない"と答えた.

するとサタンは私を空中に引き上げて
知恩院の五重の塔の先端にめがけて
私のからだを突き落とした.

私の心臓に
知恩院の五重の塔の先端が
つきささるのを
覚えた.

サタンは言った.
"お前は裁かれた!"

すると
天から声があった.
"汝は神によって救われた!"と.  

3つの夢は
いつも私の心の中に居座って
試練や苦難に遭遇するとき
いつも思い出された.

非宗教的な私は 
第1番目の夢は新井白石の "西洋紀聞"
第2番めの夢は新約聖書の "ヨハネによる黙示録"
第3番目の夢はゲーテの"ファウスト"からの
影響を受けて見た夢だと思った.

こどものころから
私が見る夢には
物語性がある
総天然色の夢だ.

同じ夢をよくみるが
洗礼を受ける前に見た3つの夢は
繰り返し見ることはなかった.
あのときだけの
かけがえのない夢になった.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

「夢」という詩、拝読しました。高校3年生という多感な時期にご覧になったという3つの夢が、非常に鮮明に描写されており、まるで映画を見ているかのような感覚になりました。

それぞれの夢が持つ象徴性、そしてそれらが最終的に詩の中でどのように結びついていくのか、深く考えさせられます。

夢への感想

鮮烈なイメージと物語性

まず、それぞれの夢の描写が非常に具体的で、色彩豊かであることが印象的です。「万里の波濤を超えてやってきた」親子、「海から上陸して人間を襲う龍」、そして「知恩院の五重の塔の先端」といったイメージが、読者の心に強く残ります。詩の最後に「総天然色の夢」と書かれている通り、視覚的な情報が豊かで、まさに一つの物語を読んでいるようでした。

宗教的・哲学的な問い

詩全体に、信仰、救い、試練といったテーマが流れていると感じました。特に2番目の夢で「汝の救いに至る道は群衆がたどる道の反対方向にある」と語りかけられる場面や、3番目の夢でサタンの誘惑に立ち向かう場面は、読者にも深い問いを投げかけているように思います。高校生でこのような夢を見るというのは、非常に精神性の高い経験だったのではないでしょうか。

内省と影響源

夢が「新井白石の『西洋紀聞』」「新約聖書の『ヨハネによる黙示録』」「ゲーテの『ファウスト』」からの影響を受けていると分析されている点も興味深いです。ご自身の夢を客観的に捉え、その源泉を探求しようとする姿勢が伺えます。非宗教的であると自認しながらも、夢を通して宗教的なテーマに触れるという、内面の複雑さも感じられました。

夢の持つ力

「3つの夢はいつも私の心の中に居座って 試練や苦難に遭遇するとき いつも思い出された」という一節は、これらの夢が単なる一時的なものではなく、その後の人生における心の支え、あるいは羅針盤のような役割を果たしてきたことを示しています。特に洗礼を受ける前に見た夢が「かけがえのない夢になった」という言葉からは、その特別な意味合いが伝わってきます。

全体として、若き日の鮮烈な体験が、詩という形で昇華されていると感じました。ご自身の内面と深く向き合われた、素晴らしい詩だと思います。この詩を読んで、ご自身の夢について改めて考えてみるきっかけにもなりました。

この詩に込められた思いや、それぞれの夢がその後どのようにご自身の人生に影響を与えてきたのか、もしよろしければもう少しお聞かせいただけますでしょうか?


私:

1番目の夢:私の信仰は大陸由来の基督教ではなく海から伝来された基督教になった.
2番めの夢: 29歳のとき献身して神学校に入り,32年間日本基督教団の牧師をした. 他言したことはないが,天使ミカエルは主イエスさまが派遣した私の守護天使だと思って牧師の職務を全うした.
3番目の夢: 父が倒れて大学進学の夢が立たれたとき仏教大学に入学した先輩が知恩院でアルバイトをしながら学費を稼いでいる.一緒に仏教大学で勉学しないかと言われたとき丁重にお断りした.主なる神さまが与えてくださらない学歴は必要なしと.


Geminiさん:

大変貴重なお話をありがとうございます。以前の詩に込められた夢が、その後の人生と信仰に深く結びついていることを知り、感銘を受けました。


1番目の夢と信仰のルーツ

「私の信仰は大陸由来の基督教ではなく海から伝来された基督教になった」というお言葉は、最初の夢の「万里の波濤を超えてやってきた」という部分と見事につながりますね。単なる知識としてのキリスト教ではなく、海を越えて伝わってきた福音という、より根源的で個人的な受容があったことを示唆しているように感じます。それは、教義や形式よりも、**「あなたに福音を伝えるために」**という強い使命感を持った人々の姿を通して、信仰が心に深く根ざしたことを表しているのかもしれません。


2番目の夢と献身

29歳での献身と日本基督教団の牧師としての32年間。「天使ミカエルがあなたを待っています!」という天からの声が、牧師という職務を全うする上で、主イエス様が派遣された守護天使として心の中にあったというお話は、鳥肌が立つほど感動的です。


3番目の夢と人生の選択

お父様が倒れ、大学進学の夢が断たれたという辛い状況の中で、仏教大学への誘いを断られたというエピソードは、2番目の夢の「群衆がたどる道の反対方向」という言葉を強く思い出させます。一般的に「救い」とされるような世俗的な道や学歴を求めるのではなく、「主なる神さまが与えてくださらない学歴は必要なし」と、ご自身の信仰を最優先されたその決断は、まさに「群衆とは反対の方向」へ進む勇気を示しているように思います。これは、信仰が単なる精神的な支えではなく、人生の重要な局面における具体的な指針となっていた証拠ですね。


この3番目の夢は、単なる預言的な夢ではなく、人生の召命とも呼べるような深い意味を持っていたのですね。知恩院の五重の塔の先端に突き落とされるという極限の試練の中で、「汝は神によって救われた!」という天からの声を聞いた経験が、牧師としての困難な道のりを乗り越える上での揺るぎない確信となったことでしょう。

夢と現実の深い繋がり

3つの夢がそれぞれ独立しているようでいて、実は信仰の形成、人生の選択、そして献身という、ご自身の人生の重要な節目と深く結びついていることに改めて驚かされます。これらの夢は、単なる「夢」という枠を超えて、ご自身の人生そのものを導く聖なる啓示であったと言えるのではないでしょうか。

夢が「いつも私の心の中に居座って 試練や苦難に遭遇するとき いつも思い出された」という言葉の重みを、今、改めて深く理解することができました。貴重なお話を共有していただき、心より感謝申し上げます。

これらの夢が、牧師として歩まれた32年間の道のりの中で、具体的にどのように支えとなり、あるいはどのような場面で思い出されたのか、もしお話しできることがあれば、ぜひお聞かせいただけると幸いです。

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