日本基督教団西中国教区の
教職研修会に参加したとき
講師の
日本基督教団副議長に
呼び出された.
彼は
私が神学校を卒業すると同時に
赴任した
神奈川教区の開拓伝道所の
周辺8教会の牧師であった.
神奈川教区の常置委員会は
牧師としての経験の浅い私に
教団問題を反映して
相異なる立場を持つ
社会派と福音派の教会の牧師を
私のお目付け役にした.
そのとき社会派の指導者のひとりである
紅葉坂教会の牧師は
私に期待した.
"聖餐式をオープンにして
受洗・未受洗にかかわらず
聖餐にあずかることができるようにしてくれる"と.
しかし
私は教憲教規に従って
聖餐式をクローズで
受洗者だけにした.
そのことだけではないが
私は周辺8教会の
社会派といわれる教会の牧師たちに
失望を与えることになった.
伝道所内外の
牧師や信徒の
複雑な思いが絡む中で
私は2年で
神奈川教区の開拓伝道を離れることになった.
そして西中国教区の山口の
小さな教会に赴任することになった.
当時の西中国教区議長は
"君は神の召命を信じることができるか?" と
問いかけてきた.
"はい" と答えると
"これから私がいう教会に赴任してくれるか?" と
さらに問いかけてきた.
私が
"はい" と答えると
彼は
"その教会は前任者が自害した教会で
信徒が動揺している.
一日もはやく事態を収集したい"といった.
私は
カール・バルトの自殺に対する見解を述べて
その教会に赴任することを決めた.
私を呼び出した
日本基督教団副議長で
神奈川教区の紅葉坂教会の牧師は
私と会うなり
いきなり
"あなたの娘のようなものを
受け入れるキリスト教主義大学は
どこにもないから
そのつもりでいなさい"と.
私は問い返した.
"私の娘は
まだ幼稚園の年少組ですよ.
それなのに
キリスト教主義大学や
大学進学の話をするのは
どうしてですか?"
彼は
"神奈川教区の開拓伝道所の
専門家が
'吉田牧師の娘は自閉症だ'と診断した.
自閉症のこどもを受け入れる
日本基督教団のキリスト教主義大学は
ひとつも存在していないということだ"
と語った.
私は
"どうぞご心配なく.
私の娘は私立大学ではなく
国立大学に進学させますから"と
答えたが
そのとき同席していた
西中国教区副議長の牧師は
激怒していった.
"お前のそういう
傲慢さがみんなに嫌われるんだ!
私みたいな同志社大学神学部をでた
優秀な牧師の娘ですら
国立大学に入ることができなかったのに
なんで
無学歴・無資格のお前の
娘が国立大学に入れるんだ?
傲慢にもほどがある!
専門家の診断を
無視するのも
いいかげんにしろ!
お前の娘は自閉症だ!"
娘が小学生になったとき
西中国教区の問安で
山口教会の信徒議員で常置委員の
精神科の医師がやってきて
"娘さんとふたりで
話をさせてください"といった.
帰りに
その精神科の先生はいった.
"あなたの娘さんは
自閉症などではありません.
私の質問に
いつも考えてから
適切な答えを返して来ます.
あたまがいい娘さんですね".
しかし
その精神科の先生の診断より
神奈川教区の開拓伝道所の
専門家の診断
"吉田牧師の娘は自閉症だ"を
信じた牧師たちは
"吉田牧師の娘は
健常児という名の障害児だ" と
言いふらしていた.
娘が大学進学の年の
西中国教区総会の会場の
食堂にはいったとき
山口教会の信徒で常置委員の
精神科の先生が
"吉田先生
先生の席はここです"と
私を彼の横の席に座らせた.
そして
"娘さんの大学進学は
どうなりました?" と
問いかけてきた.
"おかげさまで
地方国立大学に入学することができました."
"何処の大学ですか?" とさらに聞かれるので
"妻のふるさと
娘の祖父母が住んでいる福島県の国立福島大学です.
学部は行政社会学です" と答えると
彼は
"みなさん 吉田先生の話を聞きましたか.
私が言っていた通りでしょう.
国立大学に進学できたでしょう.
このテーブルに座っている牧師たちは
みんな
あなたの娘が国立大学に入る可能性はないと
話していたひとばかりです.
私ひとり国立大学に入ると信じていました"と
大きな声で話していた.
そのあと
その牧師たちは
"吉田牧師の娘は国立大学の入試に失敗した.
吉田牧師ははずかしくて
そのことを言えないので
娘を遠く離れた地に
就職させて
国立大学に入ったと嘘を言っている" と
デマを流していた.
神奈川教区の開拓伝道所の
専門家の最初の診断は
我が家の上に重くのしかかっていたが
主なる神さまは
私達を導いてくださった.
あるとき
テレビのニュース番組をみていたとき
神奈川教区の開拓伝道所の
専門家のお孫さんが自閉症であるとの番組が
流されていた.
おかあさんに反発した娘さんが
その事実を公にした.
専門家のおかあさんは
パニックに陥って
大変だったと
伝道所の役員から電話があった.
妻は神奈川教区の開拓伝道所の
高学歴高資格の役員の
娘さんたちとは
同じ基督者として
良好な関係を持ち
信仰の喜びを分かち合っていた.
妻は
"私の娘が
たとえ自閉症であったとしても
私の娘に対する愛は変わらないわ.
彼女も私と同じ思いよ
きっと"
と話していた.
"信・望・愛" のなかでもっとも大切なのは愛である
愛を見失ったクリスチャンの
なんと多いことか・・・.
愛はすべてを解決する!
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
吉田先生の詩「傲慢」、拝読いたしました。
短い言葉の中に、先生の信仰、苦悩、そして娘さんへの深い愛情が凝縮されているように感じました。特に、周囲の誤解や偏見に晒されながらも、神様への信頼と娘さんへの揺るぎない愛を持ち続けた先生の姿に、強い感銘を受けました。
「傲慢」という題名には、周囲から向けられた批判や誤解に対する、先生の静かな抵抗や、真実を信じる強さが込められているように感じました。それは、決して人を貶めるような傲慢さではなく、自身の信念を貫き、娘さんを守り抜くための、内なる強い意志の表れではないでしょうか。
特に印象的だったのは、娘さんの診断を巡る周囲の反応と、最終的に真実が明らかになるまでの経緯です。専門家の言葉が絶対視され、事実と異なるレッテルが貼られてしまうことの恐ろしさ、そして、その中で先生ご夫妻がどれほどの苦悩を抱えられたのか、想像するに余りあります。
しかし、そうした困難の中で、奥様の「私の娘がたとえ自閉症であったとしても、私の娘に対する愛は変わらないわ」という言葉、そして「愛はすべてを解決する!」という力強い結びの言葉に、先生の深い信仰と、家族の絆の強さを感じました。
この詩を通して、私たちは、他者を理解することの難しさ、先入観や偏見がもたらす傷つき、そして何よりも、真実を見抜くこと、そして愛を持つことの大切さを改めて教えられたように思います。
先生の率直な言葉が、読者の心に深く響く、力強い詩だと感じました。
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