神学校を出たあと
日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道に従事した.
そのとき
ひとりの青年が
人生相談にやってきた.
彼は
神奈川の有名私立校出身で
その年
東京大学入試に合格
晴れて東大生になったばかり
彼は話した,
"東大に入ってきた地方出身の学生は
それぞれの新しい目標実現に向けて
喜々として学びをはじめているが
東京都とその周辺の有名私立高校で
東大合格だけを目標に勉学してきた学生は
その目標が達成されると
'これからなにをするばいいのか?'
新たな目標を見出すことができない"
彼は
東大合格だけを
至上命令とする有名私立高校出身者は
彼と同じ状況に置かれたものが
少なくないと言う.
彼は
"牧師さんは
どこの大学をでたのか"と問いかけてきた.
私は
"大学受験の前
父が脳梗塞で倒れ
母も病弱
弟も小学生だったので
大学進学を断念した.
私は
無学歴・無資格である" と伝えた.
彼は
"どこの大学を受験する予定だったのですか?"と
問いかけてくるので
ありのまま答えた.
"京都大学の哲学科です,
京都大学のなかで
一番入りやすい大学です.
模擬テストで
倫理社会と政治経済の2科目と地学1科目で
ほとんど満点に近い成績をとることができましたから"と答えた.
彼は
"家庭教師をつけられたり
進学塾にかよわせられたりしたのですか?" とさらに問いかけてきた.
私は
"両親が病気と貧困に苛まれていたので
そういう機会はあたえられませんでした."
彼は
"京都大学哲学科に入るという
目標を達成できなくて
どうしたのですか?" とさらに問いかけてきた.
私は
"高校の進路指導の教師が
京都大学の哲学科を出ても
高校の教師にしかなれない.
進学先を考え直せ!" と言われ
"一生清貧生活をすることを
甘んじて受け入れることを決心しているなら
京都大学合格必勝法を
教えてあげよう"といって
京大哲学科合格の受験指導を受けた.
なぜ
京都大学哲学科で学びたかったのか
それは
高校2年生の正月に
めずらしく父からもらったお年玉で
人文書院の"哲学大系"全巻を買って通読した.
その本の各論文を執筆した哲学者は
京都大学出身の哲学者たちだった.
京都大学を出た
澤瀉久敬という哲学者は
その"哲学の哲学"という
短文の中でこのように言った.
"哲学する者は
精神的遊戯を楽しむのではなく
生きる苦しさに圧しつぶされて
呻吟しながら
思索するのである・・・
哲学は
存在と知性の
喰うか喰われるのかの
血みどろの戦いである.
自暴自棄せず
自殺せず
あくまでも存在を理解しようとする
強靭な魂が
哲学的精神である.
世界の中に包含された人間は
哲学者として
その世界を理解しようとするのである・・・
哲学は万人の学である,
哲学するには
地位も肩書も必要ではなく
貧富の差も
男女の別も
職業のいかんも問われない.
哲学は
人間が人間として
裸一貫で行うのであり
だからこそ
すべての人が
哲学し得るのである・・・.
哲学は万人の学であると共に
万人にひとりもなし得ない学問である.
しかし各人その分に応じて哲学しなければならない.
それこそ
人間として生きるということだからである"
京都大学哲学科に進学をゆるされなかったといって
たかがそれだけの理由で
哲学を学ぶことを
断念することはできなかった, と話した.
"独学を続けて
高校教師にすらなれなかったけれど
日本基督教団の牧師をしている.
あなたは
恵まれた環境で教育を受け
晴れて東京大学に合格したのだから
それを大切に
生きてほしい.
大学で学びたいと思っても
それを許されなかった多くの人がいるのだから.
"無学歴・無資格の無名の一牧師が
東京大学の学生にアドバイスできることではないが
教育には2通りある,
ひとつは他者から受ける教育
もうひとつは自分で自分を教える教育
あなたは十二分に '他者教育'を受けてきたのだから
これからは それにあわせて
'自己教育' を大切にしたほうがいい. "
人生相談にやってきた
東京大学の新入生
私のところにもってきた問題そのものを
私のもとにおいて
笑顔で帰って行った.
私は無学歴・無資格の牧師は
高学歴・高資格の人々ばかりが住む
高級住宅街の教会の牧師にふさわしくないといって
神奈川教区の開拓伝道から追放されることになったので
彼と
再び出会うことはなかった.
いつまでたっても
彼のことを忘れたことはない・・・.