山口の
小さな教会に赴任したとき
ひとりの姉が
ガンで病床に伏していた.
1週間に1度
病床訪問していたが
あるとき
二人の娘さんから電話があった.
「母が危篤になりました.
明日の朝までの命だそうです.
牧師先生
私達と一緒に
母を看取ってください」
それで
私は二人の娘さんと
病室で徹夜することになった.
朝の4時ころ
二人の娘さんが
おかあさんの葬儀について
話しをはじめた.
私は
「おかあさんは
まだ生きている.
生きている人の前で
葬儀の話をするのはよくない・・・」と
二人の娘さんを諌めた.
二人の娘さんは
「担当医の先生は
母はもう意識はないと
話していました]という.
それで
私は病床に伏して
死の宣告を受けた
姉の手をとって
語りかけた.
私の右手は
右手の関節の手術を受けて
握力がほとんどなかった.
鉛筆1本が重くて
もっていることができなかった.
そんな手に
反応を感じた.
私は
二人の娘さんに
「おかあさんが握り返してくる」と
告げると
二人の娘さんは
交互におかさんの手をとって
語りかけた.
「おかあさん
私の声がきこえたら
握り返して!」
しかし
二人の娘さんは
手応えなく
深い失望の念に
捉えられた.
私は
もう一度
姉に語りかけた.
「私は牧師です.
私の声が聞こえたら
握り返してください」
すると
今度ははっきりと
私の手をにぎりかえしてくる
力強さがあった.
それを告げると
二人の娘さんは
一縷の望みをもって
おかあさんに語りかけた.
「おかあさん
娘の私の声が聞こえたら
手で握り返して!」
すると
ふたりの娘さんは
絶叫した.
「おかあさんが意識を取り戻した!
姉の娘さんは
病室を飛び出して
担当医と看護婦さんを呼びに行った.
担当医の方は
「おかあさんは意識を取り戻したみたいです.
危篤状態を脱しました」といった.
病床に伏したまま
教会員の姉は
両手でなにかの仕草をした.
二人の姉妹は
「おかあさん
何がいいたいの?」と呼びかけるが
その手の動きがなにか
理解出来ない.
私は
「おかあさんは
紙と鉛筆がほしいと言っているのではないか・・・」と
告げると
二人の姉妹は
ナースセンターに行って紙とエンピツをもらって来た.
おかあさんは
左手で台紙のついた紙に
右手で鉛筆をもち
書き始めた.
仰向けにねたまま・・・.
紙に書かれた文字は
―|―
―|―
|―\\
―|―
― ―/
\/
―|―\\
/―/
二人の娘さんは
「牧師先生
母はなんと書いているのでしょう?」と
問いかけてきた.
私は
最初から
筆順に注意しながら見ていたので
それを読むことができた.
教会員の姉は
「ココドコテンゴク」と
書いていた.
私は二人の娘さんに
そのおかあさんが書いた
文字の読み方を教えた.
二人の娘さんは
「牧師先生
筆談でいいですから
1週間母と話ができるように
神さまにとりなしの祈りをしてください」というので
とりなしの祈りをした.
それから
1週間
二人の娘さんは
おかあさんといろいろ話をすることが出来た.
そして1週間後,再び危篤状態になった.
知らせを受けた私は
病室の前にたった.
親類親戚の方々が
悲しみと不安の表情で待っていた.
病室のドアがあいて
看護婦さんが話しかけて来た.
「牧師さん
おられますか?
おられたら
すぐ病室に入って来てください」
外で待っていた親類親戚の方々が
不平を語りはじめた.
「なんで親類親戚のわたしたちが
死に目にあうことができないんだ?」
病室に入ると
医師が
このまま延命処置を続けると
血管が破れて
目と鼻と口から血が溢れてくる.
そうなる前に
延命処置を止めていいかどうか
娘さん二人に尋ねたら
自分たちにはできないという.
牧師先生に判断を委ねますというので
私を呼び入れたと説明を受けた.
私は臨終に立ち会った牧師として承諾した.
しかし, 時すでに遅く
姉の目と鼻と口から
血が溢れ出て来た.
姉の娘さんは
「見ておれない!」と
大きな声を出しながら
病室を飛び出して行った.
私と妹の娘さんのふたりで
おかさんの
顔の血をきれいにふきとって
なにもなかったかのように
よそおって
親類親戚の方々を
病室に招き入れた.
葬儀は
姉と二人の娘さんの自宅で
キリスト教式で行った.
私は
ガンの痛みに耐えながら
その痛みに耐えぬいたとき
主イエスさまと会うことができると
堅く信じていた
姉の信仰が招いた
奇跡だと思った.
主なる神さまは
神奈川教区の開拓伝道に従事し
右手関節炎を患い
横浜日赤で手術を受けた私を
西中国教区の山口の小さな教会に転任させたのは
この信仰深い姉の
主なる神さまの救いのためだと思った.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文この度は、心温まる詩を共有してくださり、ありがとうございます。読ませていただき、深い感動と静かな畏敬の念を覚えました。
この詩は、単なる奇跡体験の記録ではなく、信仰の力強さ、家族の深い愛情、そして牧師であるあなたの献身的な姿勢が織りなす、美しい物語だと感じました。
特に心を揺さぶられたのは、以下の点です。
- 臨場感あふれる描写: 病室の張り詰めた空気、娘さんたちの焦燥感と悲しみ、そしてあなたが姉の手を通して感じた微かな反応。それらが、まるでその場に立ち会っているかのように伝わってきました。
- 奇跡の瞬間: 意識がないとされていた姉が、あなたの声に力強く握り返した時の驚きと感動は、読む者の心にも鮮烈に響きました。握力のほとんどないあなたの手で、その反応を感じ取れたこと自体が、すでに奇跡の始まりを告げているようでした。
- 筆談による意思疎通: 危篤状態の中で、姉が「ココドコテンゴク」と書き残した場面は、信仰の深さと安らかな旅立ちへの願いが凝縮されているように感じました。その文字をあなたが読み解き、娘さんたちに伝えたことで、残された時間の中で心の交流ができたことは、大きな慰めになったことでしょう。
- 人間の弱さと強さ: 延命処置の選択、血が溢れ出るという悲痛な現実、そしてそれを受け止め、最期まで尊厳を守ろうとするあなたの行動に、人間の弱さと同時に、それを乗り越えようとする強さを感じました。娘さんたちの悲痛な叫びも、痛いほど伝わってきました。
- 信仰の力: ガンの痛みに耐え抜いた姉の信仰、そしてその信仰がもたらした奇跡。この詩全体を通して、目には見えないけれど確かに存在する、信仰の温かさと力強さが感じられました。
- あなたの使命感: 右手の不自由を抱えながらも、神の導きを感じ、姉の救いのために尽力されたあなたの姿に、深い感銘を受けました。
この詩は、奇跡という特別な出来事を描きながらも、普遍的な人間の感情や、信仰の持つ力を力強く伝えています。読後、心の中に温かい光が灯るような、そんな読後感でした。
大切な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。