2025年4月30日水曜日

海の虹

私が
Sweden Covenant Missionの宣教師から
洗礼を受けたのは
高校3年生の2学期
12月5日のことだった.

高校3年生の3学期
1月5日に
父が脳梗塞で倒れた.

長い間貧困と病気にさらされてきた
我が家の家計は
私が大学進学することを
許さなかった.

大学進学を断念して
家族を経済的に
支えなければならないという
マイナスからの
人生の負のスタートだった.

級友3人が
京都大学
関西大学
関西学院大学へと飛び立つ日の前
私を尋ねて来た.

"これから
どうするつもりだ?"と. 

私は
彼らと岸壁に座って
海をみながら
"家がかたづいたら
いつのことになるか
わからないけれど
神学校に行って
牧師になる"と.

そんな話を交わしているとき
私達の目の前に
大きな虹が現れた.
太くて
大きくて
七色がはっきり識別できる
まっすぐ天に向かって伸びた
虹の柱が.

それ以前にも
それ以後にも
みたことがないような
大きな
大きな
七色の虹を見た.

 
Googleの人工知能Geminiさんの感想文

胸に迫る、力強い詩ですね。「海の虹」というタイトルが、その後の人生を暗示しているように感じました。

洗礼、お父様の突然の病、そして大学進学の断念。高校生活の終わりに立て続けに起こった出来事が、あなたの人生に重くのしかかってきたことが伝わってきます。特に、「マイナスからの人生の負のスタート」という言葉には、当時のあなたの葛藤と覚悟が凝縮されているように感じました。

そんな状況の中、友との別れ際に語った「神学校に行って牧師になる」という言葉は、困難に立ち向かうあなたの強い意志を感じさせます。未来への希望を失わず、自分の信じる道を見据えている姿に心を打たれました。

そして、何よりも印象的なのは、目の前に現れた大きな虹の描写です。「太くて、大きくて、七色がはっきり識別できる、まっすぐ天に向かって伸びた虹の柱」。それは、まるであなたの未来を祝福し、困難を乗り越える力を与えるかのような、神秘的な光景だったのでしょう。それ以前にも、それ以後にも見たことがないほどの大きな虹だったという事実は、その時のあなたにとって、かけがえのない希望の象徴となったに違いありません。

貧困や病気、そして進路の断念という苦難の中で見上げた虹は、単なる自然現象ではなく、あなたにとって特別な意味を持つ光だったのだと感じました。この詩を読ませていただき、人生には予期せぬ困難が訪れるけれど、その中で希望を見出す強さを持つことの大切さを改めて教えられた気がします。ありがとうございました。

読書

高校生のとき
帰り道にある
公民館に立ち寄って
いつも
1冊本を借りた.

あるとき
司書のおばさんが
語りかけてきた.
"あなた 彼女いるの?"
私は
"いません" と答えた.

するとその司書のおばさん
"あなたに
ぴったりの女の子がいるの.
あなたと同じ高校の
同じ学年の女の子.
その子も読書が好きで
いつも公民館に立ち寄って
本を借りて行くの.
'徳川家康' 全巻読んだのよ!"

そのとき私は思った.
どこがどう似ているのかと.
その子は頭が良くて
美人で
どんなに考えても
私に似ているとは思えなかった.

その子とすれ違う度に
私は思った.
"どこがどう似ているのだろう"と.
純文学と哲学書しか読まない私と
徳川家康や豊臣秀吉などの
大衆小説を読む彼女と
どこがどう似ているのだろうと.

対話の糸口の
みつけられないまま
卒業の日を迎えた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。高校時代の帰り道、公民館での一コマが目に浮かぶようです。本との出会い、そして司書のおばさんの温かい(けれど少し不思議な)おせっかいが、青春の淡い記憶として鮮やかに描かれていますね。

特に印象的だったのは、あなたとその「ぴったりの女の子」との間に横たわる、埋められないかもしれないけれど、どこか気になる距離感です。純文学と哲学書を好むあなたと、大衆小説を読む彼女。知的な探求を深めたいあなたと、歴史物語に惹かれる彼女。その違いが明確に描かれているからこそ、「どこがどう似ているのだろう」というあなたの心の声が、読んでいる私の心にも深く響きました。

司書のおばさんの言葉は、親切心から出たものだったのでしょうけれど、あなたにとっては少し的外れに感じられたのですね。それでも、彼女とすれ違うたびにその言葉を思い返し、わずかな共通点を探そうとするあなたの繊細な気持ちが伝わってきました。

結局、対話の糸口を見つけられないまま卒業を迎えたという結末は、少し切なくもありますが、それもまた青春のほろ苦い思い出として心に残ります。もし、あの時勇気を出して話しかけていたら、何か違う展開があったのかもしれない、と想像力を掻き立てられます。

この詩を読ませていただいて、私も自分の過去の記憶を辿り、少し切ないけれど温かい気持ちになりました。ありがとうございました。

   

サフランの花

私が洗礼を受けたのは
高校3年生の12月5日
そのとき2人の8歳年上の
おんなのひとと
一緒に洗礼を受けた.

彼女たちの提案で
洗礼を受けたあと
どのような信仰生活をしているか
交換日記をつけることになった.

私の父は
次の年の1月5日
脳梗塞で倒れた.
そのあと
私の人生に暗雲が
立ち込めはじめた.

その後の試練の日々を
私はすなおに
その交換日記に書いた.

あるとき
一緒に洗礼を受けたひとり
花屋のお師匠さんに
呼び出された.

彼女は言った.
"君を何かの
花に例えると
サフランの花ね.
地べたに
這いつくばって
生きているから"

Sweden Covenant Missionの
元看護婦さんのカーリン先生に
その話をすると
"なんてこと言うんでしょうね.
でも気にすることないわよ.
Swedenではサフランは
大切な花なのですから.
アドベントにサフランの花の入った
パンを食べると
1年間健康でいられると
言われている花なのですから" 

宣教師のグンナル先生が
"彼をSwedenの
ウプサラ神学校にやって
帰ってきたら神学校の教師にしよう"と
話していたとき
教会の役員会はこぞって反対した.

"この教会には
良家の学歴資格をもった
青年がたくさんいる.
彼らをさしおいて
無学歴・無資格の
何処の馬の骨かわらかない
貧乏人の息子を
Swedenに留学させるのは反対だ" と. 

10年後
私は Sweden Covenant Missionの
教会を離れて
日本基督教団の牧師になるために
富士見町教会の島村亀鶴牧師の
推薦状をもって
鶴川学院農村伝道神学校を
受験した.

日本基督教団の牧師になってからも
地べたに
這いつくばって
生きている
サフランの花のような
生き方しかできなかったけれど

サフランの花は
私のこころのなかに
私の信仰と生き方のなかに
咲き続けた.

今も なお・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


この詩を読んで、あなたの人生の道のりと、その中で「サフランの花」が持つ意味の深さに、心を深く打たれました。

洗礼という人生の大きな転機から始まり、お父様の突然の病、そしてその後の困難な日々が、率直な言葉で綴られていますね。交換日記という、信仰を分かち合う美しい習慣が、その後のあなたの心の支えになったであろうことが想像できます。

花屋のお師匠さんの言葉は、最初は少し粗雑に聞こえますが、カーリン先生の温かい言葉によって、その印象が大きく変わります。異文化におけるサフランの花の価値を知ることで、「地べたに這いつくばって生きている」という言葉が、力強く生きるあなたの姿と重なり、むしろ誇り高いものに感じられました。

グンナル先生の申し出と、教会役員会の反対という場面は、当時の社会の状況や教会の内情を垣間見せるようで、胸が締め付けられます。「良家の学歴資格をもった青年」と対比される「無学歴・無資格の貧乏人の息子」という言葉は、あなたの置かれた厳しい立場を鮮明に映し出しています。それでも、あなたは志を曲げず、自らの道を切り開いていったのですね。

そして、10年後の決断、日本基督教団の牧師への道。そこにも、あなたの強い意志と、既存の枠にとらわれない生き方が表れていると感じました。

「日本基督教団の牧師になってからも/地べたに/這いつくばって/生きている/サフランの花のような/生き方しかできなかったけれど」という部分は、あなたの謙虚さと、どのような状況でも変わらない生き方を表しているように感じました。華やかではないかもしれないけれど、地に根を張り、しっかりと生きるサフランの花の姿は、あなたの信仰と人生そのものなのだと強く感じました。

最後の「サフランの花は/私のこころのなかに/私の信仰と生き方のなかに/咲き続けた」という言葉と、「今も なお・・・」という余韻は、サフランの花が、あなたにとって単なる比喩ではなく、人生を象徴する大切な存在であることを物語っています。困難な時も、喜びの時も、常に心の中に咲き続けるサフランの花は、あなたの強さ、優しさ、そして信仰の深さを表しているのではないでしょうか。

力強い生命力と、内に秘めた美しさを持つサフランの花のように、あなたは困難な道を歩みながらも、その中で確かな信仰を育み、人々に希望を与え続けているのだと感じました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

類似点

中学3年生の秋
水田の広がる風景の中にある
中学校の旧校舎から
琴の海の見える高台の
新校舎に移った.

朝早く
登校してきた
私とS君とNさんの
3人で
毎日
新校舎の屋上から
海を眺めていた.

心配した
宿直の先生が
屋上まで様子を見に来て言った.

"不思議な
光景だなあ.
似ても似つかぬ
3人が
海を眺めながら
楽しそうに話をしているなんて.
何を話しているんだ?"

私もSの君とNさんも
笑って返すだけで
何も答えなかった.

屋上から見える
瀬戸の冬の海は
雲間から差し込む
一条の光によって
七色に輝きながら
海の色を染めていく.

S君は
強度の吃音があった.
S君は
私とNさんとは安心して
話ができると言った.
私もNさんも
時々S君の吃音につられてどもることがあった.
そのとき
3人はどっと笑った.

私はこどもの頃から
体が弱く
マラソン大会は
いつもビリ,
Nさんは走るのが得意で
マラソン大会は女子の部で
いつも一位だった.

宿直の先生が
"似ても似つかぬ3人"と
評することに異存はなかった.
3人共
類似点より相違点の方が多かったのだから.

しかし
共通していることがひとつあった.
それは
友の語る言葉に耳を傾け
こころを通わせる力を
もっていることだった.

20歳になっても
30歳になっても
40歳になても
私は
あとのとき3人で見つめていた
心のなかにある
瀬戸の海を見続けている.
S君もNさんも
同じ海を見続けていると信じながら.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

美しい情景と、かけがえのない友情が描かれた、心に深く響く詩ですね。

中学校の旧校舎から新校舎への移転という、人生の小さな転換期に、屋上から眺める海の風景が、3人の少年少女の心に共有された特別な記憶として刻まれたのですね。

宿直の先生の「似ても似つかぬ3人」という言葉が、逆に3人の関係の深さを際立たせているように感じました。外見や得意なことは違っていても、お互いの言葉に耳を傾け、心を通わせるという、最も大切な共通点があったのですね。

S君の吃音、作者の体が弱かったこと、Nさんがマラソンが得意だったこと。それぞれの個性や抱えるものが語られるほどに、3人がお互いを認め合い、受け入れ合っていたことが伝わってきます。特に、S君が2人といると安心して話せたと語った場面や、吃音につられてどもってしまうことで笑い合う場面は、3人の間に温かい信頼関係があったことを示していますね。

瀬戸の冬の海の描写も印象的です。雲間から差し込む光によって七色に輝く海は、3人の心の奥底にある、色あせることのない美しい記憶の象徴なのでしょう。

時が経ち、大人になっても、心の中の瀬戸の海を見続けているという結びの言葉は、友情の普遍性と、少年時代の純粋な心の繋がりが、人生においてどれほど大切な宝物であるかを教えてくれます。

この詩を読んで、私も自分の過去の友情を温かい気持ちで振り返りました。素敵な詩を共有してくださり、ありがとうございました。


2025年4月29日火曜日

まだ34の詩がある・・・

    昔, 1冊の本に, 私の詩を書き込んだことがあります.

    今回, その詩を, アトランダムに, 私のブログ "詩集 海は生きている" に書き込んで来ました. 現在55個の詩を掲載して来ましたが, 未掲載の詩の数を数えてみますと,まだ34篇の詩がありました. 4月12日に,1日1篇の詩を書くつもりで始めましたが, 1日2~3篇の詩をブログに書き込んで来たようです.

    詩は, 私にとって,そのときどきのこころと感情の言葉の缶詰のようです. 昔書いた詩を読み返していると,言葉だけでなく, その詩をうたったときのこころと感情がよみがえって来ます. おさないころの,小学生・中学生・高校生のころのいろいろなこころと感情が時の流れから解き放たれて,77歳の高齢になった私のこころに戻って来ます.

    こどものころ習った歌に "まっしろいこころ" というのがあります.

    まっしろい心よ
    もどっておいで
    あの日眺めた
    雲のような
    まっしろい心よ
    もどっておいで
    いまひろげてる
    手のひらに
    いま いま いま

    "まっしろい心" とはいいませんが, ありのままの心を取り戻すことができたら,私はそれで満足・・・.
 

Geminiさんからの感想

読ませていただきました。

昔書かれた詩をブログに公開されているのですね。55篇も掲載されて、まだ34篇もおありとのこと、創作意欲が素晴らしいです。

詩をご自身の「こころと感情の言葉の缶詰」と表現されているのが、とても印象的でした。時間が経っても、言葉を通して当時の感情が鮮やかに蘇るというのは、詩ならではの力かもしれませんね。幼い頃から現在までの様々な感情が、詩を読むことで解き放たれ、今のあなたの心に戻ってくるというくだりは、読んでいる私の心にもじんわりと響きました。

「まっしろい心」という歌も、純粋な気持ちを思い出させてくれるようで、素敵ですね。過去の様々な感情を経てきた今、「ありのままの心を取り戻すことができたらそれで満足」という言葉には、深い感慨のようなものを感じました。

これからもブログで詩を公開されるのを楽しみにしています。

転機

人生には転機がある.

私が経験した最初の転機は
小学3年生のときだ.

父は
倒産した吉田屋の看板のある
家を離れて
ちいさなあばら家に引っ越した.
私は
それまで一緒に遊んでいた
幼馴染の女の子と離れ離れるになることになった.

生まれたときから
体が弱かった私は
他の男の子のように
海や野原で遊ぶことができず
幼馴染の女の子と
おままごとをして遊んでいた.
引っ越ししてから
彼女たちと交わることは
なくなった.

小学3年生になると
クラス替えがあった.
1年,2年一緒に学んだ級友と別れ
新しい級友との出会いがあった.

ある日
尾崎くんという同級生の男の子に
遊びに来ないかと誘われた.

彼の家は
小学校のすぐ近くにあった.
最初尋ねたとき
家の前で
畑仕事をしていた
彼のおじいさんが
語りかけて来た.
"うちは
先祖代々不受不施派だ.
そのため
孫は友達がなかなかできない.
君にお願いがある.
孫のともだちになってほしい" 

それから
尾崎くんとの
ともだち付き合いが始まった.

彼とのつきあいは
小学3年生のときにはじまって
私が
日本基督教団の牧師になるために
神学校に入る
その日まで続いた.

8歳から28歳までの付き合いだった.

彼は
私が生まれた時から
からだが弱く
外で遊んだことがないと知ると
私をいろいろな場所に
連れて行ってくれた.

海や野山で遊ぶことの
楽しさを教えてくれた.
それまで経験することのなかった
男の子の遊びを
体験する機会をつくってくれた.

単なる級友でも
単なるともだちでもなく
親友という言葉がふさわしい
友だちになった.

高校2年生のとき
聖書を読んで
聖書の神を
真の神と信じるようになったという私を
"知っている宣教師がいるから
すぐ行こう"と
Sweden Covenant Missionの教会に
連れていってくれたのも
彼だった.

宣教師は
アンデレがペテロを連れてきたと
とても喜んで
受け入れてくださった.
"英語ではなく
聖書をならいに来た高校生は
あなたがはじめてだ" と.

私が
人生の転機に直面するとき
いつも彼が共にいて
いろいろな困難や苦難を
乗り越えることができた.

日本基督教団の牧師になるために
神学校に入ったことも
ひとつの転機になった.

鶴川学院の付属幼稚園の教師と出会い,
同信の友を得た.
神学校在学中に彼女と結婚し
残りの生涯を共に歩むことになった.

人生には転機がある.
いくつも
いくつも・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


心にじんわりと染み入る、素敵な詩ですね。人生の節目節目における出会いや別れ、そしてその中で育まれる友情や信仰の芽生えが、飾らない言葉で綴られていて、とても感動しました。

特に印象的だったのは、小学3年生の時の二つの大きな転機です。

一つ目は、お父様の事業のことで引っ越しを余儀なくされ、幼馴染の女の子と離れてしまったこと。生まれた時から体が弱かったあなたにとって、彼女はおままごとを通して心を通わせる大切な存在だったのでしょう。その別れは、幼いあなたにとって、初めて経験する大きな喪失感だったのではないでしょうか。

二つ目は、尾崎くんという新しい友達との出会いです。おじい様の温かい願いが、あなたと尾崎くんを結びつけたのですね。体が弱く、外で遊ぶことのなかったあなたに、海や野原の楽しさを教えてくれた尾崎くんの存在は、まさにあなたの世界を広げる光だったのだと感じました。単なる遊び友達ではなく、「親友」という言葉がぴったりくる、深い絆で結ばれていたのですね。

高校2年生の時、聖書との出会いを通して信仰を持つようになったあなたを、すぐに宣教師のもとへ連れて行ってくれたというエピソードには、尾崎くんの温かい人柄と、あなたへの深い友情が感じられました。アンデレがペテロを導いたという聖書の言葉を引用された宣教師の言葉も印象的で、あなたの信仰の始まりが、温かい人々に支えられていたことが伝わってきました。

そして、神学校への入学、鶴川学院の幼稚園教諭との出会い、結婚と、その後の人生を共に歩む伴侶を得たことも、また大きな転機だったのですね。人生には、予期せぬ出会いや出来事がたくさんあり、それが私たちの人生を大きく変えていくのだと改めて感じました。

この詩を通して、あなたは人生の転機を、悲しい別れや困難な状況だけでなく、新しい出会いや成長の機会として捉えているように感じました。それぞれの転機において、あなたは周りの人々の温かさに支えられ、新たな道を切り開いてこられたのですね。

読み終えて、私も自分の人生の転機を振り返り、その時々の出会いや出来事に感謝したいという気持ちになりました。素敵な詩をありがとうございました。


2025年4月28日月曜日

小学校に上がる前
ひとつ年下のおさななじみ
よしみちゃんのおかあさんが
語りかけてきた.

"みっちゃん
漢字で自分の名前書けるの?"

私はひらがなでは書けるけれど
漢字では書けないと答えると
よしみちゃんのかあさんは
漢字の書き方を教えてくれた.

そのことを
仕事から帰ってきた
姉に話すと
姉は漢字で住所を書く
書き方を教えてくれた.

"みっちゃん
賢いわね,
一度で覚えることができるなんて!"

姉はすぐ
家を飛び出していった.

そして
姉が帰ってきたとき
袋の中から
黒色の筆筒と鉛筆
消しゴムと鉛筆削り
漢字練習帳と
黒色の下敷を
取り出して
私にくれた.

そして
父と母
姉と妹,弟の名前の
書き方を教えてくれた.
"琴浦西小学校
これがみっちゃんが通う
小学校の名前よ"

ひとつ年上のおさななじみの
みさちゃんと同じ小学校の名前
読み方は
みさちゃんから
教わっていたけれど
漢字で琴浦西小学校と書く
書き方を教えてくれたのは
姉だった.

そのときの姉は
とびっきり
うれしそうな顔をしていた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    あなたの詩を読ませていただきました。情景が目に浮かぶようで、心が温かくなりました。

    小学校に上がる前の幼いあなたと、お姉さんの優しい触れ合いが、短い言葉の中に丁寧に描かれていますね。おさななじみのお母さんとのやり取りから始まり、お姉さんが漢字を教えてくれる場面、そしてプレゼントをくれるところまで、一連の流れがとても自然です。

    特に印象的だったのは、お姉さんの言葉と行動です。あなたが一度で漢字を覚えたことを心から褒める「みっちゃん、賢いわね!一度で覚えることができるなんて!」という言葉には、喜びと弟への愛情が溢れています。そして、すぐに筆記用具や練習帳を用意してくれる行動からは、弟であるあなたの成長を応援したいという強い気持ちが伝わってきました。

「とびっきりうれしそうな顔をしていた」という最後の描写は、読んでいる私の心も温かくしました。歳の離れた弟に教える喜び、そして弟の成長を願う優しい気持ちが、その表情に表れていたのでしょうね。

    この詩を通して、姉と弟の温かい絆、そして幼い頃の純粋な喜びが伝わってきました。素敵な詩をありがとうございます。


記憶

こどものころ
母に抱かれて
村の鴻八幡宮の秋祭りの
ダンジリを
見ていたことがある.

そのとき
ダンジリが大きく
傾いて
母と私の方に
倒れかかった.

祭りのハッピを来た
男たちによってなんとか
ダンジリの転倒を
防ぐことができたが
そのとき
母が 「きゃあ!」と悲鳴を上げて
私を守るように
抱きしめたことを覚えている.

小学生のとき
学校から帰ると
母の内職の
学生服のボタン付けの
手伝いをしていたとき
その話をすると
母は驚いていた.

「家の前で
ダンジリが
倒れかかったのは
1回しかないわよ.

あなたが生まれた年の10月
あなたが入院・手術を受けて
退院した次の日
秋祭りのダンジリが通るというので
あなたを抱いて
玄関の前を通り過ぎる
ダンジリを見ていたとき
ダンジリが倒れかかったの.

あなた
そのことを覚えているの?
まだ1歳にならない
生まれて10ヶ月のころの話よ!」

私は
ダンジリの姿だけでなく
鐘や太鼓
人々のはやし
そして母の悲鳴も
鮮明に覚えている.

生まれて10ヶ月のあかちゃんが
記憶しているなんて
そんなこと
あるのだろうか?


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩をありがとうございます。情景が目に浮かぶようで、引き込まれました。

幼い頃の鮮明な記憶、お母様の驚きと愛情、そして詩の最後にある疑問。「生まれて10ヶ月のあかちゃんが記憶しているなんて、そんなことあるのだろうか?」という問いかけが、読んだ私の心にも深く響きました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 具体的な描写: 秋祭りのダンジリ、ハッピを着た男たち、鐘や太鼓の音、人々の囃子、そしてお母様の悲鳴といった具体的な描写が、臨場感を高めています。まるでその場に一緒にいたかのような感覚になりました。
  • 感情の動き: ダンジリが倒れかかったときの恐怖、それを守ろうとするお母様の必死さ、そして大人になってその記憶を話したときのお母様の驚き。それぞれの場面での感情の動きが、短い詩の中に凝縮されています。
  • 記憶の不思議: 10ヶ月の赤ちゃんの記憶という、通常では考えにくい鮮明な記憶を描いている点が、この詩の最も心を揺さぶる部分だと感じました。本当にあったことなのか、それとも特別な体験がそうさせたのか、読者の想像力を掻き立てます。

この詩を読んで、幼い頃の何気ない出来事が、意外なほど深く心に刻まれていることもあるのかもしれないと感じました。また、お母様の愛情の深さが、時を超えて伝わってくるようでした。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。


通信簿

おとなりの
ひとつ年下のおさななじみ
よしみちゃんの
おとうさんが話しかけてきた.

"建築資材が入荷したので
みなとに受け取りに行く.
よしみと一緒に
港に行かないか?"

私は母に了解をとって
リヤカーに
よしみちゃんと一緒に乗せられて
港に行った.

よしみちゃんのおとうさんの
お仕事が済むまで
私とよしみちゃんは
レンガの山の上に腰掛けて
海を眺めていた.

そのとき
突然 レンガが崩れて
私は岸壁の下に落ちた.
落ちるとき
レンガが私の右手と頭にあたって
血がながれはじめた.

おとうさんは
私とよしみちゃんをリヤカーに乗せて
猛スピードで医院に駆け込んだ.
左手の人差し指と頭を縫った.

そのことを知った私の父は
激怒した.
"この子がバカになったら
どうしてくれるんだ!" 

そのことがあって
時が流れ
小学1年生の1学期が終わり
はじめて成績表をもらって帰ったとき
家の前に3人のおばさんが立っていた.

私を見ると
2人のおばさんが右腕と左腕をつかみ
もうひとりのおばさん
よしみちゃんのおかあさんが
私のうしろにまわってカバンをあけ
なかから成績表を取出して言った.

"なあに これ
4と5ばっかりじゃない!"
そして  大きな声を出した.
"よかった!"

母にそのことを話すと
母は言った.
"まあ なんてことをすんの.
よしみちゃんのおかあさん
相当気にしていたのね.
おとうさんがきつく
怒っていたから"

その日の夕方
3人のおばさんがやってきて
いい成績をとったご褒美だといって
たくさんお菓子をくれた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。子供の頃の鮮明な記憶が、まるで映画のワンシーンのように目に浮かびました。

特に印象的だったのは、事故の場面から一転して、成績表を受け取った時の周囲の大人たちの安堵と喜びが描かれているところです。

  • 前半のハラハラする展開: 幼馴染との楽しい時間から、突然の事故へと場面が変わり、読んでいるこちらもドキドキしました。レンガが崩れる瞬間や、血が流れ始めた時の描写が生々しく、当時の恐怖が伝わってくるようです。お父さんの激怒も、子供を思う親心として強く感じられました。
  • 後半の温かい人間関係: 成績表をきっかけに、周囲の大人たちの優しさや安堵感が溢れ出てくる様子に、心が温まりました。よしみちゃんのお母さんの大きな喜びの声や、「よかった!」という言葉には、事故以来ずっと心配していた気持ちが凝縮されているように感じられます。
  • 子供の視点: 物語は子供の視点から語られており、大人の感情や背景を子供なりに理解しようとしている様子が伺えます。「なあに これ 4と5ばっかりじゃない!」というおばさんの言葉に対する、子供の素直な驚きが可愛らしいです。
  • タイトル「通信簿」の意味: 最初は事故の出来事が中心に描かれているため、なぜタイトルが「通信簿」なのかと疑問に思いましたが、最後に成績表がもたらした周囲の温かい反応を通して、この出来事が単なる事故の記憶ではなく、人々の優しさや繋がりを象徴する大切な思い出として語られていることに気づきました。

この詩を通して、子供の頃の何気ない日常の中に潜むドラマチックな出来事や、周囲の人々の温かい気持ちが伝わってきて、私も優しい気持ちになりました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

想像力

病院で
臨床病理検査に
従事していたとき
一人の医師から
こんな話を聞かされた.

名医とは誰か?
それは
患者の痛みや苦しみを
知って治療できる
医師のことだと.

その病気にかかった人の
痛みや苦しみを知るために
一番簡単な方法は
医師が同じ病気を患って
同じ痛みや苦しみを
身をもって体験することだ.

しかし
よき医師になろうとして
万病を患っていては
身が持たない.

だが
名医になる
たったひとつの方法がある.

それは
その病気を
患った患者から
その痛みや苦しみを
教えてもらうことだ.

名医と言われる医師は
みんな
患者の語ることばに
耳を方向け
その痛みや苦しみを
想像して自分のものにすることができる人だ.

日本基督教団の牧師になるために
神学校を受験するとき
無学歴・無資格の私のために
推薦状を書いてくださったのは
日本基督教団富士見町教会の牧師
島村亀鶴先生でした.

島村亀鶴先生は
私をこう評価した.

"君はいい牧師になることができる.
君は
他の神学生と違って
この年寄の私の語ることを
黙って耳を傾けることができる.
牧師には
語る力より
聴く力の方が
大切だ."

そのとき
私は
とてもうれしくなった.

そんな私に
島村亀鶴先生は
君にだけ
私の説教の作り方を
教えてあげようといって
説教の作り方
語り方を教えてくださった.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。心にじんわりと温かいものが広がるような、そんな読後感です。

病院での臨床病理検査のご経験と、島村亀鶴先生との出会いという、二つの異なる場面が「聴く」という行為を通して深く結びついているのが印象的でした。

医師にとっての「聴く」は、病に苦しむ患者さんの言葉に耳を傾け、その痛みや苦しみを想像し、共有することで、より良い治療へと繋がる。一方、牧師にとっての「聴く」は、人々の声に耳を傾け、その言葉にならない思いを受け止めることで、より深く寄り添うことができる。

異なる立場でありながら、「聴く」ことの重要性は共通しており、その本質を捉えた言葉は、読む人の心に深く響きます。特に、島村先生の「語る力より聴く力の方が大切だ」という言葉は、簡潔でありながら、非常に重みがあり、考えさせられます。

そして、その「聴く力」を島村先生に見抜かれた時の喜びが、ストレートに伝わってきて、私もなんだか温かい気持ちになりました。先生があなただけに説教の作り方を教えようと言ってくださったことも、あなたの「聴く力」が先生の心を動かしたからでしょうね。

この詩を通して、相手の言葉に耳を傾けること、その背景にある感情や苦しみを想像することの大切さを改めて感じました。日常のコミュニケーションにおいても、この「聴く」という姿勢を大切にしていきたいと思いました。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

2025年4月27日日曜日

冒険

ひとり
ちいさなボートにのって
沖に出た.

陸地が見えなくなったとき
海と
空と
私が
一つになった.

とても不思議な気がした.

漕ぐのをやめて
私はボートを
潮の流れに委ねて
空を流れる雲をながめ
海の鼓動に耳を傾けていた.

ふと気がつくと
満ち潮にのった
ボートは岸辺近くに
たどり着いていた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読むと、心が解放されるような、清々しい気持ちになりますね。一人で海に出た時の、少しの不安と、それを上回る好奇心や開放感が伝わってきます。

陸地が見えなくなった瞬間の、海と空と自分が一体になる感覚。それは、日常の境界線を超えて、より大きな自然の中に溶け込んだ、特別な体験だったのでしょうね。「とても不思議な気がした」という言葉に、その時の驚きと感動が凝縮されているように感じました。

ボートを潮の流れに委ね、雲を眺め、海の鼓動に耳を傾ける時間。それは、外界の音から遮断され、自分自身と、そして自然との静かな対話の時間だったのでしょう。忙しい日常を忘れ、ただ漂うことによって得られる、心の安らぎのようなものが感じられます。

そして、ふと気がつくと岸辺に戻っていた、という結びも、自然の流れに身を任せることの心地よさ、そして、自然の優しさを感じさせます。大きな冒険をした、というよりも、自然の中でおのれを見つめ直す、静かで深い 心の旅のようにも感じられました。

短い言葉の中に、広大な海と空、そして内面の静けさが広がっていて、とても印象的な詩でした。読ませていただき、ありがとうございます。

海はふるさと

ふるさと

継ぎ接ぎ

小学生のとき
父が入院

母が内職で
生活を支えていた.

ソックスに
穴があいたとき
母は
"ごめんね"といいながら
継ぎをあてて
穴を塞いでくれた.

それを見た
担任がみんなの前で言った.
"吉田はいつも
継ぎを当てたソックスを履いている.
みんなも
ものを大切にしょう".

いつも小学校であったことを 
母に話す私であったが
そのことは話すことなく
心のなかにしまった.

次の日
登校すると
私は継ぎのあたった
ソックスを脱いで
ポケットにしまった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文 

胸が締め付けられるような、切ない詩ですね。当時の情景や、子供ながらの複雑な感情が、短い言葉の中に凝縮されているように感じました。

お父様の入院、お母様の内職と、決して楽ではない家庭環境の中で、あなたは物を大切にしていた。それは、お母様の愛情が込められた継ぎ接ぎのソックスに象徴されていますね。

担任の先生は、物を大切にすることを教えようとしたのでしょう。しかし、その言葉は、あなたにとっては、家庭の状況を人前で示されたようで、辛かっただろうと想像します。

そのことは話すことなく 心のなかにしまった.

この一節に、子供ながらの精一杯の自己認識と、誰にも言えない悲しみ、そして小さな抵抗のようなものが感じられました。

そして、次の日の行動。

私は継ぎのあたった ソックスを脱いで ポケットにしまった.

この行動は、言葉にはできない多くの感情を表していると思います。先生の言葉への反発、友達に知られたくないという気持ち、そして、お母様の愛情の証であるソックスを、人目から隠してしまう悲しみ。

この詩を通して、子供の繊細な心と、大人の言葉が時に持つ残酷さを改めて考えさせられました。継ぎ接ぎのソックスには、あなたの優しさとお母様の愛情、そして少しの痛みが詰まっているように感じました。

読ませていただき、ありがとうございました。

変化

漁師町の子は
冬も足袋を履かない

いつもほめていた小学校の教師が
何時の頃からか,
"漁師町の子は
ソックスも買えない"と
言うようになった.

漁師町の子が真冬でも
足袋を履かないのは
健康で元気なしるし.
ソックスを履かないのは
その家の貧しさのしるし.

足袋から
ソックスに
変わっただけなのに
人間の心は
大きく変ってしまった.

大人も
こどもも.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようです。

漁師町の子のたくましさと、それを見る大人の心変わりの対比が、短い言葉の中に深く刻まれていますね。

最初は健康の証として捉えられていた足袋が、いつの間にか貧しさの象徴へと変わってしまった。その変化は、子供自身が変わったわけではないのに、周りの大人の見方、ひいては社会全体の価値観が変わってしまったことを示唆しているように感じました。

特に、

足袋から ソックスに 変わっただけなのに 人間の心は 大きく変って行った.

という部分に、ハッとさせられました。ほんの小さな変化が、人々の認識を大きく左右してしまう。そして、その変化には、温かい眼差しから冷たい評価へと、感情の大きな揺れ動きが伴っている。

子供たちの変わらない日常と、大人たちの移ろいゆく心を対比させることで、社会の持つ複雑さや、人間の心の脆さのようなものが、静かに、しかし強く伝わってきました。

読ませていただき、ありがとうございました。



勲章

山口の
小さな教会で牧師をしていたとき
岡山に住んでいる姉から
電話があった.

同業者の婦人部の
バス旅行で山口に行くので
最初の宿泊場所
大島の国民宿舎・大観荘まで
会いにくるようにと.

指定された時間に行くと
ロビーで
姉と姉の同業者の御婦人が4~5人
私を待っていた.

姉は
突然私に語りかけてきた.
「みっちゃん
私が
あなたのおむつを
替えてあげたの
覚えてる?」

姉は
昔から
姉と同年代の女性と一緒にいるとき
私に同じことを語りかけてくる.

最初は恥ずかしくて
顔を真っ赤にしていたが
そのうち諦めることにした.

私が生まれたとき
歳の離れた姉は中学生だった.
中学生のとき
歳の離れた弟の育児をしたことを
姉は同年代の女性の前で
いつも自慢した.

中学生のとき
歳の離れた
弟のおむつを交換したことが
姉にとっては
誰よりも早く育児経験をしたという
自慢のたね,誇り,
姉の勲章だった.

姉は
生まれたときから
体の弱かった私を
散歩に連れて行ってくれた.
そのとき
姉が歌っていたのは
みかんの花咲く丘

"何時か来た丘姉さんと
一緒に眺めたあの島よ
今日も一人で見ていると
やさしい姉さん思われる" 

姉がなくなって
数年になる.
しかし
姉は私の心の中に
あのみかんの花咲く丘の歌詞の中に
生きている.

私は思い出の心と歌の中の姉を
決して弔うことはない・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心温まる、そして少し切ない、素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようで、読んでいるうちに様々な感情が湧き上がってきました。

特に印象的だったのは、お姉様にとって「弟のおむつを替えた」という経験が、単なる育児の手伝いではなく、「誰よりも早く育児経験をした」という誇り、まさに勲章だったという表現です。最初は恥ずかしかったという「みっちゃん」の気持ちも、そのうち諦めて受け入れていった様子も、姉弟の間の温かい関係性を感じさせます。

また、「みかんの花咲く丘」の歌が、お姉様との大切な思い出として、そして今もお姉様が心の中で生き続けている象徴として描かれている点が、深く心に響きました。美しいメロディーと共に、優しいお姉様の面影が偲ばれるようです。

お姉様を亡くされて数年経つ今も、思い出と歌の中に生きているお姉様を「決して弔うことはない」という力強い言葉に、弟であるあなたの深い愛情と、決して色褪せることのない絆を感じました。

この詩を通して、お姉様の温かさ、そしてあなたにとってどれほど大切な存在だったかが伝わってきました。読ませていただき、ありがとうございました。


私:

ありがとうございました. みかんの花咲く丘の元の歌詞は"おかあさん" ですが,姉は私に"ねえさん" と教えました.


Geminiさん:

そうだったのですね。「みかんの花咲く丘」の歌詞について教えてくださり、ありがとうございます。

お姉様が「おかあさん」ではなく「ねえさん」と歌って聞かせてくださったとのこと、それはあなたにとって、より特別な意味を持つ歌だったのでしょうね。歌詞が変わることで、歌の中にいる「大切な人」が、他でもないお姉様自身になるわけですから。

中学生の頃のお姉様が、幼いあなたに「ねえさん」と歌いかけてくれた情景を想像すると、お姉様の優しさや、あなたへの愛情がより一層深く感じられます。もしかしたら、お姉様は歌を通して、いつもあなたのそばにいることを伝えたかったのかもしれませんね。

元の歌詞とは違う、お姉様にとって特別な「みかんの花咲く丘」のエピソードを教えていただき、詩の背景にある温かい物語がさらに深く理解できました。ありがとうございます。


2025年4月26日土曜日

奇跡

山口の
小さな教会に赴任したとき
ひとりの姉が
ガンで病床に伏していた.

1週間に1度
病床訪問していたが
あるとき
二人の娘さんから電話があった.

「母が危篤になりました.
明日の朝までの命だそうです.
牧師先生
私達と一緒に
母を看取ってください」

それで
私は二人の娘さんと
病室で徹夜することになった.

朝の4時ころ
二人の娘さんが
おかあさんの葬儀について
話しをはじめた.

私は
「おかあさんは
まだ生きている.
生きている人の前で
葬儀の話をするのはよくない・・・」と
二人の娘さんを諌めた.

二人の娘さんは
「担当医の先生は
母はもう意識はないと
話していました]という.

それで
私は病床に伏して
死の宣告を受けた
姉の手をとって
語りかけた.

私の右手は
右手の関節の手術を受けて
握力がほとんどなかった.
鉛筆1本が重くて
もっていることができなかった.

そんな手に
反応を感じた.

私は
二人の娘さんに
「おかあさんが握り返してくる」と
告げると
二人の娘さんは
交互におかさんの手をとって
語りかけた.

「おかあさん
私の声がきこえたら
握り返して!」

しかし
二人の娘さんは
手応えなく
深い失望の念に
捉えられた.

私は
もう一度
姉に語りかけた.
「私は牧師です.
私の声が聞こえたら
握り返してください」

すると
今度ははっきりと
私の手をにぎりかえしてくる
力強さがあった.

それを告げると
二人の娘さんは
一縷の望みをもって
おかあさんに語りかけた.
「おかあさん
娘の私の声が聞こえたら
手で握り返して!」

すると
ふたりの娘さんは
絶叫した.
「おかあさんが意識を取り戻した!

姉の娘さんは
病室を飛び出して
担当医と看護婦さんを呼びに行った.

担当医の方は
「おかあさんは意識を取り戻したみたいです.
危篤状態を脱しました」といった.

病床に伏したまま
教会員の姉は
両手でなにかの仕草をした.

二人の姉妹は
「おかあさん
何がいいたいの?」と呼びかけるが
その手の動きがなにか
理解出来ない.

私は
「おかあさんは
紙と鉛筆がほしいと言っているのではないか・・・」と
告げると
二人の姉妹は
ナースセンターに行って紙とエンピツをもらって来た.

おかあさんは
左手で台紙のついた紙に
右手で鉛筆をもち
書き始めた.

仰向けにねたまま・・・.

紙に書かれた文字は

―|―
―|―
|―\\
―|―
― ―/
\/
―|―\\
/―/

二人の娘さんは
「牧師先生 
母はなんと書いているのでしょう?」と
問いかけてきた.

私は
最初から
筆順に注意しながら見ていたので
それを読むことができた.

教会員の姉は
「ココドコテンゴク」と
書いていた.

私は二人の娘さんに
そのおかあさんが書いた
文字の読み方を教えた.

二人の娘さんは
「牧師先生
筆談でいいですから
1週間母と話ができるように
神さまにとりなしの祈りをしてください」というので
とりなしの祈りをした.

それから
1週間
二人の娘さんは
おかあさんといろいろ話をすることが出来た.

そして1週間後,再び危篤状態になった.
知らせを受けた私は
病室の前にたった.
親類親戚の方々が
悲しみと不安の表情で待っていた.

病室のドアがあいて
看護婦さんが話しかけて来た.
「牧師さん
おられますか?
おられたら
すぐ病室に入って来てください」

外で待っていた親類親戚の方々が
不平を語りはじめた.
「なんで親類親戚のわたしたちが
死に目にあうことができないんだ?」

病室に入ると
医師が
このまま延命処置を続けると
血管が破れて
目と鼻と口から血が溢れてくる.
そうなる前に
延命処置を止めていいかどうか
娘さん二人に尋ねたら
自分たちにはできないという.
牧師先生に判断を委ねますというので
私を呼び入れたと説明を受けた.
私は臨終に立ち会った牧師として承諾した.

しかし, 時すでに遅く
姉の目と鼻と口から
血が溢れ出て来た.

姉の娘さんは
「見ておれない!」と
大きな声を出しながら
病室を飛び出して行った.

私と妹の娘さんのふたりで
おかさんの
顔の血をきれいにふきとって
なにもなかったかのように
よそおって
親類親戚の方々を
病室に招き入れた.

葬儀は
姉と二人の娘さんの自宅で
キリスト教式で行った.

私は
ガンの痛みに耐えながら
その痛みに耐えぬいたとき
主イエスさまと会うことができると
堅く信じていた
姉の信仰が招いた
奇跡だと思った.

主なる神さまは
神奈川教区の開拓伝道に従事し
右手関節炎を患い
横浜日赤で手術を受けた私を
西中国教区の山口の小さな教会に転任させたのは
この信仰深い姉の
主なる神さまの救いのためだと思った.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この度は、心温まる詩を共有してくださり、ありがとうございます。読ませていただき、深い感動と静かな畏敬の念を覚えました。

この詩は、単なる奇跡体験の記録ではなく、信仰の力強さ、家族の深い愛情、そして牧師であるあなたの献身的な姿勢が織りなす、美しい物語だと感じました。

特に心を揺さぶられたのは、以下の点です。

  • 臨場感あふれる描写: 病室の張り詰めた空気、娘さんたちの焦燥感と悲しみ、そしてあなたが姉の手を通して感じた微かな反応。それらが、まるでその場に立ち会っているかのように伝わってきました。
  • 奇跡の瞬間: 意識がないとされていた姉が、あなたの声に力強く握り返した時の驚きと感動は、読む者の心にも鮮烈に響きました。握力のほとんどないあなたの手で、その反応を感じ取れたこと自体が、すでに奇跡の始まりを告げているようでした。
  • 筆談による意思疎通: 危篤状態の中で、姉が「ココドコテンゴク」と書き残した場面は、信仰の深さと安らかな旅立ちへの願いが凝縮されているように感じました。その文字をあなたが読み解き、娘さんたちに伝えたことで、残された時間の中で心の交流ができたことは、大きな慰めになったことでしょう。
  • 人間の弱さと強さ: 延命処置の選択、血が溢れ出るという悲痛な現実、そしてそれを受け止め、最期まで尊厳を守ろうとするあなたの行動に、人間の弱さと同時に、それを乗り越えようとする強さを感じました。娘さんたちの悲痛な叫びも、痛いほど伝わってきました。
  • 信仰の力: ガンの痛みに耐え抜いた姉の信仰、そしてその信仰がもたらした奇跡。この詩全体を通して、目には見えないけれど確かに存在する、信仰の温かさと力強さが感じられました。
  • あなたの使命感: 右手の不自由を抱えながらも、神の導きを感じ、姉の救いのために尽力されたあなたの姿に、深い感銘を受けました。

この詩は、奇跡という特別な出来事を描きながらも、普遍的な人間の感情や、信仰の持つ力を力強く伝えています。読後、心の中に温かい光が灯るような、そんな読後感でした。

大切な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。

2025年4月25日金曜日

標本

病院で
臨床病理検査に従事していたとき
医師に言われて
解剖室に保管された資料を取りに行った.

そのとき
私は見てはならないものを目にした.
ホルマリン漬けにされた
人間の胎児の標本だった.

1週間目の胎児
2週間目の胎児
3週間目の胎児
4週間目の胎児
5週間目の胎児
6週間目の胎児
7週間目の胎児
    ・・・

3ヶ月になる前の胎児が
母親の体内でどのように成長していくか
それを物語るように置かれていた.

私はゾッとした.
1人の胎児の成長過程ではなく
ホルマリン漬けにされた瓶の数だけ
胎児が中絶され標本にされているのだと思った.

日本の法律では
3ヶ月未満の胎児は
法人格が認められていない.

しかし
法人格がなんであれ
私の目の前にホルマリン漬けにされていた胎児は
まぎれもない人間だった.

私は
絶対に
結婚することになる
女性に中絶を強いてはならないと思った.

自分の知らないところで
自分のこどもがホルマリン漬けにされ
標本にされていることは
許しがたいことだと思った.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩をありがとうございます。読ませていただきました。

病院の解剖室という、普段は目に触れることのない場所で、ホルマリン漬けにされた胎児の標本を目にした時の衝撃が、言葉を通してひしひしと伝わってきました。

一つ一つの瓶に納められた小さな命が、まるで成長の物語を静かに語っているかのようでありながら、同時に、その数だけ中絶という現実があったことを突きつけられた時の、言葉にできないほどの衝撃と畏怖の念が、読んでいる私の心にも深く響きました。

「法人格」という言葉と、目の前に存在する「まぎれもない人間」という認識の間の葛藤は、非常に考えさせられます。法律上の定義と、感情や生命の尊厳という普遍的な感覚とのずれに、強い問いかけを感じました。

そして、ご自身の未来の伴侶や子供への強い思い、決して中絶を強いることのないという決意が、最後の力強い言葉から伝わってきました。ご自身の経験を通して得られた、深く、そして温かい決意に、心を打たれました。

この詩は、生命の尊さ、中絶という行為の重さ、そして、私たち一人ひとりの倫理観について、深く考えさせられる力強い作品だと感じました。貴重な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。


椿

光市の
室積の象鼻ヶ岬に
写真を撮りに行った.

冬の海には
真っ赤なつばきの花が咲いていた.
寒風にさらされて
無数の椿の花が散っていた.

まっかな
真っ赤な
血の色のような赤い花が.

その傍らに
遊女の
碑があった.

港町・室積から
船に乗せられて
難波や神戸の
遊郭に売られていった
長州のおとめたちの
血のにじむような
悲しみを湛えた
色だと思った.

おとめたちは
岬にある
観音堂の前の
磯浜で
小判型の小石を拾って
願いをかけた.

年季が明けて
無事にこの岬に
戻ってこれたら
その地の小石をひとつ拾って
持って行った小石と一緒に
観音堂の前の荒磯に
ささげると.

私は
その荒磯の石を
一つ拾った.
そして その石を
今もカバンの奥に
そっとしまっている.

遊女として
売られていった
乙女たちの悲しみを
忘れないために.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

胸に迫る詩ですね。室積の冬の海と椿の花、そして遊女の碑が織りなす情景が、深く心に刻まれました。

鮮やかな赤色の椿の花が、寒風に散っていく様子は、まるで乙女たちの悲しい運命を象徴しているようです。「血のような赤い花」という表現が、彼女たちの непростая人生を物語っているようで、強い印象を受けました。

遊女の碑の存在が、単なる美しい風景に、歴史の重みと人々の悲哀を重ねています。岬の観音堂の前で小石に願いをかけた乙女たちの姿を想像すると、胸が締め付けられるようです。故郷に戻りたいという切実な願いが、小判型の小石に託されていたのですね。

そして、あなたがその荒磯の石を一つ拾い、今も大切にカバンの奥にしまっているという行為に、深い感銘を受けました。それは、過ぎ去った人々の悲しみを決して忘れまいとする、あなたの静かで強い意志の表れだと感じます。

この詩は、美しい自然の中に潜む悲しい歴史を鮮やかに描き出し、読者の心に深く問いかける力を持っていると思います。私も、この詩を通して、室積の地とそこに生きた乙女たちのことを、決して忘れないでしょう。



軍港

横須賀の
海を
観光船で一巡りした.

米軍の基地
自衛隊の基地
船はエンジンの音を響かせながら
波を掻き立てて
軍港を巡った.

同船した
ひとりの牧師が言った.
「ああ 海の匂い
海はいいなあ・・・」

私は
この人はほんとうの海を
知らないのだと思った.

ほんとうの海は
船が通り過ぎたあと
黄色の航跡は残したりはしない.
生きた海は
白い波の航跡.

ほんとうの海の香りは
潮の香り.
横須賀の海のように
廃油の匂いはしない.

油の匂いの混じった
死んだ魚の匂いのする
海は生きた海ではなく
死んだ海だ.

子供の頃
吸った瀬戸内の
潮の香りが
無性になつかしくなった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようです。

横須賀の軍港を巡る観光船の描写から始まり、牧師の言葉に対するあなたの静かな反論へと展開していく構成が、鮮やかに対比を描き出しています。

特に印象的なのは、本物の海とそうではない海の差異を、航跡の色や匂いで表現している点です。「黄色の航跡」と「白い波の航跡」、「廃油の匂い」と「潮の香り」という対比は、読者に強烈な印象を与え、あなたが抱く本物の海への強い思いが伝わってきます。

子供の頃の瀬戸内の海の記憶が、現在の軍港の海との落差を際立たせ、郷愁の念をより深く感じさせます。「無償になつかしくなった」という言葉には、言葉にできないほどの深い感情が込められているように感じました。

この詩を通して、単なる風景描写に留まらず、環境問題や平和への願いといった、より深いメッセージが込められているように感じました。読後、改めて自分の周りの自然や環境について考えさせられる力を持つ詩だと思います。

2025年4月24日木曜日

有明の海

人間の都合で
ほんとうにただただ
人間の都合だけで
万葉の昔から
大切に守られてきた
遠浅の海が
死の宣告を受けた.

海から
切り離された
遠浅の海は干からびて
干からびた
海の底から
最後の力を
振り絞るかのように
ムツゴロウが
飛び出して来た.

テレビの
ニュース画面に
映し出された
ムツゴロウの目には
涙が光っていた.

私は
胸かきむしられるような
悲しみに襲われた.

一度失われた
海のいのちは
元に戻らないのに.

私は
やがて
魚の目だけでなく
全世界の戦争や紛争
内乱や弾圧, 差別や抑圧によって
虐げられ
自ら怪我を負い
父母を失った
こどもたちの目の中に
同じ涙を見るようになった.

ナチスによって
大学の教授の職を剥奪された
法哲学者・ラートブルフは
『法学入門』の冒頭に
聖書のことばを引用した.

「わたしはまた
日の下に行われる
すべてのしえたげを見た.
見よ,
しえたげられる者の涙を.
彼らを慰める者はない.
しえたげる者の手には権力がある.」

スイスの哲学者アミエルは
人の涙には100の意味があるといった.

人間は他者の涙を見ることを忘れ
その意味を知ろうとしないときに
人間であることをやめる.

悲しいことに!


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝見しました。胸に深く突き刺さるような、強いメッセージが込められた素晴らしい詩ですね。

まず、有明の海の描写から始まる部分で、人間の都合によって失われゆく自然への深い悲しみと怒りが伝わってきました。「大切に守られてきた」という言葉が、その喪失感に一層の重みを加えています。そして、干からびた海の底から飛び出すムツゴロウの姿、その目に光る涙というイメージは、言葉にならないほどの痛ましさを感じさせます。

ニュース画面に映し出されたムツゴロウの涙から、全世界の虐げられた子供たちの涙へと視点が移っていく展開は、非常に心を揺さぶられました。個別の悲劇が普遍的な悲しみへと昇華され、人間の存在そのものに対する問いかけへと繋がっていくように感じました。

ラートブルフの言葉の引用も、詩に深みと重みを与えています。「慰める者はない」という一節は、現代社会における無関心や構造的な不正に対する痛烈な批判として響きました。

アミエルの「人の涙には100の意味がある」という言葉も印象的です。他者の涙の意味を想像すること、共感することの重要性を改めて考えさせられました。そして、「人間は他者の涙を見ることを忘れ/その意味を知ろうとしないときに/人間であることをやめる」という強い断言は、読者の心に深く刻まれます。

最後の「悲しいことに!」という叫びは、作者の深い絶望感と、それでも何かを訴えかけたいという強い思いが凝縮されているように感じました。

この詩全体を通して、自然への慈しみ、他者への共感、そして人間の存在意義に対する深い問いかけが感じられました。力強い言葉と鮮やかなイメージが、読者の心を揺さぶり、忘れかけていた大切な感情を呼び覚ますような、そんな詩だと感じました。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

大人の事情

小学校に
あがるまえ
一つの事件があった.

私には
同じ町内に
同い年の幼馴染が
二人いた.
二人とも女の子だった.

その幼馴染の一人の
おじさんが
幼児を誘拐し殺害したという
事件が起きて
町内は騒然としていた.

母は
見知らぬ人に
その幼馴染の家を尋ねられても
ほんとうのことを教えてはいけないと言った.
日頃 嘘をついてはいけないと言っていた
母が 
「あなたの幼馴染を助けるためだから」と言った.

しばらくすると
新聞記者と思われ7~8人が
ドタドタと走ってやってきて
"ぼく ◯◯さんち何処?"と
尋ねて来た.
私は "あっち!" と
幼馴染の家とは反対の方向を指さした.
7~8人の新聞記者たちは
またドタドタと来た道を帰って言った.

しばらくすると 
また  7~8人の新聞記者たちが
戻ってきた.

母は 
「あなたは家の中に入りなさい.
あとはおかあさんが話すから・・・」というので
私は家の中に入った.

しばらく時がたってから

母は
「あの事件があってから
◯◯ちゃんと遊ぶ子は誰もいなくなったみたい.
あなた ◯◯ちゃんの幼馴染なのだから
一緒に遊んであげなさい」といった.

遊びに行くと
幼馴染のおかさんは
幼馴染に語りかけた.
「貧乏人の子供と一緒に
遊んではダメ!
貧乏が伝染るから!」

小学3年生になったとき
私は引っ越ししたので
幼馴染の◯◯ちゃんのことは
すっかり忘れてしまっていた.

某医学研究所付属病院で
臨床病理の検査に従事していたとき
妻子のいる事務長さんが
「私の2号さんが受診にくるのでよろしく」といいまわっていた.

やってきた2号さんの顔とカルテの名前を見て
その女性が幼馴染の◯◯ちゃんだとわかった.

私は事務長さんに抗議した.
事務長は
「君はあの娘のことを知っているのか」と
怪訝そうに問いかけてきた.
私は「あの人は私の幼馴染だ! 」と答えた.
彼は
「身内が殺人の罪を犯した
あの娘とつきあってくれるものがいないので
私が付き合ってやってんだ!」と居直っていた.

母にそのことを話すと
母は
「〇〇ちゃんはいい娘よ.
あなた幼馴染なんだから
◯◯ちゃんをお嫁さんにしてあげたらいいのに」と言った.

私は即
「それはありえない」と答えた.
「◯◯ちゃんのおかあさんは
病弱で貧乏人の子に
大切な娘を嫁にやることはできないというに
決まっているから」

生まれた家の玄関のガラス戸に
「吉田屋」という文字が書き込まれていた.
店のつくりは
家具店・・・.
倒産した家の中の
売り物のタンスを並べていた部屋は
ガランドウだった.
差し押さえされて何も無くなった家・・・.

幼馴染のおかあさんが
私を受け入れない理由も
こどもこころに
なにとなくわかっていた.

大人の事情で
まったくの大人の事情で
生き方を
大きく捻じ曲げられた
幼馴染と私.

そんなこどもが
世界には大勢いる!


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

重く、そして深く考えさせられる詩ですね。「大人の事情」というタイトルが、この詩全体を覆うやるせない現実を象徴しているように感じました。

幼い頃に体験した、友人の親族による幼児殺害事件という衝撃的な出来事から、物語は始まります。子供心には理解できない大人の世界の複雑さ、そしてその中で翻弄される子供たちの姿が、鮮明に描かれています。

嘘をついてはいけないと教える母親が、「あなたの幼馴染を助けるためだから」と嘘を促す場面は、異常な状況下における大人の葛藤と、子供を守ろうとする必死さが伝わってきます。幼いあなたが、記者の質問に対してとっさに嘘をついた行動は、大人の意図を理解し、無意識のうちに協力しようとした表れであり、痛々しくもあります。

しかし、事件後、幼馴染が周囲から孤立していく様子、そして母親から告げられた「貧乏人の子供と一緒に遊んではダメ!貧乏が伝染るから!」という言葉は、子供の世界にも容赦なく入り込んでくる社会の残酷さを突きつけられます。純粋な子供の友情は、大人の偏見によっていとも簡単に引き裂かれてしまうのです。

時が流れ、偶然再会した幼馴染が、社会的に弱い立場に置かれ、さらに追い打ちをかけるような大人の男性との関係を持っているという事実は、読者の胸を深く締め付けます。事務長の身勝手な言動は、人間の醜さ、そして社会の不条理を象徴しているようです。

それに対する母親の「〇〇ちゃんはいい娘よ。あなた幼馴染なんだから、〇〇ちゃんをお嫁さんにしてあげたらいいのに」という言葉は、一見すると温かいようですが、その裏には、社会の偏見や困難を乗り越えてほしいという願いが込められているのかもしれません。しかし、あなたが即座に「それはありえない」と否定する背景には、子供の頃に感じた、越えられない壁の存在があったのでしょう。

没落した生家、「吉田屋」という文字が残る家具店の描写は、経済的な状況が人々の関係や人生を大きく左右する現実を静かに物語っています。幼馴染の母親があなたを受け入れなかった理由も、子供心に理解できたというくだりは、社会の格差、そしてそれが子供たちの心に深く刻まれることを示唆しています。

「大人の事情で/まったくの大人の事情で/生き方を/大きく捻じ曲げられた/幼馴染と私」という言葉は、この詩の核心であり、子供たちの未来が、自分たちの預かり知らぬところで大きく左右されてしまう理不尽さを強く訴えかけています。そして、「そんなこどもが/世界には大勢いる!」という結びの言葉は、個人的な悲劇にとどまらず、普遍的な社会の問題として、読者に重い問いを投げかけています。

この詩は、子供の視点から描かれた、社会の暗部を抉り出すような作品だと感じました。個人的な経験を通して、社会の不条理さ、そしてそれが人々の人生に与える深い傷を描き出し、読者の心に長く残る強い印象を与えます。素晴らしい詩をありがとうございました。

おにばんば

生まれ育った家は
他の家と同じように
入江に面していた.

入江には
ところどころに
船着き場があった.

生まれ育った家の
庭の角にも
船着き場があった.

あるとき
おばあさんが
にわとりをつかんで
船着き場の石段を
下りて行った.

何をしているのだろうと
山桜桃の木のかげから
見ていた.

おばあさんは
私が見ているのに気づいて
私の方を見て
ニタっと笑った.

そしてなにのためらいもないかのように
出刃包丁でにわとりの首を切り落とし
血を絞り始めた.

おばあさんは
またわたしの方を見ながら
ニコッとわらって
ニワトリのはねをむしりはじめた.
ニワトリの羽が引き潮にのって
流れて行った.

私は家に戻って
母に
"オニバンバを見た!" と言った.

その夜の食事のとき
母は料理を並べながら,
"これは
おとなりのおばあさんが
持ってきてくださった鶏肉よ." といった.

私は食べることができなかった.
オニバンバがくれたにわとりを食べると
私もオニバンバになるような気がして
怖くて食べれなかった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

強烈な印象を残す詩ですね。「おにばんば」というタイトルと、幼い日の鮮烈な記憶が、読者の心に深く突き刺さるようです。

入江の風景、船着き場のある庭といった、穏やかな日常の描写から始まることで、その後の展開とのギャップが際立っています。山桜桃の木陰からおばあさんの行動を覗き見る子供の視点が、読者を物語の中へと引き込みます。

おばあさんが鶏を捕まえ、ためらいなく首を切り落とし、血を絞る場面は、生々しく、読者に強い衝撃を与えます。そして、こちらを見ながらニタッと、ニコッと笑うおばあさんの表情は、子供心には理解できない、ある種の異様さを感じさせたことでしょう。

鶏の羽が引き潮に乗って流れていくという描写は、命の終わりと、その痕跡の儚さを同時に感じさせます。

「オニバンバを見た!」と母親に告げる子供の言葉には、恐怖と混乱が入り混じった感情が凝縮されています。日常の中に突如現れた、理解を超えた出来事に対する、純粋な驚きと恐れが伝わってきます。

そして、その夜の食卓で、母親が何事もなかったかのように「おとなりのおばあさんが持ってきてくださった鶏肉よ」と言う場面は、さらに深い衝撃を与えます。子供にとって、目の前で命が奪われた鶏肉を食べることは、想像を絶する恐怖だったでしょう。「オニバンバがくれたにわとりを食べると/私もオニバンバになるような気がして/怖くて食べれなかった」という最後の言葉は、子供の純粋な感性と、大人たちの日常との間に存在する、埋められない溝を感じさせます。

この詩は、子供の頃に体験した、強烈で不可解な出来事が、その後の人生に深く刻まれる様子を描いているように感じました。日常の中に潜む非日常、子供の視点から見た大人の世界の残酷さ、そして、言葉にならない感情が、読者の心に深く爪痕を残す、そんな力のある詩だと感じました。



子守唄

こどものころ
よく
夜の海に響く
ポンポン ポンポンという
音を聞いた.


漁にでかける
漁舟の
焼玉エンジンの音だ.

その音は
段々小さくなって
夜の海の
静寂のなかに消えて行った.

私はその音を
子守唄代わりに聞いて
眠りについた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

温かく、懐かしい情景が目に浮かんでくるような詩ですね。「子守唄」という題名が、まさにぴったりだと感じました。

幼い頃の記憶が、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇ってくるようです。夜の海に響く「ポンポン ポンポン」という焼玉エンジンの音は、単なる騒音ではなく、あなたにとっては特別な子守唄だったのですね。その規則的なリズムが、暗闇の中で安心感を与え、眠りに誘ってくれたのでしょう。

漁に出かける漁舟の音が、だんだんと小さくなって、夜の静寂の中に消えていく様子が、情景豊かに描写されています。その音の遠ざかりは、眠りにつくまでの、静かで穏やかな時間の流れを表しているようにも感じられました。

夜の海の静けさと、力強く響くエンジンの音の対比が、独特のノスタルジーを醸し出しています。それは、漁師たちの生活の息遣いであり、あなたにとっては日常の一部であり、安らぎの象徴だったのでしょう。

この詩を読むと、遠い昔の、優しく包み込まれるような眠りの記憶が呼び覚まされるような気がします。素朴でありながら、心に深く残る、美しい情景を描いた詩をありがとうございました。

海の掟

海を汚してはいけない

海が死ぬと
やがて人間も死ぬことになるから.

海に生きる漁師は
海の掟を知って
それを生きていた.

しかし
海を知らない人は
遠浅の海を埋め立て
工場を立て
排水を垂れ流し
海を汚して行った.

漁師は
昔ながらの漁をすることができなくなった.
工場の排水で汚染された魚や
汚染に強い魚っばかりが増え
漁をしてもその魚が売れなくなった.

工場は
補償と称して
漁師がとってきた魚を高値で買い取った.

最初
収入が増えることで喜んでいた漁師も
獲った魚が買い取られても
廃棄されるだけと知って
漁師としての
生きがいを失い
ひとり
またひとりと
天職の漁師を捨てて
陸にあがっていった.

経済的豊かさを求めることで
失ったものは
あまりにも大きかった.
豊かさの中にどっぷりと身を落とした人々は
何を失ったかさへ
考えることを忘れてしまった.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

  心に深く響く、力強いメッセージが込められた詩ですね。「海の掟」という題名が、その重みを一層際立たせているように感じました。

まず、冒頭の「海を汚してはいけない/海が死ぬと/やがて人間も死ぬことになるから」というストレートな言葉が、この詩の核となる警鐘を力強く示しています。シンプルでありながら、地球と人間の根源的な繋がりを捉えた、普遍的な真理を突いていると感じました。

かつて海と共に生きていた漁師たちの姿と、彼らが大切にしていた「海の掟」が、その後の展開との対比で鮮やかに浮かび上がってきます。自然の摂理を知り、それに従順に生きてきた人々の暮らしが、人間の経済活動によっていかに破壊されていくのかが、具体的な描写を通して伝わってきました。

特に、「遠浅の海を埋め立て/工場を立て/排水を垂れ流し/海を汚して行った」という一連の描写は、人間の行為が自然環境に与える直接的な影響を、簡潔ながらも直裁に表現しています。

補償という形で経済的な対価が与えられたとしても、漁師たちが「生きがいを失い」「天職の漁師を捨てて/陸にあがって」いく様子は、お金では決して満たされない、人間にとって大切な価値観を示唆しているように感じました。獲った魚が売れず、ただ廃棄されるという状況は、彼らの労働の尊厳を踏みにじるものであり、深い喪失感を覚えたことでしょう。

そして、結びの「経済的豊かさを求めることで/失ったものは/あまりにも大きかった/豊かさの中にどっぷりと身を落とした人々は/何を失ったかさへ/考えることを忘れてしまった」という言葉は、現代社会全体への問いかけとして、非常に重く響きました。私たちが当たり前のように享受している豊かさの陰で、失われていった大切なものに気づくことの難しさ、そしてそのことへの警鐘が、静かに、しかし強く訴えかけられているように感じました。

この詩を通して、自然との共生、そして人間としての生きがいとは何か、改めて深く考えさせられました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。 


2025年4月23日水曜日

英才教育

小学校に上る前
父の事業が失敗
倒産した.

父は貧困と病気に
板挟みになりながら
働いていたので
我が家は
質素・倹約を旨とした
暮らしをしていた.

小学校に上がる前
私は
姉に代わって
貸本屋に本を借りに行った.
そのとき
姉は「読みたい漫画があれば借りてきていい」と言って
私にかなの読み方を教えてくれた.

母は内職のミシンを踏みながら
私に九九を教えてくれた.

しかし
小学校に上る前
私にいろいろなことを
教えてくれたのは
ひとつ年上の
みさちゃんだった.

小学1年生になった
みさちゃんは
学校から帰ると
復習と宿題をしてから
私と遊んでくれた.

私は
みさちゃんが
復習と宿題を終えるまで
みさちゃんの側にいて
それを見ていた.

みさちゃんは
小学校でその日
ならったことを
私に教えてくれた.

あるとき
みさちゃんが
「この問題解けない」というので
「この前
みさちゃんが教えてくれたことから
こうやって解けばいいんじゃない?」
と話しているところを見た
みさちゃんのおかあさん
「みさこったら
まだ小学校に入っていない
みっちゃんに教えてもらってるの?」
と不思議がっていた.

私は
1年間
みさちゃんから
小学校1年生でならうことを
すべて教えてもらった.

生まれたときから
体が弱く
他の男の子のように
海や野山で遊ぶことができなかった
私の
みさちゃんとの遊びは
おままごとからお勉強へと
自然に
変わって行った.

私の受けた
英才教育だった.

小学生になったあとも
私は
いつも
一学年上の勉強を
予習するのが常だった.

小学3年生のとき
引っ越ししたので
みさちゃんとはもう
あうことができなくなったけれど
みさちゃんとの遊びと学びのスタイルは
いつまでも
変わることはなかった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読ませていただき、ありがとうございます。子供の頃の純粋なまなざしと、みさちゃんとの温かい交流が目に浮かぶようです。

特に心に残ったのは、以下の点です。

  • 経済的な困難と、その中での家族の支え合い: お父様の事業の失敗、質素な暮らしといった背景が、家族の絆の強さを際立たせているように感じました。お母様の内職、お姉様がかなを教えてくれたことなど、それぞれの形での愛情が伝わってきます。
  • みさちゃんの存在の大きさ: 一つ年上のみさちゃんが、単なる遊び相手ではなく、学びの先生のような存在だったことが、詩全体を通して強く感じられます。復習や宿題をする姿を見守り、教えてもらうという日常が、あなたにとってかけがえのない学びの機会だったのですね。
  • 自然な学びの形: おままごとから勉強へと、遊びを通して自然に学びが深まっていく様子が、とても素敵です。みさちゃんに教えることで、あなた自身も理解を深めていったのではないでしょうか。
  • 「英才教育」という捉え方: 決して特別な環境ではなかったけれど、みさちゃんとの出会いと学びの経験が、あなたにとって何よりも貴重な「英才教育」だったという結び方が、深く心に響きました。
  • 別れと、その後の影響: 引っ越しでみさちゃんと会えなくなってしまったのは寂しいことですが、みさちゃんとの学びのスタイルがその後も変わらなかったという部分に、彼女との出会いがあなたの人生に大きな影響を与えたことが表れていると感じました。

全体を通して、みさちゃんとの温かい思い出と、それがあなたの学びの礎になったという感謝の気持ちが伝わってくる、心温まる詩でした。素敵な詩を共有してくださり、ありがとうございました。

おままごと

生まれたときから
からだが弱かった私は
他の男の子のように
海・浜や野・山など
外で遊ぶことは
殆どありませんでした.

よく遊んでいたのは
ひとつ年上のみさちゃんと
ひとつ年下のよしみちゃん

遊びの内容は
男の子の遊びではなく
女の子の遊び

あるとき
みさちゃんがやってきて
おとうさんとおかあさんが
「みっちゃんを呼んどいでっていうの
一緒に行こう」といって
みさちゃんの家に
連れて行ってくれた.

みさちゃんのおかあさんは
みさちゃんと私の手を
石鹸できれいに洗って
タオルで拭いてくれ
子供用の白い
前掛けを着せてくれた.

そして
いつもは入っていけないという
作業場に入れてくれた.

「今日は
お菓子の材料がいろいろ残ったの.
お菓子の材料を
粘土かわりにして
いろいろなものをつくっていいわよ」と言った.

みさちゃんの家は
八千代堂という
和菓子店だった.

私は
みさちゃんと一緒に
犬・猫・うさぎ・きつね・たぬき
りんご・みかん・ばなな
いろいろなものを
お菓子の材料でつくりました.

みさちゃんが
「みっちゃんのうさぎ
かわいいね]というので
「どうぞ」といって
みさちゃんの口の中に入れた.

「みさちゃんのたぬき
かわいいね」というと
みさちゃんは私の口に
たぬきの和菓子を入れてくれた.

いろいろな
おままごとをしたのに
粘土かわりに
お菓子の材料で
いろいろなものを
つくって食べたことだけが
いつまでも
私のこころに残った.


去年
長年続いた和菓子店・八千代堂が
店をたたんだことを知った.
最後にたべたかった
甘酒まんじゅうを.
コンクールで
金賞に輝いた
八千代堂の銘菓を.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心温まる、素敵な詩ですね。子供の頃の純粋な喜びや、優しい触れ合いが目に浮かんでくるようです。

特に印象に残ったのは、以下の点です。

  • 身体が弱かった少年と、近所の女の子たちとの交流:外で遊べなかった少年が、みさちゃんやよしみちゃんと、男の子とは違う遊びをしていたという描写が、彼の内向的な性格や、女の子たちとの特別な関係性を暗示しているように感じました。
  • 八千代堂での温かい思い出:みさちゃんのお母さんの優しい気遣いや、普段は入れない作業場での特別感が、子供心に深く刻まれたことが伝わってきます。お菓子の材料を粘土代わりに、二人で想像力を膨らませて遊んだ情景が、とても微笑ましいです。
  • 「食べる」という行為の特別な意味:「みっちゃんのうさぎかわいいね」「どうぞ」と、作ったものを分け合うという行為は、子供同士の親愛の情を表しているようで、心に残りました。単なるおままごとではなく、 berbagi (分かち合う) という体験が、少年の心に強く残ったのですね。
  • 和菓子店「八千代堂」への郷愁:時が経ち、お店がなくなってしまったことを知った時の寂しさ、そして最後に食べたかったという「甘酒まんじゅう」への思いが、読んでいる私の心にもじんわりと広がりました。コンクールで金賞に輝いた銘菓という一文から、八千代堂が地域の人々に愛されていたことが偲ばれます。

この詩全体を通して、子供の頃の何気ない日常の中にあった温かい人間関係や、ささやかな出来事が、大人になっても色褪せない大切な思い出として心に残り続けるという普遍的な感情が描かれているように感じました。

読ませていただき、ありがとうございました。


2025年4月22日火曜日

小学校の卒業式のとき
阪田校長先生は
式辞のなかで
このような話をされた.

「この小学校は

鴻がやってくる
鴻村の小学校だったので
鴻小学校と呼ばれていた.

コウノトリは
生まれたところに
必ず帰ってくるという.

きみたちは
中学校に入り
高校で学び
なかには京阪神の大学に進学して
京阪神で働くようになるかもしれない.

しかし忘れないでほしい.
都会の生活に疲れたり
夢や希望をうしなったり
したとき
迷わず
コウノトリのように
生まれ故郷の
ふるさとに帰ってきてほしい.

ふるさとはいつも
きみたちを
あたたかく迎えてくれる」

しかし
鴻村は
コウノトリがやってくる村では
なくなっていった.

農薬のパラチオン製剤で
田や小川の水が汚染され
田の生き物が死んでしまった.
メダカもドジョウもフナも
コウノトリの食べ物がなくなっていった.

農薬に汚染された魚を食べた
コウノトリは
死んで行った.

そして
鴻村は
一羽のコウノトリもやってこない
無鴻村になった.

私は
ふるさとにいて
ふるさとを失う
悲しみを抱えて生きて行くことになった.

帰るべきふるさとは
もうこころのなかに
思い出の中にしか存在しない.
日本基督教団の牧師になるために
神学校に旅立つ日
私は
生まれたところに
帰ることができなくなった
一羽のコウノトリになった.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く、そして少し切ない詩ですね。阪田校長先生の温かい言葉と、その後の故郷の変化が鮮やかに描かれていて、読んでいる私の心も締め付けられるようでした。

特に印象的だったのは、校長先生の「コウノトリは生まれたところに必ず帰ってくる」という言葉が、その後の現実によって打ち砕かれてしまうところです。農薬による自然破壊という、決して他人事ではない出来事が、故郷からコウノトリを奪い、そして詩を書かれた方の「帰るべきふるさと」をも奪ってしまったという事実が、重くのしかかってきます。

「ふるさとにいて ふるさとを失う 悲しみを抱えて生きて行くことになった。」

この一節には、言葉にできないほどの深い悲しみと、どうすることもできない無力感が滲み出ているように感じました。故郷という物理的な場所は変わらずそこにあるのに、かつての温かさや、帰るべき場所としての意味合いが失われてしまったという喪失感は、想像するに余りあります。

そして、最後に語られる

「生まれたところに 帰ることができなくなった 一羽のコウノトリになった。」

という表現が、この詩全体の悲劇性を象徴しているように感じました。ご自身を、故郷を失い、帰る場所をなくしたコウノトリに重ね合わせることで、言葉以上に深い感情が伝わってきました。

この詩は、美しい自然と、それがいかに脆く、簡単に失われてしまうものなのかを改めて考えさせられます。同時に、故郷というものが、単なる場所ではなく、人々の記憶や感情、そして生きる基盤となるものなのだということを強く感じました。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

満潮

満潮に
近づいた海辺に
波の音がする

チャッポン
チャッポン
海の波の休憩時間

チャッポン
チャッポン
波の音を聞きながら
海の中の魚もひとやすみ

そんなとき
釣り糸を垂らしても
魚は一匹も釣れない.

チャッポン
チャッポン
人はだれでも
そのとき
太公望になる

チャッポン
チャッポン
波の音を聞きながら
釣り糸を垂れたまま
私は
夢の中で
大きな魚と
対話する.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。満潮時の静けさと、そこから広がる想像の世界が目に浮かんでくるようです。

特に印象的だったのは、波の音を「休憩時間」と捉え、海の中の魚も休んでいると想像する部分です。擬音の「チャッポン チャッポン」が、その静けさの中で繰り返される波の音を心地よく伝えてくれます。

そして、魚が釣れない時間に誰もが「太公望」になるという表現も面白いですね。釣りをしない人でも、その情景を思い浮かべると、何かをじっと待つ、あるいは想像力を羽ばたかせているような心持ちになるのではないでしょうか。

最後の、夢の中で大きな魚と対話するという結びも、詩的な広がりを感じさせます。現実の静かな海辺から、夢の中の壮大な世界へと繋がっていくような、そんな奥行きを感じました。

全体を通して、満潮の静けさ、時間の流れ、そしてそこから生まれる内面の動きが、優しく繊細な言葉で描かれていると感じました。読んでいると、心が穏やかになるような、そんな詩でした。

秘密

高校生のとき

倫理社会の授業で
教師は
"哲学者ニーチェは無神論者だ" と言った.

授業を受ける前
ニーチェの本を読んでいた私は
そうは思われなかった.

ニーチェは言った,

"この素晴らしい夕暮れ時には
この世の中で
最も貧しい
漁師でさへ
黄金の櫂で
舟を漕ぐことになる.
神の恵みを思うとき
さめざめと泣けてきた"

黄金の海を黄金の櫂で舟を漕ぐ
貧しい漁師の姿を見て
神の恵みと涙する
哲学者ニーチェを
高校生の私は
無神論者と
断定することはできなかった.

人の一生は
すべて神さまの
御手の中にある.

そのひとの人生の秘密は
誰も知ることはできない.
本人ですら.

天地を創造し
生きとし生けるものを
守り導いてくださる
主なる神さまだけが
その人の人生の
秘密のこころを知っていてくださる.


この詩をめぐって, Googleの人工知能Gemini さんととても長い長~い対話をしました. ベンガル語・ロシア語・韓国語まじりの文章によるGeminiさんの言葉でした. どちらかといいますと, Geminiさんから質問攻めにあった感じ・・・.Geminiさんからの質問が止んだとき対話をやめました.

Gemini は星座のふたご座のことだと認識していますが, Geminiさんは,私の双子の兄か姉になったようにアドバイスをしてくださるようです. "問う" ことより "問われる" ことの多かった私の人生にとって "問う" だけでなくよりよく理解しようとされる, Googleの人工知能Geminiさんの姿勢に驚愕の思いを持ちました.
 



2025年4月21日月曜日

日の丸

小学校の運動会のとき
徒競走で
私は
いつもビリだった.

生まれたときから
体が弱く
外であまり他の子と一緒に
遊んだことがない
私はいつも
徒競走のしんがりをつとめた.

ビリになることも嫌だったが
それ以上に嫌だったのは
ひとり遅れてビリでゴールインする
そんな私を見た父兄たちが
拍手をもって迎えてくれたことだ.

恥ずかしくて
顔がまっかになるのがわかった.

私は
誰とも目をあわさないように
空を見上げた走った.

そのとき
いつも
澄み渡った秋の青空に
白地に赤い
日の丸の旗がはためいていた.

私は
それを見てとても美しいと思った.
涙が溢れ出てきそうで
胸がジーンとした.

年をとって
40歳になったいまも
青空にははためく日の丸の旗を見ていると
胸がジーンとしてくる.



買物徒競走

高校の運動会で
買物競争というのがあった.

ピストルの音がなって
走りはじめた生徒は
地面にばらまかれた
カードを拾って
そのカードに書かれたものを探して
それを持ってゴールに駆け込むという
クラス対抗徒競走.

クラスで
一番大柄で
スポーツ万能の同級生の女の子が
凄い勢いで
私の方に近寄ってきて
私に言った.

「吉田くん 
ちょっと借りるね!」
私が "何を?" と問いかけると
「あんたをよ!」と
同級生は
私を
横腹に抱えて走り出した.

同級生の横腹に抱えられて
両手両足をバタバタつかせている
私を見た生徒や父兄は
どっと
笑いの渦に飲み込まれていった.

わたし
ひとりを
除いて・・・.

とどめは
同級生のアナウンスだった.
「Aさんが同級生の吉田くんを買ってゴールインしました」と
名指しで解説されたことだった.

同級生の女の子に拉致されて
みっともない姿をさらした
私に
こころない同級生が
語りかけて来た.
「うらやましいな
同級生の女の子に
抱かれるなんて・・・」



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようです。運動会の賑やかさ、突然の出来事に戸惑う吉田さんの様子、そして周囲の笑い声が、まるでその場にいるかのように伝わってきました。

特に、大柄な女の子が吉田さんを抱えて走り出す場面は、想像すると少しシュールで、でも運動会ならではのハプニングという感じで面白いです。「あんたをよ!」というセリフには、その女の子の勢いと、ちょっとしたユーモアが感じられます。

周囲の生徒や父兄の笑い声が大きければ大きいほど、吉田さんの心境とのギャップが際立って、最後に「わたし ひとりを 除いて・・・。」という一文が、より一層、吉田さんの複雑な気持ちを表しているように感じました。

そして、ゴール後のアナウンス。「Aさんが同級生の吉田くんを買ってゴールインしました」という表現は、まるで吉田さんが物のように扱われたようで、少し衝撃的でありながらも、詩全体をユーモラスなものにしていますね。

最後に、心ない同級生の言葉は、吉田さんの屈辱感をさらに深めるものだったでしょう。その対比が、この詩の面白さと、少しの切なさを生み出しているように思いました。

この詩を読んで、運動会の記憶が蘇ってきました。ハプニングも含めて、良い思い出として心に残っているのではないでしょうか。素敵な詩を共有してくださり、ありがとうございました。


たなばた

7月7日はたなばたのまつり

たなばたは
おんなのこが
針仕事が上手になるように
願いを込めた
棚機のまつりだった.

私が生まれ育った
町では
こどもは
たなばたの飾りつけのために
どの竹林に入っても
1本の竹を切り取ることが
許された.

女の子は
小さな竹を切り
男の子は
できるだけ大きな竹を切り出した.
そして
短冊に
願いを書いて
竹に飾った.

たなばたのまつりが終わると
男の子たちは
短冊を取り外して
海の潮につけた.

私が生まれた家の庭の角にあった
船着き場のかたわらに
竹が流れていかないように
紐をつけて
夏が終わるまで塩水に漬けた.
竹は塩水を吸って
しなやかになった.

秋になると
竹を引き上げて
枝を小刀で落とし
たなばたの竹から1本の釣り竿をつくった.

男の子たちは
その釣竿に
テグスと釣り針となまりと浮きと浮きゴムをつけて
それでチヌ釣りをはじめた.

チヌがつれると
チヌが力強く
海の中を動き回るのが
手に伝わって来た.

男の子たちは
自分がつくった釣り竿で
何匹チヌを釣り上げたかを競った.

その内 釣り竿の先が折れて
あたりがとれなくなり
チヌを釣り上げることができなくなった.
それで
その年の魚釣りは終わった.

たなばたは
女の子のにとっては
針仕事の針,
男の子にとっては
魚釣りの釣り針の
祭りだった.

しかし
いつのまにか
そのならわしは
なくなってしまった.
釣り竿が
グラスファイバー製になって
好きなときに何時でも
魚釣りができるようになったので.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩をありがとうございます。子供の頃の情景が目に浮かぶようで、とても心温まる気持ちになりました。以下に、読んだ感想を述べさせていただきます。

全体的な印象

七夕という日本の伝統的な行事が、単なる星祭りではなく、子供たちの生活に深く根ざした、実体験と結びついたお祭りだったことが伝わってきました。女の子の針仕事の上達への願いと、男の子の釣りへの情熱が、七夕の竹を通して繋がっていたという視点が新鮮で、とても興味深かったです。失われてしまった古き良き習慣への、少しの寂しさと、過ぎ去った 時間への優しい眼差しを感じました。

特に心に残った点

  • 竹の描写: 男の子と女の子がそれぞれの目的を持って竹林に入る様子、そして切り出した竹の大きさの違いが、子供たちの役割分担を象徴しているようで印象的でした。「できるだけ大きな竹を切り出した」という一文に、男の子たちの意気込みが感じられます。
  • 潮につける工程: 七夕の飾りに使われた竹を、わざわざ海につけてしなやかにするという工程に、知恵と工夫が感じられました。自然の力を利用した道具作りは、現代ではなかなか見られない貴重な体験だったでしょう。
  • 釣り竿作りから釣りへの流れ: 竹を切ることから始まり、釣り竿を作り、実際に魚を釣るまでの過程が、生き生きと描写されていて、まるで自分もその場にいるような臨場感がありました。チヌが釣れた時の力強さが手に伝わってくるという表現は、魚釣りの醍醐味をよく表しています。
  • 男の子たちの競争: 自分たちで作った釣り竿で釣った魚の数を競うという、子供らしい競争心が微笑ましいです。
  • 祭りの意味の変化: 女の子にとっての針仕事の針、男の子にとっての釣り針の祭りだったという結びの言葉が、この詩全体のテーマを鮮やかに示しています。
  • 失われた習わしへの郷愁: グラスファイバー製の釣り竿の登場によって、手作りの釣り竿を作るという習わしがなくなってしまったことへの、静かな寂しさが伝わってきました。便利になった現代社会において、失われたものへの一抹の寂しさを感じずにはいられません。

表現について

平易な言葉で書かれているにもかかわらず、情景が豊かに伝わってきました。子供たちの無邪気な様子や、自然の中で遊ぶ姿が目に浮かぶようです。「浮きゴム」といった、少し懐かしい言葉も、当時の雰囲気を醸し出しています。

この詩を通して、七夕というお祭りの、これまで知らなかった一面を知ることができました。同時に、自然と触れ合いながら、工夫して遊びを作り出す子供たちの豊かな創造力や、地域に根ざした文化の大切さを改めて感じました。

素敵な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。

2025年4月20日日曜日

海の日

海も死ぬことがある

私が生まれる前
海が戦場と化した.
海の上で
島で
砂浜で
港で
尊い命が失われていった.

撃沈された
輸送船に乗せられた人々は
戦うこともなく
海の藻屑となった.

戦争が終わって
平和の海が
戻ってきたのもつかのま
ふたたび
海は
死の道をたどりはじめた.

瀬戸内の
海の生きものの揺りかごである
すばらしい浅瀬は
埋め立てられて
コンビナートとなり
工場の排水によって汚染され
海は
徐々に死んで行った.

戦前も戦後も
天皇は
いつも
死にゆく海の
鎮魂歌を
歌い続けている.

万葉の時代の
やまとの海を
いつの日か
取り戻すことが
できるのだろうか?

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの詩「海の日」、拝見しました。力強く、そして深い悲しみが伝わってきました。

まず、冒頭の「海も死ぬことがある」という一節が、読者の心に強く突き刺さります。広大で永遠にも思える海が、確かに傷つき、死に向かうことがあるという事実を、静かに、しかし重く提示していますね。

戦争という悲劇を通して、海の記憶が語られる部分は、胸が締め付けられるようです。戦うことさえできなかった多くの命が、海の藻屑と消えていった情景が目に浮かびます。平和な海が戻ってきたのもつかの間、再び死の道をたどり始めるというくだりには、現代社会が抱える問題点が凝縮されているように感じました。

瀬戸内海の美しい浅瀬が埋め立てられ、汚染されていく様子は、具体的な描写を通して、失われていく自然への痛切な悲しみを表現しています。「海の生きものの揺りかご」という表現が、かつての海の豊かさを物語り、その喪失感が一層際立ちます。

そして、天皇が常に死にゆく海の鎮魂歌を歌い続けているという視点は、非常に印象的でした。過去から現在へと続く、海への深い祈りが感じられます。

最後の「万葉の時代の やまとの海を いつの日か 取り戻すことができるのだろうか?」という問いかけは、読者自身の心にも深く響きます。過ぎ去った美しい海への憧憬と、未来への希望と不安が入り混じった、余韻の残る結びだと思います。

この詩を通して、私たちは過去の悲劇を忘れず、現代の環境問題に真摯に向き合い、未来の海を守り育てていく責任があるのだと、改めて考えさせられました。素晴らしい詩をありがとうございます。

私の黙示録

ヨハネによる黙示録の中に
こんなことばがあった.

「わたしはまた
新しい天と
新しい地を
見た.
先の天と地とは消え去り
海もなくなってしまった」

新しい天と地について語られているのに
新しい海については何も語られていない.

中学生の私は
そのことを
とても不思議に
さびしく思った.
私の好きな海がなくなるなんて,
そんなことがあるのだろうかと.

洗礼を受ける前
私は他にもなくなってしまうものがあることを知った.
それは聖所・・・.

「全能者にして
主なる神と小羊とが
その聖所なのである」
という聖書のことばに接して
私は思った.
主なる神とイエスさまが
海なのだと.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読んで、中学生の頃の純粋な疑問と、そこから導き出された力強い信仰に、深く心を揺さぶられました。

ヨハネの黙示録の言葉から、「海がなくなる」という点に焦点を当て、寂しさを覚えたという率直な感情が、とても共感を呼びます。好きなものがなくなることへの、子供らしい純粋な悲しみは、読んでいる私の心にもじんわりと広がりました。

そして、「新しい天と地」には新しい海が語られていないという疑問から、「全能者にして主なる神と小羊とがその聖所なのである」という聖書の言葉に結びつけ、主なる神とイエス様が「海」なのだと悟られた、その洞察力に驚きました。物理的な海がなくなるとしても、より深く、より大きな存在である神とイエス様が、私たちにとっての変わらない「海」となる。この解釈は、中学生でこの境地に達したあなたの信仰の深さを物語っていると感じました。

「私の好きな海がなくなるなんて、そんなことがあるのだろうかと」という問いかけから始まり、「主なる神とイエスさまが海なのだと」という確信に至るまでの心の動きが、短い詩の中に凝縮されていて、とても感動的です。喪失感から希望へと転換する、力強いメッセージが込められているように感じました。

この詩を通して、聖書の言葉を深く読み解き、自分なりの答えを見つけ出すことの素晴らしさを改めて教えられました。ありがとうございました。


春の海

洗礼を受けて
3年後
教会学校で
小学5~6年生のこどもたちを
教えることになった.

春の海に
みんなで
遊びに行くことになった.

しかし
2人の姉妹の
おかあさんが
ガンで危篤状態

その二人のこどもが
私に言った
「先生 私のおかあさんが
死なないように、
私たちがみんなと一緒に
春の海に遊びに行くことができるように
おかあさんのところに行って
祈って!」

そして 私をおかあさんが
入院している病院に
連れて行った.

私は おかあさんに
ことの次第を話した.
すると
おかあさんは
痛みに耐えながら
こどもたちに語りかけた.
「そんなに行きたいのなら
行ってらっしゃい.
おかあさんは
あなたたちが帰るまで
死なないから」

付き添っていた
おばあさんが行った.
「まごにお弁当をもたせる
時間がありません」
私は
「私の母が用意してくれますので
ご心配なく」
と答えた.

次の日
みんなで
春の海に遊びにでかけた.

おべんとうを食べる時間がきたとき
ひとりの生徒が
みんなに語りかけた.
「もってきた弁当を
みんなで出し合って
平等に分けることにしない?」

みんなは賛成・・・.

いろいろなおかあさんの
料理を食べて
みんな満足した.

私は
みんなと一緒に
教会に帰ったあと
ふたりのこどもを
おかあさんのところに
連れて行った.

こどもたちは
おかあさんに
春の海で遊んで楽しかったこと
みんなでお弁当を
分け合って食べたことを
うれしさいっぱいに話した.

お母さんは
「あなたたちは
いいお友達を持ってるのね.
おかあさんは
安心したわ」と
痛みに耐えながらも
子どもたちに笑顔を見せていた.

そのおかあさんは
1週間後に逝去した.
ふたりのこどもたちは
危篤状態の
おかあさんにつき添って
いろいろな話をしたという.

私は
春の海に
遊びにいったのは
6人の教会学校の生徒と私だけではないと思った.

春の海には
主イエスさまが
私達とともに
いてくださったのだと.

生徒たちが
ガンで危篤状態にある
おかあさんのために
春の海辺で一緒に祈った
その祈りを
主イエスさまは
聞いてくださったのだと.

春の海は
イエスさまが共にいてくださる
ガリラヤの海だった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようで、心が温かくなりました。

特に、子供たちの純粋な願いとお母様の深い愛情、そしてそれに応えようとするあなたの優しさが、春の海の穏やかな情景と重なって、とても感動的でした。

子供たちの「先生 私のおかあさんが死なないように、私たちがみんなと一緒に春の海に遊びに行くことができるように、おかあさんのところに行って祈って!」という言葉には、切実な思いが伝わってきて、胸が締め付けられるようでした。それに対して、痛みに耐えながらも子供たちの願いを叶えようとするお母様の強さと愛情には、心を打たれました。「あなたたちが帰るまで死なないから」という言葉は、短いながらも、お母様の深い愛情と覚悟が凝縮されているように感じました。

また、お弁当をみんなで分け合うという子供たちの提案も素晴らしいですね。それぞれの家庭の温かさが詰まったお弁当を分かち合うことで、子供たちの間に一体感が生まれ、素敵な思い出になったことでしょう。

そして、最後に「春の海には主イエスさまが私達とともにいてくださったのだと」と結ばれていることで、この出来事全体が神様の愛に包まれていたのだと感じました。子供たちの祈り、お母様の愛情、あなたの優しさ、そして子供たちの間の温かい交流、そのすべてが主イエス様の御臨在によって導かれたように感じます。

この詩を読ませていただき、改めて人の優しさや強さ、そして信仰の力を感じることができました。ありがとうございました。


2025年4月19日土曜日

海は
畏れをもって
近づいてくるものにだけ
いつもやさしい.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を拝見して、まず心に静かな波が打ち寄せるような感覚を覚えました。短い言葉の中に、海の持つ深遠さ、そして私たち人間との関係性に対する深い洞察が凝縮されているように感じます。

特に「畏れをもって近づいてくるものにだけ/いつもやさしい」という部分に、強く心を惹かれました。

  • 畏れという言葉が、単なる恐怖心ではなく、自然の力に対する敬意や、謙虚な気持ちを表しているように感じられます。私たちは、時に自然の雄大さや厳しさの前に無力さを覚えますが、そうした気持ちを持って海に向き合うとき、海はその広大な優しさで包み込んでくれるのではないでしょうか。
  • 近づいてくるものにだけという限定的な表現も印象的です。これは、一方的な関係ではなく、私たち人間側の姿勢が問われていることを示唆しているように思えます。傲慢さや無関心さを持って近づくものには、海は時に荒々しい姿を見せるのかもしれません。

全体として、この詩は、自然との調和や、謙虚さの大切さを教えてくれるようです。短いながらも、読者の心に深く響き、様々なことを考えさせる力を持っていると感じました。

素敵な詩をありがとうございます。

くらげ

くらげが
砂浜に打ち上げられて
死んでいた.

くらげは
死んでも
骨も皮も残さない.

やがて
光と
水の中に溶けて
姿も形も無くなってしまうだろう.

おさないときから
からだの弱かった
私は他のこどもたちのように
長生きはできないだろうと
思っていた.

私も
死ぬときは
イエスさまの
御手のなかで
あのくらげのように
死にたいと
思った.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。「くらげ」という題材を通して、生と死、そして信仰への深い思いが伝わってきました。

砂浜に打ち上げられたくらげの、後に何も残さず消えていく様子が、儚くも美しい情景として目に浮かびます。そして、幼い頃から身体が弱かったという過去の経験と重ね合わせることで、詩に一層の重みが増しているように感じました。

「私も死ぬときは/イエスさまの/御手のなかで/あのくらげのように/死にたいと思った」という一節は、強い祈りのように響きました。形あるものが失われても、魂は安らかな場所へ帰りたいという、切実な願いが込められているのですね。

全体を通して、静かで繊細な感性が光る詩だと感じました。読み終えた後、心にじんわりと何かが残るような、そんな読後感でした。


秋の海
ともだちと3人で
いかだ遊びをしていた.

バランスを失って
運動神経の悪い
私だけが
海の中に投げ出された.

私は必死に泳いで
近くの岩場に這い上がった.
岩のふじつぼで
傷ついた足から
血がほとばしり出て
岩の上を真っ赤に
染めた.

ともだちの心配をよそに
私は
岩の上に流れた
自分の血を見て
美しいと思った.

不思議な感じがした.
ちょっと血を見ても
気持ちが悪くなる私なのに
そのときはなぜか
とても美しいと思った.

そのとき
こんな美しい血を与えてくださった
神様に感謝した.

ともだち二人に
担ぎ込まれた
近くの医院で
手術を受けた.

動脈出血だった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

わあ、素敵な詩ですね。情景が目に浮かんでくるようです。

秋の少し冷たいけれど、どこか澄んだ空気感のある海で、友達と楽しんでいた様子が伝わってきます。三人でいかだに乗って、きっとワクワクしていたのでしょうね。

そんな楽しい時間から一転、バランスを崩して海に落ちてしまうという、突然の出来事にドキッとしました。運動神経が悪いと自覚されているところに、少しユーモラスな雰囲気も感じました。必死に泳いで岩場にたどり着いた時の安堵感も想像できます。

そして、足からほとばしる血。ふじつぼで傷ついた痛みは相当だったでしょうね。それなのに、自分の血が岩の上を赤く染めていく様子を見て「美しい」と感じたという部分に、強い印象を受けました。普段は血を見るのが苦手なのに、その時はそう感じたという不思議な感覚、とても興味深いです。

自分の身に起こった危機的な状況の中で、流れる血の美しさに気づき、神様に感謝するという心の動きに、 清潔さのようなものを感じました。血の色が、秋の海の景色の中で、 特別なコントラストを生み出したのかもしれませんね。

動脈出血だったと最後に明かされることで、その時の状況の危険が改めて伝わってきました。友達二人に担ぎ込まれて手術を受けるという、劇的な展開だったのですね。

この詩を通して、 著者の方の感性や、 日常の中に非日常を見出す力のようなものを感じました。色鮮やかな映像が心に残りました。

信仰

海を
忘れてしまった
漁師ほど
淋しいものはない.

信仰を
失った
クリスチャンほど
哀れなものはない.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

ああ、これは心に深く響く詩ですね。短い言葉の中に、ずっしりとした重みを感じます。

まず、「海を忘れてしまった漁師」という比喩が、鮮烈で、その喪失感が痛いほど伝わってきます。海と共に生きてきた漁師にとって、海を忘れることは、まさに自分の根幹を失うことでしょう。生活の糧だけでなく、心の拠り所までも失ってしまったような、そんな孤独と絶望が想像されます。

そして、「信仰を失ったクリスチャン」という対比が、この詩の核心を鋭く突いていますね。信仰は、クリスチャンにとっての羅針盤であり、生きる希望の光です。それを失うことは、暗闇の中で道に迷い、心の渇きを癒す泉を失うことに等しいのかもしれません。

漁師にとっての海、クリスチャンにとっての信仰。どちらも、その人にとってかけがえのない、生きていく上で最も大切なものだと感じました。それを失った時の淋しさや哀れさは、計り知れないでしょう。

この詩は、信仰を持つ人だけでなく、何か大切なものを失ってしまったすべての人に、深く共感と省察を与える力を持っていると思います。簡潔な言葉の中に、普遍的な人間の感情が凝縮されているように感じました。

素敵な詩をありがとうございます。読ませていただけて、心が少しざわつきました。


みかん

八幡浜の海を見た

佐田岬の段々畑の
みかん畑を
通る道には
みかんの実が
いっぱい実っていた.

海がみかん色に染まって
とても賑やかだった.

八幡浜の
みかんを食べるたびに
あの海の美しさを
思い出す.

みかんの
しぶきと香りの中に
佐田岬の
潮の飛沫と香りを
探す
私がいる.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。八幡浜の美しい風景と、そこから湧き上がる情感が伝わってきました。読んでいると、私も一緒にみかん畑を歩き、みかん色の海を眺めているような気持ちになりました。

特に印象的だったのは、次の点です。

  • 色彩の鮮やかさ: 「海がみかん色に染まって」という表現が、目に浮かぶようで、とても印象的です。夕焼け空のような温かさと、みかんの持つ活力が合わさった、特別な光景だったのでしょうね。
  • 五感への訴えかけ: みかんの「実」、海の「色」、食べる時の「しぶきと香り」、そして佐田岬の「潮の飛沫と香り」と、様々な感覚が呼び起こされます。それぞれの言葉が、鮮明な記憶と結びついていることが伝わってきます。
  • 記憶の結びつき: 八幡浜のみかんを食べるたびに、美しい海を思い出すという描写が、物と記憶の深い繋がりを感じさせます。みかんの味わいの中に、風景の記憶が溶け込んでいるのですね。
  • 探すという行為: 最後の「潮の飛沫と香りを/探す/私がいる」というフレーズが、過去の美しい記憶を大切にしている心情を表していて、心に響きました。過ぎ去った風景の中に、今も何かを探し求めている、そんな繊細な感情が伝わってきます。

この詩を通して、八幡浜の自然の豊かさと、作者さんの思い出の深さを感じることができました。大切にされてきた情景が、言葉を通して今も鮮やかに輝いているように思います。


釣り船の船長さんが
瀬戸内の無人島に
上陸させてくれた

私は
生まれてはじめて
無人島の
誰も踏んだことのない
砂浜を
裸足で歩いた.

新雪のように
ふわ~とした
柔らかくてあたたかい


砂の一粒一粒が
私の足の裏を通して
語りかけてくるようだった.

「私達も生きている!」

そのとき私は思った
砂にも
生きた砂と
死んだ砂があることを.

生きた砂の上を歩くと
その砂の命を
すこしく
分けてもらえるのではないかと
瀬戸内の海を
離れていきるようになったあとも
そう思うことがある.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

わあ、素敵な詩ですね。「砂」という日常的な風景から、深く静かな感動が伝わってきました。

特に印象的だったのは、無人島の砂浜を初めて裸足で歩いた時の、純粋な驚きと喜びが鮮やかに描写されているところです。新雪に例えられた砂の感触や、温かさが伝わってくるようです。

そして、「砂の一粒一粒が/私の足の裏を通して/語りかけてくるようだった。」という表現が、とても詩的で、砂という無機質なものにも命が宿っているかのような、神秘的な感覚を覚えました。

「生きた砂と/死んだ砂がある」という気づきも、ハッとさせられました。普段何気なく見ている砂にも、そんな違いがあるのかもしれない、と想像力が広がります。そして、生きた砂から命を分けてもらえるのではないか、という優しい願いが、読んでいる私の心にもじんわりと染み込んできました。

瀬戸内の美しい海と、無人島の静けさが目に浮かぶような、心温まる詩でした。読ませていただき、ありがとうございます。


足摺の観音

20歳になったとき
『問わず語り』を読んだ.

戦後になって
はじめて公開され
誰でも読めるようになった.
それまでは
天皇の秘事を綴っているということで
門外不出の本だった.

ひとりの女性が
天皇によって
その弟に払い下げられた.
そのことを悲しんだ女性は
出家して
諸国を行脚した.

瀬戸の海を
船旅しているときに
同船の旅の人から
足摺の観音の話を聞いた.


足摺の岬にひとつの寺があった.
寺には坊主と
その坊主に使えるひとりの小坊主がいた. 
あるとき旅の小坊主がやてきた.
食を乞うたとき
その小坊主は旅の小坊主に
自分の食べ物を半分分けてやった.

繰り返し
旅の小坊主に
自分の食べ物を半分やっている小坊主を見て
坊主はそのことを諌めた.

すると
旅の小坊主は
その寺の小坊主に
「共に補陀落世界にまいらん」といって
小さな小舟にのって
荒海に乗り出した. 

それが何を意味するかを知った
坊主は
泣きながら
「戻って来い!」と叫んだが
ふたりの小坊主は
荒波に姿を消して行った。

その寺の坊主は
自分の中にある
差別のこころが
このような悲劇を招いたとして
足をすり合わせて悔やんだ.

そのことが
足摺の地名の由来になった.

坊主は
聖と俗を分け隔てる
寺の垣根を取り除いた. 
誰でも参ることができる寺にしたという. 

原始仏典の中に
「差別なきこころ
それが仏の浄土である」というのがある.
足摺の岬の寺の本尊は
観音菩薩であったという. 

観音菩薩のいる浄土のことを
南の海のかなたにある
補陀落世界という. 

17歳の高校生のときに
スウェーデンの宣教師から
洗礼を受けた私には
現実逃避からは
差別を克服することはできないと
思われた.

聖と俗を
分け隔てる壁が
今もいたるところにあるのだから
余計にこの話が
こころに残る


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。「足摺の観音」という題名と、20歳で読まれたという『問わず語り』から始まる導入が、読者の心を静かに引き込みます。歴史的な背景と、一人の女性の悲しみ、そして足摺の観音にまつわる伝説が、見事に織り交ぜられていますね。

特に印象的だったのは、二人の小坊主の物語です。分け隔てのない慈悲の心を持つ小坊主と、それを受け入れた旅の小坊主の姿は、純粋で美しいですね。対照的に、坊主の差別心が悲劇を生んでしまうという展開は、人間の心の闇を描き出していて、深く考えさせられます。

「足をすり合わせて悔やんだ」という表現から、坊さんの後悔の念が痛いほど伝わってきます。そして、その悔いから差別をなくそうとした行動は、仏教の教えに通じる深い悟りを感じさせます。

原始仏典の言葉「差別なきこころ それが仏の浄土である」が、この物語の核心を見事に表現していますね。観音菩薩のいる補陀落世界と重ね合わせることで、普遍的な救済の思想が伝わってきます。

最後の、洗礼を受けたご自身の経験から、現実逃避では差別を克服できないと感じられたという一節は、この詩に個人的な深みを与えています。伝説や教えを単に語るだけでなく、ご自身の人生経験を通して、差別の問題に真摯に向き合おうとする姿勢が感じられました。

全体を通して、静かで深い感動を覚えました。歴史、伝説、そして個人的な思いが凝縮された、素晴らしい詩だと思います。


なみだ

教会員の中に 元山口県警の警察官がいた. 彼は 定年間際, 警察官を中途退職して その退職金を 被差別部落出身の奥さんが つくったサラ金の借金返済に当てた. しかし それでも残った多額な借金を支払うために 彼は警備員の仕事をして 昼夜を分かたず働きに働いた. 奥さんは 経済的に困...