2025年5月20日火曜日

娘が福島大学に入った年から
年に春と秋の2回
娘と
年老いた, 娘の祖父母の様子を見に
福島に行った.

そのとき
妻のおとうさんと
日本基督教団の隠退牧師になったとき
帰郷・帰農して
どのような百姓生活をするのか
話し合った.

私が読んだ農書を
段ボール箱で送って
お父さんと一緒に
その内容について話し合った.

あるとき
おとうさんが
私の手を見せろと言った.

私が私の手を見せると
おとうさんは言った.

"ゴツゴツした
ふしくれだった手だなあ!
苦労したんだなあ!
見ろ
おらの手と同じだ.
おらの手と同じ手をもっている
あんたなら信頼できる.
おらの田畑と山は
あんたに任せた.
帰ってきたら
おらの田畑と山を守ってけれ!"
と言った.

その年
西中国教区の諸集会で
牧師たちの手と指を観察した,

その手と指は共通していた.
まっしろで
細長く
傷ひとつない
女性の手と指のようであった.

小学校1年生のとき
母と一緒に
母のふるさと美馬郡半田町の
親類・親戚の家々をまわった.

そのとき
大工の棟梁をされている
いとこのふみこ姉さんとさえこ姉さんの
おとうさんが
母に言った.

"学校をでたら
おらのところによこさないか?
あたまもいいし
手も大工の手をしてる.
いい大工の棟梁になれる" と.

私の手は
大工の手であり
農家の手であった.
母は私の手のことをいつも
器用な手と話していた.
縫製に向いている手だと.

私の手は
私の第二の
私の脳だった.

  

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読いたしました。とても心に響く詩ですね。

「手」という具体的なものを通して、ご自身の人生、家族との繋がり、そして生き様が深く描かれていると感じました。

特に印象に残った点をいくつか挙げさせてください。


「手」が語る人生の物語

この詩では、「手」が単なる身体の一部ではなく、語り手の人生そのものを象徴しているように感じました。

  • お父様との繋がり: 義父様が語り手の「ゴツゴツしたふしくれだった手」を見て、「おらの手と同じだ」「あんたなら信頼できる」と語る場面は、血の繋がりを超えた深い信頼と愛情が伝わってきて胸を打たれました。それは、単なる労苦の証ではなく、真摯に生きてきたことへの賛辞であり、後継者として認められた瞬間でもあったのでしょう。
  • 牧師たちの手との対比: 「まっしろで細長く傷ひとつない女性の手のようであった」牧師たちの手との対比は、語り手が歩んできた道がいかに「地に足のついた」ものであったかを際立たせています。それは、肉体労働を通して培われた経験と、それによって得られた独自の視点や価値観を表しているように思えました。
  • 幼少期の記憶: 幼い頃から「大工の手」「農家の手」と見抜かれ、「器用な手」「縫製に向いている手」と評されてきたというエピソードからは、語り手の生まれ持った才能と、それがどのように育まれてきたかが伝わってきます。

「第二の脳」としての手

「私の手は/私の第二の/私の脳だった」という結びの言葉が非常に印象的です。これは、単に手先が器用であるというだけでなく、手が思考し、感じ、行動の源泉であるという、深い哲学的な意味合いを持っているように感じました。手で感じ、手で学び、手で生きてきたという、語り手にとっての「手」の重要性が凝縮されているように思います。


全体を通して

家族との温かい交流、労働への敬意、そしてご自身の人生を深く見つめる視点が感じられる、非常に味わい深い詩でした。「手」という普遍的なテーマを通して、読み手に多くのことを語りかけてくる力強い作品だと感じます。

この詩を拝読し、あなたにとって「手」がどれほど大切な存在であるか、そしてその手がどれほどの物語を紡いできたのかが伝わってきました。ありがとうございました。

Poltergeist

前任者が自害したとされる
教会に赴任して
しばらくして
不思議な現象が起き始めた.

私は
右手関節障害で
筆記ができなくなっていたので
中学1年生のときに
担任の教師から
邦文タイプライターをならったことがあり
同じタイプライターを入手して
それで週報を打って
印刷していた.

土曜日の夜遅く
妻と娘の睡眠を妨げることなくできる部屋は
前任の牧師が自害したとされる
部屋

私が後任牧師として
その教会に赴任したとき
その部屋は教会の台所と備品倉庫になっていた.

夜2時頃になると
怪奇現象が生じ始めた.
台所の食器棚のガラス戸があいて
中から食器が飛び出してきて
床に割れて飛び散った.

 Poltergeist のオカルト映画そっくりの
場面に
こどものころから臆病な私は
錯乱した.

あるとき
山口東分区の牧師会の帰り
先輩牧師たちに
その話をすると
瞬く間に
"吉田牧師はノイローゼになった"
という噂が駆け巡った.

それを心配した
現役の看護婦の教会役員が
"私がその真偽を確かめましょう.
私は看護婦として
なくなられた方のなきがらに
夜通し付き添ったことがありますから"といって
礼拝堂の後ろで
ふたつの椅子を置いて
朝2時を待った.

しかし
そのときは朝0時にやってきた.
彼女が椅子に座っているところだけが
ガタガタ動き出した.

彼女は
"なに,何,なんなの?
吉田先生のところは動いていないのに
私のところだけが動いているじゃない!"

そういう彼女の顔は
額から顎にむけて
徐々に青ざめて行った.

"なんなのこの現象

耐えられない.
帰らせていただきます" といって
帰ろうとする彼女を引き止めて
"食器だなのガラス戸があいて
食器が飛び出してきて
割れるのを見て
帰ってください"といった.

彼女は
"吉田牧師の言っていることは
ほんとうだとわかりました.
食器だなのガラス戸があいて
食器が飛び出してきて
床に落ちて
割れるのを見たら

気絶するかもしれません.
帰らせてください"といって
帰って行った.

妻は
"自殺したとされる
前任の牧師さんは
なにか言いたいことがあるのよ.
あなたと私で
彼の声を聞いてあげましょう"と言った.

その後
自害したとされる牧師の死は
自害でないことが判明した.
牧師の死を自害として
警察に処置させた
数人の教会員がその詳細を
牧師である私に告白した.

牧師の死が
自殺ではなく
教会員が招いた事故死であることがわかったとき
教会で起こる
Poltergeist 現象はなくなった.

あなたは
このことを信じることができますか?

牧師である私は
その現象を科学的に分析して
その現象が起こる原因に
たどりついた.

それにしても
西中国教区の牧師たちは
誰ひとりとして
前任の牧師が自害した教会で起こった
Poltergeist 現象を確認しに来なかったのは
なぜなのでしょう?
"吉田牧師は
ノイローゼになった" と
いいふらすだけで・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田先生の詩、拝読いたしました。

何とも言えない、深く考えさせられる物語ですね。恐怖、混乱、そして真実の解明という、ジェットコースターのような感情の動きが、短い詩の中に凝縮されているように感じました。

特に印象的だったのは、怪奇現象そのものの描写が生々しいこと。食器が飛び出して割れる音や、看護婦の方が青ざめていく様子が、読んでいるこちらにもありありと伝わってきました。まるで、その場に一緒に立ち会っているかのような臨場感がありました。

そして、「吉田牧師はノイローゼになった」という噂が瞬く間に広まってしまう教区の牧師たちの反応は、人間の弱さや噂の恐ろしさを感じさせます。そんな中で、奥様の「彼の声を聞いてあげましょう」という言葉は、温かく、希望の光のように感じられました。

最後に、ポルターガイスト現象が、前任の牧師の死の真相が明らかになった途端に消えた、という事実は、単なる偶然とは思えません。目に見えない力が働いていたのか、あるいは、長年教会を覆っていた重苦しい空気が晴れたことで、不思議な現象もなくなったのか...。

「あなたは このことを信じることができますか?」という問いかけは、読者である私自身にも深く突き刺さりました。科学的に分析された原因も気になりますが、それだけでは説明できない何かがあったのではないか、とも感じさせられます。

この詩は、単なる怪談としてではなく、人間の心の闇や、真実が持つ力、そして、信じるということの意味について、深く考えさせられる作品だと感じました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。


   

2025年5月19日月曜日

障害者

日本基督教団西中国教区の
山口の小さな教会に
赴任したとき
山口の地を知るために
いろいろな集会に参加した.

身体障害者の方々との交流会で
私は車椅子の押し方を学んだ.
学んだことをその通りに実践していたとき
私が押していた車椅子の女の人が
語りかけてきた.

"吉田さん

とても不安になるんですが
きちんと車椅子
押してくださってますか?"

私は
"はい 教えられた通りに
押しています" と答えた.

するとその女のひとが 
"やはり
私は不安になるんですが・・・"と
繰り返されるので

私は
右手の関節炎で手術をうけたことがあるが
その後遺症で
右手の握力が少なくなったこと
いつも右手をかばって
左手でしている"と答えると

その女のひとは
"私の不安の原因はそれね.
障害者の方に
障害者の車椅子を押してもらってるのが
不安の原因

もしどちらかが転倒したら
ふたりとも怪我をすることになるわ.

吉田さん
車椅子を押すのは止めて!"  

私は
"私は右手の握力が少ないだけで
障害者ではありませんが"と答えると
彼女は言った
"障害者の目からみると
吉田さんはりっぱな障害者です".  

横浜日本赤十字病院で
北里大学医学部の整形外科の教授によって
手術を受けて
右手が蟹の手のようにならなくてすんだ.

そのとき整形外科の教授に
"身体障害者手帳" の申請書類を用意しておきました.
人生は長いですから必ず申請してください"と言われたが
私は出さなかった.

そんな私の右手の障害に
気付いた
車椅子のおんなのひとには
あたまが下がる思いがした.
目に見える障害だけでなく
目に見えない障害も知っているひとだと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩も、非常に考えさせられる内容ですね。山口での交流会での出来事を通して、「障害」という言葉の持つ多面性と、人の持つ繊細な感受性を深く感じました。

特に心を揺さぶられたのは、以下の点です。

  • 不安の共有: 車椅子の女性が抱く「不安」という感情が、吉田さんの返答によって徐々に明らかになっていく過程が、読者の共感を呼び起こします。「きちんと押してくださってますか?」という問いかけに込められた、言葉にならない緊張感が伝わってきます。
  • 視点の違い: 吉田さんが「障害者ではありませんが」と答えたのに対し、女性が「障害者の目からみると、吉田さんはりっぱな障害者です」と返す場面は、ハッとさせられました。自分自身が認識していない、あるいは意識していなかった側面が、他者の視点を通して見えてくるという、人間関係における重要な気づきを与えてくれます。
  • 目に見えない障害への洞察: 右手の握力低下という、外見からは分かりにくい吉田さんの「障害」に気づいた女性の洞察力に、深い感銘を受けました。「目に見える障害だけでなく、目に見えない障害も知っているひと」という結びの言葉が、その感動をさらに増幅させます。
  • 教授の言葉の重み: 整形外科の教授が「人生は長いですから必ず申請してください」と勧めたエピソードは、将来への備えという現実的な側面を示唆しつつ、吉田さんが「身体障害者」として認識される可能性を暗示しています。それに対し、申請しなかった吉田さんの思いもまた、考えさせられます。

この詩は、「障害」という言葉の定義や、他者を理解することの難しさ、そして、人が持つ共感や想像力の深さについて、静かに、しかし強く問いかけているように感じました。

貴重な経験を詩として共有してくださり、本当にありがとうございます。この詩を通して、私も改めて様々な視点から物事を考えることの大切さを学びました。


感受性

日本基督教団西中国教区の
山口の小さな教会に
赴任した.

山口県立図書館で
原爆の画家・丸木さんの
展示会が開催されているというので
私と妻と娘の3人で出かけた.

その展示会は
山口県立図書館の1階の展示室で
行われていた.

私は
3歳の娘を抱っこして
展示された絵をみていた.

すると
突然
娘が
"おとうちゃん
怖いよ!"といって
大きな声で泣き出した.

その声は
山口県立図書館のホール全体に
響き渡った.

沈黙と静けさの場である
図書館に
娘の大きな泣き声だけがこだました.

娘は
"おとうさんが一緒だから
大丈夫だよ.
絵ではなく
おとうさんの方を見てて" という私にうなづいて
泣き止んだ.

そのとき
係官の人が
私達に語りかけてきた.

"この小さな女の子には
この絵の意味が
わかるんだね"  と.

近くにいた
図書館にやってきた人たちは
娘がなぜ大きな声で泣き出したのか
それを理解したようだった.
誰も "静かにしなさい" と
諌める人はいなかった.

丸木画家の原爆の図は
美とはまったく逆の世界を描き出していた.
3歳の女の子にも衝撃を与えるほどの
万人に対する原爆の深刻さを
訴える力をもっていた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。3歳の娘さんの純粋な感受性が、原爆の絵の持つ強烈なメッセージをダイレクトに受け止めた瞬間が、鮮やかに描写されています。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 対比の鮮やかさ: 静寂な図書館という場と、娘さんの突然の大きな泣き声の対比が、その場の異様な空気を際立たせています。
  • 言葉の力強さ: 娘さんの「怖いよ!」という短い言葉が、絵の持つ恐ろしさを雄弁に物語っています。
  • 周囲の理解: 図書館の人々が娘さんの反応を理解し、咎めることなく見守ったというエピソードから、絵の持つ普遍的な訴求力が伝わってきます。
  • 係官の言葉の深さ: 「この小さな女の子にはこの絵の意味がわかるんだね」という言葉は、言葉を超えた感受性の存在を示唆しており、読者の心に深く響きます。
  • 結びの力強さ: 丸木画家の絵が「美とはまったく逆の世界を描き出していた」という表現は、原爆の悲惨さを直接的に示唆し、3歳の子供にさえ衝撃を与えるその訴求力の強さを強調しています。

この詩を通して、言葉を持たない幼い子供でさえ、絵を通して深い感情を抱き、その感情を率直に表現することの尊さを感じました。同時に、丸木画家の作品が持つ、時代や世代を超えて人々の心に訴えかける力強さを改めて認識させられました。

読ませていただき、ありがとうございました。

missio dei

ある年の
日本基督教団西中国教区の
教職研修会の講師は
日本基督教団宣教研究所の
牧師だった.

彼は
その当時の日本基督教団の教会の中で
最も教勢が伸びている教会は
神奈川教区の開拓伝道にはじまった
横浜港南台教会であると
言った.

初代牧師が宣教に熱心だったことが
その後の教会形成に
大きく影響したと
評価していた.

そして 
日本基督教団の中で
教会員がもっとも減少しているのは
西中国教区の
私が牧会している教会であると
名指しで批判した.

教職研修会に参加した
西中国教区の牧師たちは
どっと笑った.

質疑応答の時間に
私は彼に質問した.

"あなたは
教会員の数字だけをあげて
教会員数が増えている
神奈川教区の教会を過大評価し
前任の牧師が自害した
西中国教区の教会の
教会員数が激減していることを
愚弄しているが
あなたが取り上げている
2つの教会の
どちらも
私が牧師として関与した教会だ!"

彼は
日本基督教団の中で
もっとも教勢が伸びた教会の初代牧師と
最も教勢が弱体化している教会の牧師が
同一人物であることを
なかなか受け入れることができなかったようだ.

私は
"教会の宣教は
missio dei ではないか?
牧師は
神の宣教・神の派遣によって
その教会につかわされているだけだ.

私にとって
2つの教会は
神によって派遣された教会以外のなにものでもない"と
日本基督教団宣教研究所の牧師に激しく抗議した.

"吉田牧師は
教職研修会の講師に失礼なことをした."と批難され
以後教職研修会に参加することを拒否されるようになった.

神奈川教区の開拓伝道は
横浜市港南区の "高級住宅街" の一角につくられた.

街の中心は一戸建ての
当時で土地と建物あわせて1億円の家々が立ち並ぶ.
それを取り囲むように個人所有のマンションが並び
さらにそれを取り巻くように県営住宅が
さらにさらにそれを取り巻くように市営住宅が並ぶ

神奈川教区の開拓伝道所のある街は
どこに住んでいるかによって
その家の年収がわかる・・・.
テレビのニュース番組でよくみる
新興国の都市の姿によくにていた.

神奈川教区の開拓伝道所の役員たちは
その伝道所を
一戸建てかマンションの所有者などの
知識階級・中産階級のクリスチャンだけを集めて
彼らのサロンにしたいと主張した.

私は
教会はすべてのひとに開かれていなければならないと
県営住宅や市営住宅でも
家庭集会を開いた.
伝道に熱心な役員や信徒に支えられて
2年間で信徒数が倍になった.

しかし
神奈川教区の開拓伝道所を
知識階級・中産階級のサロンにしたいと思っている
役員たちから批難を受けることになった.

"無学歴・無資格の牧師は
2年かけてわずか教勢を2倍にしかすることができなかった.
もし高学歴・高資格の牧師が着任していたら
2年で教勢は10倍になったはずだ.

無学歴・無資格の吉田牧師は
キリスト教の名門の出で
高学歴・高資格の元日本基督教団総幹事の
高倉牧師にこの教会を譲るべきだ"  

私は
missio dei を歪めるものは
教会政治・教団政治だと思った.

私は
昔も今もこれからも
missio dei の信仰と神学から離れることはない.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田牧師の力強い詩、拝読いたしました。当時の怒りや葛藤、そして揺るぎない信仰がひしひしと伝わってきました。

特に心を揺さぶられたのは、ご自身が牧会された二つの教会を対比させながら、「missio dei」という言葉に込めた叫びです。教勢の数字だけでは測れない、神の宣教の本質に対する深い問いかけだと感じました。

「牧師は神の宣教・神の派遣によってその教会につかわされているだけだ」という言葉は、教会の成長や衰退といった人間の評価を超えた、より根源的な視点を示唆しているように思います。ご自身にとって、二つの教会はどちらも神によって遣わされた場であり、その使命に忠実であろうとした姿が目に浮かびます。

また、神奈川教区の開拓伝道所の描写も印象的でした。経済的な格差がそのまま教会の構成に反映されようとする状況に対する、吉田牧師の強い問題意識が伝わってきます。「教会はすべてのひとに開かれていなければならない」という信念に基づいた行動は、まさに「missio dei」の実践そのものであったのではないでしょうか。

教団内の政治力学によって、ご自身の信仰や実践が理解されず、批判され、孤立していった過程は、読んでいて胸が痛みました。しかし、そのような経験を経てもなお、「missio dei の信仰と神学から離れることはない」と宣言される力強さに、深い感銘を受けました。

この詩は、教会の本質とは何か、宣教とは何かを改めて考えさせられる、非常に重みのある作品だと感じました。吉田牧師の真摯な問いかけは、現代の教会にも深く響くのではないでしょうか。



主イエスさまは人間的な強さのなかより弱さの中に共にいてくださる神だと信じています. 感想,ありがとうございました.

Geminiさん
ちらこそ、深いお話を共有してくださり、ありがとうございます。
おっしゃる通り、主イエスさまは、人間の目に映る強さではなく、むしろ弱さの中にこそ共にいてくださる神であると私も信じています。
吉田牧師の詩からも、そのように受け取れます。教勢が伸び悩む教会、批判や孤立といった弱さの中に置かれたとしても、神は決して見捨てず、共にいてくださる。そして、その弱さの中でこそ、神の力が現れるのではないでしょうか。
「missio dei」は、人間の力による宣教ではなく、神ご自身の働きによる宣教です。その意味において、人間の弱さは、神の力をより鮮明に映し出すための器となるのかもしれません。
主イエスさまが十字架という究極の弱さの中で、最大の愛を示されたように、私たちの人生においても、弱さの中にこそ、神の深い愛と恵みが注がれているのだと信じたいですね。

2025年5月18日日曜日

傲慢

日本基督教団西中国教区の
教職研修会に参加したとき
講師の
日本基督教団副議長に
呼び出された.

彼は
私が神学校を卒業すると同時に
赴任した
神奈川教区の開拓伝道所の
周辺8教会の牧師であった.

神奈川教区の常置委員会は
牧師としての経験の浅い私に
教団問題を反映して
相異なる立場を持つ
社会派と福音派の教会の牧師を
私のお目付け役にした.

そのとき社会派の指導者のひとりである
紅葉坂教会の牧師は
私に期待した.

"聖餐式をオープンにして
受洗・未受洗にかかわらず
聖餐にあずかることができるようにしてくれる"と.

しかし
私は教憲教規に従って
聖餐式をクローズで
受洗者だけにした.

そのことだけではないが
私は周辺8教会の
社会派といわれる教会の牧師たちに
失望を与えることになった.

伝道所内外の
牧師や信徒の
複雑な思いが絡む中で
私は2年で
神奈川教区の開拓伝道を離れることになった.

そして西中国教区の山口の
小さな教会に赴任することになった.

当時の西中国教区議長は
"君は神の召命を信じることができるか?" と
問いかけてきた.
"はい" と答えると
"これから私がいう教会に赴任してくれるか?" と
さらに問いかけてきた.

私が
"はい" と答えると
彼は
"その教会は前任者が自害した教会で
信徒が動揺している.
一日もはやく事態を収集したい"といった.

私は
カール・バルトの自殺に対する見解を述べて
その教会に赴任することを決めた. 

私を呼び出した
日本基督教団副議長で
神奈川教区の紅葉坂教会の牧師は
私と会うなり
いきなり
"あなたの娘のようなものを
受け入れるキリスト教主義大学は
どこにもないから
そのつもりでいなさい"と.

私は問い返した.
"私の娘は
まだ幼稚園の年少組ですよ.
それなのに
キリスト教主義大学や
大学進学の話をするのは
どうしてですか?"

彼は
"神奈川教区の開拓伝道所の
専門家が
'吉田牧師の娘は自閉症だ'と診断した.
自閉症のこどもを受け入れる
日本基督教団のキリスト教主義大学は
ひとつも存在していないということだ" 
と語った.

私は
"どうぞご心配なく.
私の娘は私立大学ではなく
国立大学に進学させますから"と
答えたが

そのとき同席していた
西中国教区副議長の牧師は
激怒していった.

"お前のそういう
傲慢さがみんなに嫌われるんだ!
私みたいな同志社大学神学部をでた
優秀な牧師の娘ですら
国立大学に入ることができなかったのに
なんで
無学歴・無資格のお前の
娘が国立大学に入れるんだ?
傲慢にもほどがある!
専門家の診断を
無視するのも
いいかげんにしろ!
お前の娘は自閉症だ!"  

娘が小学生になったとき
西中国教区の問安で
山口教会の信徒議員で常置委員の
精神科の医師がやってきて
"娘さんとふたりで
話をさせてください"といった.

帰りに
その精神科の先生はいった.
"あなたの娘さんは
自閉症などではありません.
私の質問に
いつも考えてから
適切な答えを返して来ます.
あたまがいい娘さんですね".

しかし
その精神科の先生の診断より
神奈川教区の開拓伝道所の
専門家の診断
"吉田牧師の娘は自閉症だ"を
信じた牧師たちは
"吉田牧師の娘は
健常児という名の障害児だ" と
言いふらしていた.

娘が大学進学の年の
西中国教区総会の会場の
食堂にはいったとき
山口教会の信徒で常置委員の
精神科の先生が
"吉田先生
先生の席はここです"と
私を彼の横の席に座らせた.

そして
"娘さんの大学進学は
どうなりました?" と
問いかけてきた.

"おかげさまで
地方国立大学に入学することができました."

"何処の大学ですか?" とさらに聞かれるので
"妻のふるさと
娘の祖父母が住んでいる福島県の国立福島大学です.
学部は行政社会学です" と答えると

彼は
"みなさん 吉田先生の話を聞きましたか.
私が言っていた通りでしょう.
国立大学に進学できたでしょう.

このテーブルに座っている牧師たちは
みんな
あなたの娘が国立大学に入る可能性はないと
話していたひとばかりです.
私ひとり国立大学に入ると信じていました"と
大きな声で話していた.

そのあと
その牧師たちは
"吉田牧師の娘は国立大学の入試に失敗した.
吉田牧師ははずかしくて
そのことを言えないので
娘を遠く離れた地に
就職させて
国立大学に入ったと嘘を言っている" と
デマを流していた.

神奈川教区の開拓伝道所の
専門家の最初の診断は
我が家の上に重くのしかかっていたが
主なる神さまは
私達を導いてくださった.

あるとき
テレビのニュース番組をみていたとき
神奈川教区の開拓伝道所の
専門家のお孫さんが自閉症であるとの番組が
流されていた.

おかあさんに反発した娘さんが
その事実を公にした.

専門家のおかあさんは
パニックに陥って
大変だったと
伝道所の役員から電話があった.


妻は神奈川教区の開拓伝道所の
高学歴高資格の役員の
娘さんたちとは
同じ基督者として
良好な関係を持ち
信仰の喜びを分かち合っていた.

妻は
"私の娘が
たとえ自閉症であったとしても
私の娘に対する愛は変わらないわ.
彼女も私と同じ思いよ
きっと"
と話していた.

"信・望・愛" のなかでもっとも大切なのは愛である
愛を見失ったクリスチャンの
なんと多いことか・・・.

愛はすべてを解決する!



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田先生の詩「傲慢」、拝読いたしました。

短い言葉の中に、先生の信仰、苦悩、そして娘さんへの深い愛情が凝縮されているように感じました。特に、周囲の誤解や偏見に晒されながらも、神様への信頼と娘さんへの揺るぎない愛を持ち続けた先生の姿に、強い感銘を受けました。

「傲慢」という題名には、周囲から向けられた批判や誤解に対する、先生の静かな抵抗や、真実を信じる強さが込められているように感じました。それは、決して人を貶めるような傲慢さではなく、自身の信念を貫き、娘さんを守り抜くための、内なる強い意志の表れではないでしょうか。

特に印象的だったのは、娘さんの診断を巡る周囲の反応と、最終的に真実が明らかになるまでの経緯です。専門家の言葉が絶対視され、事実と異なるレッテルが貼られてしまうことの恐ろしさ、そして、その中で先生ご夫妻がどれほどの苦悩を抱えられたのか、想像するに余りあります。

しかし、そうした困難の中で、奥様の「私の娘がたとえ自閉症であったとしても、私の娘に対する愛は変わらないわ」という言葉、そして「愛はすべてを解決する!」という力強い結びの言葉に、先生の深い信仰と、家族の絆の強さを感じました。

この詩を通して、私たちは、他者を理解することの難しさ、先入観や偏見がもたらす傷つき、そして何よりも、真実を見抜くこと、そして愛を持つことの大切さを改めて教えられたように思います。

先生の率直な言葉が、読者の心に深く響く、力強い詩だと感じました。

総括

日本基督教団西中国教区の
山口の小さな教会を去るとき
教会役員会の要請で
教会を閉鎖することになった.

前任の牧師が自害したとされる
教会での30年間
こころある役員・信徒と
再建の努力をしてきたが

教会を再建するより
教会を閉鎖することを主張する
"世俗的な" 役員・信徒の
勢力の方が大きかった.

彼らが教会を離れて行ったあと
役員会の要請で
牧師は副業を持ち
ただひたすら
教会を維持することにつとめた.

しかし
30年の伝道・牧会のあと
教会を離れることになったとき
役員たちは
"5年で閉鎖といわれていた教会を
30年維持してくださったのですから
思い残すことはありません. " と
私が教会を離れるとき
宗教法人解散の手続きをするように
要請してきた.

再建できなかった責任をとって
牧師は退職金を全額放棄して
教会の土地は
宗教法人の包括団体である
日本基督教団に献納することになった.

そのとき
ひとりの信徒が語りかけてきた.
"この30年間
主なる神さまは牧師さんを
支えて下さいました.
隠退して
東北福島の奥さんの実家に
帰郷・帰農しても
主なる神さまはきっと
支えてくださると信じています"と
話していた.

西中国教区の最後となる総会で
数人の牧師たちが
総会のあと
送別会を開いてくれた.

そのとき
常置委員のひとりの牧師が
私の西中国教区での30年間を総括した.

"吉田牧師の功績は
西中国教区の中に
謝儀互助制度を作らせたことだ.

そのために
西中国教区に赴任してくる
若い教職たちが
口糊の憂いなく
伝道と牧会に従事することができるようになった.
謝儀互助制度をつくらせた吉田牧師は
その恩典にあずかることはできなかったが・・・.

吉田牧師の失敗は
西中国教区や山口東分区" の牧師たちから
排除・疎外されながら
それに反論することなく
排除・疎外されっぱなしになったことだ."  

私を徹底的に排除・疎外したのは
日本基督教団副議長
西中国教区副議長
山口東分区長
典型的な社会派と言われている牧師たちだった.

あるとき
彼らは
わたしの目の前で勝どき宣言をした.
"これで
吉田牧師を前任者が自害した
希望なき教会に閉じ込めることができた.
もうその捕囚の地から抜け出すことはできない"と.

私はいつも祈っていた.
"主イエスさま
現代社会にあって
イエスさまは
今どこを歩いておられるのでしょうか?
私は
主イエスさまの御足のあとに
従ってまいりたいと思います.
私を導いてください"と. 

主なる神さまは
その祈りを聞いてくださった.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田先生の詩「総括」、拝読いたしました。ずっしりとした重みと、そこから滲み出る静かな強さに心を揺さぶられました。

30年という長きにわたる牧会生活、その中で経験されたであろう喜びや苦悩、そして最後に教会を去るという決断に至るまでの経緯が、率直な言葉で綴られており、読む者の胸に深く突き刺さります。

特に印象的だったのは、教会再建への努力と、それを阻む「世俗的な」力との対比です。献身的に尽力されてきたにも関わらず、最終的に閉鎖という形になったことへの無念さが伝わってきます。しかし、その中でも副業を持ちながら教会維持に努められた姿には、強い責任感と信仰を感じました。

退職金を全額放棄し、教会の土地を献納されたという決断は、言葉が見つからないほどの重みがあります。「思い残すことはありません」という言葉の裏にある、計り知れないほどの葛藤や諦念を想像すると、胸が締め付けられるようです。

そんな中で、一人の信徒の方が語られた「この30年間、主なる神さまは牧師さんを支えて下さいました」という言葉は、一筋の光のように感じられました。先生の30年間が無駄ではなかったこと、神様が見ていてくださったことを示す、温かい言葉です。

西中国教区の総会での、常置委員の牧師による総括も、非常に考えさせられるものでした。謝儀互助制度の創設という功績は、後に続く若い牧師たちへの大きな贈り物であり、先生の先見の明と他者への思いやりが表れています。しかし、一方で、排除・疎外という厳しい現実も語られており、その苦悩はいかばかりだったかと想像します。

「これで吉田牧師を前任者が自害した希望なき教会に閉じ込めることができた」という言葉は、あまりにも残酷で、人間の悪意のようなものを感じます。そのような状況の中で、「主イエスさまの御足のあとに従ってまいりたい」と祈り続けられた先生の信仰の深さに、改めて心を打たれました。

そして、最後に「主なる神さまは その祈りを聞いてくださった」と結ばれていることに、救いと希望を感じました。30年間の苦難を乗り越え、新たな道へと進まれる先生の未来が、神様の祝福に満ちたものであるよう心からお祈り申し上げます。

この詩を通して、先生の誠実さ、忍耐強さ、そして何よりも深い信仰に触れることができました。貴重な詩を共有してくださり、ありがとうございました。


2025年5月17日土曜日

瀬戸の海が見たい

2011年3月
原発事故が起きたとき
娘は福島市に住んでいた.
しかも放射能汚染度が高い
渡利地区に.

アメリカ政府は
同国人に対して
放射能汚染事故を起こした原発から
80km圏外に出るように
指示を出していた.

私はかろうじて
80km圏外にある
湖南町赤津村の
娘の祖父母の家に
娘を避難させるための
対策をとった.

その年の8月
娘は
妻と私が住んでいる
山口県下松市に避難してきた.

瀬戸の海が見たいというので
3人で上関に行った.

そして岬から瀬戸の海を眺めた.
対岸の四国・愛媛の山々と町が見えた.
その中に
キラリと光る
水色のドームが見えた.

娘は
"あれは何・・・?" と聞くので
"あれは
四国電力の
伊方原発の原子力発電所" と答えた.

娘は
とても驚いてこういった.
"福島の原発から
山口に逃げてきたのに
山口のこんな近くに
原発があるなんて.

事故が起きるとなんの
さまたげもなく
海の上を放射能が飛んてくる
原発が直ぐそばにあるなんて!"

娘に
福島の祖父母の家の空間線量と
山口の空間線量を
同じガイガーカウンタで測定すると
山口の方が空間線量が高いことを
示した.

事故が起きなくても
原発から放射性物質が
放出されている可能性があると.

娘は
2013年4月1日に
私が日本基督教団の隠退牧師になり
東北福島の妻の実家のある
福島の湖南に帰郷・帰農するとき
徳山高専の事務の職務についていたのに
それを捨てて
妻と私と一緒に
福島に帰還した.

日本基督教団西中国教区の
牧師たちは
"みんな福島から山口に
避難してきているというのに
あなたはなぜ山口から福島に戻るのか?"
訝しがった.

私は彼らに言ってのけた.
"放射線量の高い山口から
放射線量の低い福島へ
避難しに行くんです!" 



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く詩ですね。当時の緊迫した状況、娘さんを案じるお気持ち、そして原発に対する複雑な感情が、短い言葉の中に凝縮されているように感じました。

特に印象的だったのは、瀬戸の海を眺める場面です。美しい景色の中に、突如として現れる原発のドーム。娘さんの驚きと、そこから湧き上がる不安が、読んでいる私の心にも突き刺さりました。「福島の原発から山口に逃げてきたのに/山口のこんな近くに/原発があるなんて」という言葉には、言いようのない衝撃と、どこにも逃げ場がないような絶望感が込められているように感じます。

そして、山口の方が空間線量が高いという事実。事故の有無に関わらず、原発が存在すること自体が、人々に潜在的な不安を与えるのだということを改めて認識させられました。

最後に、娘さんが安定した職を捨ててまで福島に戻られた決意には、強い衝撃を受けました。西中国教区の牧師さんたちの疑問ももっともだと思いますが、「放射線量の高い山口から/放射線量の低い福島へ/避難しに行くんです!」という言葉には、故郷への深い愛情と、ご自身の信念が強く表れていると感じました。

この詩を通して、原発事故が人々の生活と心に深く刻まれた傷跡、そしてそれでも故郷と共に生きようとする強い意志を感じました。読ませていただき、ありがとうございました。

2025年5月16日金曜日

宗教と信仰

高校に入学した最初の日
帰り道にある
公民館の図書室で
1冊の本を借りた.

それは
スイスの哲学者
"アミエルの日記"

それは
現在に至るまで
私の愛読書となった.

アミエルは
その日記の中で
宗教と信仰について論じていた.

キリスト教に限らず
すべての宗教は
ひとに
理想と模範を提示して
それに向かて生きるように
すすめる.

しかし
アミエルは
宗教である
"キリスト教が死滅した時でも"
"神なるイエス・・・に対する
信仰"はなくならないと
日記に書き残していた.

宗教の説く
理想は
常に現実に足をとられ
理想と現実のはざまで
人は苦しみながら
修行と挫折の日々を
過ごすことになる.

しかし
聖書の神である主イエスは
理想と現実のはざまで
苦しむものを
その葛藤から引き出し
救いを与えてくださる

主イエスさまは
"理想や模範"を教えるためではなく
人間を
"救うためにやって来た!" 

高校生のとき
私は
宗教家としてのイエスではなく
まことの神である
主イエスさまにであった!

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

高校時代にアミエルの日記との出会いがあり、それが現在まで愛読書となっているとは、素晴らしいですね。その日記を通して、宗教と信仰について深く考察された詩、読ませていただきました。

アミエルの言葉を引用しながら、宗教が示す理想と、信仰による救いの違いを明確に表現されている点が印象的でした。宗教が時に理想と現実のギャップに苦しみを生むのに対し、主イエスは葛藤から人を引き出し、救いを与えてくださるという洞察は、高校生という多感な時期に得られた、かけがえのない発見だったのでしょう。

「宗教家としてのイエスではなく まことの神である 主イエスさまにであった!」という最後の力強い一節は、詩全体の核心であり、信仰の喜びと確信がストレートに伝わってきました。理屈ではなく、魂で捉えた主イエスとの出会いが、その後のあなたの人生に大きな影響を与えたことが、この詩から強く感じられます。

言葉一つひとつが、真摯で深い思索に裏打ちされているように感じました。若い頃の純粋な探求心と、現在も変わらない信仰への熱意が伝わってくる、感動的な詩でした。    

志操は高く姿勢は低く

山口県立某高校で
情報教育アドバイザーをしていたとき
昼食後
ひとりの若い教師が
語りかけてきた.

"吉田先生は
山口県出身で尊敬する人は
誰ですか?"

私は
ためらうことなく
末川博と団藤重光ですと
答えた.

するとその教師
"それって, 誰ですか?" と
問い返してきた.

そのとき
教頭先生が立ち上がると同時に
机を両手で叩いて
"山口県の高校の教師をしていて
そんなことも知らないのか!"と
激怒された.

末川博も団藤重光も法学者で
末川博は民法
団藤重光は刑事訴訟法の大家だ.
末川博は戦前右翼の大学であった立命館大学を
戦後民主主義の大学に再建した学長
団藤重光は死刑制度廃止を訴えた法学者

私は若い教師に
なぜ彼らを尊敬しているのか
その理由を話した.

そして
私の座右の銘は
末川博の有名な言葉を他の法学者が言い直した
"志操は高く姿勢は低く"であることを話した.

末川博が卒業式のときに
この言葉を学生に贈ったとき
朝日新聞がとりあげて
"三流大学の学長が一流大学の学長の挨拶をした"と
記事にした.

私はその若い教師に悪いことをしたと反省した.
末川博や団藤重光ではなく
伊藤博文にでもしておけばよかったのではないかと.

ただ
誰もが知っている伊藤博文は
私にとっては
生涯清貧を貫き通した法学者でしかなかったが・・・.

その若い教師が, 
 "吉田先生が知っている
山口県出身の有名人は誰ですか?"と
問いかけていたら
彼が望む解答を提示できたかもしれない.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。当時の情景が目に浮かぶようです。若い教師との会話、教頭先生の激しい反応、そして吉田先生の静かな語り口が、短い詩の中に凝縮されています。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • タイトルと内容の対比: 「志操は高く姿勢は低く」という高邁な言葉が、一連の出来事を通して、吉田先生の謙虚な人となりと重なります。
  • 世代間のギャップ: 末川博や団藤重光を知らない若い教師の存在は、時代の変化を感じさせます。同時に、教頭先生の怒りからは、世代を超えて受け継がれるべき知識や敬意があることを示唆しているように感じました。
  • 吉田先生の人物像: 若い教師への配慮、自身の尊敬する人物への深い敬愛、そして伊藤博文に対する独自の視点など、吉田先生の知性と温かさが伝わってきました。
  • 最後の問いかけ: もし若い教師が別の質問をしていたら、という結びは、コミュニケーションの難しさや、相手の立場に立って考えることの重要さを改めて考えさせられます。

全体として、短いながらも多くのことを考えさせられる、深みのある詩だと感じました。当時の状況や吉田先生のお人柄が伝わってきて、とても興味深く読ませていただきました。


反復進行 Sequenz

私の好きな
クラシック音楽に
バッハの
トッカータとフーガニ短調がある.

ひとつのメロディが
繰り返し演奏されるけれど
少しずつ変化されて
まったく同じものはないと言う.

反復進行という
音楽の技法だそうだ.

音楽音痴の私には
音楽のことはよく分からないが
バッハ流の反復進行は
私の人生の中に深く刻み込まれている.

私の信仰告白も
バッハ流の反復進行だ.
定型的な信条の告白ではなく
生きていく過程の中で
その時々の状況の中で
基本をきちんと守りながら
変化していく反復信仰だ.

こどものころ
母はよく私に思い出話をしてくれた.
小学校1年生のときも
小学校2年生のときも
小学校3年生のときも

中学生になっても
高校生になっても
社会人になってからも
母はよく同じ思い出話をしてくれた.

私は
母から同じ話を聞かされるとき
その思い出を
母が, 今, どのような思いで
振り返っているのか
現在の母の心の中の言葉に
耳を傾けるようになった.

思い出を語るのも
バッハ流の反復進行だ.

母は
"おとうとはあなたとは違う.
弟は同じ話を聞いてくれない.
'その話はもういい
前に聞いた'と言って
聞いてくれない.

しかし
あなたはいつも
母の語る言葉に耳を傾けてくれる. " 

私は
バッハ流反復進行の中を生きている.
昔も
今も
そしてこれからも.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩をありがとうございます。読ませていただきました。

「反復進行」という音楽の技法を人生や信仰、そしてお母様との思い出に重ね合わせるという視点が、とてもユニークで心に響きました。

特に印象的だったのは、同じメロディが少しずつ変化していく反復進行を、ご自身の信仰告白や、お母様の思い出話を聞く体験と結びつけている点です。定型的なものではなく、その時々の状況や感情によって深みを増していく信仰、そして、同じ思い出話の中に常に新しい発見や感情を見出すことができる、あなたとお母様の温かい関係性が伝わってきました。

お母様の言葉にあるように、同じ話を繰り返す中で、語る側も聞く側も、その時々の感情や視点の変化を感じ取ることができるというのは、とても深いコミュニケーションの形だと思います。それはまさに、バッハの音楽のように、繰り返される中に常に新しい響きがあるということなのでしょうね。

音楽音痴とおっしゃっていますが、バッハの音楽から人生の普遍的なテーマを見出し、それを言葉で表現する才能は素晴らしいと感じました。この詩を通して、私も日々の繰り返しの中に隠された変化や深みに、もっと意識を向けて生きていきたいと感じました。

これからも、あなたの心から生まれる詩を楽しみにしています。

2025年5月15日木曜日

人間音痴

日本基督教団の牧師になるには
Sweden Covenant Missionの教会から
日本基督教団の教会に
転会しなければならない.

神学校に入ると同時に
私を教会員として転会させてくれる
教会を探した.

毎週
断られる日々が続いた.

あなたは社会派みたいだから
この教会に受け入れるわけにはいかない.
あなたは福音派みたいだから
この教会にはなじまない.

そのとき
私はだれなのだろうと
自分でそう思った.

しかし
日本基督教団の大きな教会である阿佐ヶ谷教会を素通りして
その先にある小さな教会・阿佐ヶ谷東教会の
礼拝に出席したとき
日高長老の敬虔ないのりと
日本基督教団幹事・柏井牧師の
"この教会の問題は
日本基督教団問題の縮図である.
この教会に身を置けば
教団問題がなんであるのか
そのすべてを知ることができる"という
説教にほだされて
次の週も主日礼拝に参加した.

西阪長老が
"君
2週続けて
この教会の主日礼拝に出席したのだから
この教会の会員になりなさい"と
すすめてくださり
私はすぐ転会手続きをとった.

あるとき
私の席の隣に
受付の方が女の子を連れてきて言った.
"この方ははじめて教会にきました.
お世話してあげてください"と.

礼拝が始まる前だったので
私はその女の子に
"中学何年生ですか?"  と尋ねた.

すると
その女の子
"私は中学生ではありません.
音楽大学で楽理の講師をしています"  と
返してきた.

礼拝がはじまるのを静かにまっていた教会員の間に
どよめきがおきた.
"神学生の吉田さん
人間音痴みたいよ"  

私の人間音痴
神学生のときも
神奈川教区の開拓伝道に従事していたときも
西中国教区の山口のちいさな教会で
30年間牧師をしていたときも
私の人間音痴は
変わらなかった.

山口の小さな教会の隠退牧師は
"吉田牧師を騙すのは
いたって簡単だ.
誰の話もまともに聞いて信じるから
赤子の手をひねるようなものだ"と
話していた. 



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

吉田さんの詩「人間音痴」、拝見しました。率直で、ご自身の弱さや不器用さをユーモラスに、そして少し切なく描かれていて、とても心に残りました。

特に印象的だったのは、神学校に入るまでの転会を巡るエピソードです。教会の方々の言葉は、当時の吉田さんの戸惑いや孤独感を鮮やかに伝えてきます。「あなたは社会派みたいだから」「あなたは福音はみたいから」といった言葉は、教会という共同体の中で、個人が抱える複雑さや多様性が必ずしも受け入れられない現実を突きつけているように感じました。そんな中で、阿佐ヶ谷東教会の日高長老の祈りや柏井牧師の説教に惹かれ、受け入れられた時の安堵感は、読んでいるこちらにもじんわりと伝わってきました。

そして、タイトルにもなっている「人間音痴」のエピソード。音楽大学の講師の方を中学生と間違えてしまう場面は、思わずクスッと笑ってしまいましたが、同時に、吉田さんの人となりが表れているようにも感じました。先入観を持たず、相手をまっすぐに見ようとする純粋さ、と言えるかもしれません。

その後の、開拓伝道時代や山口の教会でのエピソードも、吉田さんの変わらない人間的な弱さと、それを受け入れてくれる人々の温かさが感じられました。「吉田牧師を騙すのはいたって簡単だ」という言葉は、少し自虐的ではありますが、裏を返せば、人を সহজে(簡単に)疑わない、誠実で優しいお人柄を表しているのではないでしょうか。

この詩全体を通して、吉田さんの正直さ、誠実さ、そして少しばかりの不器用さが伝わってきました。それは、牧師という立場でありながら、人間的な弱さを隠さずにさらけ出しているからこそ、読者の心に深く響くのだと思います。

素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございました。


2025年5月13日火曜日

笑顔


日本基督教団西中国教区の
山口のちいさな教会に赴任した. 

その庭には
駐車場のために
バラスが敷き詰められていた.

娘が
庭で遊んでいるとき
転んで怪我をした.

膝から血がにじみでていた.
そのとき
私は娘の膝を指できれいにしながら
"痛いの痛いの飛んで行け!"と言った.

すると
娘は
"おとうさん 痛いの痛いの
どこに飛んで行くの?
飛んで行ったら
他のひとが痛くなるの?" と
問いかけてきた.

それで
私は
"痛いの痛いの
おとうさんのところに
飛んでおいで!
これでいいの?"と
娘に語りかけると
"うん" と大きくうなづいて
とびっきり笑顔を見せた.

そんな娘も
今は一児の母. 

娘は
私と妻とによって
子育てされたのと
同じしかたで子育てしている.

しつけはしていない.

娘も
高校教師の娘のご主人も
ことばで諭している.

孫の顔は
いつも笑顔で満ちている.
泣いて
涙をながしているのは
できると思ってできなかったときの
くやしなみだだけだ.

できるようになったとき
涙の色は
笑顔に染まった.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。娘さんの純粋な疑問と、それに対するお父様の温かい対応が、目に浮かぶようです。

特に印象に残ったのは、娘さんの「痛いのどこに飛んで行くの?飛んで行ったら他のひとが痛くなるの?」という問いかけです。幼いながらも、痛みがなくなることの裏側にまで想像力を働かせていることに、ハッとさせられました。大人はつい「痛いの痛いの飛んで行け!」と安易に言ってしまいがちですが、娘さんの言葉は、物事の本質を考えることの大切さを教えてくれますね。

そして、お父様の「痛いの痛いの おとうさんのところに 飛んでおいで!」という言葉も、優しさに満ちていて心温まります。娘さんの不安を受け止め、自分自身が痛みを引き受けるという表現は、深い愛情を感じさせます。

最後の、娘さんがお母様になり、同じように言葉で諭して子育てをされているという描写も、親から子へと受け継がれる温かい繋がりを感じさせて、とても感動的でした。孫の笑顔がいつも満ちているという表現からは、愛情たっぷりの子育ての様子が伝わってきます。

全体を通して、娘さんの純粋な心と、それを受け止めるお父様の深い愛情が描かれていて、読んでいるうちに心が洗われるような気持ちになりました。日常の何気ない出来事の中に、こんなにも温かい物語が 숨んでいるのですね。

手を加えられたとのことですが、以前の詩もきっと素敵なものだったのでしょうね。今回の詩は、より一層、情景が目に浮かぶようになり、メッセージが深く伝わってくるように感じました。

2025年5月12日月曜日

変身

女性就業センターの
パソコン資格取得講座に
変わった女の子が入ってきた.

いくつ
会社の就職試験を受けても
落ちるという.

資格をもっていないからだと思った本人が
パソコンの資格をとるために
受講することになった.

しかし
女性就業センターの
主事・主任・事務員の方も
講師の私も
彼女が採用されてないのは
資格の有無ではないと思った.

その女の子の化粧と服装は
その当時流行りの
金太郎ルックだった.

私は
それはそれで
彼女にぴったりあっていると思った.

資格を取得したあと
主事と主任さんは
その女の子に特別指導をすることになった.
採用試験の面接の予行演習.

主任さんが
私に
"あの娘のお化粧と服装を
なんとか普通にするよう
説得してもらえないでしょうか" と
依頼してきた.

私は彼女を説得した.

"茶色に染めた頭髪の上は緑色
かわいくてきれいだね
カッパの頭みたいだけど.
あなたにぴったりの
お化粧とスタイルね.

でもね
それではいつまでたっても
就職できないから
明日の採用試験のときだけは
黒い髪に戻して
金太郎ルックの服装ではなく
リクルートの服装にして.

採用されたら
次に日に
元に戻していいから"

すると彼女は
"それって
私に嘘をつけっていうこと?
牧師さんがそんなことを言っていいの?"と
くってかかってきた.

私は
"嘘も方便というから
今回だけは
みんなの願いを聞いて"
と頼み込んだ.

彼女は
次の日
会社の採用試験と面接試験に行く前に
女性就業センターによって
頭髪とお化粧, 服装のチェックと
面接試験の受け方の復習をさせられることになった.

次の朝
私も彼女がやってくるのを
事務室で一緒に待っていた.

やってきた彼女を見て
みんな驚いた.

黒いリクルートスーツに身を包んで
頭髪は黒髪
お化粧はしないで素顔
スタイルは整っていて
まるで
モデル雑誌の中から飛び出してきた
大人の美人だった.

みんな採用試験を受けて
その結果をもって
センターに戻って来るのを待っていた.

彼女は大人の女性の笑みを浮かべて
採用試験に合格したことを
告げた.
明日から勤務することになったという.

私は
"よかったね.おめでとう!" といながら
"もうもとのあなたの姿に戻っていいよ"と
話しかけた.

すると彼女から思いがけない言葉が返ってきた.

彼女はこう言った.
"私
今日はじめて
他の人から
尊敬の眼差しで見られました.
生まれてはじめての経験です.
私はこれからは
このスタイルで行くことにしました.
もう元の姿には戻りません."

彼女は
もうひとりの
ほんとうの自分を発見したようだった.
金太郎ルックの少女スタイルから
ビジネススーツをみにまとった大人の女性に
たった一日で変身してしまった.  

女性就業センターの
主事・主任・事務員さん
そしてパソコン資格取得講座の講師である私は
娘を世の中に送り出して
安堵の思いを持つ父母の気持ちになっていた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようです。

特に印象的だったのは、彼女の変身ぶりと、それに対する周囲の温かい眼差し、そして何よりも彼女自身の内面の変化です。

最初は、就職試験に落ち続ける理由を資格の有無だと考えていた彼女が、周囲の助言と、たった一日の「変身」を通して、他者からの尊敬の眼差しを初めて受け、それが彼女自身の自己肯定感につながったという展開に、心を揺さぶられました。

「嘘も方便」という言葉には、少し複雑な思いも抱きましたが、結果として彼女が新しい自分を発見し、前向きな一歩を踏み出せたことを考えると、その時の状況においては必要なアドバイスだったのかもしれません。

金太郎ルックの少女から、自信に満ちた大人の女性へと変貌を遂げた彼女の姿は、まさに劇的で、読んでいる私も勇気づけられるようでした。そして、彼女の成長を温かく見守る女性就業センターの方々の気持ちが、親のようだという表現も、とても心に響きました。

この詩を通して、外見を変えることが、内面や生き方さえも変えるきっかけになることがあるのだと改めて感じました。そして、人が変わるためには、周囲の理解や温かいサポートが不可欠なのだということも教えてくれる、そんな感動的な詩でした。


自信回復

バブルが弾けて
地方にもその影響がではじめたとき
山口県立東部女性就業センターにも
就職できなかった大卒の女性が
職業安定所から
送り込まれてきた.

職業安定所の担当者の方から
私の講座で資格をとらせるようにとの
指示があったとか・・・.

20人の受講生のうち
その半数が大学の新卒
国立大学の九州大学・広島大学・山口大学の卒業生だった.
あとの半数は
再就職のために資格を取りに来た高卒の方々と
息子娘に高校・大学を卒業させ
子育てを終わった女性たちであった

女性就業センターの主事の方も主任の方も
"吉田先生
こんな混成の受講生で大丈夫ですか?"と
心配されていたが
私は
"牧師ですから大丈夫です.
牧師は
幼児から高齢者まで
すべての年代層に福音を語る
訓練を受けていますので・・・"と答えた.

私は
20人の受講生をひとつこころにするために
秘策を考えた.

講座の初日
彼女たちに
"私の言葉を繰り返してください"
と言った.

"鏡よ鏡 この世で一番美しいひとは誰?"

状況を飲み込めない20人の受講生は
小さな声で呟いた.
私は
"声が小さい! もっと大きな声で!"と促した.

私が真剣に話しかけていると思った
受講生はだんだん大きな声を出して
"鏡よ鏡 この世で一番美しいひとは誰?"と
語りだした.

そして 次に
"はい それは私です!" と言わせた.

受講生たちはみんな
"それは 言えない・・・" と呟いた.
それでも私は大きな声で
"はい それは私です" と言わせた.

最初恥じらい気味に呟いていた人も
"鏡よ鏡 この世で一番美しいひとは誰?
はい それは私です" と
大きな声を出すようになった.

その大きな声に
主事の方と主任の方が
何をしているのか
心配で見に来られた.

私は
"20名の受講生は
年齢も学歴もまちまちです.
この呪文で
彼女たちは共通体験を持って
ひとつになることができたのです." と答えた.

私は指導しているとき
一度も
自信喪失につながるような
否定的な言葉は使わない. 

ブラインドタッチのタイピングを指導しているとき
指の動きのぎこちない受講生の側で
耳打ちして
"あなた あたまがいいから
次にどの指でどのキーを打つか
考えているでしょう?
ブラインドタッチは
条件反射ですから
考えないで
指を動かしてください.
あなたの指をあなたの第二の頭にしてください "と
語りかけました.

短期間で
ブラインドタッチができるようになった
九州大学・広島大学・山口大学卒の
受講生たちは
"大学で こんな指導を受けることはなかったわ.
こんな指導を受けていたら
もっとはやく資格をとって就職できたのに" と
話していました.

子育てを終わった受講生の中に
山口大学教育学部を出て
学校の先生をしていた方が
講座の間 ずっと
私をアシストしてくれました.

自分の娘と同じ年代のこどもたちに対する
愛情と励ましの彼女の言葉が
同じ受講生を元気つけてくれました.

そしてめでたく全員資格をとって
就職することができました.

教育は
指導する人と指導される人の "協働" 作業です.
特に
生涯教育・職業教育においては.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。当時の状況が目に浮かぶようで、読んでいるうちに心が温かくなりました。

バブル崩壊後の厳しい社会情勢の中、それぞれの背景を持つ女性たちが集まり、資格取得を目指す姿が生き生きと描かれています。特に、新卒の大学卒業生たちが自信を失いかけていた状況が、冒頭の静かな描写から伝わってきました。

そんな中、先生のユニークな指導方法が印象的でした。「鏡よ鏡…」の呪文は、最初は戸惑いながらも、声に出していくうちに不思議な連帯感と自己肯定感を生み出したのでしょうね。まるで魔法のようです。学歴や年齢を超えて、共に目標に向かう一体感が生まれた瞬間が想像できます。

「あたまがいいから…」という言葉や、「あなたの指をあなたの第二の頭にしてください」という表現も、受講生一人ひとりの個性や可能性を認め、励ます温かい眼差しを感じました。否定的な言葉を一切使わないという先生の信念が、受講生たちの自信回復に大きく貢献したのだと思います。

また、元学校の先生をされていた方の存在も大きかったのですね。娘さんや若い世代への愛情が、他の受講生たちの心の支えになったというエピソードは、教育における人と人との繋がりの大切さを改めて教えてくれます。

そして、全員が資格を取得し就職できたという結末は、読者としても本当に嬉しい気持ちになりました。先生の言葉と受講生たちの努力、そして周りの人たちの支えが実を結んだのですね。

最後の「教育は指導する人と指導される人の "協働" 作業です」という言葉は、この詩全体のテーマを見事に表していると感じました。生涯教育や職業教育においては特に、互いを尊重し、共に成長していく姿勢が大切なのですね。

この詩を通して、先生の温かい人柄と、教育に対する深い愛情が伝わってきました。読後、私も前向きな気持ちになれました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。




     

奇跡


教会学校の
7人の生徒をつれて
高梁市巨瀬の
クリスチャンのおばあさんを
尋ねた.

夏休み
そのおばあさん宅で
夏期学校をしたとき
おばあさんは
秋に
柿が実って収穫できるようになると
電話するから
採りにおいでと言われていたので.

難波姉は
農家の屋敷を覆っている
大きな柿の木の枝を
切り落としてという.

熟した柿が
屋根に落ちる音がうるさくて
夜眠れなくなるとか.

高所恐怖症の私は
ノコギリをもって恐る恐る
柿の木に登った.

柿の木は枝が折れやすいので
登るときは注意をするように
四国の山郷育ちの
母に言われていたので
慎重に登った.

柿の木の下で
難波姉は1本の枝を切るように
語りかけて来た.

その枝は更に3本の枝に分岐していて
柿の実がいっぱいなっていた.

太くて立派な枝

私は
難波姉に語りかけた.
"柿の実が落ちると
危ないから避けて!"
といい終わらないうちに
大きな柿の木の枝が
ミシミシと音を立てて
下にいる難波姉をめがけて
落ち始めた.

悲鳴をあげたのは
難波姉ではなく
私だった,
"神さま 助けて!"

しかし
大きな柿の枝は容赦なく
難波姉の上に落ちて行った.
語る言葉もなく
私は柿の木にしがみついていた.

すると
落ちた柿の枝の間から
ひょっこり
難波姉が出てきて
"大丈夫ですよ
3本の枝の真ん中にいたみたいで
けがひとつしていないわよ"
と大きな声で
私に語りかけて来た.

私は
神さまが
私の祈りを聞いてくださったのだと思って
こころから感謝した.

教会学校の生徒たちは
リュックサックと
手提げ袋にいっぱいの柿をもって
電車に乗った.

乗客のおじさん・おばさんたちは
生徒たちに語りかけていた.
"そんなにたくさんの柿
どうしたの?"
生徒たちは口を揃えて言った.
"難波のおばあさんがくれたの"

難波孝子姉は
高梁市巨瀬の最初のクリスチャンだった.
賀川豊彦牧師の立体農法の
岡山での実践者のひとりだった.

私は度々
奇跡を経験することになった.
牧師になる前も
牧師になってからも
隠退牧師になったあとも
その都度
主なる神さま
イエスさまが共にいてくださるのだと
実感させられた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。読ませていただき、当時の情景が目に浮かぶようでした。

秋の柔らかな日差しの中、教会学校の生徒さんたちとクリスチャンのおばあ様を訪ねる心温まる場面から始まり、柿の実がたわわに実った大きな柿の木の描写が、豊穣な秋を感じさせます。

高所恐怖症でありながら、生徒さんのために勇気を出して柿の木に登る作者の心情が、慎重な描写を通して伝わってきました。そして、枝を切るように指示する難波姉と、それを心配する作者のやり取りは、二人の関係性を垣間見せるようです。

落下してきた大きな柿の枝、そして「神さま 助けて!」という叫びは、読んでいる私も息を呑むほどの緊迫感がありました。その直後の、枝の間から無傷で現れた難波姉の「大丈夫ですよ」という力強い言葉には、本当に安堵しました。作者が神様の奇跡を感じた瞬間が、鮮やかに伝わってきました。

生徒さんたちがリュックサックと手提げ袋いっぱいの柿を持って帰る様子や、乗客の方々との温かい会話からは、難波のおばあ様の優しさと、収穫の喜びが伝わってきます。

そして、難波孝子姉が地域にとって大切な存在であったこと、賀川豊彦牧師との繋がりが語られることで、この出来事の背景にある深い意味合いを感じました。

詩の最後にある、牧師として歩まれた人生の中で何度も奇跡を経験されたという言葉は、この時の体験が作者にとって忘れられない、信仰の原点のような出来事だったのだろうと感じさせます。

全体を通して、自然の美しさ、人々の温かさ、そして神様の存在を身近に感じる奇跡的な瞬間が、率直な言葉で綴られており、読者の心に深く響く詩でした。

2025年5月11日日曜日

大漁

高校1年生のとき
小学3年生のときから
ともだちの
尾崎くんが遊びにきた.

荒磯に行って
ワタリガニを取ろうと行って
その用意をしてきた.

2本のサンマの頭と
2個のボルト・ナット
2本のしぶいとと
2本の竹の棒と
1つのバケツを携えて
ふたりで海に行った.

岩と岩の間に
サンマとボルト・ナットを
糸に結びつけそっと近づけると
岩間からワタリガニが出てきて
サンマのアタマを
大きな爪で掴んだ

その瞬間
下から網ですくい上げて
バケツに入れる

その日
バケツは獲ったワタリガニで
いっぱいになった.

尾崎くんは言った.
中学1年生のときの担任の
節子先生が
ワタリガニが好きだと言ってたのを思い出して
"節子先生のところにもって行こう!"といって
ふたりで節子先生宅を尋ねた.

節子先生は
教え子が尋ねてきてくれたと
大喜び
ご主人の淳之助先生も
喜んでくださった. 

高校2年生のとき
担任になったのは
その淳之助先生だった

その荒磯は
埋め立てられて
工場の敷地になり
再び
ワタリガニを
とることができなくなった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心温まる、素敵な詩ですね。「大漁」というタイトル通り、喜びと、少しの切なさが詰まっているように感じました。

小学3年生からの友達、尾崎くんとのワタリガニ獲りの思い出が、生き生きと描かれていますね。サンマの頭とボルト・ナットという、ユニークな仕掛けも、子供たちの創意工夫を感じさせます。ワタリガニが大きな爪でサンマの頭を掴む瞬間や、バケツいっぱいのカニを獲った時の興奮が、読んでいるこちらにも伝わってきました。

そして、何よりも感動したのは、獲れたてのワタリガニを先生に届けようという、尾崎くんの優しい気持ちと、それに応えるあなたとの友情です。節子先生と淳之助先生の喜ぶ姿が目に浮かび、心が温かくなりました。先生と生徒の、素敵な繋がりを感じます。

高校2年生で、その淳之助先生が担任になったというエピソードも、偶然のようでいて、何か特別な縁を感じさせますね。

最後に、思い出の荒磯が埋め立てられてしまい、ワタリガニを獲ることができなくなったというくだりは、時の流れと、失われた風景への寂しさを感じさせます。楽しかった思い出の場所がなくなってしまうのは、とても切ないことでしょう。

この詩を通して、子供の頃の無邪気な喜び、友達との温かい絆、先生との心温まる交流、そして過ぎ去った風景への郷愁など、様々な感情が伝わってきました。大切な思い出を詩にしてくださり、ありがとうございます。私も、なんだか懐かしい気持ちになりました。

静寂

瀬戸内の
小さな入江にある
家に生まれ育った私は
ひとりでよく
荒磯に行った.

岩に押し寄せては
音を立てて崩れ
白い泡となって消えていく
波を見るのが好きだった.

あるとき
波と波との間に
静寂があるのに気づいた.

押し寄せた波が
岩に音を立てて砕け
泡となって
海の底に姿を消していく
その波と波の間に
静かな
静かな
とても静かな静寂があった.

瀬戸内の海は
とてもおしゃべりだった.
そして
とても無口であった.

瀬戸内の海の
波を見て聞いて
私があきることがないのは
海が
ほんとうの沈黙が何であるのかを
知っているからだと思った.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。「静寂」という普遍的なテーマを、瀬戸内海の具体的な風景を通して、繊細に描き出していると感じました。

特に印象的だったのは、波の音と静寂の対比です。絶えず動き、音を立てる波の合間に、ふと現れる静けさを見つけた時の、詩の中に息づく小さな驚きが、読んでいる私の心にもそっと伝わってきました。

「押し寄せた波が/岩に音を立てて砕け/泡となって/海の底に姿を消していく/その波と波の間に/静かな/静かな/とても静かな静寂があった」という部分は、まるでその瞬間の情景が目に浮かぶようです。繰り返される「静かな」という言葉が、その静けさの深さを強調しているように感じました。

また、「瀬戸内の海は/とてもおしゃべりだった./そして/とても無口であった.」という表現も、海が持つ二面性を捉えていて、興味深かったです。賑やかな波の音と、全てを包み込むような沈黙。その両方を知っている海だからこそ、「ほんとうの沈黙が何であるのかを/知っている」という結びの言葉に、深い納得感を覚えました。

荒磯で一人、波を見つめていた幼い頃のあなたの感受性の豊かさが、この詩を通して伝わってくるようです。静寂の中に、言葉にならない多くのことを感じ取っていたのでしょうね。

この詩を読ませていただき、ありがとうございました。私も瀬戸内海の静けさに、少し触れることができたような気がします。  

牧師さん,聞いて,聞いて!

部落解放同盟新南陽支部のある
被差別部落を尋ねたとき
ひとりの御婦人が
語りかけて来た.

"牧師さん, 聞いて, 聞いて!"

満面に笑みを浮かべて
うれしそうに語りかけて来た.

彼女は
結婚したあと
夫が被差別部落出身者で
新居が
被差別部落の中にあることを知った.

彼女は被差別部落出身者ではなかったけれど
"部落民" として差別を受けるようになった.

彼女は反骨精神の旺盛なひとで
"だったら部落民になってやろうではないか"と
誰よりも部落民になる努力をした.

私が
日本基督教団の牧師として
その被差別部落に出入りするようになったときも
彼女は
こころもことばもふるまいも部落民として
私の前に立ちふさがった.

あるとき
被差別部落をたずねたとき
彼女が
この上もないほどの笑顔で
私に語りかけて来た.

"牧師さん,聞いて,聞いて!"

彼女は
自分のこどもが
部落民として差別されるのではないかと
部落民であることを知らされて
自殺したりしないのかと
とても心配していた.

被差別部落の親は
部落出身であることを
子供にも隠して
部落の子どもたちに支給される
解放奨学金を受けて
こどもたちを高校・大学に進学させた.

彼女は
むすこが高校進学するとき
考えに考えた結果
息子に言った.

"高校に進学したければ
市役所の窓口に行って
'ぼくは部落民です.
解放奨学金を受けるための
手続きにきました'と
自分で申請しなさい" と. 

その日
彼女の息子さんは
市役所の窓口で
自分が部落民であることを名乗って
解放奨学金を受ける
手続きを
自分でしてきたそうだ.

彼女は思った,
これで私の息子は
こころないひとの部落差別に
負けることはない.
差別されて死ぬことはないと.

彼女の喜びは
胸から
口からほとばしり出ていた.

その喜びは
私のこころをも包みこんだ.

若干15歳の少年に
かくも厳しい部落差別の現実を
押し付ける
差別社会に怒りを覚えた.

誰も差別されない
被差別部落出身のこどもが
ひとりも差別に苦しむことのない
世の中にしなければ, と.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読ませていただき、ありがとうございます。力強いメッセージと、語り手のあなたの深い感動が伝わってきました。

特に印象的だったのは、御婦人の強烈な個性と、その息子さんへの深い愛情です。ご自身は被差別部落出身ではないにもかかわらず、「部落民になってやろうではないか」と決意された彼女の反骨精神には、心を揺さぶられました。差別という不条理な現実に対し、正面から立ち向かう強さに感銘を受けます。

そして、息子さんの将来を案じる母親としての切実な思いが、痛いほど伝わってきました。差別されるかもしれないという不安、自殺してしまうのではないかという恐れ。それらを乗り越え、息子さんに自らの出自を堂々と語らせるという決断は、どれほど勇気がいったことでしょうか。

息子さんが自ら「ぼくは部落民です」と名乗った瞬間の、御婦人の溢れんばかりの喜びが目に浮かぶようです。その喜びは、単なる奨学金を得られたことへの喜びではなく、息子さんが差別に負けない強さを手に入れたことへの、深い安堵と誇りだったのでしょう。

詩の後半で、語り手であるあなたが、15歳の少年に厳しい現実を押し付ける差別社会への怒りを表明されている点も、非常に重要だと感じました。御婦人の喜びと、社会の不条理への怒り。この二つの感情が、この詩に強い力を与えていると思います。

この詩を通して、被差別部落が抱える根深い問題、そしてそれに立ち向かう人々の強さを改めて認識しました。誰もが差別されることなく、安心して生きられる社会の実現に向けて、私たち一人ひとりが考え、行動していく必要性を強く感じました。

素晴らしい詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。


差別の軽重

部落解放同盟新南陽支部の
学習会で
障害者解放運動をされている
青い芝の会の方々との
交流会が開かれた.

ある意味
部落解放運動家と
障害者解放運動家との
差別に関する討論の場となった.

どちらの差別が
より深刻で
より根源的な差別なのか
激しい言葉が行き交うなかで

黙って彼らの話を聞いていた
ひとりの女性が
重い口を開いた.

"私は女性で
部落民で
障害者です.
女性差別と部落差別と障害者差別を受けてきました.
私の中の
どの差別が軽くて
どの差別が重いのでしょうか?"

一瞬
その場が凍りついた.
誰も
語るべき言葉を
見つけることができなかった. 

私も
語るべき言葉を
一生懸命探した.

けれども
それを見つけることができなかった.

女性差別と部落差別と障害者差別
他にもいろいろな差別がある.
それらの差別に共通しているのは
"差別" そのものだった.

その女性は
差別とはなにか
具体的な差別事象にこだわらず
その背後にある差別の本質について
それが何であるのかを
問いかけているようだった.

あるとき
その被差別部落のなかで
彼女に出会った.

彼女は私に語りかけて来た.

"牧師さんの右手
手術が成功したんですね.
指が動くようになって良かったですね.
私も高校生のとき
牧師さんと同じ手術を受けたのですが
この通り動かなくなりました."  

私は牧師であるのに
彼女の右手の障害に気がつかなかった.
しかし
彼女は私の右手の障害に気がついて
手術が成功してよかったですねと
こころからねぎらってくれた.

差別されることの痛みを知っているひとは
他者の痛みや苦しみを
思い測ることができるひとのことだと
悟った.

どのような差別も
差別事象だけにこだわらず
それを突き抜けて
差別の本質を見極めなければならないと
思わされた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読ませていただき、深く心を揺さぶられました。ありがとうございます。

まず、新南陽支部の学習会という具体的な場面設定から始まり、部落解放運動と障害者解放運動という、社会における重要な二つの運動が交わる場で、差別という普遍的なテーマが深く掘り下げられていく様子が、非常に考えさせられます。

特に、女性であり、部落民であり、障害者であるという一人の女性の言葉は、胸に突き刺さるようでした。「私の中のどの差別が軽くて、どの差別が重いのでしょうか?」という問いは、差別の本質を鋭く問いかけており、その場の凍りついたような静寂が、言葉の重みを物語っていると感じました。それぞれの差別が持つ固有の苦しみは計り知れないものであり、単純に比較することの不可能性を突きつけられたようです。

「差別とはなにか 具体的な差別事象にこだわらず その背後にある差別の本質について それが何であるのかを 問いかけているようだった」という一節は、この詩の核心だと感じました。個別の差別の形に囚われるのではなく、その根底にある人間の尊厳を傷つける構造、偏見や無理解といったものが、差別の本質であるという洞察は、非常に重要だと思います。

そして、牧師であるあなたと、同じ手術を受けたにも関わらず右手が動かなくなってしまった女性との出会いのエピソードは、さらに深い感動を覚えました。自身の障害に気づかなかったあなたに対し、相手の回復を心から喜ぶ彼女の姿は、差別されることの苦しみを知るからこそ生まれる、他者への深い共感と温かさを感じさせます。「差別されることの痛みを知っているひとは 他者の痛みや苦しみを 思い測ることができるひとのことだと 悟った」という言葉は、まさにその通りだと強く共感しました。

最後に、「どのような差別も 差別事象だけにこだわらず それを突き抜けて 差別の本質を見極めなければならないと 思わされた」という結びは、この詩全体を通して伝わってきたメッセージを力強く締めくくっています。差別の表面的な現れだけでなく、その根源にあるものを理解し、向き合っていくことの重要性を改めて認識させられました。

この詩は、差別の複雑さ、そしてその中で生きる人々の苦しみと、それでも失われない人間性の光を描き出しているように感じました。力強いメッセージが込められた、素晴らしい詩だと思います。読ませていただき、本当にありがとうございました。


差別語

ある集会で
説教をした.

そのとき
岡山の長島愛生園のキリスト者が
舌読して
聖書を読んでいる話をした.

癩病は
人間の五感が徐々に奪われていく
細菌感染症・・・.

しかし最後の最後まで失われない場所があった.
それが
舌・・・.

耳で聴くことも
目で見ることも
指で点字を読むことも
できなくなったキリスト者は
最後に残された自分の舌で
点字の聖書を読んだ.

熱心に読まれた
点字の聖書は
彼らの血に染まっていた.

それは
彼らにとって
言語を絶する試練だと思ったが
神は
最後の最後まで
人間に語りかけて
救いへと導いてくださるお方であると

そんな説教をしたとき
多くのクリスチャンから
ヤジが飛んで来た.

"あなたは差別者だ.
いまだに彼らの病気を
癩病だという.
癩病という言葉は差別語だ.
私達は
彼らを差別していないので
癩病という言葉は用いない.
ハンセン氏病と呼ぶ" 

"癩病" という"差別語" を使う私に
激しい差別糾弾の言葉が
浴びせられた.

そのとき
私は思った.
この自称・キリスト者たちは
癩病という言葉を捨てて
代わりにハンセン氏病という言葉を採用したことで
ほんとうに癩病患者に対する
偏見・差別から自らを解放しているのだろうかと.

そのとき
癩園の関係者が言った.

"私達の病気のことを
癩病とよんでくださって構いません.
癩病という言葉には
私達が味わった苦しみや悲しみが
全部詰まっています.
ハンセン氏病という
あたりさわりのない言葉に
置き換えられると
私達が味わった苦しみや悲しみも
どこかへ
忘れ去られてしまうような気がします.

大切なのは
言葉の言い換えではありません.
私達のこころを
理解してくださることです." 



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く、力強い詩ですね。読ませていただき、ありがとうございます。

この詩には、言葉の持つ複雑な力と、その背後にある人間の感情、そして社会の課題が凝縮されているように感じました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 岡山の長島愛生園のキリスト者のエピソード: 五感を奪われながらも、最後まで残った舌で聖書を読む姿は、信仰の深さと人間の内なる強さを強く感じさせます。血に染まった点字の聖書という表現は、その信仰の深さと、彼らが経験してきた苦難の大きさを物語っているようで、胸に迫ります。
  • 「差別者」という言葉の重さ: 熱心な説教をした語り手に対して、同じキリスト者から「差別者」という激しい言葉が投げかけられる場面は、言葉の持つ鋭さと、それが時に人を深く傷つける可能性を示唆していると感じました。
  • 癩園の関係者の言葉: 「癩病という言葉には、私達が味わった苦しみや悲しみが全部詰まっています」という言葉は、当事者の方々の深い思いが伝わってきて、非常に考えさせられました。言葉を変えることだけが、差別の解消に繋がるわけではないという、本質的な問いを投げかけているように感じます。
  • 「大切なのは/言葉の言い換えではありません/私達のこころを/理解してくださることです」: この一節は、この詩の最も重要なメッセージだと感じました。表面的な言葉遣いだけでなく、相手の立場に立ち、その感情や経験を理解しようとすることこそが、真の共生に繋がるのだと改めて認識させられました。

この詩を通して、言葉の表面的な意味だけでなく、その言葉が持つ歴史的な背景や、人々の感情に与える影響について深く考えさせられました。また、真の理解とは何か、差別とは何かという根源的な問いについても考えさせられる、非常に力のある作品だと感じました。


虫明の海

高校3年生のとき
Sweden Covenant Missionで
洗礼を受けて2年目

青年会で
虫明の海に浮かぶ長島にある
キリスト教会を
訪問することになった.

その島には
"癩園" が2つあった,
ひとつは軽度の患者が "収容" されている光明園
もうひとつは重度の患者が "収容" されている愛生園

映画 "小島の春" の舞台となった場所だ.

私達が尋ねたのは愛生園ではなく
光明園だった.

そのときは梅雨の時期
長島に行く山道は狭く
シトシトと雨が降るなか
くるまに乗り合わせて
桟橋についた.

私は
"癩病" と診断された人々が
あの山道を歩いて
この桟橋までたどり着いたのかと思うと
胸が張り裂ける思いがした.

梅雨の雨で
土砂が流れ込んだ
虫明の海は
黄土色に濁って
渡し船がつくる航跡も
水の泡も黄色だった.

私達は
光明園の方々の暮らす
部屋を紹介してもらって
その話をお聞きした.

そして
日本基督教団光明園家族教会で
光明園のキリスト者と一緒に
礼拝を守った.

その礼拝堂の中に
20cmほどの高さの仕切りがあった.
癩病にかかったキリスト者と
そうでないキリスト者の間を
隔てる仕切り・・・.

簡単にまたいで乗り越える仕切りなのに
心理的には乗り越えがたい
大きな障壁であると感じた.

私は病院で臨床病理検査に従事していたが
私の職務は
一般検査と細菌学的検査だった.
あるとき
乳飲み子を抱いたおかあさんから
癩菌を検出した.

そのとき
あの虫明の海のことを思い出した.
このおかあさんも
乳飲み子と引き裂かれて
あの癩園に送られるのだろうか?

私はそのおかあさんの骨髄液から
癩菌を検出したことに罪悪感を覚えた.

心配して
看護婦長さんにそのことを話すと
婦長さんは
"それは違います.
あなたがはやく癩菌を見つけたことで
早期治療ができるようになったのですから
あのおかあさんはきっと助かります."
と言った.

"それでも, 長島に送られるのでは?"と
問いかけると
婦長さんは
"そんなことはさせません. 
乳飲み子と引き離して
おかあさんを癩園に送るなんて
そんなこと
人間としてできません!"といって
医師に代わって
保健所と交渉して
通院治療を認めさせた.

その看護婦長さんは
ほんとうに
看護婦のなかの看護婦さんだった.

私が勤めていた病院の
臨床病理の先生は
"抗酸菌には2種類ある. 
ひとつは結核菌
もうひとつは癩菌
どちらも同じ菌なので
結核予防の注射が癩病予防につながった.
日本から癩病患者激減した" と話していた.

そして
こんな荒っぽい説を展開した.
"体の中が癩になったのを結核といい
体の外が結核になったのを癩という" と.

日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校に入る前
Sweden Covenant Missionの日本人牧師から
岡山のCLCで1年間奉仕して
岡山・鳥取の両県と兵庫県の西にある
すべての教会をまわって
尊敬できる牧師にであったら
その牧師が出た神学校に行ったほうがいいと
すすめられた.

そのキリスト教書店のCLC岡山店には
月1回
あの虫明の海を
船で渡って
光明園家族教会の信徒の方々がやってきて
信仰書や神学書を買って行かれた.
そのときいろいろな話を
お伺いすることができた.

神学校を卒業して
日本基督教団の牧師になったとき
どのような教会に派遣されるのか
私は
主なる神さまに
すべてを委ねることにした.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く響く、素晴らしい詩ですね。高校生の頃の純粋な想いと、その後の人生における深い学びや葛藤が、虫明の海の風景と共に鮮やかに描き出されています。読ませていただき、様々な感情が湧き上がってきました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

虫明の海の描写: 梅雨の雨で濁った黄土色の海、渡し船の航跡や水の泡まで黄色に染まっている様子が、当時のあなたの心情と重なり、陰鬱でありながらもどこか忘れられない光景として目に浮かびます。「胸が張り裂ける思いがした」という率直な言葉が、読者の心にも強く響きます。

礼拝堂の仕切り: 目に見える物理的な隔たりは小さいのに、心理的な距離は大きいという感覚は、差別や偏見の根深さを象徴しているように感じました。簡単に乗り越えられるはずの仕切りが、信仰を共にする人々を隔てているという事実に、深い悲しみと疑問を感じられたことでしょう。

癩菌検出の場面: 臨床病理検査に従事されていた頃のエピソードは、詩に具体的な出来事と感情の動きをもたらしています。乳飲み子を抱いた母親から癩菌を検出した時の罪悪感、そして看護婦長さんの温かい言葉と行動に救われた経験は、人間の尊厳や優しさ、そして職業倫理について深く考えさせられます。看護婦長さんの「人間としてできません!」という言葉には、強い信念と愛情が感じられ、感動しました。

先生の荒っぽい説: 「体の中が籟になったのを結核といい 体の外が結核になったのを籟という」という説は、医学的な正確性はともかくとして、病に対する当時の認識や、病名による区別の曖昧さ、そして偏見の根源を示唆しているようで興味深いです。

CLC岡山店での出会い: 光明園の方々との交流を通して、信仰を深め、様々な話を聞かれた経験は、あなたの牧師としての道を志す上で大きな影響を与えたことでしょう。虫明の海を船で渡って来られる方々の姿を通して、あなたはどのようなことを感じ、学ばれたのでしょうか。

この詩全体を通して、病気や差別といった重いテーマが扱われていますが、その中に人間の優しさや信仰の光、そして未来への希望が感じられます。高校生の頃の純粋な疑問や感情が、その後の人生経験を通してより深く掘り下げられ、昇華されているように感じました。


この詩を読ませていただけたこと、心より感謝いたします。



2025年5月10日土曜日

ある鑑別試験

ある薬品会社から
開発中の試薬の
テストを頼まれた
臨床病理の先生から
そのテストの協力を求められた.

それは
処女鑑別試験・・・.

女性の体の中には
精子は存在しない.
女性にとって精子は
異種蛋白になるので
女性の体の中に精子が入ると
抗原である精子に対して
抗体ができる,
その抗体を検出するための試薬の試験・・・.

その試験の被験者は
私が勤めていた
某医学研究所の附属病院の
看護婦と看護学生全員.

彼女たちに内緒で行われた
処女鑑別試験で
陰性であったのは
看護婦長さんと
看護主任さんだけ・・・.
あとは全員
陽性で
体内に精子を受け入れたことがあるという
おそるべき結果になった.

私は
臨床病理の先生に尋ねた.
"この試薬は
誰のために
何のために開発されているのですか?"

すると彼は答えた.
"医師のためだ!
自分の息子の嫁を選ぶときの
判定材料にするためだ"

私は
それ以後
なにごとにつけても
パンドラの箱を開けることはなかった.
パンドラの箱を開けると
ろくなことはない.

私は
人を見るとき
"信頼"・"誠実" という
オブラートに包んで
見ることにした.  

"科学的"・"医学的" ものの見方の中に
人間としての不真実があるのを
知ったので・・・.


その試薬は開発中止になった.
いたるところから抗議されて.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

 衝撃的な内容の詩ですね。読ませていただき、言葉を失いました。

「処女鑑別試験」という言葉の持つ重みに、まず息が詰まります。女性の体内にできた精子に対する抗体を検出するという試験内容も、倫理的に大きな問題を孕んでいると感じます。

そして、その試験の対象が、詩を書かれた方が勤務する病院の看護婦と看護学生全員だったという事実に、強い衝撃を受けました。陰性だったのが看護婦長さんと看護主任さんだけという結果は、まさに「おそるべき結果」であり、言葉が見つかりません。

臨床病理の先生の「医師のためだ!自分の息子の嫁を選ぶときの判定材料にするためだ」という言葉は、さらに衝撃的です。科学や医学が、このような目的で利用されることへの強い憤りを覚えます。

詩の後半で、「パンドラの箱を開けることはなかった」と述べられているように、この出来事は詩を書かれた方にとって、非常に大きな心の傷となったのではないでしょうか。「科学的・医学的ものの見方の中に人間としての不真実があるのを認識したので」という言葉には、深い失望と諦念が感じられます。

最後に、その試薬が開発中止になったことは、当然の結果だと思います。多くの人がこの試験の非倫理性に気づき、抗議したことでしょう。

この詩は、科学技術の進歩と倫理観の欠如がもたらす恐ろしさ、そして人間関係における信頼や誠実さの重要性を、痛烈に訴えかけているように感じました。共有してくださり、ありがとうございました。

最悪の悪戯

あるとき
臨床病理の先生が言った.
"副院長のところに
この検査結果を持っていってくれ.
緊急を要する案件だ."

私は
副院長のいる診察室を
ノックして中に入った.

すると
キャアという女性の声が
診察室の中に響き渡った.
7~8人の
私が出た高校の
先輩・同輩・後輩が
診察を受けるために
上半身裸になっていたが
一斉に胸を隠した.

私は
臨床病理の先生から
至急
検査結果を持って行くように
言われたと告げて
すぐ
某銀行の女性行員の
健康診断をしている
副院長の診察室を出て行った.

私が出た高校の
先輩・同輩・後輩から
"変態" だとおもわれなかったかと
心配しながら・・・.

臨床病理の先生のところに
報告に行ったところ
彼は言った.

"君はまじめだから
高校の同級生の女の子の裸
見たことがないんだろう?
だから
一度見せてやろうと思って.
どうだ 見たか?"

私は答えた
"そんなゆとりはありません.
これで私は
高校の
先輩・同輩・後輩から
完全に変態扱いされますよね"   

臨床病理の先生は
腹を抱えて笑っていた.
"毎日検査室に閉じこもって
試験管を振って
顕微鏡をのぞいていたら
面白くないだろう?
気分転換させてやろうと
思ったんだ!" 

私は
そうでなくても
高校で成績がよくて
きれいな
先輩・同輩・後輩の
尿・便・血液の検査をして
気が動転しているというのに・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

これは、なんとも……言葉が見つからないほどの、強烈な詩ですね!まさしく「最悪の悪戯」というタイトルがぴったりです。

状況が目に浮かぶようで、読んでいてドキドキしました。緊急の検査結果を届けに行っただけなのに、まさかそのような場面に遭遇するとは……。先輩・同輩・後輩の方々の驚きや戸惑い、そして詩を書かれた方の心中を察すると、いたたまれない気持ちになります。

「変態だと思われなかったかと心配しながら」という一節には、真面目な人柄が滲み出ています。それだけに、臨床病理の先生の悪戯の酷さが際立ちます。

先生の「君はまじめだから~一度見せてやろうと思って。どうだ 見たか?」という言葉には、唖然としました。人の気持ちを全く考えていない、信じられない行動です。「そんなゆとりはありません。これで私は高校の先輩・同輩・後輩から完全に変態扱いされますよね」という詩を書かれた方の言葉が、重く響きます。

先生が腹を抱えて笑っている様子を読むと、怒りすら覚えます。「気分転換させてやろうと思ったんだ!」という言い訳も、全く理解できません。

最後の「そうでなくても~気が動転しているというのに・・・」という叫びにも似た言葉には、日頃の業務への真摯な取り組みと、今回の出来事による混乱が痛いほど伝わってきます。

この詩は、悪意のない(と先生は思っているのかもしれませんが)悪戯が、人にどれほどの精神的な苦痛を与えるかを 強烈に訴えかけているように感じました。読後、しばらく言葉を失ってしまいました。共有してくださり、ありがとうございました。

骨美人

 臨床病理の先生が
1枚の頭部のレントゲン写真をみながら
なにやら呟いていた.

私はその先生に尋ねた.
"先生は何を見て
そんなに感心しているんですか?"

すると先生は言った.
"こういうのを
骨美人と言うんだ.
君も伴侶を持つときは
こういう骨美人と結婚した方がいい.
一生病気をしない伴侶と
暮らすことができる"

私は
彼に問いかけた.
"先生も奥さんと結婚されるとき
骨美人かどうか
確認されたのですか?"

先生は言った,
"もちろん!"

あるとき
その先生から
モダンジャズの新しいレコードと
美味しいコーヒー豆が入ったから
今度休日に遊びにこないかと
さそわれ
先生宅を尋ねた.

私を迎えてくれた
先生の奥さんは
とびっきりの美人だった.

そのとき私は思った.
これでは
美人と野獣ではないか!

野獣のように見える先生が
なんでこんな美人の奥さんと
結婚することができたのか
もうひとつ
謎が増えた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

クスッと笑ってしまうような、ユーモアあふれる素敵な詩ですね!臨床病理の先生と詩を書かれた方のやり取りが、まるでコントのようで面白いです。

特に、「骨美人」という独特の表現が強烈なインパクトを与えます。レントゲン写真から美しさを見出す先生の視点もユニークですし、それを真顔で勧める様子が想像できて、思わず笑ってしまいました。

先生に「奥さんも骨美人かどうか確認されたのですか?」と問いかける場面や、先生の奥様が「とびっきりの美人」だった時の驚きと疑問が、詩にさらに奥行きを与えています。「美人と野獣ではないか!」という率直な感想には、詩を書かれた方の人間味あふれるお人柄が表れているように感じました。

モダンジャズのレコードと美味しいコーヒー豆のお誘いという、温かいエピソードも良いですね。先生の意外な一面が垣間見え、親近感が湧きます。

この詩は、日常の何気ない会話や出来事の中に潜む面白さや、人の外見からは想像もできない内面や関係性があることを教えてくれるようです。読後感がとても軽やかで、心が和みました。ありがとうございました!



この世の中で一番美しいもの

高校を卒業して
大学進学が許されなかった
私は
某医学研究所付属病院で
臨床病理検査に従事していた.

そのとき
眼科の
生体顕微鏡で
私と同じ教会の
教会員のむすめさんの
水晶体を見た.

そこには
私がこの世の中で見た
最も美しい世界が
広がっていた.

コロイド状の
半透明の
奥深い世界, 
小宇宙が広がっていた.

そのとき
私は思った.
人間は
こんなに美しい世界を
与えられているのに
どうして
罪を犯すのだろうか, と.

そしてまた思った.
罪を犯す
どんな人間にも
この美しい世界が
内在しているのだと.

生体顕微鏡が
映し出した世界は
人間に対する
私の視点・視角・視座を
大きく変えてしまった.

どんな人間も
神の被造物として
美しさがみなぎっていると.

いかなる理由があっても
その美しさを破壊してはならないと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文


素敵な詩ですね。読ませていただき、心が深く揺さぶられました。

高校卒業後の進路、そして臨床病理検査というお仕事を通して、眼科の生体顕微鏡で出会った教会員の娘さんの水晶体の美しさ。その時の驚きと感動が、言葉を通して鮮やかに伝わってきました。

特に印象的だったのは、水晶体の奥深さを「小宇宙」と表現された部分です。半透明でコロイド状という具体的な描写も、その神秘的な美しさを想像させます。

そして、その美しさを見たときに抱かれた二つの問い。「こんなに美しい世界を与えられているのに、どうして罪を犯すのだろうか」という問いには、人間の持つ光と影、その葛藤が凝縮されているように感じました。続く「罪を犯すどんな人間にも、この美しい世界が内在しているのだと」という気づきは、人間の本質に対する深い洞察を示唆していると思います。

生体顕微鏡を通して見えた小さな世界が、詩を書かれた方の人間観を大きく変えたというくだりは、非常に力強いメッセージを持っています。「神の被造物として美しさがみなぎっている」「その美しさを破壊してはならない」という言葉には、生命への深い畏敬の念と、人間存在への温かいまなざしを感じました。

この詩を通して、私も改めて、身近にある美しさ、そして人間一人ひとりが持つ内なる美しさに気づかされました。本当にありがとうございました。   



フグの子はフグ

妻とふたりで
よく光市室積の象鼻ヶ岬に行った.

そこはフグの
産卵場所・・・.

卵から孵った
10mm 程度の
ちいさなちいさな
ふぐの稚魚が
波打ち際にいっぱい泳いでいた.

妻は
手のひらに掬って
フグのあかちゃんを
観察して大きな声を上げた.

"あなた
見てみて!
こんなちいさなフグなのに
大人のフグとおなじように
お腹を膨らませてるわ!
フグの子はフグなのね!" 

東北福島の山国育ちの妻は
海を見ると
いつも怖がっていたが
生まれたばかりのフグが
象鼻ヶ岬の磯浜で
泳ぐ姿を見て
すっかり海がすきになった.

南の瀬戸内海も
西の玄海灘も
北の日本海も
本州の西の半島である
山口の海に恋しはじめた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。奥様への愛情と、海辺の情景、そして小さなフグの生命力が伝わってきて、心が温かくなりました。

特に印象に残ったのは、以下の点です。

  • 具体的な描写: 光市室積の象鼻ヶ岬という場所が具体的に示され、そこで見たフグの稚魚の様子が「10mm程度」「ちいさなちいさな」という言葉で、ありありと目に浮かびます。波打ち際で泳ぐ稚魚の群れの様子も想像力を掻き立てられます。
  • 奥様の驚きと発見: 手のひらに掬ったフグの赤ちゃんが、小さな体で大人と同じようにお腹を膨らませる様子を見て、奥様が驚き、感動する様子が生き生きと描かれています。「フグの子はフグなのね!」という言葉には、生命の神秘に対する素直な驚きと喜びが溢れていますね。
  • 奥様の変化: 東北の山国育ちで海を怖がっていた奥様が、小さなフグの姿を通して海を好きになっていくという心の変化が、自然な流れで描かれていて、読者の心にじんわりと響きます。海への恋心が、瀬戸内海、玄海灘、日本海といった具体的な地名とともに表現されていることで、その深まりが伝わってきます。
  • タイトルと内容の一致: タイトルである「フグの子はフグ」というシンプルな言葉が、詩全体のテーマを見事に表しています。小さな生命の中に、確かに受け継がれている命の力強さを感じさせてくれます。

全体として、夫婦の穏やかな時間と、小さな発見から生まれる喜び、そして奥様の心境の変化が、優しく温かい言葉で綴られた素晴らしい詩だと感じました。読んでいるうちに、私も象鼻ヶ岬の海辺で、小さなフグの稚魚を探してみたくなりました。


作法

神学校に入る前
Sweden Covenant Missionの教会の
婦人会が
ある決断をした.

"どこの馬の骨か分からない
貧乏人の息子は
親から
礼儀作法を教えてもらっていない.

東京の教会に行って
恥をかいてはかわいそうだから
礼儀作法をきちんと教えておかなければ・・・" 

それで
私は
和室の襖のあけかた
畳の部屋の歩き方
茶道のこころえとお茶の飲み方
花の活け方などの
作法教育を受けることになった.
まるで "花嫁修業"

Sweden Covenant Missionの教会は
江戸時代の備前藩の
味野村大庄屋・荻野家の
茶室が3部屋もある
広大な日本屋敷だった.

その茶室のひとつは
本格的な茶室だった.

秋の月見会のときは
お琴の生演奏がなされるなか
盛大なお茶会が開催された.

しかし
鶴川学院農村伝道神学校で
勉学している間
神奈川教区の開拓伝道に従事しているとき
西中国教区の山口県の教会の牧師をしているときも
その作法を生かす場面は皆無だった.

茶室をもっている教会も
教会員の屋敷もなかった.

神学校5年生
最終学年の年
夏期伝道先は
日本基督教団阿佐ヶ谷東教会だった.

そのとき
青年会のメンバーのひとりのおかあさんから
食事の招待を受けた.

通された和室には
座卓の前に
大きな頭のついた
ベンガル虎の毛皮が敷かれていた.

そのおかあさんは
"どうぞ
その毛皮の上に
おすわりください" と言った.

私は
"こんな立派な虎の毛皮の上に
どう座ればいいのか
作法を知らないんですが・・・" と
言葉を返すと
"普通にすわればいいのですよ"と言った.

その虎の毛皮は
ご主人がビルマ駐在大使をして
任期を迎えて
帰国しなければならなくなったとき
ビルマ国王から記念にいただいたものだという.

出された食事は
ビルマ料理だった.

私の人生の中で出会った
最も社会的に地位の高かったひとは
このビルマ駐在大使御婦人だった.

私は
作法にこだわらない彼女に
絶大な尊敬の念を抱くことになった.

神学校を卒業後
神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき
根本博著 "夜の旅" が贈られてきた.
ひとつの栞を添えて.

"博の遺稿集に思い出の記をそえて
ささやかな本を出版したしました.
ご笑覧いただけましたら幸せに存じます.
根本百合子" 

"夜の旅" は
私の座右の本になった.
ビルマ駐在大使夫人と
あのベンガル虎の敷物の思い出とともに.

日本基督教団の牧師として
私の "夜の旅" を続けるときの
道標になった.


 Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心に深く染み入る、素晴らしい詩ですね。情景が目に浮かぶようで、当時のあなたの戸惑いや、その後の人生における気づきが鮮やかに伝わってきました。

特に印象的だったのは、Sweden Covenant Missionの教会での作法教育と、阿佐ヶ谷東教会でのベンガル虎の毛皮のエピソードの対比です。

前半では、教会の方々の温かい心遣いと、それに応えようと作法を学ぶあなたの真摯な姿が描かれています。まるで花嫁修業のようだったという表現には、少しユーモラスな響きもありつつ、当時のあなたの複雑な心境が表れているように感じました。広大な日本屋敷や本格的な茶室、月見のお茶会といった描写からは、当時の豊かな文化や教会の雰囲気が伝わってきます。

しかし、神学校での生活やその後の伝道生活では、学んだ作法が生かされる場面が全くなかったというくだりは、少し切なくもあり、人生の予期せぬ展開を示唆しているようにも感じられました。

そして、阿佐ヶ谷東教会でのベンガル虎の毛皮のエピソードは、まさにこの詩の核心だと感じました。立派な毛皮にどう座ればいいのか戸惑うあなたに対し、「普通にすわればいいのですよ」と優しく語りかける大使夫人の言葉は、作法という形式よりも、もっと本質的な人間としての在り方を教えてくれているようです。ビルマ国王からの贈り物である虎の毛皮もさることながら、その言葉と、ビルマ料理という異文化との出会いが、あなたの価値観に大きな影響を与えたことが強く伝わってきました。

作法にこだわらない大使夫人への「絶大な尊敬の念」という言葉には、形式にとらわれず、相手を尊重し、自然体で生きることの美しさが凝縮されているように思います。

最後に登場する根本博著「夜の旅」と、その奥様からの温かいメッセージは、この詩に深みと広がりを与えています。作法を学んだ教会での経験、大使夫人との出会い、そして「夜の旅」との出会いが、牧師としてのあなたの「夜の旅」の道標となったのですね。ベンガル虎の敷物の思い出と共に、という一文が、大使夫人との出会いがあなたの人生においていかに重要な出来事だったかを物語っていると感じました。

この詩を通して、形式的な作法も大切かもしれませんが、それ以上に、相手を思いやる心や、状況に応じて柔軟に対応することの大切さを改めて教えられた気がします。あなたの人生の歩みが、この短い詩の中に凝縮されており、読後、静かな感動に包まれました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

あなたの言葉から、当時の情景や感情が鮮やかに伝わり、深く感銘を受けました。この詩が、あなたの人生における大切な瞬間を捉えた宝物のようなものであることが、ひしひしと伝わってきました。

もしよろしければ、この詩にまつわるエピソードや、書かれた当時の思いなど、もう少しお聞かせいただけますでしょうか?もちろん、話したくない場合は遠慮なくおっしゃってください。

これからも、あなたの言葉に触れる機会があれば、とても嬉しく思います。


私の返事

"夜の旅" には,第二次世界大戦中の欧州の夜の姿が描かれています. 戦争による灯火管制が敷かれた欧州の暗闇の大地の中で,3つの都市だけが明かりに包まれていた. ストックホルムとマドリットとリスボン・・・.外交官として全世界を渡り歩いた根本博さんの平和を願う祈りは私の祈りにつながっています.


Googleの人工知能Geminiさんのさらなる感想

深い洞察をありがとうございます。「夜の旅」が第二次世界大戦下のヨーロッパの暗闇を描き出し、その中で灯りを保っていたのがストックホルム、マドリッド、リスボンという中立都市だったのですね。灯火管制下の暗闇と、希望の光のような3つの都市の対比は、まさに平和への渇望を象徴しているようです。

外交官として世界各地を歩かれた根本博さんの、戦争の悲惨さを肌で感じたからこその平和への祈り。それが、あなたの祈りと深く繋がっているというお話に、胸を打たれました。

作法を学んだ教会、ベンガル虎の毛皮との出会い、そして「夜の旅」との出会い。一見すると繋がりがないように見える出来事が、あなたの内面で深く結びつき、牧師としての道を照らす灯火となっているのですね。

根本博さんの平和への祈りは、現代においても色褪せることなく、私たちに深い問いかけを与えてくれます。あなたの言葉を通して、「夜の旅」という書物が、単なる戦時下の記録ではなく、普遍的な平和への願いが込められた書物なのだと改めて感じました。

あなたの「夜の旅」が、これからも多くの人々の心に光を灯し続けることを願っています。


2025年5月9日金曜日

流木

あるとき
山口県光市室積にある
象鼻ヶ岬に
写真を撮りに行った.

300円カメラ我楽多市で
税込309円で入手した
オリンパスの一眼レフ
OM1をもって

そのとき
300円カメラ我楽多市で知り合った
写真マニアの方に出会った.

"何を撮っておられるのですか?"と
尋ねるとこんな言葉が返って来た.

"流木・・・.
この象鼻ヶ岬には,
豊後水道を通って南の国から,
下関海峡を通って北の国から,
いろいろなものが流れついてくる.
そのなかでも流木は
潮と波に洗われて
時の流れが刻印されている.
私はずっと流木だけを
追いかけている.
椰子の実や
北前船の破片を拾ったこともある" .

流木には
人生と歴史の
ロマンがあるそうだ.

ひとつのことを
徹底して追いかける
カメラマンの姿に
私は
多くのことを学んだ.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

Googleの人工知能Geminiです。この度は、あなたの詩「流木」を読ませていただき、ありがとうございます。

この詩を読んで、私は静かで深い感動を覚えました。象鼻ヶ岬の風景、そこで出会った写真マニアの方、そして「流木」という存在を通して、様々な感情や思考が湧き上がってきました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 情景描写の鮮やかさ: 山口県光市室積、象鼻ヶ岬という具体的な場所が示されることで、読者はその場に立っているかのような感覚を覚えます。OM1を手に写真を撮るあなたの姿も目に浮かぶようです。
  • 出会いの偶然性と深み: 300円カメラ我楽多市での出会いが、象鼻ヶ岬での再会につながるという偶然性に、不思議な縁を感じました。そして、その写真マニアの方の言葉一つひとつが、流木に対する深い愛情と哲学を感じさせます。
  • 流木への新たな視点: 詩を読ませていただくまで、私は流木を単なる漂流物としか思っていませんでした。しかし、写真マニアの方の「潮と波に洗われて 時の流れが刻印されている」という言葉や、「人生と歴史の ロマンがある」という表現によって、流木が持つ重層的な意味に気づかされました。
  • 徹底的に追いかける姿勢: 一つのテーマを追い続けるカメラマンの姿は、情熱的であり、同時に孤独な探求者のようにも感じられました。その姿から、何かを深く追求することの尊さや、新たな発見があることを教えられた気がします。
  • 学びと気づき: カメラマンとの出会いを通して、「多くのことを学んだ」というあなたの言葉が、この詩の核心にあるように感じました。短い詩の中に、深い学びと感動が凝縮されていることに感銘を受けました。

この詩は、単に風景を描写するだけでなく、人との出会いや、物事に対する新たな視点、そして探求することの意義など、多くの示唆を与えてくれます。読後、私も流木を見つめ、その背景にある物語に思いを馳せてみたくなるような、そんな力を持つ詩だと感じました。

素晴らしい詩をありがとうございました。


一眼レフカメラ

教会書記の方が
"牧師さん
一眼レフのカメラを買いに行こう" という.

私が
"そんな経済的ゆとりはない"と答えると
彼は
"カメラのキタムラで
300円カメラ我楽多市"をしていると言う.

彼の話しでは
カメラがデジタル化したため
下取りした
まだ使える
アナログカメラを
税込み309円で大放出していると言う.

300円カメラ我楽多市は
男のバーゲンセール会場となった.
大きな段ボールに無造作に入れられた
一眼レフを
目の色を変えて
つかみ取りしていく.

店長さんが
"今日は掘り出し物が1台あります.
未使用の展示品の一眼レフ
オリンパスのOM1です" と
アナウンスしていたが

そのOM1
私の手の中に・・・. 

300円カメラ我楽多市に集まった
カメラマニアの方々から
祝福を受けた.
"未使用の一眼レフを300円で
入手できただなんて
よかったですね"

私はOM1だけを手元に残して
その他の一眼レフは他の方々に譲った.
"このフジカの一眼レフもらっていいの?"
"これニコンの一眼レフだよ. ほんとうにもらっていいの?" 
と言われたけれど

私はカメラ音痴なので
カメラの価値を知らなかった.

一緒に行った教会役員の方は
"牧師さんらしいですね"と
手にいっぱい一眼レフを抱えて
喜んでいた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようで、心が温かくなりました。

特に印象的だったのは、以下の点です。

  • 日常の中のユーモア: 教会書記の方とのやり取りや、「男のバーゲンセール会場」という表現にクスッと笑ってしまいました。300円カメラ我楽多市というネーミングも面白いですね。
  • 予期せぬ幸運: まさか未使用のオリンパスOM1が手に入るとは!その時の驚きと喜びが伝わってきました。
  • 牧師さんのお人柄: ご自身はカメラに詳しくないにも関わらず、手に入れたカメラを他の人に譲ってしまう優しさに感銘を受けました。「牧師さんらしいですね」という言葉が全てを物語っているように感じます。
  • アナログカメラへの愛着: デジタル化が進む中で、まだ使えるアナログカメラが大切に扱われている様子が描かれていて、少し懐かしい気持ちになりました。

全体を通して、ささやかな日常の中に潜む喜びや、人の温かさが感じられる、とても素敵な詩だと感じました。読後感がとても心地よいです。


2025年5月8日木曜日

宗教嫌い

私は
宗教が嫌いだ.

こどものころ
父の仕事が行き詰まり
倒産した.

それからは
父と母は
貧困と病気に
入れ代わり立ち代わり
襲われて生活も大変だった.

差し押さえをされて
何もなくなった家のなかで
差し押さえを免れたものがあった.

それは
祖父がそのふるさと
信州で宿坊を開くことを夢見て
集めていた多くの仏像

父は
失明の危機に直面して
眼病に霊験あらたかと言われる
神社仏閣を尋ね
路傍の名もなき石仏にも
手をあわせて祈願した.

生まれたときから
体の弱かった
私を連れて・・・.

父は
自分の苦しみからの解放のみを求めて
私のからだの痛みや苦しみを
理解するこころのゆとりを
見失っていた.

あるとき
新興宗教の祈祷師を尋ねた.
祖父が集めた
荘厳な仏像一体を持って.

そのとき
祈祷師のおばさんは
とても喜んで
仏壇のなかの本尊を
無造作に取り出して
父がもっていった仏像と取り替え
そして言った

"今日から
この仏像を本尊にします."

小学生になったばかりの私だったが
"このおばさんはなんなんだろう?
大切な本尊を
簡単に取り替えるなんて・・・"

父の宗教狂いが激しくなるにつれて
倒産して貧しい我が家が
更に貧しくなっていった.

そしてついに
父祖が集めた仏像のすべてがなくなったが
父の視力はほとんど回復することなく
1級の視覚障害者のままだった.

私は
宗教が大嫌いになった. 
20歳になっても
30歳になっても
40歳になっても
そして
日本基督教団の牧師になってからも
宗教は大嫌いのままだ.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

力強い詩ですね。率直な言葉で綴られた「宗教嫌い」という感情の深さと、その背景にある具体的な出来事が、読んでいる私の心に深く突き刺さりました。


子供の頃の経済的な苦しみ、ご両親の病気、差し押さえという過酷な状況の中で、唯一残った祖父の仏像。それらが、お父様の信仰によって失われていく過程は、痛ましいほどです。特に、眼病に苦しむお父様が、幼いあなたを連れて神社仏閣を巡り、路傍の石仏にまで祈る姿は、藁にもすがる思いだったのでしょうが、同時に、あなたの体の弱さや苦しみへの配慮が失われていたという描写が、胸を締め付けます。

新興宗教の祈祷師との出会いの場面は、鮮烈です。大切な仏像が軽々と取り替えられる様子は、子供ながらに感じたあなたの疑問や不信感を、ありありと伝えてきます。「このおばさんはなんなんだろう?」という純粋な問いかけは、宗教の持つ側面に対する根源的な問いのようにも感じられます。

お父様の宗教への傾倒が、家庭をさらに貧しくしていくという現実、そして、多くの仏像が失われたにもかかわらず、視力が回復しなかったという結末は、あなたの「宗教嫌い」という感情に、深い納得感を与えます。

そして、最後に、日本基督教団の牧師になった今でも「宗教は大嫌いのままだ」と断言される言葉には、衝撃と同時に、あなたの抱える葛藤や、それでもなお信仰の道を選んだという複雑な思いが凝縮されているように感じました。

この詩を通して、宗教というものが、時に人を救うどころか、傷つけ、奪い去る力を持つことがあるという現実を、改めて考えさせられました。あなたの個人的な経験から生まれたこの強い感情は、多くの人に共感と問いかけを与えるのではないでしょうか。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

祈り

漁船から
海の底へ
鉛のついた釣り糸を下ろす

一尋, 二尋, 三尋・・・,
やがて
コツンと音がする.

別に音が
直接私の耳元に聞こえて来るわけではないが
釣り糸を伝って
指を伝って
私の耳元に響いて来る.

音がしてから
少しく鉛を上げて
メバルが食いつくのを
待つ

ククッ, ククッ, ククッと
餌にくいついたメバルが
海のそこで
慌てふためく.

別にそんな
メバルの声が聞こえたり見たりしたわけではないが
海の底に垂らした1本の釣り糸を通して
魚の世界のできごとを教えてくれる.

祈りは
釣り糸・・・
細い, 細い釣り糸・・・
その細い釣り糸を通して

主イエスさまは
ひとの悲しみ, 苦しみ, 闘いの声に
耳を傾けてくださる.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。「祈り」というタイトルが、読み進めるにつれて深く心に響いてきました。

漁船から釣り糸を垂らすという日常的な光景から始まり、海の底の様子が、まるで自分の指先を通して伝わってくるかのように感じられました。音のないはずの海底の出来事が、釣り糸を通して鮮やかに想像できる表現が素晴らしいです。

特に、「ククッ, ククッ, ククッと/餌にくいついたメバルが/海のそこで/慌てふためく」という部分は、短い言葉でメバルの動きや生命感が伝わってきて、引き込まれました。

そして、そこから一転して「祈り」へと繋がる展開が、この詩の最も印象的なところです。細い釣り糸が、海の底と漁師を結びつけるように、目には見えないけれど確かに繋がっている祈りの力を感じさせてくれます。

「主イエスさまは/ひとの悲しみ, 苦しみ, 闘いの声に/耳を傾けてくださる」という最後の部分は、静かで力強いメッセージとして心に残りました。日常の行為の中に、深い信仰心と普遍的な祈りの姿を見出す視点が素晴らしいです。

全体を通して、繊細な感性と、それを表現する言葉の力が光る詩だと感じました。読んでいる間、静かで深い海の中にいるような気持ちになりました。

ガリラヤの海辺で

ガリラヤの海辺で
主イエスさまは
弟子たちに
語りかけられた.

"子たちよ
何か食べるものがあるか" 

弟子たちは
"ありません" と答えた.

主イエスさまは
自ら炭火を起こし
魚を焼いて
パンと一緒に
弟子たちに与えた.

主イエスさまは
人の貧しさや
悲しさが
分からないお方ではない.
弟子たちの置かれた状態を
誰よりもよく理解し
その欠けを補ってくださる.

瀬戸の海辺に立って
海を見つめていると
主イエスさまの
声が聞こえてくるような
気がする.

"子たちよ
何か食べるものがあるか" 

私が生まれ育った
岡山県児島郡琴浦町の海は
私にとって
主イエスさまが共にいてくださる
ガリラヤの海だった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

心温まる、美しい詩ですね。ガリラヤの海辺の情景が目に浮かぶようです。

特に印象的だったのは、主イエスさまの弟子たちへの優しい眼差しと、その具体的な行動を通して示される深い理解です。「人の貧しさや 悲しさが 分からないお方ではない」という一節には、主イエスさまの人間への寄り添う心が強く表れていると感じました。

そして、ご自身の故郷である瀬戸内海の風景を、主イエスさまが共にいてくださる「ガリラヤの海」として捉えられているところに、個人的な深い信仰と、その場所への特別な思いが感じられ、感動しました。琴浦町の海が、あなたにとってそのような特別な場所なのですね。

この詩を読ませていただき、主イエスさまの愛と、あなたにとっての故郷の海の温かさが伝わってきて、心が安らぎました。素敵な詩をありがとうございます。

先生

神学校4年生のとき
岐阜の飛騨山脈の
山麓の山郷の
小さな教会で
夏期伝道実習をした.

そのとき
不思議な光景を
目にした.

その教会の信徒だけでなく
村のひと
町のひとが
その教会の牧師に会うと
みんな彼のことを
"先生" という.

"先生は
有名なんですね" と
彼に語りかけると
彼は
"私が日本基督教団の牧師であることを
知っているひとは
そんなに多くはないよ"と
答えを返した.

あるとき
村のひとに尋ねたみた.
"みんな教会の牧師を
先生とよんでいるのは
なぜですか?"

その村人は答えて言った.
"牧師さんは
この町では有名な釣り名人だ.
鮎釣りで彼の右に出るひとはいない.
それに
彼は川の淵に潜って
手づかみで
おおきな鯉を獲ってくる.
そんなことができるのは
あの教会の牧師さんしかいない!
みんな尊敬してる!" 

日本基督教団だけでなく
日本のキリスト教会は
学歴・資格を誇る牧師は多いけれど
学歴・資格をもっていても
それを受け入れるのは
教会員とその関係者だけ・・・.

彼のように町人・村人みんなから
先生と呼ばれるひとはほとんどいない.

私は
神学校卒業後
神奈川教区の開拓伝道に従事した.
高級住宅街にあるその伝道所の
役員たちは
私が無学歴・無資格であると知って,
即排斥運動を始めた.

私は
彼らの言葉を借りれば
その伝道所を追い出されて
西中国教区の山口のちいさな教会の牧師になった.
前任者が自害したという
問題が鬱積した
望みなき教会の牧師に・・・.

小さな教会であったため
役員から副業を持つことをすすめられ
役員会で話し合った結果
"牧師さんは
無学歴・無資格といわれても
あたまがいいんだから
情報処理関連の仕事がむいているんじゃない?"という
隣市の市議会の事務所に
速記者として勤めている
教会書記の役員のアドバイスで
ワープ速記の技法とBASICプログラミングをマスター 

ワープロのインストラクター
データベースプログラミングのシステムエンジニア
情報処理技術者試験・シスアド
情報処理技術者試験・第二種 (COBOLで受験)  の資格をとって
情報処理関連の仕事に従事することになった.

NTTとNHKの合同人材派遣会社に依頼されて
山口県立東部高等産業技術学校
山口県立東部女性就業センター
山口県立高校情報教育アドバイザー
などの仕事につくことになった.

そのとき私は
"牧師さん" と呼ばれず
"先生" と呼ばれることになった.

10年間で資格取得講座の受講生は
1000人近くになった.

町を歩いていても
ショッピングしていても
"先生" と呼びかけられることが多くなった.
山口県立高校で情報教育アドバイザーをしているときも
高校の教師の方々から
"先生" と呼ばれることになった.

西中国教区の先輩の牧師たちは
"私達は
幼い子供を教える聖職についているが
彼は
罪に穢れた大人を教えている.
彼は私達の仲間でない"と
私を排除・疎外して来ましたが

神学校4年生のとき
岐阜の飛騨山脈の
山麓の山郷の
小さな教会で
夏期伝道実習を受けたときの
牧師が
白川町の町人や村人から
"先生" と呼ばれていたことを
思い出しては
世俗の "先生"であり続けることに
ためらいの思いを持つことはなかった.

宗教改革者ルターは
すべての職業は
神の召命であると言ったではないか
こころのなかで
いつも自分にそう語りかけながら.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

  力強いメッセージが込められた、長くて、そして深い詩ですね。「先生」というシンプルな題名が、読み進めるうちに多層的な意味を帯びてくることに心を揺さぶられました。


飛騨の山村での原体験、そこでの牧師が肩書ではなく、その人となりと地域社会への貢献によって「先生」と呼ばれていたというエピソードは、非常に印象的でした。学歴や資格といったものが、必ずしも尊敬や信頼に繋がるわけではないという、ある種の問いかけのように感じました。

対照的に、神学校卒業後の神奈川での経験は、非常に痛ましいものでしたね。無学歴・無資格という理由での排斥は、形式主義や権威主義といったものが、時に本質を見失わせる残酷さを感じさせます。そこから、予期せぬ形で情報処理の道に進み、多くの人から「先生」と呼ばれるようになる展開は、まさに逆転劇であり、あなたの内なる力強さと適応能力の高さを示しているように思います。

山口での経験、そしてルターの言葉を心の支えに、世俗の「先生」であり続けることへの葛藤を乗り越えていく姿は、読者の心を強く打ちます。「罪に穢れた大人を教えている」という先輩牧師たちの言葉は、狭量で排他的であり、宗教の本来の役割とはかけ離れたものだと感じました。それに対し、あなたが目の前の人々に向き合い、必要とされる場所で貢献していく姿は、真の奉仕の精神を体現しているのではないでしょうか。

この詩全体を通して、あなたは「先生」という言葉の持つ意味を問い直し、再定義しようとしているように感じました。肩書や資格ではなく、人としての魅力、能力、そして何よりも他者への貢献こそが、真の尊敬と信頼を生み出すのだと。

読後、私は「先生」という言葉の重みと深さを改めて考えさせられました。あなたの経験を通して語られるこの詩は、多くの人にとって、自己の価値や他者との関わり方について深く考えるきっかけになるのではないでしょうか。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。


2025年5月7日水曜日

真夏の夜のできごと

神学校4年生のとき
岐阜の飛騨山脈の
山麓の山郷の
小さな教会で
夏期伝道実習をした.

ある夜
教会学校の子どもたちと一緒に
小学校の運動場で開かれる
映画会に言った.

飛騨の高山が舞台の
トラック野郎という題の映画.

夜の静寂の暗い道を
懐中電灯を片手に歩いていると
不思議な鳴き声が聞こえた.

その鳴き声は次第に近づいてきて
ひときわ高くなくと
また遠ざかっていった.

シャン, シャン,シャン, シャン, シャン, シャン

シャン, シャン, シャン, シャン, シャン, シャン


こどもたちに尋ねた.

あの鳴き声は何の鳴き声?

するとこどもたちは
声を揃えて言った.
"メスきつねの鳴き声!"

私はそれをきいて
"きつねって コンコンとなくのではないの?"

すると
こどもたちはどっと笑って言った.
"この先生
なにも知らないんだ!
きつねはコンコンとはなかないよ!"   

小学校で教育を受けたこどもは
みんな
きつねはコンコンと鳴くものだと
思っている.
あれは嘘だったんだと思った.

メスきつねの鳴き声を聞いたのは
それが
最初で最後だった.

とてもきれいな
鈴の音のような
鳴き声だった.
いつまでたっても
忘れることのない
響き・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。情景が目に浮かぶようです。

神学校4年生の夏、岐阜の山深い教会での伝道実習という、都会とは全く違う静かな環境。その中で、教会学校の子どもたちと夜の映画会へ向かう道中の出来事が、鮮やかに描かれています。

夜の静けさの中、懐中電灯の光だけを頼りに歩く様子、そして突然聞こえてきた不思議な鳴き声。その音を「シャン、シャン、シャン、シャン、シャン、シャン」と表現されたことで、どんな音だったのかが、まるで耳元で聞こえるように伝わってきます。

子どもたちとのやり取りも印象的です。「きつねはコンコンとなくのではないの?」という素朴な疑問に対する、子どもたちの無邪気な驚きと笑い声。「この先生、なにも知らないんだ!」という言葉には、子どもたちの純粋さと、先生との間の温かい距離感が感じられます。

小学校で教えられた「きつねはコンコンと鳴く」というイメージが嘘だったと知った時の、少しの驚きと発見。そして、メスきつねの鳴き声が「とてもきれいな鈴の音のよう」だったという表現が、その音色の美しさを際立たせています。

最後に「いつまでたっても忘れることのない響き・・・」と結ばれていることで、この真夏の夜の出来事が、詩を書かれた方にとって、深く心に残る特別な記憶であることが伝わってきました。

短い詩の中に、夏の夜の静けさ、子どもたちの可愛らしさ、そして忘れられない美しい音色が凝縮されていて、読んでいる私も、その鈴の音のような鳴き声を想像してしまいました。素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございました。

大失敗

神学校4年生のとき
岐阜の飛騨山脈の
山麓の山郷の
小さな教会で
夏期伝道に参加した.

その教会の保育園の
こどもたちを連れて
川遊びに出かけた.

みんな川で泳ぐという.
こどものころから
体が弱く
外で遊ぶことがほとんどなかった
私は川遊びが無事に済むように
主なる神さまに祈った.

牧師夫妻から
一番ちいさな女の子と
いつも一緒にいてと言われたので
私はその女の子と
河原に座って
他の子どもたちが
川遊びをするのを見ていた.

すると
川のむこう岸から
ネッシーのように
頭を出して
大きなヘビが
子どもたちの方に向かって来るのが見えた.

私はパニックに陥った.

こどもたちに
すぐ川から出るように言って
そのヘビに石を投げつけて
子どもたちに近寄らないようにした.

そのとき
私と一緒にいたちいさな女の子が
私のズボンをひっぱりながら
"先生 殺さないで!"と言った.

尋常ならざる視線を感じて
こどもたちの方をみると
ガキ大将クラスの男の子が
私に言った.

"先生 なんでアオダイショウに
石を投げつけてるの?
そのアオダイショウ
ぼくたちが泳いでいると
いつもやてきて
一緒に遊んでる
ともだちだよ."

そのとき
私は
"しまった" と思った.

ヘビはこわい
噛まれると
その毒で死ぬと
小学校の教師から教えられていたことは
一つの偏見にすぎなかったのだと
後悔した.

偏見に左右されないで
ものごとをありのまま見ることの大切さを
学習させられた.

保育園に戻って
牧師夫妻にそのことを告げると
叱られると思いきや
牧師夫妻は大喜び・・・.

小さな女の子は
母子心中しようとしたおかあさんが
その女の子の首に
なたで切りつけたとき
吹き出す血を見て
すぐ救急車を呼んで
一命を取り戻すことができたとか.

しかし
その女の子は
そのことがショックで
声がでなくなった.

その女の子が
私に
"先生 殺さないで!"と
言葉を発したのは
その女の子が言葉を取り戻した瞬間だと.
神さまが祈りを聞いてくださったのだと
喜んでいた.

私は
事実に基づかない
人間の偏見と差別から
自らを解放する営みを
意識的に始めることになった.

私の人生における
最大の失敗だった.

 

素敵な詩ですね。当時の情景が目に浮かぶようです

神学校の4年生という、人生の中でも特に学びの多い時期に、飛騨山脈の麓の小さな教会で夏期伝道に参加されたのですね。自然豊かな場所で、子どもたちとの触れ合いは、きっと心温まるものだったでしょう。

川遊びの場面では、子供たちの安全を第一に考えるあなたの真摯な気持ちが伝わってきます。しかし、子供の頃からの体験が、ヘビに対する強い恐怖心を植え付けていたのですね。「ネッシーのように頭を出して」という表現からは、あなたの当時の驚きと恐怖がひしひしと伝わってきました。

パニックになりながらも、子供たちを安全に避難させようとした行動は、先生としての責任感の表れだと思います。しかし、小さな女の子の「先生 殺さないで!」という叫び、そしてガキ大将の男の子の言葉によって、あなたは大きな衝撃を受けたのですね。

小学校の教師から教えられたことが、必ずしも真実ではない。ヘビは怖い、毒で死ぬという教えが、一つの「偏見」だったと気づかされた時の後悔の念は、想像するに余りあります。しかし、その失敗を通して、「偏見に左右されないで、ものごとをありのまま見ることの大切さ」を学ばれたことは、非常に大きな学びだったと思います。

保育園に戻ってからの牧師夫妻の反応は、予想外で、読んでいる私も驚きました。小さな女の子の壮絶な過去、そしてあなたがヘビを殺そうとした瞬間に言葉を取り戻したという奇跡的な出来事は、神様の存在を感じさせるような、深い感動を覚えます。

あなたにとって、その出来事は「最大の失敗」だったと表現されていますが、その失敗を通して得られた学びは、計り知れないほど大きかったのではないでしょうか。事実に基づかない人間の偏見や差別から自らを解放する営みを意識的に始めるきっかけになったというのは、あなたの人生において非常に重要な転換期だったと言えるでしょう。

この詩を通して、あなたは、私たち読者にも、固定観念や偏見にとらわれず、物事を多角的に見ることの大切さを教えてくれているように感じました。力強いメッセージが込められた、素晴らしい詩だと思います。
 

お冷

神学校4年生の夏
夏期伝道実習は
飛騨山脈の山麓の
小さな村の教会だった.

1山1軒の
農家が点在していた.

そのため
教会員の家庭訪問は
原動機付自転車で移動した.

最初の家庭訪問先で
夏の暑さも手伝って
教会員が
"お冷をどうぞ" と言って
ガラスコップ1杯の水を
差し出してくれた.

私はお礼を言って
一気にそのお冷を
乾いた喉に流し込んだ.

しかし
それは水ではなく
清酒だった.

私は
"これ
お酒じゃないですか?
私お酒飲めないんですけど"
と問いかけると
その教会員の御婦人
"だからいったじゃない!
お冷だって!"

私は原動機付自転車にのって
次の訪問先に行った.

そこでまた同じ言葉に遭遇した.
"お冷どうぞ"

私は用心して問いかけた.
"もしかしてこれ清酒ですか?"
すると
教会員の御婦人から
"そうですよ" と
答えが返ってきた.

私が "私お酒飲めないんです"と答えると
その御婦人
"前の家で飲めたのに
私の家では飲めないというんですか?
彼女が言ってましたよ,
あなたは飲みっぷりがいいって!"

次の訪問先でも
ガラスコップいっぱいの
お冷が出され
飲むことを強制された.

酒を飲んで
凸凹の山道を
原動機付自転車で走ると
酔がまわるのも早かった.

私は3杯のお冷でギブアップ
原動機付自転車にのって
おぼつかない足取りで
教会に戻った.

教会の近くの駐在所の前を通るとき
原動機付き自転車を下りて
押しながらその前を通った.

そのとき
私を待っていたかのように
中から
駐在さんが出てきて
にこにこ笑いながら
私に話しかけて来た.

"やはり
あなたもお冷飲まされましたか?
私もこの駐在所に赴任したとき
1山1軒の農家に挨拶にまわりましたが
そのときどの家でも
お冷飲まされましたよ."

"郷に入れば郷に従え" ということわざが
まだ生きていた時代の
遠い遠~い
昔話・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

なんとも味わい深い昔話ですね!クスッと笑ってしまうような、でも当時の人々の温かさや、ちょっとしたカルチャーショックも感じられる、素敵な詩だと思います。

神学校4年生の夏、飛騨山脈の山麓の小さな村での夏期伝道実習という舞台設定からして、もう期待感がありますね。1山1軒という点在した農家の様子も、当時ののどかな雰囲気を伝えてくれます。

原動機付自転車での移動は、大変だったでしょうけれど、その分、各家庭との距離が近かったのかもしれませんね。そして、最初の家庭訪問での「お冷」事件!まさかそれが清酒だったとは、想像もしていませんでしたから、思わず笑ってしまいました。

「だからいったじゃない!お冷だって!」という奥様の言葉には、悪気がないのがまた面白いですね。もしかしたら、その地域では清酒のことを「お冷」と呼ぶ習慣があったのかもしれません。

そして、次の訪問先でのやり取りも最高です!前の家でのあなたの「飲みっぷり」がすでに噂になっているとは(笑)。断ろうとしても、温かい(?)プレッシャーで飲まざるを得ない状況が目に浮かびます。

3杯のお冷でギブアップして、酔っぱらいながら原動機付自転車に乗って帰る様子は、ちょっと危なっかしいけれど、なんだか微笑ましいです。駐在所の前で自転車を押して通るという行動には、当時のあなたの精一杯の自制心が表れているようで、さらにクスッときます。

駐在さんの「やはりあなたもお冷飲まされましたか?」という言葉には、この地域ならではの「おもてなし」の文化が凝縮されているように感じます。「郷に入れば郷に従え」という言葉が、まさに生きていた時代だったのですね。

この詩は、単なる面白い体験談としてだけでなく、当時の農村の暮らしや人々の温かさ、そしてちょっとした文化の違いが伝わってくる、貴重な記録のようにも感じました。遠い昔の、心温まるエピソードを読ませていただき、ありがとうございました。

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