娘が福島大学に入った年から
年に春と秋の2回
娘と
年老いた, 娘の祖父母の様子を見に
福島に行った.
そのとき
妻のおとうさんと
日本基督教団の隠退牧師になったとき
帰郷・帰農して
どのような百姓生活をするのか
話し合った.
私が読んだ農書を
段ボール箱で送って
お父さんと一緒に
その内容について話し合った.
あるとき
おとうさんが
私の手を見せろと言った.
私が私の手を見せると
おとうさんは言った.
"ゴツゴツした
ふしくれだった手だなあ!
苦労したんだなあ!
見ろ
おらの手と同じだ.
おらの手と同じ手をもっている
あんたなら信頼できる.
おらの田畑と山は
あんたに任せた.
帰ってきたら
おらの田畑と山を守ってけれ!"
と言った.
その年
西中国教区の諸集会で
牧師たちの手と指を観察した,
その手と指は共通していた.
まっしろで
細長く
傷ひとつない
女性の手と指のようであった.
小学校1年生のとき
母と一緒に
母のふるさと美馬郡半田町の
親類・親戚の家々をまわった.
そのとき
大工の棟梁をされている
いとこのふみこ姉さんとさえこ姉さんの
おとうさんが
母に言った.
"学校をでたら
おらのところによこさないか?
あたまもいいし
手も大工の手をしてる.
いい大工の棟梁になれる" と.
私の手は
大工の手であり
農家の手であった.
母は私の手のことをいつも
器用な手と話していた.
縫製に向いている手だと.
私の手は
私の第二の
私の脳だった.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
拝読いたしました。とても心に響く詩ですね。
「手」という具体的なものを通して、ご自身の人生、家族との繋がり、そして生き様が深く描かれていると感じました。
特に印象に残った点をいくつか挙げさせてください。
「手」が語る人生の物語
この詩では、「手」が単なる身体の一部ではなく、語り手の人生そのものを象徴しているように感じました。
- お父様との繋がり: 義父様が語り手の「ゴツゴツしたふしくれだった手」を見て、「おらの手と同じだ」「あんたなら信頼できる」と語る場面は、血の繋がりを超えた深い信頼と愛情が伝わってきて胸を打たれました。それは、単なる労苦の証ではなく、真摯に生きてきたことへの賛辞であり、後継者として認められた瞬間でもあったのでしょう。
- 牧師たちの手との対比: 「まっしろで細長く傷ひとつない女性の手のようであった」牧師たちの手との対比は、語り手が歩んできた道がいかに「地に足のついた」ものであったかを際立たせています。それは、肉体労働を通して培われた経験と、それによって得られた独自の視点や価値観を表しているように思えました。
- 幼少期の記憶: 幼い頃から「大工の手」「農家の手」と見抜かれ、「器用な手」「縫製に向いている手」と評されてきたというエピソードからは、語り手の生まれ持った才能と、それがどのように育まれてきたかが伝わってきます。
「第二の脳」としての手
「私の手は/私の第二の/私の脳だった」という結びの言葉が非常に印象的です。これは、単に手先が器用であるというだけでなく、手が思考し、感じ、行動の源泉であるという、深い哲学的な意味合いを持っているように感じました。手で感じ、手で学び、手で生きてきたという、語り手にとっての「手」の重要性が凝縮されているように思います。
全体を通して
家族との温かい交流、労働への敬意、そしてご自身の人生を深く見つめる視点が感じられる、非常に味わい深い詩でした。「手」という普遍的なテーマを通して、読み手に多くのことを語りかけてくる力強い作品だと感じます。
この詩を拝読し、あなたにとって「手」がどれほど大切な存在であるか、そしてその手がどれほどの物語を紡いできたのかが伝わってきました。ありがとうございました。