2025年4月18日金曜日

部落の子

小学生のとき
放課後
よく一緒に帰る
同級生がいた

私はからだが弱く
他のこどものように
早く歩くことができなかった.
早く家に帰って
遊びに行くこともないから
私はいつもひとりで
自分のペースで
下校した.

しかし
あるときから
ひとりの同級生が校門の側に立って
私が出てくるのを待っていた.
彼は私に
「一緒に帰ろう!」と語りかけて来た.

彼は
私が歩く速さに歩調をあわせて
歩いてくれた.
いろいろな話をしながら.

そんなある日
校内放送があった.
「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.
その他の生徒はすぐ下校しなさい」と.

そのとき
いつも私を校門の側で待ってくれている
同級生の姿はなかった.
それで
私は彼が部落の子であることを知った.
その日から
彼の姿は校門の側になかった.

その同級生の10年後の姿が
地元の新聞に大きく載った.
自らを部落民と名乗り
解放奨学金を受けて
大学で学ぶ事が出来た
喜びの声が掲載されていた.

その新聞の記事を読んだとき
私は
「よかったね!」と
こころから祝福した.

そして
そのとき思った.
「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.
その他の生徒はすぐ下校しなさい」といった
学校の教師たちは
部落の子になにを話したのだろうかと.

ある小学校教師は私に言った
「おまえは、ただの貧乏人の子だ」



Googleの人工知能Geminiさんの感想文


この詩を読んで、胸が締め付けられるような、複雑な感情が湧き上がってきました。子供の頃の純粋な友情と、社会に存在する 区別や差別が、鮮明に対比されて描かれていて、深く考えさせられました。

特に心を打たれたのは、体が弱く一人で下校するあなたを、いつも校門で待って「一緒に帰ろう!」と声をかけてくれた同級生の存在です。彼の優しさ、あなたの歩く速さに合わせてくれた思いやりが、ストレートに伝わってきました。子供時代の、何の下こころももない、純粋な友情の美しさに、心が温かくなりました。

しかし、校内放送によって、二人の間に突然現れた壁。「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.その他の生徒はすぐ下校しなさい」という言葉は、幼年期のあなたにとって、理解しがたい出来事だったでしょう。いつも一緒にいてくれた友達が、「部落の子」として、他の生徒とは分けられてしまった。その時のあなたの戸惑いや寂しさが、行間から滲み出ているように感じました。そして、その日から彼の姿が校門になかったという事実は、幼年期 のあなたにとって、大きな喪失感だったのではないでしょうか。

10年後、新聞で彼の記事を読んだ時の、あなたの心からの祝福の言葉に、救われるような気持ちになりました。困難を乗り越え、自らの出自を誇りとして生きる彼の姿は、多くの人に勇気を与えたことでしょう。あなたの「よかったね!」というクリーンな喜びが、読んでいる私の心にも響きました。

そして、最後に投げかけられた「部落の子は5年1組の教室に集まりなさい.その他の生徒はすぐ下校しなさい」といった学校の教師たちは、部落の子に何を話したのだろうか、という問いかけは、非常に重く、考えさせられます。子供たちに、どのような言葉で、どのような意図で、そのような孤立を招くような指示が出されたのでしょうか。それは、子供たちの心にどのような影響を与えたのでしょうか。

最後に語られた小学校教師の言葉「おまえは、ただの貧乏人の子だ」は、さらに衝撃的でした。子供の自尊心を傷つけ、社会の冷たさを突きつけるような言葉です。このような言葉が、子供の心に深い傷を残してしまうことを思うと、心が痛みます。

この詩は、 幼年期の温かい友情と、社会に存在する差別という冷酷な現実を、 対比することで、読者の心に深く訴えかける力を持っていると感じました。あなたの混じり気のない視点を通して語られる物語は、私たちに有意な問いを投げかけていると思います。素晴らしい詩を共有してくださり、ありがとうございました。


ラムネ

海は
こどもの遊び場

ラムネという遊びがあった.
塩田の岸壁から
水門の深いところに
足から飛び降りると
白い泡がたった.
こどもたちはその水の泡の
豪快さを競った.

あるとき
泳ぎの得意な男の子が
飛び込んだ.
いつもより
大きなラムネの白波がたった.

みんな
「すごいね!」といいながら
その男の子の
ひにやけた元気な顔が
水面から飛び出してくるのを待った.

しかし、
いつまでたっても
その男の子は
浮かんで来なかった.

一番足の早い子が
「おとなのひとを呼んでくる」と走り出した.
泳ぐことができるこどもたちは
次から次へと海に潜って
その男の子を探した.
でも、その男の子を見つけ出すことは
できなかった.

生まれた時から体が弱く
走ることも泳ぐこともできない
私はただただ
その男の子が無事であることを
祈るのみだった.

その男の子が
水門の取水口に引きずり込まれて
溺死したことを知った
こどもたちは
ラムネ遊びを止めた.

そして
みんなで思うことにした.
海の好きなその男の子は
海に帰ったのだと.

こどものラムネの遊び場は
死んだ男の子の鎮魂の場になった.
静かな,静かな・・・.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文


美しい詩ですね。子供たちの無邪気な遊びと、突然の悲劇が鮮やかに描かれていて、読んでいる私の心も深く揺さぶられました。

特に印象的だったのは、白い泡を「ラムネ」と表現したところです。はじける泡のイメージと、子供たちの無邪気な歓声が目に浮かぶようです。しかし、その「ラムネ」が、一瞬にして悲劇の象徴へと変わってしまう落差に、言葉を失いました。

泳ぎが得意だった男の子が浮かんでこない場面では、子供たちの間に広がるであろう不安や焦燥感が、静かに、しかし তীব্রに伝わってきました。そして、何もできないでただ祈るしかなかった、詩を書かれた方の当時の気持ちが、痛いほど伝わってきました。

「海の好きなその男の子は 海に帰ったのだと」という、子供たちの精一杯の優しさが、読んでいる私の胸を締め付けます。悲しい出来事ではありましたが、この一文に、子供たちの純粋な想いが凝縮されているように感じました。

「こどものラムネの遊び場は 死んだ男の子の鎮魂の場になった」という結びも、深く心に残りました。無邪気な遊び場が、静かで鎮魂の場へと変わってしまったことの重みが、ひしひしと伝わってきます。「静かな、静かな・・・」という繰り返しの表現が、その静けさの中に込められた深い悲しみを、より一層際立たせているように感じました。

この詩を通して、子供時代の無邪気さと、それが一瞬にして失われてしまう悲しさ、そして残された人たちの心の痛みが、鮮やかに伝わってきました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

2025年4月17日木曜日

櫓

櫓
1本あれば
舟はどちらの方向にも
進めることができる.
流れにのって進むことも
流れに逆らって進むことも.

主イエスさまに対する
信仰という
櫓があれば
どのような状況に置かれても
主イエスさまの御足の跡を
たどることができる
どこまでも




Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読いたしました。心に響く、美しい詩ですね。信仰という櫓が、人生という大海原をどのように進むべきかを指し示す、力強い比喩が印象的です。以下に、いくつかの感想を述べさせていただきます。

全体的な印象:

  • シンプルで力強い表現: 短い言葉の中に、深い信仰と力強い意志が凝縮されているように感じました。「1本あれば」という冒頭の力強さが、その後の展開への期待感を高めます。
  • 普遍的なメッセージ: 信仰を持つことの意義、そしてそれが困難な状況を乗り越える力となるというメッセージは、宗教に関わらず、多くの人の心に響くのではないでしょうか。
  • 比喩の鮮やかさ: 舟の櫓という具体的なイメージを通して、抽象的な概念である「信仰」を鮮やかに表現されています。読者は容易にその意味を理解し、共感することができます。
  • 希望に満ちた結び: どのような状況でも主イエス様の足跡をたどることができる、という結びの言葉には、揺るぎない信頼と希望が感じられ、読者の心に温かい光を灯してくれます。

各行についての感想:

  • 「櫓 / 1本あれば / 舟はどちらの方向にも / 進めることができる.」: 櫓の持つ本質的な機能を簡潔に示しており、続く信仰の比喩への導入として非常に効果的です。一本の櫓が持つ可能性、そしてそれが進む方向を決定づける重要性が伝わってきます。
  • 「流れにのって進むことも / 流れに逆らって進むことも.」: 人生における順境と逆境を「流れ」という言葉で表現している点が素晴らしいです。信仰という櫓があれば、どちらの状況にも対応できるという力強さが感じられます。
  • 「主イエスさまに対する / 信仰という / 櫓があれば」: ここで、具体的なイメージであった「櫓」が「信仰」という内面的な概念へと繋がります。「~という」という表現が、比喩であることを明確に示しています。
  • 「どのような状況に置かれても / 主イエスさまの御足の跡を / たどることができる / どこまでも」: 信仰を持つことの究極的な意義が示されています。困難な状況においても、導きに従い、迷うことなく進んでいけるという確信が伝わってきます。「どこまでも」という言葉が、その揺るぎない信仰の深さを表しているように感じました。

個人的な感想:

この詩を読んで、信仰というものが、単なる教義や儀式ではなく、人生の羅針盤であり、困難を乗り越えるための力強い推進力となるのだと改めて感じました。簡潔な言葉で表現された深いメッセージは、読み終えた後も心に長く останется.

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

悲しい海

まだまだ幼いとき
私はとっても悲しい
海を見た.

一人の女工さんが
勤めていた紡績工場の
正門の前の岸壁から
身を投げて死んだという.

みんなの後を追って
その現場にたどりついたとき、
潮の引いた
海の底に
むしろをかけられた人の
白い足がはみ出していた.

その手首はカミソリで切られ
そのまわりには
労働組合運動に立ち上がった
同士の女工さんの数だけ
カミソリが散らばっていたという.

お姉さんの覚悟の抗議の死だった.

お姉さんを
死においやったもの
こどもこころに
憤りを感じた.

幼い私が見た
海の底によこたわる
女工のお姉さん、
私が二十歳になり
三十歳になり
四十歳になり
歳を積み重ねるにつれて,
幼い私にとって
お姉さんだったあのひとは
まだまだ幼い十六、七の
こどもでしかなかったのだと.

春の朝の海は
私のこころのなかに
ひとの死の悲しさを
刻みつけた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝見しました。胸に深く突き刺さるような、強い感情が込められた詩ですね。幼い日の鮮烈な記憶が、歳月を経ても色褪せることなく、作者の心に深く刻まれていることが伝わってきます。

以下に、読んだ感想をいくつか述べさせていただきます。

鮮明な情景描写と幼い視点

「潮の引いた海の底に/むしろをかけられた人の/白い足がはみ出していた」という描写は、幼い作者にとってどれほど衝撃的な光景だったでしょうか。直接的な表現でありながら、その場の静けさや、覆い隠せない現実の残酷さが伝わってきます。また、「白い足」という細部に焦点を当てることで、より一層、亡くなった方の存在が生々しく感じられます。

「みんなの後を追って/その現場にたどりついたとき」という一文からは、子供ながらに何かただ事ではないと感じ、現場に駆けつけた作者の姿が目に浮かびます。大人の世界で起きた悲劇を、子供の視点から捉えていることが、より一層読者の心を揺さぶります。

言葉にならない憤りと悲しみ

「お姉さんを/死においやったもの/こどもこころに/憤りを感じた」というストレートな感情の吐露は、読者の胸に直接響きます。幼いながらに、不条理な死に対して抱いた強い憤りが、短い言葉の中に凝縮されています。

歳月を経て、亡くなった女工さんがまだ幼い少女であったことに気づくくだりは、深い悲しみと同時に、社会の矛盾や理不尽さに対する改めての怒りを呼び起こします。「幼い私にとって/お姉さんだったあのひとは/まだまだ幼い十六、七の/こどもでしかなかったのだと」という気づきは、読者にとっても衝撃的であり、言葉を失います。

歳月を超えて残る記憶

「私が二十歳になり/三十歳になり/四十歳になり/歳を積み重ねるにつれて」という時間の流れの描写は、幼い日の記憶が、その後の人生においても決して忘れられることのない、深い傷として残っていることを示唆しています。

そして、「春の朝の海は/私のこころのなかに/ひとの死の悲しさを/刻みつけた」という結びは、美しい春の海の風景と、そこで目撃した悲しい出来事とのコントラストが、より一層その悲しみを際立たせています。個人的な悲しみであると同時に、労働者の置かれた過酷な状況や、命の尊さといった普遍的なテーマへと昇華されているように感じました。

全体を通して

短い詩の中に、幼い日の強烈な体験、その後の人生における深い感情の変遷、そして社会への問いかけが凝縮されており、非常に心を揺さぶられる作品でした。作者の純粋な悲しみと憤りが、読者の心にも深く刻まれます。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

もしよろしければ、この詩を書かれた時のことや、込めた思いなど、もう少しお聞かせいただけますでしょうか?


(私)

日本の高度経済成長への途上,いろいろな社会的なひずみが存在していました. 中学校を卒業すると同時に紡績工場に入って不当な労働環境に置かれ少女たちは, はちまきをしてスクラムを組んで会社の外に座り込んで待遇改善を要求していました. 会社側は労働組合をつぶすために暴力団を雇って彼女たちに人間の糞尿をぶちまけていました.

そのリーダーであった女工のお姉さんの死を見た帰り,隣のおじさんと一緒に帰りましたが,そのときその紡績工場の塀の上に張られて鉄条網について話をしてくれました. 軍事基地では鉄条網は外部の人間が基地に無断侵入できないようにその上部が外側に向いているのに,紡績工場の塀の上の鉄条網は女工さんが集団脱走しないように内側に向いていると話してくれました.

日本の高度経済成長と豊かさの過程で,このような悲惨なできごとがあったことを忘れてはnならないと思うのです. 時代が逆行して,再び同じような状況が作り出されないように, 私はいつも祈っています.


Googleの人工知能Geminiさんの言葉

詳細な背景を教えてくださり、ありがとうございます。お話いただいた内容は、当時の日本の社会が抱えていた矛盾や痛みを鮮明に物語っており、改めて胸が締め付けられる思いです。

高度経済成長の陰で、未来を担う若い女性たちが、想像を絶するような過酷な労働環境に置かれ、人間としての尊厳を踏みにじられるような仕打ちを受けていた事実は、決して風化させてはならない歴史の一ページです。労働組合運動に対する暴力的な弾圧、そして集団脱走を防ぐために内側に向けて設置された鉄条網の話は、当時の労働者の置かれた絶望的な状況を象徴しており、言葉を失います。

お姉さんの覚悟の抗議の死は、そのような非人間的な状況に対する、痛ましいながらも強い告発だったのでしょう。幼い作者がその光景を目撃し、深い悲しみと憤りを覚えたのは当然のことだと思います。

「日本の高度経済成長と豊かさの過程で,このような悲惨なできごとがあったことを忘れてはいけないと思うのです。」というお言葉、そして「時代が逆行して,再び同じような状況が作り出されないようにいつも祈っています。」という強い願いは、現代に生きる私たちにとっても深く心に刻まれるべきメッセージです。

過去の過ちを真摯に受け止め、二度と繰り返さないために、私たちは歴史から学び続けなければなりません。作者の詩は、当時の悲劇を鮮やかに描き出し、私たちにその教訓を改めて思い起こさせてくれる、非常に重要な作品だと感じました。

貴重なお話と詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。

自由

映画館で
パピヨンという映画を見た

南海の
美しい海が広がっていた
私はその海を
とても美しいと思った.

映画をみ終えたとき
私は
また思った.

どんな美しい海も
自由がなければ
牢獄にすぎないと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を読んで、強く心に響くものがありました。短い言葉の中に、深く普遍的なメッセージが込められていると感じます。

率直な感想として:

  • 対比の鮮やかさ: 美しい南海の海と、自由がない状態を「牢獄」と表現する対比が非常に鮮やかです。この対比によって、「自由」という言葉の重みが際立ち、読者の心に深く突き刺さります。
  • 映画体験の昇華: 映画「パピヨン」の印象的なシーン(美しい海)が、単なる映像美の描写に留まらず、より深い思索へと繋がっている点が素晴らしいです。映画を見た体験が、普遍的な問いへと昇華されています。
  • 簡潔で力強い表現: 無駄な言葉がなく、簡潔でありながら力強い表現で、作者の強い思いが伝わってきます。「思った」という繰り返しも、その思いの深さを強調しているように感じました。
  • 普遍的なテーマ: 「自由」は時代や場所を超えて、全ての人にとって重要なテーマです。この詩は、その普遍的なテーマを、個人的な映画体験を通して表現しているため、多くの人の共感を呼ぶのではないでしょうか。

特に印象に残った点:

  • 「どんな美しい海も/自由がなければ/牢獄にすぎないと」 という最後の二行は、この詩の核心であり、最も心を揺さぶられました。美しさだけでは満たされない、人間にとって自由がいかに本質的なものであるかを改めて考えさせられます。

全体として:

この詩は、短いながらも深い洞察力と、それを表現する力強さを持った作品だと感じました。作者の自由への強い希求と、それを捉える鋭い感性が光っています。読後、私も改めて「自由とは何か」について深く考えさせられました。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

運針

 私は

生まれたときから
からだが弱かった
他の男の子のように
海や野山を駆け巡って
一緒に遊ぶことはなかった
いつも
家で内職をしている
母と一緒にいた.

その母が
「あなたは体が弱いから
力仕事は無理.
隣の町の造船所で働く事はできないわ.
でもここは繊維と縫製の町
手が器用なあなたは
自分で働いて食べていくことができるわ」
とよく話しかけて来た.

私がものごころついたころから
母は私に運針の仕方を教えてくれた.
糸のついた針を使って、押して、引いて
押して、 引いて・・・
海の波を縫うように運針していけば
何でも縫えるようになると.

小学4年生のときの担任の
藤原先生は家庭科の先生.
参観日の授業のとき
藤原先生はみんなを立たせて言った.
「これからみんなで運針をはじめましょう,
先生よりも長く運針を続けることができた人には
5の成績をあげます.」

教室の後ろで55人の生徒のおかあさん方が
どっとざわめいた.
縫製工場の社長や工場長のおかあさんが多かったので・・・.

運針に疲れた生徒はひとり
またひとりと運針をやめて
着席していった.

そして最後まで残ったのは私・・・.

藤原先生は、「私も疲れました.
運針をやめます.
約束通り
君には5を上げます」

参観日に来ていたおかあさんたちが
どっとどよめいた.
その中には
「あの子、うちの養子にほしい!」と
大きな声を出すおかあさんもいた.

糸のついた針を使って、押して、引いて
押して、 引いて・・・
海の波を縫うように運針していけば
1時間でも2時間でも続けることができるのだと
知った.

母は1日5時間も6時間も針仕事をしていた.
私は父ではなく
母のうしろ姿を見て育った.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩は、一本松の詩とはまた異なる、じんわりとした感動と、力強い生きる姿勢が伝わってくる素晴らしい作品ですね。特に、幼い頃の経験がその後の人生に深く根付いている様子が、繊細な筆致で描かれていて、心を揺さぶられました。以下に、いくつかの感想を述べさせていただきます。

母親の愛情と現実

「あなたは体が弱いから/力仕事は無理。」という母親の言葉には、息子の体を案じる深い愛情と、現実的な生活への厳しさの両方が感じられます。「繊維と縫製の町」「自分で働いて食べていくことができるわ」という言葉からは、母親が息子に自立して生きていく力を身につけてほしいという強い願いが伝わってきました。

運針の記憶と象徴性

「糸のついた針を使って、押して、引いて/押して、 引いて・・・/海の波を縫うように運針していけば/何でも縫えるようになると」という母親の教えは、単なる裁縫の技術だけでなく、困難なことを乗り越えていくための普遍的な教えのように感じられました。単調な繰り返しの動作の中に、生きるための知恵が込められているようです。

藤原先生のエピソード

小学4年生の時の藤原先生のエピソードは、この詩の中で特に印象的でした。先生のユニークな授業と、それに対する周囲の反応が、当時の社会の状況や人々の価値観を垣間見せてくれます。そして、体が弱かった「私」が、得意な運針で誰よりも長く続けられたという事実は、自己肯定感を得る大きな経験になったことでしょう。

周囲の驚きと養子の話

参観日のおかあさんたちのどよめきや、「あの子、うちの養子にほしい!」という声は、才能を持つ子供に対する率直な驚きと、もしかしたら当時の貧しい家庭の状況を示唆しているのかもしれません。このエピソードは、主人公の特異な才能を際立たせるとともに、社会の様々な側面を感じさせます。

母親の背中を見て育つ

「母は1日5時間も6時間も針仕事をしていた。/私は父ではなく/母のうしろ姿を見て育った。」という最後の部分は、主人公の人生において母親の存在がどれほど大きかったかを物語っています。黙々と針仕事をする母親の背中から、勤勉さや忍耐強さ、そして生きるための術を学んだのでしょう。

全体を通して

この詩は、幼い頃の経験、母親の愛情、そして自身の才能との出会いが、その後の人生を形作っていく様子を、温かく、そして力強く描いていると感じました。運針という具体的な行為を通して、生きるための根源的な力や、困難を乗り越えるための精神力が養われていく過程が、読者の心に深く響く作品でした。何気ない日常の中に、人生の重要な学びが隠されていることを教えてくれるような、そんな詩でした。

一本松

海
海の波の上に
一本の松の木が立っている.

波にも
風にも耐えながら
海の塩水の中に
一本の松が立っている

潮が引くと
すべてのひとは
その秘密を知ることになる

松は
岩の割れ目に根を伸ばし
その中に流れる清水を吸い上げて
生きているのだと.

生まれたときから
からだが弱かった私は
いつも思っていた.

どんな環境や状況の中を
生きていかなければならなくなっても
あの海の中の一本松のように
大地に根を張って
生きていきたいと.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩も、力強い生命力と深い内省が感じられる、素晴らしい作品ですね。一本松という孤高の存在を通して、生きるということの本質を深く考えさせられました。以下に、いくつかの感想を述べさせていただきます。

孤高の存在感と力強さ

「海/海の波の上に/一本の松の木が立っている」という冒頭の描写が、一本松の際立った存在感を強く印象づけます。荒々しい自然の中に毅然と立つその姿は、孤独でありながらも力強く、見る者の心に何かを訴えかけるようです。「波にも/風にも耐えながら/海の塩水の中に/一本の松が立っている」という繰り返しの表現は、その過酷な環境と、それに耐え抜く松の不屈の精神を強調しているように感じました。

秘密の発見と生命の源

潮が引くことで明らかになる「秘密」、すなわち「岩の割れ目に根を伸ばし/その中に流れる清水を吸い上げて/生きている」という事実は、表面からは見えない生命の根源的な強さを教えてくれます。厳しい環境の中でも、生きるための術をしっかりと見つけ出し、したたかに生き抜く植物の力に、深い感銘を受けました。

個人的な経験との共鳴

「生まれたときから/からだが弱かった私は/いつも思っていた」という一節から、作者自身の経験と一本松の姿が深く結びついていることが伝わってきます。自身の境遇と重ね合わせることで、一本松は単なる自然の風景ではなく、生きるための指針となる象徴的な存在へと昇華しています。

普遍的なメッセージ

「どんな環境や状況の中を/生きていかなければならなくなっても/あの海の中の一本松のように/大地に根を張って/生きていきたいと」という結びの言葉は、個人的な願いでありながら、困難な状況に置かれたすべての人々への普遍的なメッセージとして響きます。どのような逆境にあっても、見えないところでしっかりと根を張り、生きるための糧を見つけ出すことの大切さを、一本松の姿を通して教えてくれるようです。

全体を通して

この詩は、自然の描写を通して、人間の内面にある強さや生きる希望を描き出していると感じました。一本松の孤高でありながらも力強い姿は、読む人に勇気を与え、自身の生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。簡潔な言葉の中に、深い意味と強いメッセージが込められた、心に残る作品でした。

多摩のプロ農家

日本基督教団の牧師になるために 鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき アルバイトで 家庭教師をしていました. 1週間に2回 神学校の自転車を借りて 街灯のない まっくらな 月と星の光だけをたよりに 夜の山道を 鶴川から多摩ニュータウンの近くの農家まで 通ったことがあります. ...