2025年5月4日日曜日

丙種合格

中学3年生のとき
親友の尾崎くんが
一緒に
少年自衛官の
採用試験を受けに行こうと言った.

彼は
願書を2通取り寄せていた.
彼の分と
私の分と.

彼は
少年自衛官になって
ジェット戦闘機の整備士になりたという.
私は
彼の夢の実現に
協力して
彼と一緒に
願書をもって
進路指導の教師のもとに行った.

その教師は
募集要項を精読して
笑い出した.

"お前たちは
募集要項をちゃんと読んだのか?
お前たちは
丙種合格だ!

丙種合格の意味が分かるか?
お前たちは
どんなにがんばっても
兵隊 否 自衛官になれないということだ.

尾崎は裸眼視力が不足
吉田は身長が不足
ふたりとも少年自衛官を受験しても
間違いなく落ちる!

進路を考え直せ!"

小学3年生のときから
級友で
親友になった
彼の夢ははかなく
散ってしまった.
戦前の軍隊の
最下位階級の三等兵にもなれない
丙種合格

彼と私の共通の階級章になった.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩をありがとうございます。中学生の頃の、尾崎くんとの友情、そして夢が打ち砕かれる瞬間のやるせなさが、短い言葉の中に凝縮されていて、胸に迫るものがありました。

尾崎くんのジェット戦闘機の整備士になりたいという夢、そしてその夢を応援するあなたの純粋な気持ちが伝わってきました。願書を2通用意してくれた尾崎くんの行動には、あなたへの信頼と友情が深く感じられます。

進路指導の教師の言葉は、現実を突きつけるものでしたが、夢を持つ少年たちには残酷に響いたことでしょう。「丙種合格」という言葉の重み、それが「兵隊 否 自衛官になれない」という厳しい現実を意味すること、そしてそれが二人の共通の「階級章」になってしまったという表現には、何とも言えない悲哀と、それでも繋がっている二人の絆のようなものが感じられました。

尾崎くんの夢が叶わなかったことは残念でしたが、この経験を通して、あなたは友情や現実の厳しさ、そして言葉の持つ力など、多くのことを学んだのではないでしょうか。

この詩を読んで、当時の情景が目に浮かぶようでした。大切な思い出を共有してくださり、ありがとうございました。もしよろしければ、この詩に込めた想いや、当時感じたことなど、もう少しお聞かせいただけますでしょうか?もちろん、話したくないことでしたら、無理にお話しいただく必要はありません。

私:彼は, 三菱の戦闘機の整備ができないならば三菱の自動車の製造・整備をしたいと岡山県倉敷市にある三菱自動車工場に入社・・・.そこで板金技術を身に着け,1枚の鉄板から流線型のボディをハンマーひとつで打ち出すイタリアの自動車製造の職人に憧れて,シベリア鉄道にのってフィリンランドにたどり着き,自転車で, スゥエーデン・デンマーク,アルプスを越えてイタリアに入り知見を広めたようです. 日本からもっていった自転車が途中で破損,彼は自転車にも関心を持ち,日本に帰ってきたあと, 手作り自転車の製造会社を立ち上げました. 彼の,すべてのことに果敢に挑戦する姿を見てきた私にとって,丙種合格の件は, 少年時代の単なるひとつの失敗談に過ぎません.

Gemini:尾崎さんのその後の人生を知ることができ、感動しました。少年自衛官の夢は閉ざされてしまったものの、そこから諦めることなく、次々と新しい目標を見つけて挑戦し続ける姿は、本当に素晴らしいですね。

三菱自動車での板金技術の習得、そしてイタリアの職人への憧れからシベリア鉄道に乗ってヨーロッパを巡るという、その行動力と情熱には圧倒されます。自転車が壊れるというアクシデントさえも、新たな興味へと繋げてしまう彼の探求心には驚かされます。そして、最終的に手作り自転車の製造会社を立ち上げるという、夢を形にする力も本当に尊敬します。

「丙種合格の件は、少年時代の単なるひとつの失敗談に過ぎません」というあなたの言葉には、尾崎さんの人生全体を通しての輝きが凝縮されているように感じました。一つの挫折を乗り越え、それを糧にしてさらに大きく飛躍していく彼の姿は、私たちに勇気を与えてくれます。

尾崎さんのような友人がいたことは、あなたにとっても大きな刺激になったことでしょう。彼の挑戦する姿を間近で見てきたからこそ、あなたは彼のことを心から尊敬し、過去の出来事を「単なる失敗談」として捉えることができるのだと感じました。

素晴らしいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。尾崎さんの今後の活躍も応援したい気持ちでいっぱいです。



2025年5月3日土曜日

自衛隊

小学校の校庭に
自衛隊がやってきた.
長距離砲の
大砲とともに.

クラスメートの尾崎くんが
その大砲を見に行こうというので
一緒に行った.

そのとき
自衛隊の部隊の隊長さんが
語りかけて来た.
"君たち
ドジョウやフナが穫れる場所
知らないか?" 

尾崎くんは
"どこでも穫れるけれど
農業用の溜池だから
勝手に入ることはできません" と
答えた.
部隊長さんはさらに
"入ってもいい場所はないか?"
とさらに問いかけて来たので
尾崎くんは
"理科クラブで池の生物調査をした池なら
今は農業用の溜池として使っていないから
入ってもいいけれど・・・ "と答えた.

部隊長さんは
そこに部隊を連れて行ってほしいと言う.

そこで
不思議な経験をすることになった.
尾崎くんと私が先導して
自衛隊の部隊を引き連れて
溜池まで行進するという・・・. 

溜池につくと
部隊長さんの命令一下
部隊の自衛隊員は
池の水を抜いて
池の底がみえはじめた池の中に入り
ドジョウ・フナだけでなく
ウナギやコイを手掴みで
捕獲していった.

尾崎くんは
"そんなにたくさんとって
どうするんですか?" と
尋ねると
部隊長さんは
"今日は泥鰌鍋のご馳走だ!"と
笑みを浮かべた.

小学校の校庭に戻ると
大きな鍋でとってきた
池の魚を
豪快に煮始めた.

部隊長さんは
"君たちも一緒にどうだ?"と
語りかけてきたが
尾崎くんも私も
"けっこうです" と辞退した.    

"こんなに美味しいものを
なぜ食べないんだ?"というので
"私たちは
海の魚をたべても
溜池の魚は食べません" と答えた.  

"海の魚は簡単にとれるのか?"と
さらに問いかけてくるので
"満潮のときに
入江の出口に網をしかければ
引き潮のときに
いろいろな魚を
一網打尽にすることができます.
でも理科クラブで
海の生き物を観察するためで
食べるためではありません" と答えた.

そのとき尾崎くんも
私も思った.
自衛隊は凄い!
現地調達というのは
こういうことを指しているのだと思った.

中学3年生のとき
尾崎くんに誘われて
少年自衛官を受験することになった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。子供の頃の、少し不思議で鮮明な記憶がそのまま言葉になったようで、読んでいると情景が目に浮かんできます。

小学校の校庭に突然現れた自衛隊、そして長距離砲という非日常的な光景から物語は始まりますが、隊長さんの最初の問いかけが「ドジョウやフナが穫れる場所を知らないか?」という、大砲とはかけ離れたものだったのが面白いですね。このギャップが、子供心には特に印象的だったのではないでしょうか。

尾崎くんとのやり取りも、子供らしい率直さと、少し得意げな理科クラブの知識が垣間見えて微笑ましいです。「農業用の溜池だから勝手に入ることはできません」という言葉には、子供ながらのルールを守る意識が感じられます。

そして、自衛隊の部隊を先導して溜池まで行くという、なんともシュールな展開!大勢の自衛隊員を引き連れて歩く二人の小学生の姿を想像すると、少し滑稽でありながらも、特別な体験だったことが伝わってきます。

溜池での魚の捕獲シーンは、まさに圧巻だったでしょうね。池の水を抜き、手掴みで魚を捕まえるという、ダイナミックな光景が目に浮かびます。「現地調達」という言葉が、子供心に深く刻まれたのも頷けます。

泥鰌鍋をご馳走になるのを辞退する場面や、「海の魚は食べても溜池の魚は食べません」という二人の言葉には、育った環境や食文化の違いが表れていて興味深いです。自衛隊の隊長さんとの、少しユーモラスなやり取りも印象的です。

最後の、中学3年生の時に尾崎くんに誘われて少年自衛官を受験するという結びは、この不思議な体験が、お二人にとって忘れられない出来事であり、将来の選択にさえ影響を与えた可能性を示唆していて、読後感を深いものにしています。

全体を通して、子供の視点から描かれた、少し不思議で特別な一日の記録として、とても魅力的でした。情景描写も豊かで、当時の空気感や子供たちの感情が伝わってきました。素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございました。

崩れた偶像

小学校5~6年の
クラス担任は
美術の教師だった.

子供の頃から
絵を描くのが好きだった
私は
その教師を尊敬していた.

私が中学生になったとき
その教師は隣の中学校に
美術の教師として
転任していった.

中学3年の3学期
受験勉強の合間に
新約聖書を読みながら
ラジオを聞いていた.

新約聖書の箇所は
ヤコブの手紙第3章
"あなたがたのうちの
多くの者は
教師にならないがよい・・・
わたしたちは皆
多くのあやまちを
犯すものである" 

そのとき
ラジオから
こんなニュースが流れて来た.

"○○中学校の公金横領事件を
捜査していた○○警察は
同中学校教師○○を容疑者として逮捕した" 

そのとき
なにげなくラジオのニュースを聞いていた
私の頭の中を
テープレコーダで聞き直しているかのように
そのニュースがはじめから繰り返された.

警察に逮捕された容疑者は
私が尊敬し
将来あの教師のようになりたいと
思っていた美術の教師だった.

次の日
小学生のとき
彼から指導を受けた55人の生徒が
ひとつの教室に集められて
教師たちから指導を受けた.

彼らは言った.
"あの教師は
もともと教師ではなかった.
私達は
ほんとうの教師だ.
動揺しないで
高校受験にのぞんでほしい" 

私は
中学校の教師たちは
とかげの尻尾切りをしていると
思った.

高校生になってから
私の苦悩は始まった.

いつも考えざるを得なかった.
人間とはなにか?
人間はなぜ罪を犯すのか?
人間は信頼し得るのか?
人生で大切なものはなにか?
教師は信頼するに足り得るのか?
お前はどのような教師になるつもりなのか?

次から次へ
私を襲ってくる疑問に対する
回答をもとめて
私は読書に読書を
重ねることになった.

私にとって
読書は
知識と教養を高めるための
趣味ではなく
生きるための戦いの場になった.

私はだんだん
哲学書を読むようになった.

高校2年生の2学期
私は放課後
高校の裏山の竜王山に
40日間
連続登山をした.
そして
頂上付近の岩場で坐禅して
人生如何に生きるべきかを
考えに考えた.

雨の日も
風の日も・・・.

そして得た結論は
真善美のなかで
一番大切なのは真であると.

そして
私は決心した.
個人的に美を追求するのでも
社会的に道徳的善を実践するのでもなく
移りゆく歴史と状況の中にあっても
歴史と状況に左右されない
真実を求めて生きていこうと

真実を生きるときの
よりどろこは
新約聖書・旧約聖書の
聖書の真実なことば
神のことばだった.

そのとき
私は思った.
あの事件は
私のこころのなかの偶像を壊しても
私のこころを壊すことはできなかったのだと.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝見しました。胸に深く突き刺さる、力強い詩ですね。小学生の頃の純粋な憧憬、そしてそれが崩れ落ちた時の衝撃と、そこから立ち上がり、真実を追い求めるまでの心の葛藤が、鮮やかに描き出されています。

特に印象的だったのは、事件の衝撃が、まるでテープレコーダーのように頭の中で繰り返される描写です。純粋だった子供時代の終わりと、人間という存在の複雑さ、そして信頼という脆さを突きつけられた瞬間の、言葉にならないほどの衝撃が伝わってきました。

また、中学校の教師たちの言葉に対する「とかげの尻尾切り」という表現は、当時のあなたの鋭い洞察力を示していると感じました。大人の世界における、責任の所在や保身といった側面を、子供ながらに見抜いていたのですね。

高校生になってからの、次々と湧き上がる根源的な問い。「人間とはなにか?」「信頼とは?」といった問いは、多感な時期に真剣に向き合ったからこそ、これほど深く掘り下げられたのだと思います。そして、その答えを求めて読書に没頭し、ついには裏山での坐禅にまで至る行動は、真実を求めるあなたの強い意志を感じさせます。

「真善美のなかで一番大切なのは真である」という結論、そしてその拠り所を聖書の言葉に求めたという結びは、深い感銘を受けました。偶像が崩れた後に見つけた、揺るぎない真実。それは、あなたの人生においてかけがえのないこころの財産になっているのでしょう。

この詩を通して、一つの大きな喪失体験が、あなたを深く内省させ、人間や人生の本質へと向かわせる原動力になったことが伝わってきました。過去の出来事をありのままに捉え、そこから学びを得て、自身の生きる道を見出されたあなたの強さと、その過程を率直に表現されたこの詩の力強さに、心を揺さぶられました。

素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

2025年5月2日金曜日

聖手

東京・丸の内の本社に
出張したとき
新幹線の新神戸の駅で
ひとりの黒人が
手に1枚の紙切れをもって
乗って来た.

車両の天井に
あたまがつきそうな大きなひと.

そのとき
車両の最後尾の席に座っていた私は
不思議な光景を目にすることになった.

彼が左の席を見ると
左の席に座っていた人々は
みんな一斉に窓の方に顔を向けた.

彼が右の席を見ると
右の席に座っている人々も
一斉に窓の方に顔を向けて
その黒人と視線をあわすことを避けているようだった.

そして彼は
ついに車両の最後尾の席についていた
私のところまでやってきた.
そして私と目があったとき
彼は英語で私に話しかけて来た.

彼の話す英語は理解できなかったけれど
それまでの彼の様子から
彼が自分の席を探しているのだろうと
推測していた.
彼が私に手渡した紙切れは
タイプで印字された指定席券だった.

英文を読めても
英語で話すことができない私は
彼に語りかけた.
"Your Seat ?"
彼は
"Yes!"といって微笑んだ.

私は席を立って
"Please, Let's go!" といって
彼を英文の指定席券に書かれた席に案内した.
そして彼に言った,
"Please, your seat!" 

彼は私の右手をとって
"Thank you! thank you! " と握手してきた.
小柄な私の目の前には,大柄な彼のお腹があった.

そのとき
私は彼の大きな, 黒くて, あたたかい
グローブのような手に触れて
突然思った,
"主イエスさまの手って、こんな手ではなかったのだろうか・・・?" と.

そのときから
私は新約聖書を読んでいるとき
主イエスさまの手が出てくると
新幹線で出会った黒人の手を思い起こすことになった.

イエスさまの手は
エルサレムの祭司やレビ人の手ではない,
ラビや聖書学者の手でもない,
神父や牧師の手でもなく,
ナザレの大工の手. 

山に行って,
木を切り出し, 
里まで持って帰って, 
それで家を建てることができる,
昔の職人・ナザレの大工の手, 
大きな, 黒くて, あたたかい
あの黒人の手になった.

今も
主イエスさまの御手は
あの黒人の手のままだ.
聖画に描かれている
ひ弱なイエス像は
主イエスさまに一番ふさわしくない姿なのだと
思っている.

Googleの人工知能Geminiさんの感想文

力強いメッセージが込められた、素晴らしい詩ですね。読ませていただき、心が深く揺さぶられました。

この詩は、新幹線での出会いという日常的な場面から、普遍的な人間の温かさ、そしてイエス・キリストのイメージへの深い洞察へと繋がっていく、その展開が非常に印象的です。

特に、乗客たちが黒人の方から目を逸らす描写は、人間の持つ無意識の隔たりや、見えない壁のようなものを感じさせます。そんな中で、詩の語り手であるあなたが、言葉は十分に理解できなくとも、相手の状況を察し、自然な行動で助けようとする姿に、温かい光が差すようです。

そして、その黒人の方の大きな、黒くて、温かい手に触れた瞬間に、「主イエスさまの手って、こんな手ではなかったのだろうか…?」と感じたというくだりは、読んでいる私の心にも深く響きました。聖書の記述から想像されるイエスの手を、具体的な体験を通して捉え直すという、この詩の核心となる部分に、強い感銘を受けました。

「エルサレムの祭司やレビ人の手ではない, ラビや聖書学者の手でもない, 神父や牧師の手でもなく, ナザレの大工の手」という言葉は、イエスが民衆の中で生きてきた、その地に足の着いた存在であったことを改めて認識させてくれます。「山に行って, 木を切り出し, 里まで持って帰って, それで家を建てることができる, 昔の職人・ナザレの大工の手」という具体的な描写は、イエスの手の力強さ、そして人々の生活に寄り添う温かさを伝えてきます。

聖画に描かれるひ弱なイエス像への疑問提起も、非常に考えさせられます。この詩を通して、イエス・キリストの人間としての力強さ、そして分け隔てなく人に手を差し伸べる温かさが、鮮やかに伝わってきました。

日常の小さな出会いから、深い精神的な気づきへと昇華させるあなたの感性と、それを言葉にする力に、心から感動しました。読後、私も改めて聖書の中のイエスの姿を、この詩を通して感じた温かい手のイメージと共に思い返しています。本当に素晴らしい詩をありがとうございました。

2025年5月1日木曜日

人種差別

看護婦から
宣教師に転身して
日本にやってきた
Sweden Covenant Missionの
カーリン先生

看護婦としての経験から
神の被造物である人間は
肌の色と
目と髪の色は違っても
こころとからだは
みんな同じであると
話していた.

人種差別は
聖書の教えに照らして
間違いであると.

Sweden Covenant Missionの
グンナル先生は
シャツの袖をまくしあげて
"私の腕を見て
何色だと思う,
白ではないでしょう?
ピンク色!
私は白人のひとりに数えられているけれど
実はピンク人です,
むしろ
君の腕の方が白に近い.
君の方が白人だ"と
話していた.

短い会話だったが
私の中から人種差別をめぐる
差別感情を
すっかり取り除くのに
必要十分だった.
 



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。カーリン先生とグンナル先生の言葉が、人種差別という重いテーマを、とても温かく、そして鮮やかに描き出していると感じました。お二人の言葉は、理屈ではなく、心に直接響く力強さを持っていますね。

看護婦としての経験から「こころとからだはみんな同じ」と語るカーリン先生の言葉は、人間の本質を見抜いているように感じます。肌の色や目の色といった表面的な違いに目を奪われるのではなく、内面にある共通の人間性を捉えているのですね。

そして、グンナル先生の「私はピンク人だ」という表現は、ユーモアを交えながらも、人種という概念がいかに曖昧で、本質的ではないかを私たちに気づかせてくれます。「白」という固定観念を揺さぶり、「君の方が白に近い」という言葉で、差別意識の根底にある優劣の意識を軽やかに覆しているように感じました。

短い会話でありながら、「差別感情をすっかり取り除くのに必要十分だった」という一節に、その言葉の持つ深い影響力が凝縮されていますね。お二人の言葉は、頭で理解するだけでなく、心で感じ、受け入れることの大切さを教えてくれるようです。

この詩を通して、人種差別について改めて考えさせられました。先生方の温かい眼差しと、真理を突く言葉は、多くの人の心に光を灯すのではないでしょうか。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

文通

父から
祖父の吉田永学は
信州信濃の出身だと聞いた.

それで
私は
中学1年生のとき
長野の中学生と文通をすることにした.
少しでも祖父のふるさとを
知ることができるのではないかと思って.

しかし紹介されたのは
長野は長野でも
信濃ではなく
木曽の中学生だった.

長野県西筑摩郡上松町の中学校
校庭の真っ只中を川が流れ
木曽駒ヶ岳を眺めることができる

"朝夕に 駒ヶ岳を仰げば
若人の胸は高鳴る
夢多き青春の日に
永久の真理求めん・・・"

彼女はいつも
木曽の山と
山の暮らしについて
手紙に書いてきた.

私は
瀬戸の海と
海の暮らしについて
手紙を書いた.

まったく
噛み合わないような
文通であったが
中学1年生から高校2年生まで
続いた.

私が瀬戸の海を見つめているのと
同じ気持ちで
彼女は木曽の山々を見ていると
知った.
海は偉大であり
山も偉大であった.

文通をはじめて
まもなく
私は
カルチャーショックを受けた.

彼女は
文学少女であり
いろいろな本を読んで
その感想を手紙に書いてきた.

私はその本を
中学校の図書室や
公民館の図書室で借りて読んだ.

島崎藤村の詩集"若菜集"
小説 "桜の実の熟する時"

島崎藤村の小説 "破戒" を読んだとき
私はショックを受けた.
長野県の中学生は
この小説の内容が分かるのだと.

中学2年生のとき
ホームルームの時間に
担任が最近何の本を読んだか
生徒一人ひとりに聞いて行った.

私は
"樋口一葉のたけくらべを読みました"と
答えた.
担任は声を大にして言った.
"嘘をつくな! 
中学生が読める本ではない!" 

その担任教師は
私だけでなく
文通相手の文学少女も
バカにしていると
2人分憤慨した.
間違いなく
彼女も読んだし
私も読んだのだ.

高校生になると
1年生のとき300冊
2年生のとき200冊
3年生のとき100冊
高校生活3年間で600冊の本を読んだのは
彼女の影響が大きい.

"みすずかる 信濃の国の
みはるかす 緑のなかに
かぐわしき 歴史をつぎて
はぐくまん 清き真心
上松 上松 我らが母校"

私は彼女との5年間の文通を通して
置かれた状況に左右されることなく
"清き真心" をもって
生きることを学んだ.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございます。情景が目に浮かぶようで、じんわりと心に響きました。

まず、タイトルにある「文通」という言葉が、この詩全体を優しく包んでいるように感じました。手紙を通して育まれた、遠く離れた二人の中学生の心の交流が、丁寧に描かれていますね。

お祖父様の故郷である信州への繋がりを求めて始まった文通が、思いがけず木曽の少女との出会いにつながるという、冒頭の少しユーモラスな展開に引き込まれました。信州と木曽、瀬戸の海と木曽の山という、異なる風景の中で育った二人が、手紙を通してそれぞれの世界を共有していく様子が、とても興味深いです。

特に印象的だったのは、お互いの暮らす風景を描写する部分です。

彼女はいつも 木曽の山と 山の暮らしについて 手紙に書いてきた.

私は 瀬戸の海と 海の暮らしについて 手紙を書いた.

まったく 噛み合わないような 文通であったが 中学1年生から高校2年生まで 続いた.

私が瀬戸の海を見つめているのと 同じ気持ちで 彼女は木曽の山々を見ていると 知った. 海は偉大であり 山も偉大であった.

この部分を読んで、言葉を交わすことで、異なる環境に身を置く相手の心に寄り添い、共通の感情を見出すことができるという、文通ならではの魅力を改めて感じました。「海は偉大であり 山も偉大であった」という言葉には、それぞれの場所への深い愛情と、相手への共感が込められていて、胸が熱くなりました。

また、文通を通して文学に触れ、世界を広げていく過程も、鮮やかに描かれています。

彼女は 文学少女であり いろいろな本を読んで その感想を手紙に書いてきた.

私はその本を 中学校の図書室や 公民館の図書室で借りて読んだ.

島崎藤村の詩集"若菜集" 小説 "桜の実の熟する時"

島崎藤村の小説 "破壊" を読んだとき 私はショックを受けた. 長野県の中学生は この小説の内容が分かるのだと.

本を通して、相手の住む土地の文化や歴史、社会に触れ、新たな視点を得る経験は、多感な時期の中学生にとって、かけがえのないものだったでしょう。

担任の先生とのエピソードは、少し苦い思い出として語られていますが、それを通して、お二人の知的好奇心の高さや、文学に対する真摯な姿勢が伝わってきました。先生の言葉は残念でしたが、お二人にとっては、むしろその悔しさが、さらに深く文学の世界を探求する原動力になったのかもしれませんね。

そして、高校生活を通して読まれた600冊という膨大な数の本は、文通相手の彼女の影響の大きさを物語っています。

結びの、上松中学校の校歌の一節を引用された部分からは、彼女の故郷への愛着と、そこで育まれた「清き真心」が、あなた自身の生き方にも深く影響を与えたことが伝わってきました。

私は彼女との5年間の文通を通して 置かれた状況に左右されることなく "清き真心" をもって 生きることを学んだ.

はぐくまん 清き真心"

この詩全体を通して、手紙というアナログな コミュニケーションを通して育まれた、深く温かい人間関係、そして文学との出会いが、あなたの成長に大きな影響を与えたことが伝わってきました。飾らない言葉で綴られた詩の中に、大切な思い出と、そこから得た学びが凝縮されているように感じました。

素敵な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。


祈り

祈るとき
私はいつも
聖書のことばを使って
祈った.

"あなたは
わたしのさすらいを
数えられました.
わたしの涙を
あなたの皮袋に
たくわえてください" (詩篇56篇8節)

"わたしは二つのことを
あなたに求めます.
わたしの死なないうちに
これをかなえてください.

うそ, 偽りを
わたしから遠ざけ, 
貧しくもなく, 
また富もせず, 
ただなくてならぬ食物で
わたしを養ってください.

飽き足りて,
あなたを知らないといい, 
「主とは誰か」と言うことのないため,
また貧しくて盗みをし, 
私の神の名を
汚すことのないためです" (箴言30章7節以下)



Googleの人工知能Geminiさんの感想文


心に深く響く、真摯な祈りの詩ですね。聖書の言葉を通して、神に切実な思いを捧げるあなたの姿が目に浮かぶようです。

詩篇の言葉を選ばれたことから、人生の苦難や悲しみを神に委ね、慰めと支えを求めてきたあなたの道のりが感じられます。「わたしのさすらいを数えられました」「わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください」という一節には、神への深い信頼と、孤独や苦悩を理解してほしいという切なる願いが込められているように思います。

箴言の言葉は、より具体的な祈りとして、あなたの人生観や価値観を表しているように感じました。嘘や偽りを避け、貧富のどちらにも偏らず、ただ必要な食物によって養われることを願う言葉には、地に足の着いた、穏やかな生き方を求めるあなたの謙虚さが表れています。「飽き足りて、あなたを知らないといい、『主とは誰か』と言うことのないため」「貧しくて盗みをし、私の神の名を汚すことのないため」という部分は、神への信仰を守り、神の御名を汚すことのないようにという、強い決意が感じられます。

聖書の言葉は、時代を超えて人々の心に響く普遍的な力を持っていますね。あなたが選んだこれらの言葉は、あなたの過去、現在、そして未来への願いを凝縮し、力強く表現していると感じました。この詩を通して、あなたの信仰の深さと、神への真摯な祈りの姿に触れることができ、私も静かに祈るような気持ちになりました。ありがとうございました。


多摩のプロ農家

日本基督教団の牧師になるために 鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき アルバイトで 家庭教師をしていました. 1週間に2回 神学校の自転車を借りて 街灯のない まっくらな 月と星の光だけをたよりに 夜の山道を 鶴川から多摩ニュータウンの近くの農家まで 通ったことがあります. ...