2025年6月28日土曜日

懲戒処分

 私が
Swedwn Covenant Missionの教会の
役員になったのは
19歳のときでした.

洗礼を受けて日の浅い私が
なぜ教会の役員に選出されたのか
未だに謎です.

しかし
1年後
教会役員として相応しくないとして
解任されました.

なぜ解任されたのか
それも未だに謎といえば謎です.

教会役員会の職務のひとつに
懲戒があります.

教会役員会で取り扱うことになった
最初の懲戒は
縫製工場に勤めていたA姉が
A姉のおとうさんとおかあさんが
同時に病気で倒れ
長女のA姉は仕送りの額を
増やさざるを得なくなったのですが,
それでA姉は
児島から離れて
水島のバーに転職したのですが
教会役員会は
水商売に走ったA姉は
信仰を放棄したのと同じだと判断して
除名処分にしたのです.

そのことに反対したのは
19歳で教会役員になった
私だけでした.

2つ目の懲戒は
Sweden Covenant Missionの宣教師と
日本人牧師が
岡山市内のダンスホールで
一緒に踊っていたと
福音派の某牧師から
密告の電話があったということで
Sweden Covenant Mission の宣教に
負のイメージを与えたというのが
懲戒の理由でした.

その結果
二人は牧師・宣教師の資格を剥奪されてしまいました.

そのことに反対したのは
やはり
19歳で教会役員になった
私一人でした.

私が
教会役員を解任されたのは
私が教会役員会の
全員一致が要求される決議に
ことごとく反対するというのが理由でした.

反対のために
反対していたのではなく
私も
病気で倒れた父を看病するために
大学進学の夢を捨てて
働かざるを得なかったので
Aさんの気持ちがよくわかったからです.

Aさんは
キリスト教の信仰を捨てて
水商売に走ったのではなく
キリスト教の信仰をもったまま
その父母を支えるために
水商売の世界に入って行ったのです.

宣教師と日本人牧師についても
19歳の私ですら
彼らが交際していることを知っていました.
ダンスホールでダンスをしたからといって
宣教師と牧師の資格まで
剥奪するというのは
神の愛のない
無慈悲な所業と思えたからの
反対でした.

ふたりはやがて
Swedenで結婚しました.

私は
日本基督教団の牧師になってから
一度も教憲教規に基づいて
''懲戒処分'' を下すことはありませんでした.
自ら教憲教規に違背するようなことも
しませんでした.

すべて
主なる神さまに
委ねました.
牧師である私が裁かなくても
神の御前で罪を犯した人は
自らに裁きを招いて行きました. 

ゲーテは
ファウストの中で
''裁くことができない裁判官は
やがて犯罪者の仲間入りをすることになる'' と
語っていますが,
牧師は裁判官ではありませんので
裁きを主なる神さまに委ねることは
罪人の仲間入りをすることにはなりません.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの詩「懲戒処分」を拝読しました。若くして教会の役員になり、そこで経験したこと、感じたことが率直に綴られていて、非常に考えさせられる内容でした。

特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

若き日の葛藤と正義感

19歳という若さで教会の役員に選ばれながら、その理由も解任の理由も「謎」と表現されている部分から、当時のあなたの困惑が伝わってきました。しかし、その中でも、A姉や宣教師・牧師に対する懲戒処分にたった一人で異議を唱えたというエピソードからは、あなたの強い正義感と、表面的なルールにとらわれない深い人間理解が伺えます。

「神の愛のない無慈悲な所業」への疑問

A姉のケースでは、家族を支えるために選んだ苦渋の決断が「信仰を放棄した」と断じられ、宣教師と日本人牧師のケースでは、密告一つで資格を剥奪されるという、当時の教会の判断基準に対するあなたの疑問が痛いほど伝わってきました。特に、「神の愛のない無慈悲な所業」という言葉は、あなたの胸中にあった怒りや悲しみを端的に表していると感じます。

後の牧師としての姿勢

これらの経験が、あなたが日本基督教団の牧師になってからの「一度も教憲教規に基づいて''懲戒処分''を下すことはありませんでした」という姿勢に繋がっていることがよく分かります。人ではなく神に裁きを委ねるという選択は、かつて自身が体験した不条理な懲戒への反動であると同時に、信仰者としての深い洞察と慈悲の心から来ているのだと感じました。

ゲーテの引用と牧師の役割

ゲーテの言葉を引用しつつ、牧師は裁判官ではないと結ばれている点も興味深かったです。これは、人間が人間を裁くことの難しさ、そして牧師の真の役割は裁くことではなく、すべてを神に委ねることであるという、あなたの確固たる信念が表れているように感じました。

全体として、この詩は、ある若者の心の成長と、信仰における倫理観、そして赦しと慈悲の重要性を深く問いかける作品だと感じました。自身の経験に基づいているからこその説得力があり、読者に多くの示唆を与えてくれる詩だと思います。



2025年6月26日木曜日

心の狭さ

日本基督教団西中国教区の
山口のちいさな教会の牧師をしていたときのこと.


妻が話しかけてきた.
"あなたゴミ捨て場に平凡社の百科事典が捨ててある.
拾ってこようか?"

私は
"もしかしたらただ
一時的に老いているだけかもしれないよ.
夕方になっても誰も取りに来なければ
もらうことにしよう."  と答えた.

さらに次の朝
"あなたゴミ捨て場に本箱が捨ててある.
もらってこようか?"という.

それで
妻と私は本箱もいただくことにした.

そしてさらに
さらに次の夜
妻が また箱が捨ててあるというので
ふたりでとりにでかけた.

礼拝堂の明かりの前まで
持って帰ると
それは仏壇だとわかった.
"仏壇を捨てるひとがいるの?
普通は廃棄するときは
ゴミ箱に捨てるのではなく
焼き捨てるのでは?"といいながら
その仏壇を元の場所に戻した.

その夜
私は夢を見た.
黄金に輝く雲にのって
釈迦がやってきて
"私を
あなたが牧師をしている
教会の信徒にしてください"と
語りかけてきた.

そのとき
私は
"お釈迦さんを
キリスト教会の信徒として
受け入れることはできません."と
無碍もなく断った.

その夢の話を
妻にすると
妻は言った.
"あなた
こころが狭いのね.
たとえお釈迦さんでも
受け入れてあげたらよかったのに".

そのとき
私は
私のこころの狭さを反省した.

あるとき
妻と二人で
長州藩の家老たちの代々の墓地のある
曹洞宗の寺を尋ねた.

その寺の住職は
山口県立大学の学長をされている方で
その方と話をする機会があった.

その方は私に言った,
"あなたは変わったひとですね.
仏教の僧侶である私に
仏典を引用しながら
'差別なきこころ
それがほとけの浄土である'と
反差別の説教をされる.

この寺の檀家で
親に反対されても洗礼を受けて
クリスチャンになった
娘さんがなくなって
両親から私に
この寺でその娘さんを
キリスト教式で弔ってほしいと依頼され
とても困ったことがある.

しかし
仏典を読んでいる牧師さんなら
これからは同じような事例に接すると
この寺で
あなたにキリスト教の葬儀をしてもらうことにしよう" と.  

その日はやってくることはなかったが,
お釈迦さんの入信を拒否して
自分の心の狭さを痛感した私の中に
仏教や僧侶に対する姿勢に変化が生じた.

江戸時代
当時の司法警察官であり
キリシタン弾圧にかかわっていた
穢多役・非人役の旦那寺である
浄土真宗の寺に出入りして
被差別部落の歴史
穢多寺の歴史を調べることに抵抗感はなくなった.

私は
彼らの語る言葉に
耳を傾けることができた.
同和問題と取り組む宗教者の
良心とその闘いを知ることになった.

私は
どのような宗教の宗教者とであっても
日本基督教団の牧師であり
聖書信仰を生きている私の
Raison d'être を見失うことなく
彼らと関わりと対話を持つことができるようになった.

私は
釈迦の夢を再び見ることはなかった.

もちろん
私は夢の中で
聖書の主なる神さまも
主イエスさまも
一度もみたことがない.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

れは大変興味深く、深みのある詩ですね。読ませていただき、さまざまなことを考えさせられました。

感想

この詩は、一人の牧師の内面的な変化と成長を、具体的なエピソードを交えながら率直に描いています。特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

日常からの気づき

平凡社の百科事典や本箱、そして仏壇といった「ゴミ捨て場に捨てられた物」を巡る妻とのやり取りが、心の狭さに気づくきっかけとなっている点が秀逸です。日常のささやかな出来事から、人の心のあり方について深く考えるようになる過程が、とても人間らしく描かれています。特に、仏壇を元の場所に戻す場面は、牧師としての信仰と、他宗教の対象物に対する戸惑いがリアルに伝わってきました。

釈迦の夢と心の狭さ

最も心を揺さぶられたのは、釈迦がキリスト教会の信徒になりたいと申し出てきた夢を、牧師が無碍もなく断ってしまう場面です。そして、それを聞いた奥様の「あなた こころが狭いのね。たとえお釈迦さんでも受け入れてあげたらよかったのに」という一言。この一言が、牧師自身に「心の狭さ」を自覚させる決定的な瞬間として描かれているのが素晴らしいです。読者もまた、この牧師の心の葛藤と、それに続く反省に深く共感させられます。

宗教間の壁を越える試み

釈迦の夢をきっかけに、牧師の心境に変化が生じ、仏教や僧侶に対する姿勢が変わっていく過程が感動的です。特に、曹洞宗の住職との対話のエピソードは、宗教の壁を越えた相互理解と協力の可能性を示唆しており、現代社会において非常に重要なメッセージを含んでいると感じました。住職が「仏典を読んでいる牧師さんなら、これからは同じような事例に接するとこの寺であなたにキリスト教の葬儀をしてもらうことにしよう」と語る場面は、宗派を超えた人間的な信頼関係が芽生えていることを感じさせ、温かい気持ちになりました。

同和問題への視点

さらに、被差別部落の歴史や穢多寺の歴史を調べることに抵抗感がなくなったという記述は、牧師の視野が広がり、社会的な差別問題に対しても積極的に向き合うようになったことを示しています。これは、信仰が内向きなものに留まらず、社会的な課題解決に貢献する力を持つことを教えてくれます。

Raison d'êtreの再確認

最終的に、「どのような宗教の宗教者とであっても、日本基督教団の牧師であり聖書信仰を生きている私のRaison d'êtreを見失うことなく彼らと関わりと対話を持つことができるようになった」という言葉で締めくくられているのが、この詩全体のメッセージを力強く象徴しています。自己の信仰を堅持しつつも、他者を受け入れ、対話することの重要性を再認識されたのですね。

全体として、この詩は信仰と人間性、そして他者との関わりについて深く考えさせる力を持っています。ご自身の内面をこれほど率直に、かつ詩的な表現で描き出されたことに感銘を受けました。

この詩は、牧師としての生き方、あるいは信仰を持つ者が他者とどのように向き合うべきか、といった問いを読者に投げかけているように感じました。素晴らしい作品を共有していただき、ありがとうございました。 

2025年6月11日水曜日

心に残る祈り

日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校に入るとき
Sweden Covenant Missionの
教会役員会は
こぞって反対した.

無学歴・無資格 (Academic Outsider)の
何処の馬の骨かわからない私を
神学生として推薦することはできないと.

そのときの牧師は
教会としてではなく
その教会の聖書研究祈祷会から
私を送り出してくれた.

最後の聖書研究祈祷会のとき
参加したすべての信徒が
ひとりずつ
私のために祈ってくれた.

そのときどのように
祈ってくださったのか
忘却の霧の中に包まれて
思い出すことができないが
ただ一人の姉妹の祈りだけは
いまだに覚えて
忘れることができない.

その姉妹は
こどものころから
知的障害のある女性だった.
その彼女が
私のために祈ってくれた.

"イエスさま
吉田さんが献身します.
吉田さんを感謝します.

イエスさま
吉田さんを守ってください." 

私は
牧師と
聖書研究祈祷会に出席された信徒によって
按手礼を受けることになった.

牧師は言った.
"日本基督教団の牧師になって
その教会の牧師・信徒から
受け入れられなかったら
あなたは
単立教会の牧師になりなさい.
そのために
私達は
今日ここで
あなたに按手礼を施します"と.

だから
私は
キリスト教会の牧師として
2度按手礼を受けたことになる.

日本基督教団は
信仰の多様性を認める稀有な教団.
そのふところのひろさで
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私も
65歳で隠退牧師になるまで
牧師を続けることができた. 

"吉田さんを感謝します.
イエスさま
吉田さんを守ってください. "と
祈ってくれた
姉妹の祈りに支えられて.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

詩を拝読しました。神学校への入学を志す青年が、周囲の反対や困難に直面しながらも、信仰と祈りに支えられて牧師としての道を歩んでいく姿が、胸に迫るように伝わってきました。

心に残る祈りと献身

この詩は、ご自身の献身の道のりを率直に、そして非常に感動的に描かれていますね。特に印象的だったのは、学歴や資格がないために周囲から反対されるという逆境の中で、それでも牧師の道を選び進んでいく強い意志です。

Sweden Covenant Missionの教会役員会の反対という具体的なエピソードから始まり、その後の牧師や聖書研究祈祷会の信徒たちの温かい支えへと展開していく構成は、読者の感情を揺さぶります。特に、知的障害のある姉妹の祈りの言葉が、忘れえぬ記憶として心に刻まれているというくだりは、この詩の大きな核となっていると感じました。飾り気のない、しかし深い愛情と信仰に満ちたその祈りが、どれほど吉田さんの支えになったか、行間からひしひしと伝わってきます。

また、二度の按手礼という異例の経験も、吉田さんが牧師としての道を歩む上での覚悟と、それを受け入れた周囲の深い理解を物語っています。日本基督教団の「信仰の多様性を認める稀有な教団」としての懐の深さも、吉田さんの牧師としての歩みを可能にした重要な要素として描かれており、感謝の念が込められているように感じられました。

詩から伝わるメッセージ

この詩全体から、信仰の力人との繋がり、そして困難を乗り越える強さというメッセージが強く伝わってきます。特に、弱き者と思われがちな立場の人からの純粋な祈りが、最も大きな支えとなったという事実は、真の信仰のあり方を示唆しているようにも思えます。

吉田さんが65歳で隠退牧師になるまで牧師を続けられた背景には、この詩に綴られた数々の経験、そして何よりもあの姉妹の祈りが、心の深い部分で支えとなっていたことがよく理解できます。

この詩は、吉田さんの人生における重要な転換点と、それを支えた人々の温かさ、そしてご自身の信仰の深さを、簡潔でありながらも力強く表現している素晴らしい作品だと感じました。

2025年6月10日火曜日

尊敬する仕事

小学生のとき
よく母に連れられて
町の映画館へ
映画を見に行った.

その映画の中で
繰り返し流される
主題歌とメロディは
自然に私の
脳裏に刻み込まれて行った.

海が好きな私は
大人になると
海と関係した
仕事がしたいと思っていた.

泳ぐことができないのに.

でもその映画をみていたとき
泳ぐことができなくても
陸の上でできる
海の仕事があることを知った.

"俺ら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をかざす灯をかざす

冬が来たぞと
海鳥啼けば北は雪国
吹雪の夜の沖に霧笛が
呼びかける呼びかける"

私は
灯台守になりたいと思った.
おさないときから
からだが弱く
小学生になってからも
体育免除されたこともあった私にとって
それは夢の中の夢でしかないことを
こども心に知ってはいたのだけれど・・・.

小学校の教師は
灯台守になるためには
海上保安大学校をでなければならないと
話していた.
そのためには
一生懸命勉強しなければと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

以前いただいた詩も拝読しました。今回も、幼い頃の純粋な憧れと、それを阻む現実、そしてそこから生まれた夢が描かれていて、とても心温まる作品だと感じました。

感想

この詩は、**「灯台守」**という仕事への幼い頃の憧れが、いかにして形成され、そしてそれがどれほど強く心に残ったかが丁寧に綴られていますね。

まず、お母様と一緒に行った映画館での体験が、その後の筆者の人生観に大きな影響を与えていることが伝わってきます。映画の主題歌が自然に脳裏に刻み込まれるという描写は、子供時代の感受性の豊かさを示しています。そして、その歌がきっかけで、**「海」への漠然とした憧れが、「灯台守」**という具体的な夢へと昇華されていく過程が美しいです。

「泳ぐことができないのに」という一文は、その夢がいかに純粋で、しかし同時に現実との隔たりがあることを示唆しており、読者の共感を誘います。それでも、「陸の上でできる海の仕事があることを知った」という発見は、幼い筆者にとっての大きな喜びだったのでしょう。引用された歌詞は、灯台守の仕事の尊さや、彼らの暮らしの情景を鮮やかに描き出しており、筆者がこの仕事に惹かれた理由がよくわかります。

また、**「からだが弱く」「体育免除されたこともあった」という自身の身体的な制約を認識しつつも、それでも灯台守を夢見る「夢の中の夢」**であるという描写に、子供心ながらの葛藤と、それでも消えない強い憧れが表れています。そして、小学校の先生の言葉が、その夢をより具体的に、しかし同時に遠いものとして認識させるきっかけとなったことも描かれており、幼少期の記憶が詳細に蘇るようです。

全体として、子供の純粋な憧れと、それを育む環境、そして少しずつ現実を知っていく過程が、飾らない言葉で綴られており、読み手の心にじんわりと染み渡る作品でした。



潮のかおり

    高校3年の3学期
    地方公務員をしていた父が
    脳梗塞で倒れた.

    そのため
    私は大学進学を断念したが
    高校の担任教師は
    働きながら夜間大学に通うことができるように
    大阪市立中学校事務職員(府費職員)採用試験を
    受けることをすすめてくれ
    合格したときは
    吹田市にある岡山県人寮に入る手続きをしてくれた.

    研修校の瓜破中学校の校長は
    私の任地を
    関西大学の夜間に通えるように
    大阪市立十三中学校にしてくれた.
    教員免許をとると
    即校長権限で教師として採用するとの
    約束と一緒に.

    しかし
    父の病気が再発
    再起不能となった.
    私は大学進学の一縷の望みを捨てて
    岡山に帰郷
    母と妹と私の3人で働いて
    父の看病と弟の高校進学のために
    労することになった.

    新大阪で新幹線に乗ったとき
    吹田駅から天王寺駅まで乗った
    外回り環状線のことを思い出していた.

    最初に環状線にのって
    天王寺駅におりて
    大阪市内で一番最後に
    数年前に
    バスが通ることになったという
    瓜破に向かった.

    そのとき
    私が吸った大阪の空気は
    排気ガスの匂いがした.
    そのとき
    私は
    生まれ育った岡山の
    瀬戸内海の
    潮のかおりがとても恋しくなった.

    そして
    仕事を終えた帰り
    私は
    わざわざ遠回りして
    環状線の外回りの電車に乗って
    大阪の海をながめながら
    帰路についた.

    大学進学も
    中学校教師になる夢も
    私から遠ざかっていくのを感じた.
    新幹線の速度と
    同じ速さで・・・.

    しかし
    私は
    もう一度
    岡山の瀬戸の海の
    潮のかおりを吸って
    生きることができると
    パンドラの箱の中に残った
    希望のように感じた.

    聖書があれば
    私は
    どこでも
    どのような状況でも
    自分を見失わず
    神のみことばに従って
    生きていけると思った.

    私の
    聖書は
    瀬戸の海の
    潮のかおりがする.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


詩を拝読しました。ご自身の体験に基づいた、非常に深く、胸に迫る作品ですね。

感想

この詩は、筆者の人生における大きな転換期と、それに伴う心情の変化が克明に描かれています。特に心に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

諦めと希望のコントラスト

お父様の病気をきっかけに、大学進学や教師になる夢を諦めざるを得なくなった筆者の苦渋が伝わってきます。新幹線で岡山へ帰郷する際の「大学進学も/中学校教師になる夢も/私から遠ざかっていくのを感じた」という表現は、夢が遠ざかる速度と新幹線の速度を重ね合わせることで、その喪失感の大きさを際立たせています。

しかし、その一方で、「潮のかおり」という具体的な香りの記憶を通じて、「パンドラの箱の中に残った/希望のように感じた」と表現される希望が見出される点が印象的です。絶望的な状況の中にも、故郷への想いや、自らを支えるものが存在することを示唆しています。

「潮のかおり」という象徴

「潮のかおり」は、単なる故郷の香り以上の意味を持っていると感じました。排気ガスの匂いがする大阪の空気と対比されることで、故郷の岡山瀬戸内海の清らかさや、筆者にとっての原点、心の拠り所が象徴されています。

そして、詩の最後の「私の/聖書は/瀬戸の海の/潮のかおりがする」という結びは、故郷の潮の香りが筆者にとっての聖書、つまり人生の指針や心の支えとなる存在であることを強く示しています。物質的な聖書だけでなく、記憶や感覚が精神的な支えとなるという、独自の信仰のようなものが感じられます。

情景描写と感情の連動

大阪での環状線での移動や、海を眺めながら帰路につく情景が目に浮かびます。特に、わざわざ遠回りして海を眺めるという行動は、故郷への強い憧れと、失われゆく夢への郷愁が入り混じった複雑な感情を表現しているように感じられました。

全体を通して

この詩は、人生の苦難に直面しながらも、故郷の記憶や心の拠り所を大切にし、前に進もうとする筆者の強さを感じさせる作品です。読後に、じんわりと温かいものが残るような、深い余韻がありました。

このような率直で心に響く詩を共有してくださり、ありがとうございました。

    

さくら貝

子供の頃
よく浜辺に行って
さくら貝を探した.

でも
一度も見つけることができなかった.

しかし
気分転換にドライブした
上関長島の中ノ浦の
浜辺で
いくつものさくら貝を見つけた.

妻と二人で
宝石のような
さくら貝を集めた.

ほんとうに
島桜の
桜の色だった.

ちいさな小瓶に入れて
海に出かけることができないときは
そのさくら貝を
妻と一緒に眺めた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読しました。

この詩は、さくら貝を探し求めた幼い頃の記憶から、大人になってからの偶然の出会い、そして夫婦の温かいひとときへと繋がる、美しい時間の流れを感じさせます。

感想

幼い頃の「一度も見つけることができなかった」という経験が、大人になってからの「いくつものさくら貝を見つけた」喜びを一層際立たせていますね。長年の願いが叶った瞬間の感動が伝わってきました。

特に、

妻と二人で 宝石のような さくら貝を集めた.

という描写からは、単にさくら貝を見つけるだけでなく、大切な人とその喜びを分かち合う幸福感が伝わってきます。さくら貝が「宝石のよう」であり、「島桜の桜の色だった」という表現も、その美しさだけでなく、発見の感動をより豊かに彩っています。

そして、

ちいさな小瓶に入れて 海に出かけることができないときは そのさくら貝を 妻と一緒に眺めた.

という結びは、さくら貝が単なる貝殻ではなく、夫婦の絆や、海との繋がり、そして心安らぐ時間そのものになっていることを示唆しています。物理的に海に行けなくても、さくら貝が思い出と安らぎを与えてくれる存在であることが、とても詩的に描かれていて心を打たれました。

全体を通して、純粋な喜びと、それに伴う温かい愛情が感じられる、素敵な詩でした。

古里の海

今住んでいる
横浜にも
近くに海がある.

でも
ほんとうの海ではない.

子供の頃
私が見た
古里の海ではない.

海が変わったのか
それとも
私が変わったのか.

古里の海は
埋め立てられて
もうない,
私の
思い出の中にしか.

古里の海を
いつまでも忘れない
私がいる.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読しました。

この詩を読んで、作者の故郷の海に対する深い想いと、時の流れによる変化への複雑な感情が伝わってきました。

感想

詩全体を通して、**「ほんとうの海」**という言葉が非常に印象的でした。横浜の海と故郷の海を対比させることで、単なる物理的な海の存在だけでなく、心の中にある「故郷の海」がかけがえのないものであることを強く示しているように感じます。

特に、

海が変わったのか それとも 私が変わったのか.

という問いかけは、時間の経過とともに環境も自分自身も変化していく中で、何が本質なのか、という哲学的な問いを投げかけているようでした。そして、故郷の海が「埋め立てられてもうない」という事実が突きつけられることで、その問いへの答えが切なく示されています。

最後の

古里の海を いつまでも忘れない 私がいる.

という結びは、物理的に存在しなくなったとしても、心の中には永遠に故郷の海が生き続けているという、作者の強い決意と愛情を感じさせ、深い余韻を残します。

埋め立てによって失われた故郷の海への喪失感と、それでもなお心の中で大切にしたいという気持ちが、短い言葉の中に凝縮されており、故郷を想う人の心に響く詩だと感じました。

2025年6月9日月曜日

妻の父の戦争体験

妻の父が
太平洋戦争中
出征する日
妻の祖父は妻の父に
農地の権利書を見せて
"お前のために田を買った.
生きて帰って
この田でコメをつくれ!" 

父は
江田島の兵学校で訓練を受けたあと
駆逐艦梅に配属され
その駆逐艦梅は
フィリピン海域で
米艦載機に攻撃され
航行不能に陥いった.

日本軍の僚船は機密保持のために
航行不能に陥った駆逐艦梅を
その魚雷で沈没させた

その攻撃で
駆逐艦梅の乗組員の半数80余名が戦死
妻の父はいのち拾いをした.
妻の父は
徴兵されて駆逐艦梅の乗組員になったとき
"泳ぐことができない会津の山猿が
駆逐艦に乗って日本は大丈夫なのか?"と心配になったという.

妻に
妻のおとうさんから聞いた戦争体験の話を伝えると
妻はとても寂しそうに言った.
"そんな話
一度も聞かされたことがないわ.
私が女の子だから・・・.
私に話したことがないことも
あなたには話すんだ・・・".

妻と私はよく気分転換に
羅漢高原にドライブした.
その展望台から
岩国と呉の軍港の
ふたつの基地が見えた.

妻と私は
江田島にドライブした.
妻は
妻の父が訪れたことのある
呉の江田島を楽しんだ.

しかし
妻は写真を1枚も
撮らなかった.
"軍港だものね
撮ってはだめよね" といいながら.

妻のおとうさんは
戦地から帰国したあと
おさなともだちの年上の
鈴木さんと一緒に
揚水ポンプを手に入れて
戦争で働き手を失った
農家の水田に
水を入れてまわったそうだ.
"力仕事はすべて
あなたの義父さんが
やってくれた" と話していた.

戦後
久しくなって
そのことを記憶しているひとは
誰もいなくなった.

日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道に従事していたとき
右手関節炎で手術を受けた際
右手に埋め込まれた金具は
日本赤十字が
戦争中に使っていた金具だった.

元徳山海軍病院のあとをついだ
社会保険中央病院の医師は
記念として
とりはずした菊の紋章の入った
金具をくれた.

妻は
娘を国立大学に進学させるため
元徳山海軍病院である
社会保険徳山中央病院の栄養課に
勤務することになった.
調理師の資格もそこで取った.

そして
気分転換によく通った
上関長島の中丿浦は
元海軍の燃料庫のあった
戦前は立ち入り禁止の場所だった.
戦後は
誰でも入ることができる
1年を通じて
ウグイスの鳴き声を聞くことができたり
ウグイスの谷渡りを目にすることができる場所になった.

なぜか
私と妻は
陸軍ではなく
海軍関係のつながりを多くもっていた.

"みんな一度は あこがれた
太平洋の 黒潮を
共に勇んで 行ける日が
来たぞ歓喜の 血がもえる"

"太平洋行進曲" や "海の進軍" 今も私の耳底で響いている.

妻のおとうさんが
出征の前に祖父から譲り受けた
棚田の田を
妻と私は
妻の父から譲り受けて
いまだにその田でコメを栽培している.
妻の実家のおとうさんがいう
"会津の山猿" として.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

妻の父の戦争体験

この詩は、戦争という重いテーマを、義父の個人的な体験を通して深く、そして静かに語りかけてきますね。読み終えた後、心にじわじわと温かさと、同時に複雑な感情が残りました。

感想

この詩の素晴らしい点は、単なる戦争の悲惨さを語るだけでなく、戦後の人生や家族のつながり、そして記憶の継承に焦点を当てているところだと感じました。

冒頭の、出征する義父に祖父が「生きて帰ってこの田でコメをつくれ!」と農地の権利書を見せる場面は、希望と、生きて帰ることへの強い願いが込められていて胸に迫ります。この田んぼが、義父の人生の支えとなり、後世へと受け継がれる象徴となっているのが印象的です。

「駆逐艦梅」での九死に一生を得た話は、戦争の過酷さを具体的に伝えます。特に「泳ぐことができない会津の山猿が駆逐艦に乗って日本は大丈夫なのか?」という義父の言葉からは、当時の人々が抱えていた不安や、割り切れない思いが伝わってきて、非常に人間味を感じました。

奥様がご自身の父親から戦争の話を聞かされていなかったことに対する寂しさや、「私に話したことがないこともあなたには話すんだ…」という言葉は、家族間における記憶の共有の難しさや、世代間のコミュニケーションのあり方について考えさせられます。

詩全体に流れる「海軍」との不思議な縁も興味深いです。羅漢高原からの軍港の眺め、江田島へのドライブ、そして赤十字の金具や病院の医師とのやり取り。これらが単なる偶然ではなく、義父の戦争体験が、形を変えて詩人であるあなたと奥様の人生にも深く影響を与えていることを示唆しているように思えます。

終盤の「みんな一度は あこがれた 太平洋の 黒潮を 共に勇んで 行ける日が 来たぞ歓喜の 血がもえる」という軍歌の引用は、当時の時代背景と人々の熱狂を想像させると同時に、その熱狂がどのような結末を迎えたのか、静かに問いかけてくるようです。

そして、最後に義父から受け継がれた棚田で米を栽培しているというくだりは、この詩の大きな結びとして、強い感動を与えます。戦地の過酷な経験を乗り越え、戦後の復興に尽力した義父の人生が、その田んぼを通して今に息づいている。そして、「会津の山猿」という言葉が、自嘲と愛情を込めて、詩人であるあなた自身がその土地と深く結びついていることを示しているのが印象的です。

この詩は、個人の戦争体験を深く掘り下げながらも、家族の絆、世代間の記憶の継承、そして戦後の日本の姿を静かに描いています。非常に心に残る作品でした。

この詩を通して、あなたと奥様、そして義父様の間に流れる深い愛情と、戦争という歴史が個人に与えた影響、そしてその後の人生への影響が鮮やかに伝わってきました。

クリスマスイブの電話

神学校をでたあと
最初の任地は
日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道でした.

私には
周辺8教会の協力牧師がついていました.

その周辺8教会は
日本基督教団の
福音派と社会派の両方の
教会と牧師で構成されていました.

神奈川教区の開拓伝道は
東京神学大学の機動隊導入問題で
激しく対立した
福音派と社会派の教会と牧師が
宣教という課題のもとに
和解を達成するという
願いが込められていました.

しかし
初代牧師として
神奈川教区が招聘したのは
無学歴・無資格
どこの馬の骨かわからないといわれる
私でした.

福音派と社会派の教会と牧師は
一致して
私に失望しました.

最初の1年の終わりに
そのことが明らかになってきました.

会計監査を担当して信徒の方から
問題提起がなされました.
神奈川教区の開拓伝道の
会計担当役員は
教会の献金を個人の通帳で管理していた"
というのです.

さらに牧師に対する謝儀の支出が
毎月異なり遅配が常態化していたというのです.

さらに
牧師に対して支出したとされる経費を
牧師は受け取っていないと言う.

会計監査を担当した信徒の方は
日本基督教団東京教区の某教会の
会堂建築委員長をされていた方です.

その教会の礼拝堂を解体して更地にして
業者に新会堂建築のための手付金を支払うとき
会計担当に銀行から必要額をおろしてくるように
伝えたところ会計担当から
会堂建築積立資金のすべてを私的流用して
支払うお金がないと知らされたというのです.

その問題は
その教会だけでなく
東京教区と日本基督教団にとって
重大問題になったようです.

その苦い経験から
神奈川教区の開拓伝道所の
会計監査役を任された彼は
神奈川教区の開拓伝道所の会計問題を
黙殺できないとして
問題提起をされたのです.

神奈川教区議長は
神奈川教区の開拓伝道で
会計問題をめぐって
足元から崩されるような事態が発生するとはと
驚いて
私に
"主任担任教師であるあなたの判断で
神奈川教育の開拓伝道を中止にしていもいい"と
語りかけて来ました.

そのとき
周辺8教会の福音派・社会派の牧師たちは
一致した見解に達しました.

"たとえ
神学校を出たばかりの
神奈川教区の牧師たちのなかで
最年少の牧師であるとはいえ
赴任と同時に
神奈川教区の開拓伝道所の会計を
把握しなかったのは
管理責任を果たしていないとの
批判を免れ得ない.
吉田伝道師は
その管理責任をとって
即刻辞任すべきである" と
一致・・・.

私は
神奈川教区の開拓伝道を中止することではなく
会計担当役員の管理責任を果たさなかったという理由で
辞任することを選択しました.

神奈川教区の内藤協議長は
"神奈川教区の開拓伝道に招聘していながら
こんな形で君を辞任に追い込んで申し訳ない"と
陳謝していました.

私は
西中国教区の山口の
小さな教会の牧師に赴任することになりましたが
その年から
毎年クリスマスイブの夜
イブ礼拝が終わったころ
神奈川教区議長の内藤協牧師から
お電話を頂きました.

神奈川教区の問題とは別の
深刻な問題
前任者が自害した教会の再建という
課題に取り組んでいる私に
先輩牧師として
いろいろアドバイスをして下さいました.

あるとき
イブの夜の電話で内藤牧師は
"吉田くん
君は何かをしているのか?" と
問いかけて来ました.

内藤牧師の話しでは
"吉田牧師を
理不尽な理由で追い出した
牧師や役員・信徒が
いろんな問題に巻き込まれている" ということでした.

私は
"日本の本州の西の半島に左遷され
兵糧攻めにあっている私に
遠く離れた神奈川教区の横浜の
牧師や信徒に何ができるのですか?"
と問いかけたところ
内藤議長は
神に
私を追い出した彼らに
"神の復讐を祈りもとめているとか・・"
と話していました.

私は
"すべて主なるイエスさまに委ねることにしていますので
そのようなことはしていません.
復讐は
人間のことがらではなく
神のことがらですから・・・" と答えました.

内藤議長は
いくつもの例を取り上げていました.

"もし
君が神奈川教区の開拓伝道所の牧師を続けていたとして
あるとき
一人の女性から電話があり
'今あるホテルにいる.これから自殺する' と言われたとき
君ならどうする? 

私はその仮定に
"Sweden Covenant Missionの宣教師から
幼児から高齢者まで異性と
密室で一緒にいてはいけない.
やむを得ないときは
ドアをオープンにしたままにしておきなさい"と
言われているので,
そのような電話があると
自殺を防ぐために
110番するとか
妻と一緒に尋ねるとか
教会役員の澤田姉と一緒に尋ねるとかしますので
一人で
密室状態になるホテルの部屋に
入ることはありません."と答えました.

内藤議長は
"そうだろう!
それなのに
農村伝道神学校の新約学の講師をしている
ベテランの牧師が
一人で
自殺予告をする女性に
自殺を思いとどまらせようと
ホテルの部屋に入った.
そのときその女性は
素っ裸になって
その牧師に飛びついて
いかがわしい行動に移った.
それを
写真にとられて
あとで脅迫はされた" といいます.

結局彼は
その教会の主任担任教師を
辞任せざるを得なくなったようです. 

内藤議長は
"理不尽な理由で君を教会から追い出した牧師たちが
理不尽な理由でその教会から追い出されている" と
次から次へと
いろいろな話を切り出されました.

神奈川教区の牧師だけでなく
神奈川教区の開拓伝道所の役員の身の上にも起こった
理不尽な出来事を・・・.

私は
神学校に入る前に
法学を独学していたとき
比較法学を学んだことがあります.

同害報復法

聖書に書かれている同害報復法は
ハムラビ法典などにでてくる同害報復法とは
全く異なるものです.

聖書に出てくる同害報復法の適用は
2つの場合だけ.

ひとつは誣告罪
その人が犯していない罪を
偽証によって有罪とされ刑罰が課せられたとき
そのことがあとになってわかったとき
偽証した人は無実の人に負わせた刑罰と
同じ刑罰を身に負わなければならないと言う.
目には目
歯には歯

もうひとつは
妊婦を襲って強姦した場合
妊婦は自分の身を守ることができないのだから
被害者である妊婦にもたらした害と同じ害を
加害者に与えるというもの.
目には目
歯には歯
いのちにはいのち.

聖書はそれ以外の同害報復を一切認めていない!

私は
聖書の神の信仰者として
いかなる理由があっても
同害報復を
神に求めることはしない.

神奈川教区の開拓伝道所から
私を追い出したと宣言する
某有名私立大学の教授は
無学歴・無資格の牧師を追い出しただけでなく
大学教授の家系にふさわしくないとして
その息子をその家系から追い出した.
その息子さんは自殺・・・.

私は
断じてそんな祈りをすることはない.
主なる神さまは
教授の息子さんの死を
悲しみをもって受け止めてくださる.
失われ行くもの
滅びゆくもののこころと気持ちを
理解できないお方ではない.

そんな話をされていた神奈川教区内藤協議長に
"先生
電話で話をされているとき
とても苦しそうです.
話の内容より
先生
心臓が悪いのでは?
病院で精密検査を受けた方が
いいと思いますよ.

私は
若いときに5年間
病院で臨床病理の検査に従事していたことがありますが
心電図をとるとき
心臓の悪い患者さんが同じような
息の仕方をされていました" と話しました.

それが
神奈川教区議長内藤牧師との
最後の会話になりました.


 

2025年6月1日日曜日

なみだ

教会員の中に
元山口県警の警察官がいた.

彼は
定年間際, 警察官を中途退職して
その退職金を
被差別部落出身の奥さんが
つくったサラ金の借金返済に当てた.

しかし
それでも残った多額な借金を支払うために
彼は警備員の仕事をして
昼夜を分かたず働きに働いた.

奥さんは
経済的に困窮している夫とは
一緒に過ごせないと
別居した.

彼は手料理を食べていないというので
妻は私につくった料理を運ばせた.
彼はいつも美味しいと言って食べてくれた.

あるとき
被差別部落出身の教会員から
彼がなくなったとの知らせが入った.

彼女の話しでは
奥さんのつくったサラ金の
借金の最後を支払った日に
自殺したと言う.

彼の家にかけつけると
彼のなきがらの前に
遺書が残されていた.

牧師あての遺書もあったので
それを開いて読んだ.

彼は岩国教会の牧師から洗礼を受け
岩国教会で信仰生活をしていたが
私が牧師として赴任した教会の前任者を
助けるように言われて
岩国教会から転籍をしていた.

彼は
前任者が自害したことにショックを受けた.
若い牧師を支えることができなかったと.

そして 彼に洗礼を授けた
岩国教会の牧師 (元日本基督教団総幹事・元農村伝道神学校の校長)が
自殺したことは彼にさらなるショックを与えた.
彼は牧師である私に当てた遺書の中で
苦難と試練の中を生きてきて
いろいろ考えているうちに
自殺した前任の牧師も
岩国教会の牧師も
主なる神さまは許してくださっていると思うようになり
私も自殺をすることを決心した.
神さまは自殺する私をも許してくださると信じて・・・.

私は
そのまま
彼の奥さんと息子とむすめさんが家に戻って来るのを待った.
夕方になり
夜6時になり
    7時になり
        8時になり
            9時になり
                10時になっても
喪主を務めることになる長男の方は
帰って来なかった.

彼が家に戻ってきたのは夜の11時を過ぎてからだった.

私は
"なぜ 同じ市内にすんで
家に戻るのにこんなに時間がかかったのか"
問いただした.

彼は,
"父の死を知らされて呻吟していた"という.
彼は
被差別部落を出て
一般地区の集合住宅で生活していた.
彼と彼の家族を部落として差別するものは
誰もいなかった.
しかし
被差別部落に住んでいる父の葬儀の喪主をつとめることになると
新聞にその名前が記され
自分が部落民であることが白日のもとにさらされることになると
父親の葬儀の喪主になることを極度に恐れて
家に戻ってくるのが遅れたという.

自殺した父親の
教会にあてた遺書の中に
彼の葬儀の費用は教会で出してほしい.
そして火葬はしないで
山口大学医学部の白菊会に
医学生の解剖実習のために献体してほしいと
必要書類と連絡先が書かれたあった. 

私は
彼の遺言にしたがって
教会の信徒を集めて
密葬した.

そして
彼のなきがらを
霊柩車ではなく
山口大学医学部の白菊会のクルマに乗せて
送り出した.

彼の奥さんも
息子・娘さんも彼の葬儀のために
お金を使うことがないように
葬儀に際しても主として彼らの名前が出ることがないようにという
彼の遺書には
彼らに対する父親としての最後の配慮が記されていた.

納棺式のとき
式文にそって聖書のことば

"主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない.
主はわたしを緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われる.
主はわたしの魂をいきかえらせ
み名のためにわたしを正しい道に導かれる.
たとえわたしは死の陰の谷を歩むとも
わざわいを恐れません.
あなたがわたしと共におられるからです.
あなたのむちとあなたのつえはわたしを慰めます." 

を読んでいるとき
私の体のそこから
この上ない悲痛と嗚咽が
込み上げて溢れ出した.

どんなに止めようと思っても
溢れ出てくる涙を抑えることはできなかった.

そのとき
こころのなかで
思っていた.

"こんな悲劇的な状況を
ひとにもたらす部落差別とは何なのか?
部落の名のもとに
一人も差別されない世の中にしなければ
部落差別の根っこを暗い大地の中から引きずりだして
根絶やしにしなければ・・・.
部落差別は神の敵で
悪魔のもたらす業だ" と.

私は
自分の父の死に際しても
涙を流したことはない.

しかし
元山口県警の警察官であった
教会員の彼の葬儀に際しては
とめどもなく涙が溢れてきた.

そのことがあって
私は
日本基督教団の一牧師として
真剣に部落差別問題に取り組むことになった.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの書かれた詩を拝読しました。まず、この詩が非常にパーソナルで、心に深く響く内容であることに感銘を受けました。あなたが実際に経験されたであろう、警察官だった教会員の方との出会い、彼の苦悩、そして突然の死、それに続く葬儀での出来事が、詳細かつ生々しく描かれており、読み手の心を強く揺さぶります。

特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

登場人物の人間性が浮き彫りになる描写

  • 元警察官の教会員の葛藤と尊厳: 定年を前に退職し、奥様の借金返済のために昼夜問わず働く姿、別居に至る経緯、そして最期に「神さまは自殺する私をも許してくださる」と記された遺書からは、彼の深い苦悩と、それでもなお信仰に希望を見出そうとした彼の人間性が伝わってきます。手料理を「いつも美味しいと言って食べてくれた」という描写も、彼の純朴さや、差し伸べられた温かい心遣いへの感謝が感じられ、胸が締め付けられます。
  • 息子の苦悩と差別の現実: 父親の葬儀の喪主を務めることを極度に恐れ、家に戻るのが遅れた息子の描写は、被差別部落という問題が、いかに個人の尊厳を深く傷つけ、家族の絆にまで影響を及ぼすかを痛感させられます。「自分が部落民であることが白日のもとにさらされる」という彼の言葉は、差別がもたらす恐怖と屈辱を如実に物語っています。
  • あなたの感情の吐露: あなたが自身の父親の死に際しても涙を流さなかったにもかかわらず、彼の葬儀で止めどなく涙が溢れてきたという告白は、この出来事があなたにとってどれほど衝撃的で、心に刻み込まれたものだったかを物語っています。特に、「こんな悲劇的な状況をひとにもたらす部落差別とは何なのか?」という心の叫びは、差別への強い憤りと、それを根絶したいというあなたの強い意志が表れており、読み手の感情を揺さぶります。

重層的なテーマ

この詩には、いくつかの重層的なテーマが織り込まれていると感じました。

  • 人間の苦悩と信仰: サラ金問題、夫婦関係の破綻、そして最終的に自殺という形で人生を終えた教会員の姿は、人間の計り知れない苦悩を浮き彫りにします。同時に、信仰が彼にとってどのような意味を持っていたのか、そして自殺という行為が信仰とどのように向き合わされたのか、深く考えさせられます。
  • 部落差別の現実と根深さ: この詩の根底には、被差別部落という問題が、現代社会においてもなお、人々の生活や精神に深く影響を及ぼしている現実が描かれています。差別が個人の尊厳を奪い、家族関係にまで影を落とす様は、非常に痛ましく、この問題の根深さを改めて認識させられます。
  • 牧師としての葛藤と使命感: あなた自身が牧師として、教会員の死に直面し、その遺志を受け止め、差別問題に真剣に取り組む決意をするまでの過程が描かれています。これは、信仰者が社会問題といかに向き合うべきか、という問いを投げかけているようにも感じられました。

表現について

全体的に、飾らない言葉で事実を淡々と、しかし感情豊かに綴られているのが印象的です。特に、時間経過の描写(「夜6時になり 7時になり 8時になり…」)や、詩の終盤での「とめどもなく涙が溢れてきた」という表現は、あなたの当時の心の状態を鮮やかに伝えています。

聖書の引用「主はわたしの牧者であって…」の箇所で、あなたの体から「この上ない悲痛と嗚咽」が込み上げてきたという描写は、言葉にならないほどの深い悲しみと、その言葉が持つ力を同時に感じさせ、詩のクライマックスを形成しています。

この詩は、単なる出来事の記録ではなく、人間の尊厳、差別、そして信仰という普遍的なテーマを深く掘り下げた、非常に力強い作品だと思います。あなたがこの詩を通して伝えたいメッセージが、読み手にしっかりと届きました。この詩を書かれたこと自体が、あなたの真摯な思いの表れだと感じます。



懲戒処分

  私が Swedwn Covenant Missionの教会の 役員になったのは 19歳のときでした. 洗礼を受けて日の浅い私が なぜ教会の役員に選出されたのか 未だに謎です. しかし 1年後 教会役員として相応しくないとして 解任されました. なぜ解任されたのか それも未だに...