2025年5月1日木曜日

文通

父から
祖父の吉田永学は
信州信濃の出身だと聞いた.

それで
私は
中学1年生のとき
長野の中学生と文通をすることにした.
少しでも祖父のふるさとを
知ることができるのではないかと思って.

しかし紹介されたのは
長野は長野でも
信濃ではなく
木曽の中学生だった.

長野県西筑摩郡上松町の中学校
校庭の真っ只中を川が流れ
木曽駒ヶ岳を眺めることができる

"朝夕に 駒ヶ岳を仰げば
若人の胸は高鳴る
夢多き青春の日に
永久の真理求めん・・・"

彼女はいつも
木曽の山と
山の暮らしについて
手紙に書いてきた.

私は
瀬戸の海と
海の暮らしについて
手紙を書いた.

まったく
噛み合わないような
文通であったが
中学1年生から高校2年生まで
続いた.

私が瀬戸の海を見つめているのと
同じ気持ちで
彼女は木曽の山々を見ていると
知った.
海は偉大であり
山も偉大であった.

文通をはじめて
まもなく
私は
カルチャーショックを受けた.

彼女は
文学少女であり
いろいろな本を読んで
その感想を手紙に書いてきた.

私はその本を
中学校の図書室や
公民館の図書室で借りて読んだ.

島崎藤村の詩集"若菜集"
小説 "桜の実の熟する時"

島崎藤村の小説 "破壊" を読んだとき
私はショックを受けた.
長野県の中学生は
この小説の内容が分かるのだと.

中学2年生のとき
ホームルームの時間に
担任が最近何の本を読んだか
生徒一人ひとりに聞いて行った.

私は
"樋口一葉のたけくらべを読みました"と
答えた.
担任は声を大にして言った.
"嘘をつくな! 
中学生が読める本ではない!" 

その担任教師は
私だけでなく
文通相手の文学少女も
バカにしていると
2人分憤慨した.
間違いなく
彼女も読んだし
私も読んだのだ.

高校生になると
1年生のとき300冊
2年生のとき200冊
3年生のとき100冊
高校生活3年間で600冊の本を読んだのは
彼女の影響が大きい.

"みすずかる 信濃の国の
みはるかす 緑のなかに
かぐわしき 歴史をつぎて
はぐくまん 清き真心
上松 上松 我らが母校"

私は彼女との5年間の文通を通して
置かれた状況に左右されることなく
"清き真心" をもって
生きることを学んだ.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩を読ませていただき、ありがとうございます。情景が目に浮かぶようで、じんわりと心に響きました。

まず、タイトルにある「文通」という言葉が、この詩全体を優しく包んでいるように感じました。手紙を通して育まれた、遠く離れた二人の中学生の心の交流が、丁寧に描かれていますね。

お祖父様の故郷である信州への繋がりを求めて始まった文通が、思いがけず木曽の少女との出会いにつながるという、冒頭の少しユーモラスな展開に引き込まれました。信州と木曽、瀬戸の海と木曽の山という、異なる風景の中で育った二人が、手紙を通してそれぞれの世界を共有していく様子が、とても興味深いです。

特に印象的だったのは、お互いの暮らす風景を描写する部分です。

彼女はいつも 木曽の山と 山の暮らしについて 手紙に書いてきた.

私は 瀬戸の海と 海の暮らしについて 手紙を書いた.

まったく 噛み合わないような 文通であったが 中学1年生から高校2年生まで 続いた.

私が瀬戸の海を見つめているのと 同じ気持ちで 彼女は木曽の山々を見ていると 知った. 海は偉大であり 山も偉大であった.

この部分を読んで、言葉を交わすことで、異なる環境に身を置く相手の心に寄り添い、共通の感情を見出すことができるという、文通ならではの魅力を改めて感じました。「海は偉大であり 山も偉大であった」という言葉には、それぞれの場所への深い愛情と、相手への共感が込められていて、胸が熱くなりました。

また、文通を通して文学に触れ、世界を広げていく過程も、鮮やかに描かれています。

彼女は 文学少女であり いろいろな本を読んで その感想を手紙に書いてきた.

私はその本を 中学校の図書室や 公民館の図書室で借りて読んだ.

島崎藤村の詩集"若菜集" 小説 "桜の実の熟する時"

島崎藤村の小説 "破壊" を読んだとき 私はショックを受けた. 長野県の中学生は この小説の内容が分かるのだと.

本を通して、相手の住む土地の文化や歴史、社会に触れ、新たな視点を得る経験は、多感な時期の中学生にとって、かけがえのないものだったでしょう。

担任の先生とのエピソードは、少し苦い思い出として語られていますが、それを通して、お二人の知的好奇心の高さや、文学に対する真摯な姿勢が伝わってきました。先生の言葉は残念でしたが、お二人にとっては、むしろその悔しさが、さらに深く文学の世界を探求する原動力になったのかもしれませんね。

そして、高校生活を通して読まれた600冊という膨大な数の本は、文通相手の彼女の影響の大きさを物語っています。

結びの、上松中学校の校歌の一節を引用された部分からは、彼女の故郷への愛着と、そこで育まれた「清き真心」が、あなた自身の生き方にも深く影響を与えたことが伝わってきました。

私は彼女との5年間の文通を通して 置かれた状況に左右されることなく "清き真心" をもって 生きることを学んだ.

はぐくまん 清き真心"

この詩全体を通して、手紙というアナログな コミュニケーションを通して育まれた、深く温かい人間関係、そして文学との出会いが、あなたの成長に大きな影響を与えたことが伝わってきました。飾らない言葉で綴られた詩の中に、大切な思い出と、そこから得た学びが凝縮されているように感じました。

素敵な詩を共有してくださり、本当にありがとうございました。


祈り

祈るとき
私はいつも
聖書のことばを使って
祈った.

"あなたは
わたしのさすらいを
数えられました.
わたしの涙を
あなたの皮袋に
たくわえてください" (詩篇56篇8節)

"わたしは二つのことを
あなたに求めます.
わたしの死なないうちに
これをかなえてください.

うそ, 偽りを
わたしから遠ざけ, 
貧しくもなく, 
また富もせず, 
ただなくてならぬ食物で
わたしを養ってください.

飽き足りて,
あなたを知らないといい, 
「主とは誰か」と言うことのないため,
また貧しくて盗みをし, 
私の神の名を
汚すことのないためです" (箴言30章7節以下)



Googleの人工知能Geminiさんの感想文


心に深く響く、真摯な祈りの詩ですね。聖書の言葉を通して、神に切実な思いを捧げるあなたの姿が目に浮かぶようです。

詩篇の言葉を選ばれたことから、人生の苦難や悲しみを神に委ね、慰めと支えを求めてきたあなたの道のりが感じられます。「わたしのさすらいを数えられました」「わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください」という一節には、神への深い信頼と、孤独や苦悩を理解してほしいという切なる願いが込められているように思います。

箴言の言葉は、より具体的な祈りとして、あなたの人生観や価値観を表しているように感じました。嘘や偽りを避け、貧富のどちらにも偏らず、ただ必要な食物によって養われることを願う言葉には、地に足の着いた、穏やかな生き方を求めるあなたの謙虚さが表れています。「飽き足りて、あなたを知らないといい、『主とは誰か』と言うことのないため」「貧しくて盗みをし、私の神の名を汚すことのないため」という部分は、神への信仰を守り、神の御名を汚すことのないようにという、強い決意が感じられます。

聖書の言葉は、時代を超えて人々の心に響く普遍的な力を持っていますね。あなたが選んだこれらの言葉は、あなたの過去、現在、そして未来への願いを凝縮し、力強く表現していると感じました。この詩を通して、あなたの信仰の深さと、神への真摯な祈りの姿に触れることができ、私も静かに祈るような気持ちになりました。ありがとうございました。


2025年4月30日水曜日

海の虹

私が
Sweden Covenant Missionの宣教師から
洗礼を受けたのは
高校3年生の2学期
12月5日のことだった.

高校3年生の3学期
1月5日に
父が脳梗塞で倒れた.

長い間貧困と病気にさらされてきた
我が家の家計は
私が大学進学することを
許さなかった.

大学進学を断念して
家族を経済的に
支えなければならないという
マイナスからの
人生の負のスタートだった.

級友3人が
京都大学
関西大学
関西学院大学へと飛び立つ日の前
私を尋ねて来た.

"これから
どうするつもりだ?"と. 

私は
彼らと岸壁に座って
海をみながら
"家がかたづいたら
いつのことになるか
わからないけれど
神学校に行って
牧師になる"と.

そんな話を交わしているとき
私達の目の前に
大きな虹が現れた.
太くて
大きくて
七色がはっきり識別できる
まっすぐ天に向かって伸びた
虹の柱が.

それ以前にも
それ以後にも
みたことがないような
大きな
大きな
七色の虹を見た.

 
Googleの人工知能Geminiさんの感想文

胸に迫る、力強い詩ですね。「海の虹」というタイトルが、その後の人生を暗示しているように感じました。

洗礼、お父様の突然の病、そして大学進学の断念。高校生活の終わりに立て続けに起こった出来事が、あなたの人生に重くのしかかってきたことが伝わってきます。特に、「マイナスからの人生の負のスタート」という言葉には、当時のあなたの葛藤と覚悟が凝縮されているように感じました。

そんな状況の中、友との別れ際に語った「神学校に行って牧師になる」という言葉は、困難に立ち向かうあなたの強い意志を感じさせます。未来への希望を失わず、自分の信じる道を見据えている姿に心を打たれました。

そして、何よりも印象的なのは、目の前に現れた大きな虹の描写です。「太くて、大きくて、七色がはっきり識別できる、まっすぐ天に向かって伸びた虹の柱」。それは、まるであなたの未来を祝福し、困難を乗り越える力を与えるかのような、神秘的な光景だったのでしょう。それ以前にも、それ以後にも見たことがないほどの大きな虹だったという事実は、その時のあなたにとって、かけがえのない希望の象徴となったに違いありません。

貧困や病気、そして進路の断念という苦難の中で見上げた虹は、単なる自然現象ではなく、あなたにとって特別な意味を持つ光だったのだと感じました。この詩を読ませていただき、人生には予期せぬ困難が訪れるけれど、その中で希望を見出す強さを持つことの大切さを改めて教えられた気がします。ありがとうございました。

読書

高校生のとき
帰り道にある
公民館に立ち寄って
いつも
1冊本を借りた.

あるとき
司書のおばさんが
語りかけてきた.
"あなた 彼女いるの?"
私は
"いません" と答えた.

するとその司書のおばさん
"あなたに
ぴったりの女の子がいるの.
あなたと同じ高校の
同じ学年の女の子.
その子も読書が好きで
いつも公民館に立ち寄って
本を借りて行くの.
'徳川家康' 全巻読んだのよ!"

そのとき私は思った.
どこがどう似ているのかと.
その子は頭が良くて
美人で
どんなに考えても
私に似ているとは思えなかった.

その子とすれ違う度に
私は思った.
"どこがどう似ているのだろう"と.
純文学と哲学書しか読まない私と
徳川家康や豊臣秀吉などの
大衆小説を読む彼女と
どこがどう似ているのだろうと.

対話の糸口の
みつけられないまま
卒業の日を迎えた.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

素敵な詩ですね。高校時代の帰り道、公民館での一コマが目に浮かぶようです。本との出会い、そして司書のおばさんの温かい(けれど少し不思議な)おせっかいが、青春の淡い記憶として鮮やかに描かれていますね。

特に印象的だったのは、あなたとその「ぴったりの女の子」との間に横たわる、埋められないかもしれないけれど、どこか気になる距離感です。純文学と哲学書を好むあなたと、大衆小説を読む彼女。知的な探求を深めたいあなたと、歴史物語に惹かれる彼女。その違いが明確に描かれているからこそ、「どこがどう似ているのだろう」というあなたの心の声が、読んでいる私の心にも深く響きました。

司書のおばさんの言葉は、親切心から出たものだったのでしょうけれど、あなたにとっては少し的外れに感じられたのですね。それでも、彼女とすれ違うたびにその言葉を思い返し、わずかな共通点を探そうとするあなたの繊細な気持ちが伝わってきました。

結局、対話の糸口を見つけられないまま卒業を迎えたという結末は、少し切なくもありますが、それもまた青春のほろ苦い思い出として心に残ります。もし、あの時勇気を出して話しかけていたら、何か違う展開があったのかもしれない、と想像力を掻き立てられます。

この詩を読ませていただいて、私も自分の過去の記憶を辿り、少し切ないけれど温かい気持ちになりました。ありがとうございました。

   

サフランの花

私が洗礼を受けたのは
高校3年生の12月5日
そのとき2人の8歳年上の
おんなのひとと
一緒に洗礼を受けた.

彼女たちの提案で
洗礼を受けたあと
どのような信仰生活をしているか
交換日記をつけることになった.

私の父は
次の年の1月5日
脳梗塞で倒れた.
そのあと
私の人生に暗雲が
立ち込めはじめた.

その後の試練の日々を
私はすなおに
その交換日記に書いた.

あるとき
一緒に洗礼を受けたひとり
花屋のお師匠さんに
呼び出された.

彼女は言った.
"君を何かの
花に例えると
サフランの花ね.
地べたに
這いつくばって
生きているから"

Sweden Covenant Missionの
元看護婦さんのカーリン先生に
その話をすると
"なんてこと言うんでしょうね.
でも気にすることないわよ.
Swedenではサフランは
大切な花なのですから.
アドベントにサフランの花の入った
パンを食べると
1年間健康でいられると
言われている花なのですから" 

宣教師のグンナル先生が
"彼をSwedenの
ウプサラ神学校にやって
帰ってきたら神学校の教師にしよう"と
話していたとき
教会の役員会はこぞって反対した.

"この教会には
良家の学歴資格をもった
青年がたくさんいる.
彼らをさしおいて
無学歴・無資格の
何処の馬の骨かわらかない
貧乏人の息子を
Swedenに留学させるのは反対だ" と. 

10年後
私は Sweden Covenant Missionの
教会を離れて
日本基督教団の牧師になるために
富士見町教会の島村亀鶴牧師の
推薦状をもって
鶴川学院農村伝道神学校を
受験した.

日本基督教団の牧師になってからも
地べたに
這いつくばって
生きている
サフランの花のような
生き方しかできなかったけれど

サフランの花は
私のこころのなかに
私の信仰と生き方のなかに
咲き続けた.

今も なお・・・.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


この詩を読んで、あなたの人生の道のりと、その中で「サフランの花」が持つ意味の深さに、心を深く打たれました。

洗礼という人生の大きな転機から始まり、お父様の突然の病、そしてその後の困難な日々が、率直な言葉で綴られていますね。交換日記という、信仰を分かち合う美しい習慣が、その後のあなたの心の支えになったであろうことが想像できます。

花屋のお師匠さんの言葉は、最初は少し粗雑に聞こえますが、カーリン先生の温かい言葉によって、その印象が大きく変わります。異文化におけるサフランの花の価値を知ることで、「地べたに這いつくばって生きている」という言葉が、力強く生きるあなたの姿と重なり、むしろ誇り高いものに感じられました。

グンナル先生の申し出と、教会役員会の反対という場面は、当時の社会の状況や教会の内情を垣間見せるようで、胸が締め付けられます。「良家の学歴資格をもった青年」と対比される「無学歴・無資格の貧乏人の息子」という言葉は、あなたの置かれた厳しい立場を鮮明に映し出しています。それでも、あなたは志を曲げず、自らの道を切り開いていったのですね。

そして、10年後の決断、日本基督教団の牧師への道。そこにも、あなたの強い意志と、既存の枠にとらわれない生き方が表れていると感じました。

「日本基督教団の牧師になってからも/地べたに/這いつくばって/生きている/サフランの花のような/生き方しかできなかったけれど」という部分は、あなたの謙虚さと、どのような状況でも変わらない生き方を表しているように感じました。華やかではないかもしれないけれど、地に根を張り、しっかりと生きるサフランの花の姿は、あなたの信仰と人生そのものなのだと強く感じました。

最後の「サフランの花は/私のこころのなかに/私の信仰と生き方のなかに/咲き続けた」という言葉と、「今も なお・・・」という余韻は、サフランの花が、あなたにとって単なる比喩ではなく、人生を象徴する大切な存在であることを物語っています。困難な時も、喜びの時も、常に心の中に咲き続けるサフランの花は、あなたの強さ、優しさ、そして信仰の深さを表しているのではないでしょうか。

力強い生命力と、内に秘めた美しさを持つサフランの花のように、あなたは困難な道を歩みながらも、その中で確かな信仰を育み、人々に希望を与え続けているのだと感じました。素晴らしい詩を読ませていただき、ありがとうございました。

類似点

中学3年生の秋
水田の広がる風景の中にある
中学校の旧校舎から
琴の海の見える高台の
新校舎に移った.

朝早く
登校してきた
私とS君とNさんの
3人で
毎日
新校舎の屋上から
海を眺めていた.

心配した
宿直の先生が
屋上まで様子を見に来て言った.

"不思議な
光景だなあ.
似ても似つかぬ
3人が
海を眺めながら
楽しそうに話をしているなんて.
何を話しているんだ?"

私もSの君とNさんも
笑って返すだけで
何も答えなかった.

屋上から見える
瀬戸の冬の海は
雲間から差し込む
一条の光によって
七色に輝きながら
海の色を染めていく.

S君は
強度の吃音があった.
S君は
私とNさんとは安心して
話ができると言った.
私もNさんも
時々S君の吃音につられてどもることがあった.
そのとき
3人はどっと笑った.

私はこどもの頃から
体が弱く
マラソン大会は
いつもビリ,
Nさんは走るのが得意で
マラソン大会は女子の部で
いつも一位だった.

宿直の先生が
"似ても似つかぬ3人"と
評することに異存はなかった.
3人共
類似点より相違点の方が多かったのだから.

しかし
共通していることがひとつあった.
それは
友の語る言葉に耳を傾け
こころを通わせる力を
もっていることだった.

20歳になっても
30歳になっても
40歳になても
私は
あとのとき3人で見つめていた
心のなかにある
瀬戸の海を見続けている.
S君もNさんも
同じ海を見続けていると信じながら.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

美しい情景と、かけがえのない友情が描かれた、心に深く響く詩ですね。

中学校の旧校舎から新校舎への移転という、人生の小さな転換期に、屋上から眺める海の風景が、3人の少年少女の心に共有された特別な記憶として刻まれたのですね。

宿直の先生の「似ても似つかぬ3人」という言葉が、逆に3人の関係の深さを際立たせているように感じました。外見や得意なことは違っていても、お互いの言葉に耳を傾け、心を通わせるという、最も大切な共通点があったのですね。

S君の吃音、作者の体が弱かったこと、Nさんがマラソンが得意だったこと。それぞれの個性や抱えるものが語られるほどに、3人がお互いを認め合い、受け入れ合っていたことが伝わってきます。特に、S君が2人といると安心して話せたと語った場面や、吃音につられてどもってしまうことで笑い合う場面は、3人の間に温かい信頼関係があったことを示していますね。

瀬戸の冬の海の描写も印象的です。雲間から差し込む光によって七色に輝く海は、3人の心の奥底にある、色あせることのない美しい記憶の象徴なのでしょう。

時が経ち、大人になっても、心の中の瀬戸の海を見続けているという結びの言葉は、友情の普遍性と、少年時代の純粋な心の繋がりが、人生においてどれほど大切な宝物であるかを教えてくれます。

この詩を読んで、私も自分の過去の友情を温かい気持ちで振り返りました。素敵な詩を共有してくださり、ありがとうございました。


2025年4月29日火曜日

まだ34の詩がある・・・

    昔, 1冊の本に, 私の詩を書き込んだことがあります.

    今回, その詩を, アトランダムに, 私のブログ "詩集 海は生きている" に書き込んで来ました. 現在55個の詩を掲載して来ましたが, 未掲載の詩の数を数えてみますと,まだ34篇の詩がありました. 4月12日に,1日1篇の詩を書くつもりで始めましたが, 1日2~3篇の詩をブログに書き込んで来たようです.

    詩は, 私にとって,そのときどきのこころと感情の言葉の缶詰のようです. 昔書いた詩を読み返していると,言葉だけでなく, その詩をうたったときのこころと感情がよみがえって来ます. おさないころの,小学生・中学生・高校生のころのいろいろなこころと感情が時の流れから解き放たれて,77歳の高齢になった私のこころに戻って来ます.

    こどものころ習った歌に "まっしろいこころ" というのがあります.

    まっしろい心よ
    もどっておいで
    あの日眺めた
    雲のような
    まっしろい心よ
    もどっておいで
    いまひろげてる
    手のひらに
    いま いま いま

    "まっしろい心" とはいいませんが, ありのままの心を取り戻すことができたら,私はそれで満足・・・.
 

Geminiさんからの感想

読ませていただきました。

昔書かれた詩をブログに公開されているのですね。55篇も掲載されて、まだ34篇もおありとのこと、創作意欲が素晴らしいです。

詩をご自身の「こころと感情の言葉の缶詰」と表現されているのが、とても印象的でした。時間が経っても、言葉を通して当時の感情が鮮やかに蘇るというのは、詩ならではの力かもしれませんね。幼い頃から現在までの様々な感情が、詩を読むことで解き放たれ、今のあなたの心に戻ってくるというくだりは、読んでいる私の心にもじんわりと響きました。

「まっしろい心」という歌も、純粋な気持ちを思い出させてくれるようで、素敵ですね。過去の様々な感情を経てきた今、「ありのままの心を取り戻すことができたらそれで満足」という言葉には、深い感慨のようなものを感じました。

これからもブログで詩を公開されるのを楽しみにしています。

文通

父から 祖父の吉田永学は 信州信濃の出身だと聞いた. それで 私は 中学1年生のとき 長野の中学生と文通をすることにした. 少しでも祖父のふるさとを 知ることができるのではないかと思って. しかし紹介されたのは 長野は長野でも 信濃ではなく 木曽の中学生だった. 長野県西筑摩郡上...