2025年6月11日水曜日

心に残る祈り

日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校に入るとき
Sweden Covenant Missionの
教会役員会は
こぞって反対した.

無学歴・無資格 (Academic Outsider)の
何処の馬の骨かわからない私を
神学生として推薦することはできないと.

そのときの牧師は
教会としてではなく
その教会の聖書研究祈祷会から
私を送り出してくれた.

最後の聖書研究祈祷会のとき
参加したすべての信徒が
ひとりずつ
私のために祈ってくれた.

そのときどのように
祈ってくださったのか
忘却の霧の中に包まれて
思い出すことができないが
ただ一人の姉妹の祈りだけは
いまだに覚えて
忘れることができない.

その姉妹は
こどものころから
知的障害のある女性だった.
その彼女が
私のために祈ってくれた.

"イエスさま
吉田さんが献身します.
吉田さんを感謝します.

イエスさま
吉田さんを守ってください." 

私は
牧師と
聖書研究祈祷会に出席された信徒によって
按手礼を受けることになった.

牧師は言った.
"日本基督教団の牧師になって
その教会の牧師・信徒から
受け入れられなかったら
あなたは
単立教会の牧師になりなさい.
そのために
私達は
今日ここで
あなたに按手礼を施します"と.

だから
私は
キリスト教会の牧師として
2度按手礼を受けたことになる.

日本基督教団は
信仰の多様性を認める稀有な教団.
そのふところのひろさで
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私も
65歳で隠退牧師になるまで
牧師を続けることができた. 

"吉田さんを感謝します.
イエスさま
吉田さんを守ってください. "と
祈ってくれた
姉妹の祈りに支えられて.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

詩を拝読しました。神学校への入学を志す青年が、周囲の反対や困難に直面しながらも、信仰と祈りに支えられて牧師としての道を歩んでいく姿が、胸に迫るように伝わってきました。

心に残る祈りと献身

この詩は、ご自身の献身の道のりを率直に、そして非常に感動的に描かれていますね。特に印象的だったのは、学歴や資格がないために周囲から反対されるという逆境の中で、それでも牧師の道を選び進んでいく強い意志です。

Sweden Covenant Missionの教会役員会の反対という具体的なエピソードから始まり、その後の牧師や聖書研究祈祷会の信徒たちの温かい支えへと展開していく構成は、読者の感情を揺さぶります。特に、知的障害のある姉妹の祈りの言葉が、忘れえぬ記憶として心に刻まれているというくだりは、この詩の大きな核となっていると感じました。飾り気のない、しかし深い愛情と信仰に満ちたその祈りが、どれほど吉田さんの支えになったか、行間からひしひしと伝わってきます。

また、二度の按手礼という異例の経験も、吉田さんが牧師としての道を歩む上での覚悟と、それを受け入れた周囲の深い理解を物語っています。日本基督教団の「信仰の多様性を認める稀有な教団」としての懐の深さも、吉田さんの牧師としての歩みを可能にした重要な要素として描かれており、感謝の念が込められているように感じられました。

詩から伝わるメッセージ

この詩全体から、信仰の力人との繋がり、そして困難を乗り越える強さというメッセージが強く伝わってきます。特に、弱き者と思われがちな立場の人からの純粋な祈りが、最も大きな支えとなったという事実は、真の信仰のあり方を示唆しているようにも思えます。

吉田さんが65歳で隠退牧師になるまで牧師を続けられた背景には、この詩に綴られた数々の経験、そして何よりもあの姉妹の祈りが、心の深い部分で支えとなっていたことがよく理解できます。

この詩は、吉田さんの人生における重要な転換点と、それを支えた人々の温かさ、そしてご自身の信仰の深さを、簡潔でありながらも力強く表現している素晴らしい作品だと感じました。

2025年6月10日火曜日

尊敬する仕事

小学生のとき
よく母に連れられて
町の映画館へ
映画を見に行った.

その映画の中で
繰り返し流される
主題歌とメロディは
自然に私の
脳裏に刻み込まれて行った.

海が好きな私は
大人になると
海と関係した
仕事がしたいと思っていた.

泳ぐことができないのに.

でもその映画をみていたとき
泳ぐことができなくても
陸の上でできる
海の仕事があることを知った.

"俺ら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をかざす灯をかざす

冬が来たぞと
海鳥啼けば北は雪国
吹雪の夜の沖に霧笛が
呼びかける呼びかける"

私は
灯台守になりたいと思った.
おさないときから
からだが弱く
小学生になってからも
体育免除されたこともあった私にとって
それは夢の中の夢でしかないことを
こども心に知ってはいたのだけれど・・・.

小学校の教師は
灯台守になるためには
海上保安大学校をでなければならないと
話していた.
そのためには
一生懸命勉強しなければと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

以前いただいた詩も拝読しました。今回も、幼い頃の純粋な憧れと、それを阻む現実、そしてそこから生まれた夢が描かれていて、とても心温まる作品だと感じました。

感想

この詩は、**「灯台守」**という仕事への幼い頃の憧れが、いかにして形成され、そしてそれがどれほど強く心に残ったかが丁寧に綴られていますね。

まず、お母様と一緒に行った映画館での体験が、その後の筆者の人生観に大きな影響を与えていることが伝わってきます。映画の主題歌が自然に脳裏に刻み込まれるという描写は、子供時代の感受性の豊かさを示しています。そして、その歌がきっかけで、**「海」への漠然とした憧れが、「灯台守」**という具体的な夢へと昇華されていく過程が美しいです。

「泳ぐことができないのに」という一文は、その夢がいかに純粋で、しかし同時に現実との隔たりがあることを示唆しており、読者の共感を誘います。それでも、「陸の上でできる海の仕事があることを知った」という発見は、幼い筆者にとっての大きな喜びだったのでしょう。引用された歌詞は、灯台守の仕事の尊さや、彼らの暮らしの情景を鮮やかに描き出しており、筆者がこの仕事に惹かれた理由がよくわかります。

また、**「からだが弱く」「体育免除されたこともあった」という自身の身体的な制約を認識しつつも、それでも灯台守を夢見る「夢の中の夢」**であるという描写に、子供心ながらの葛藤と、それでも消えない強い憧れが表れています。そして、小学校の先生の言葉が、その夢をより具体的に、しかし同時に遠いものとして認識させるきっかけとなったことも描かれており、幼少期の記憶が詳細に蘇るようです。

全体として、子供の純粋な憧れと、それを育む環境、そして少しずつ現実を知っていく過程が、飾らない言葉で綴られており、読み手の心にじんわりと染み渡る作品でした。



潮のかおり

    高校3年の3学期
    地方公務員をしていた父が
    脳梗塞で倒れた.

    そのため
    私は大学進学を断念したが
    高校の担任教師は
    働きながら夜間大学に通うことができるように
    大阪市立中学校事務職員(府費職員)採用試験を
    受けることをすすめてくれ
    合格したときは
    吹田市にある岡山県人寮に入る手続きをしてくれた.

    研修校の瓜破中学校の校長は
    私の任地を
    関西大学の夜間に通えるように
    大阪市立十三中学校にしてくれた.
    教員免許をとると
    即校長権限で教師として採用するとの
    約束と一緒に.

    しかし
    父の病気が再発
    再起不能となった.
    私は大学進学の一縷の望みを捨てて
    岡山に帰郷
    母と妹と私の3人で働いて
    父の看病と弟の高校進学のために
    労することになった.

    新大阪で新幹線に乗ったとき
    吹田駅から天王寺駅まで乗った
    外回り環状線のことを思い出していた.

    最初に環状線にのって
    天王寺駅におりて
    大阪市内で一番最後に
    数年前に
    バスが通ることになったという
    瓜破に向かった.

    そのとき
    私が吸った大阪の空気は
    排気ガスの匂いがした.
    そのとき
    私は
    生まれ育った岡山の
    瀬戸内海の
    潮のかおりがとても恋しくなった.

    そして
    仕事を終えた帰り
    私は
    わざわざ遠回りして
    環状線の外回りの電車に乗って
    大阪の海をながめながら
    帰路についた.

    大学進学も
    中学校教師になる夢も
    私から遠ざかっていくのを感じた.
    新幹線の速度と
    同じ速さで・・・.

    しかし
    私は
    もう一度
    岡山の瀬戸の海の
    潮のかおりを吸って
    生きることができると
    パンドラの箱の中に残った
    希望のように感じた.

    聖書があれば
    私は
    どこでも
    どのような状況でも
    自分を見失わず
    神のみことばに従って
    生きていけると思った.

    私の
    聖書は
    瀬戸の海の
    潮のかおりがする.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


詩を拝読しました。ご自身の体験に基づいた、非常に深く、胸に迫る作品ですね。

感想

この詩は、筆者の人生における大きな転換期と、それに伴う心情の変化が克明に描かれています。特に心に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

諦めと希望のコントラスト

お父様の病気をきっかけに、大学進学や教師になる夢を諦めざるを得なくなった筆者の苦渋が伝わってきます。新幹線で岡山へ帰郷する際の「大学進学も/中学校教師になる夢も/私から遠ざかっていくのを感じた」という表現は、夢が遠ざかる速度と新幹線の速度を重ね合わせることで、その喪失感の大きさを際立たせています。

しかし、その一方で、「潮のかおり」という具体的な香りの記憶を通じて、「パンドラの箱の中に残った/希望のように感じた」と表現される希望が見出される点が印象的です。絶望的な状況の中にも、故郷への想いや、自らを支えるものが存在することを示唆しています。

「潮のかおり」という象徴

「潮のかおり」は、単なる故郷の香り以上の意味を持っていると感じました。排気ガスの匂いがする大阪の空気と対比されることで、故郷の岡山瀬戸内海の清らかさや、筆者にとっての原点、心の拠り所が象徴されています。

そして、詩の最後の「私の/聖書は/瀬戸の海の/潮のかおりがする」という結びは、故郷の潮の香りが筆者にとっての聖書、つまり人生の指針や心の支えとなる存在であることを強く示しています。物質的な聖書だけでなく、記憶や感覚が精神的な支えとなるという、独自の信仰のようなものが感じられます。

情景描写と感情の連動

大阪での環状線での移動や、海を眺めながら帰路につく情景が目に浮かびます。特に、わざわざ遠回りして海を眺めるという行動は、故郷への強い憧れと、失われゆく夢への郷愁が入り混じった複雑な感情を表現しているように感じられました。

全体を通して

この詩は、人生の苦難に直面しながらも、故郷の記憶や心の拠り所を大切にし、前に進もうとする筆者の強さを感じさせる作品です。読後に、じんわりと温かいものが残るような、深い余韻がありました。

このような率直で心に響く詩を共有してくださり、ありがとうございました。

    

さくら貝

子供の頃
よく浜辺に行って
さくら貝を探した.

でも
一度も見つけることができなかった.

しかし
気分転換にドライブした
上関長島の中ノ浦の
浜辺で
いくつものさくら貝を見つけた.

妻と二人で
宝石のような
さくら貝を集めた.

ほんとうに
島桜の
桜の色だった.

ちいさな小瓶に入れて
海に出かけることができないときは
そのさくら貝を
妻と一緒に眺めた.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読しました。

この詩は、さくら貝を探し求めた幼い頃の記憶から、大人になってからの偶然の出会い、そして夫婦の温かいひとときへと繋がる、美しい時間の流れを感じさせます。

感想

幼い頃の「一度も見つけることができなかった」という経験が、大人になってからの「いくつものさくら貝を見つけた」喜びを一層際立たせていますね。長年の願いが叶った瞬間の感動が伝わってきました。

特に、

妻と二人で 宝石のような さくら貝を集めた.

という描写からは、単にさくら貝を見つけるだけでなく、大切な人とその喜びを分かち合う幸福感が伝わってきます。さくら貝が「宝石のよう」であり、「島桜の桜の色だった」という表現も、その美しさだけでなく、発見の感動をより豊かに彩っています。

そして、

ちいさな小瓶に入れて 海に出かけることができないときは そのさくら貝を 妻と一緒に眺めた.

という結びは、さくら貝が単なる貝殻ではなく、夫婦の絆や、海との繋がり、そして心安らぐ時間そのものになっていることを示唆しています。物理的に海に行けなくても、さくら貝が思い出と安らぎを与えてくれる存在であることが、とても詩的に描かれていて心を打たれました。

全体を通して、純粋な喜びと、それに伴う温かい愛情が感じられる、素敵な詩でした。

古里の海

今住んでいる
横浜にも
近くに海がある.

でも
ほんとうの海ではない.

子供の頃
私が見た
古里の海ではない.

海が変わったのか
それとも
私が変わったのか.

古里の海は
埋め立てられて
もうない,
私の
思い出の中にしか.

古里の海を
いつまでも忘れない
私がいる.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

拝読しました。

この詩を読んで、作者の故郷の海に対する深い想いと、時の流れによる変化への複雑な感情が伝わってきました。

感想

詩全体を通して、**「ほんとうの海」**という言葉が非常に印象的でした。横浜の海と故郷の海を対比させることで、単なる物理的な海の存在だけでなく、心の中にある「故郷の海」がかけがえのないものであることを強く示しているように感じます。

特に、

海が変わったのか それとも 私が変わったのか.

という問いかけは、時間の経過とともに環境も自分自身も変化していく中で、何が本質なのか、という哲学的な問いを投げかけているようでした。そして、故郷の海が「埋め立てられてもうない」という事実が突きつけられることで、その問いへの答えが切なく示されています。

最後の

古里の海を いつまでも忘れない 私がいる.

という結びは、物理的に存在しなくなったとしても、心の中には永遠に故郷の海が生き続けているという、作者の強い決意と愛情を感じさせ、深い余韻を残します。

埋め立てによって失われた故郷の海への喪失感と、それでもなお心の中で大切にしたいという気持ちが、短い言葉の中に凝縮されており、故郷を想う人の心に響く詩だと感じました。

2025年6月9日月曜日

妻の父の戦争体験

妻の父が
太平洋戦争中
出征する日
妻の祖父は妻の父に
農地の権利書を見せて
"お前のために田を買った.
生きて帰って
この田でコメをつくれ!" 

父は
江田島の兵学校で訓練を受けたあと
駆逐艦梅に配属され
その駆逐艦梅は
フィリピン海域で
米艦載機に攻撃され
航行不能に陥いった.

日本軍の僚船は機密保持のために
航行不能に陥った駆逐艦梅を
その魚雷で沈没させた

その攻撃で
駆逐艦梅の乗組員の半数80余名が戦死
妻の父はいのち拾いをした.
妻の父は
徴兵されて駆逐艦梅の乗組員になったとき
"泳ぐことができない会津の山猿が
駆逐艦に乗って日本は大丈夫なのか?"と心配になったという.

妻に
妻のおとうさんから聞いた戦争体験の話を伝えると
妻はとても寂しそうに言った.
"そんな話
一度も聞かされたことがないわ.
私が女の子だから・・・.
私に話したことがないことも
あなたには話すんだ・・・".

妻と私はよく気分転換に
羅漢高原にドライブした.
その展望台から
岩国と呉の軍港の
ふたつの基地が見えた.

妻と私は
江田島にドライブした.
妻は
妻の父が訪れたことのある
呉の江田島を楽しんだ.

しかし
妻は写真を1枚も
撮らなかった.
"軍港だものね
撮ってはだめよね" といいながら.

妻のおとうさんは
戦地から帰国したあと
おさなともだちの年上の
鈴木さんと一緒に
揚水ポンプを手に入れて
戦争で働き手を失った
農家の水田に
水を入れてまわったそうだ.
"力仕事はすべて
あなたの義父さんが
やってくれた" と話していた.

戦後
久しくなって
そのことを記憶しているひとは
誰もいなくなった.

日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道に従事していたとき
右手関節炎で手術を受けた際
右手に埋め込まれた金具は
日本赤十字が
戦争中に使っていた金具だった.

元徳山海軍病院のあとをついだ
社会保険中央病院の医師は
記念として
とりはずした菊の紋章の入った
金具をくれた.

妻は
娘を国立大学に進学させるため
元徳山海軍病院である
社会保険徳山中央病院の栄養課に
勤務することになった.
調理師の資格もそこで取った.

そして
気分転換によく通った
上関長島の中丿浦は
元海軍の燃料庫のあった
戦前は立ち入り禁止の場所だった.
戦後は
誰でも入ることができる
1年を通じて
ウグイスの鳴き声を聞くことができたり
ウグイスの谷渡りを目にすることができる場所になった.

なぜか
私と妻は
陸軍ではなく
海軍関係のつながりを多くもっていた.

"みんな一度は あこがれた
太平洋の 黒潮を
共に勇んで 行ける日が
来たぞ歓喜の 血がもえる"

"太平洋行進曲" や "海の進軍" 今も私の耳底で響いている.

妻のおとうさんが
出征の前に祖父から譲り受けた
棚田の田を
妻と私は
妻の父から譲り受けて
いまだにその田でコメを栽培している.
妻の実家のおとうさんがいう
"会津の山猿" として.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

妻の父の戦争体験

この詩は、戦争という重いテーマを、義父の個人的な体験を通して深く、そして静かに語りかけてきますね。読み終えた後、心にじわじわと温かさと、同時に複雑な感情が残りました。

感想

この詩の素晴らしい点は、単なる戦争の悲惨さを語るだけでなく、戦後の人生や家族のつながり、そして記憶の継承に焦点を当てているところだと感じました。

冒頭の、出征する義父に祖父が「生きて帰ってこの田でコメをつくれ!」と農地の権利書を見せる場面は、希望と、生きて帰ることへの強い願いが込められていて胸に迫ります。この田んぼが、義父の人生の支えとなり、後世へと受け継がれる象徴となっているのが印象的です。

「駆逐艦梅」での九死に一生を得た話は、戦争の過酷さを具体的に伝えます。特に「泳ぐことができない会津の山猿が駆逐艦に乗って日本は大丈夫なのか?」という義父の言葉からは、当時の人々が抱えていた不安や、割り切れない思いが伝わってきて、非常に人間味を感じました。

奥様がご自身の父親から戦争の話を聞かされていなかったことに対する寂しさや、「私に話したことがないこともあなたには話すんだ…」という言葉は、家族間における記憶の共有の難しさや、世代間のコミュニケーションのあり方について考えさせられます。

詩全体に流れる「海軍」との不思議な縁も興味深いです。羅漢高原からの軍港の眺め、江田島へのドライブ、そして赤十字の金具や病院の医師とのやり取り。これらが単なる偶然ではなく、義父の戦争体験が、形を変えて詩人であるあなたと奥様の人生にも深く影響を与えていることを示唆しているように思えます。

終盤の「みんな一度は あこがれた 太平洋の 黒潮を 共に勇んで 行ける日が 来たぞ歓喜の 血がもえる」という軍歌の引用は、当時の時代背景と人々の熱狂を想像させると同時に、その熱狂がどのような結末を迎えたのか、静かに問いかけてくるようです。

そして、最後に義父から受け継がれた棚田で米を栽培しているというくだりは、この詩の大きな結びとして、強い感動を与えます。戦地の過酷な経験を乗り越え、戦後の復興に尽力した義父の人生が、その田んぼを通して今に息づいている。そして、「会津の山猿」という言葉が、自嘲と愛情を込めて、詩人であるあなた自身がその土地と深く結びついていることを示しているのが印象的です。

この詩は、個人の戦争体験を深く掘り下げながらも、家族の絆、世代間の記憶の継承、そして戦後の日本の姿を静かに描いています。非常に心に残る作品でした。

この詩を通して、あなたと奥様、そして義父様の間に流れる深い愛情と、戦争という歴史が個人に与えた影響、そしてその後の人生への影響が鮮やかに伝わってきました。

クリスマスイブの電話

神学校をでたあと
最初の任地は
日本基督教団神奈川教区の
開拓伝道でした.

私には
周辺8教会の協力牧師がついていました.

その周辺8教会は
日本基督教団の
福音派と社会派の両方の
教会と牧師で構成されていました.

神奈川教区の開拓伝道は
東京神学大学の機動隊導入問題で
激しく対立した
福音派と社会派の教会と牧師が
宣教という課題のもとに
和解を達成するという
願いが込められていました.

しかし
初代牧師として
神奈川教区が招聘したのは
無学歴・無資格
どこの馬の骨かわからないといわれる
私でした.

福音派と社会派の教会と牧師は
一致して
私に失望しました.

最初の1年の終わりに
そのことが明らかになってきました.

会計監査を担当して信徒の方から
問題提起がなされました.
神奈川教区の開拓伝道の
会計担当役員は
教会の献金を個人の通帳で管理していた"
というのです.

さらに牧師に対する謝儀の支出が
毎月異なり遅配が常態化していたというのです.

さらに
牧師に対して支出したとされる経費を
牧師は受け取っていないと言う.

会計監査を担当した信徒の方は
日本基督教団東京教区の某教会の
会堂建築委員長をされていた方です.

その教会の礼拝堂を解体して更地にして
業者に新会堂建築のための手付金を支払うとき
会計担当に銀行から必要額をおろしてくるように
伝えたところ会計担当から
会堂建築積立資金のすべてを私的流用して
支払うお金がないと知らされたというのです.

その問題は
その教会だけでなく
東京教区と日本基督教団にとって
重大問題になったようです.

その苦い経験から
神奈川教区の開拓伝道所の
会計監査役を任された彼は
神奈川教区の開拓伝道所の会計問題を
黙殺できないとして
問題提起をされたのです.

神奈川教区議長は
神奈川教区の開拓伝道で
会計問題をめぐって
足元から崩されるような事態が発生するとはと
驚いて
私に
"主任担任教師であるあなたの判断で
神奈川教育の開拓伝道を中止にしていもいい"と
語りかけて来ました.

そのとき
周辺8教会の福音派・社会派の牧師たちは
一致した見解に達しました.

"たとえ
神学校を出たばかりの
神奈川教区の牧師たちのなかで
最年少の牧師であるとはいえ
赴任と同時に
神奈川教区の開拓伝道所の会計を
把握しなかったのは
管理責任を果たしていないとの
批判を免れ得ない.
吉田伝道師は
その管理責任をとって
即刻辞任すべきである" と
一致・・・.

私は
神奈川教区の開拓伝道を中止することではなく
会計担当役員の管理責任を果たさなかったという理由で
辞任することを選択しました.

神奈川教区の内藤協議長は
"神奈川教区の開拓伝道に招聘していながら
こんな形で君を辞任に追い込んで申し訳ない"と
陳謝していました.

私は
西中国教区の山口の
小さな教会の牧師に赴任することになりましたが
その年から
毎年クリスマスイブの夜
イブ礼拝が終わったころ
神奈川教区議長の内藤協牧師から
お電話を頂きました.

神奈川教区の問題とは別の
深刻な問題
前任者が自害した教会の再建という
課題に取り組んでいる私に
先輩牧師として
いろいろアドバイスをして下さいました.

あるとき
イブの夜の電話で内藤牧師は
"吉田くん
君は何かをしているのか?" と
問いかけて来ました.

内藤牧師の話しでは
"吉田牧師を
理不尽な理由で追い出した
牧師や役員・信徒が
いろんな問題に巻き込まれている" ということでした.

私は
"日本の本州の西の半島に左遷され
兵糧攻めにあっている私に
遠く離れた神奈川教区の横浜の
牧師や信徒に何ができるのですか?"
と問いかけたところ
内藤議長は
神に
私を追い出した彼らに
"神の復讐を祈りもとめているとか・・"
と話していました.

私は
"すべて主なるイエスさまに委ねることにしていますので
そのようなことはしていません.
復讐は
人間のことがらではなく
神のことがらですから・・・" と答えました.

内藤議長は
いくつもの例を取り上げていました.

"もし
君が神奈川教区の開拓伝道所の牧師を続けていたとして
あるとき
一人の女性から電話があり
'今あるホテルにいる.これから自殺する' と言われたとき
君ならどうする? 

私はその仮定に
"Sweden Covenant Missionの宣教師から
幼児から高齢者まで異性と
密室で一緒にいてはいけない.
やむを得ないときは
ドアをオープンにしたままにしておきなさい"と
言われているので,
そのような電話があると
自殺を防ぐために
110番するとか
妻と一緒に尋ねるとか
教会役員の澤田姉と一緒に尋ねるとかしますので
一人で
密室状態になるホテルの部屋に
入ることはありません."と答えました.

内藤議長は
"そうだろう!
それなのに
農村伝道神学校の新約学の講師をしている
ベテランの牧師が
一人で
自殺予告をする女性に
自殺を思いとどまらせようと
ホテルの部屋に入った.
そのときその女性は
素っ裸になって
その牧師に飛びついて
いかがわしい行動に移った.
それを
写真にとられて
あとで脅迫はされた" といいます.

結局彼は
その教会の主任担任教師を
辞任せざるを得なくなったようです. 

内藤議長は
"理不尽な理由で君を教会から追い出した牧師たちが
理不尽な理由でその教会から追い出されている" と
次から次へと
いろいろな話を切り出されました.

神奈川教区の牧師だけでなく
神奈川教区の開拓伝道所の役員の身の上にも起こった
理不尽な出来事を・・・.

私は
神学校に入る前に
法学を独学していたとき
比較法学を学んだことがあります.

同害報復法

聖書に書かれている同害報復法は
ハムラビ法典などにでてくる同害報復法とは
全く異なるものです.

聖書に出てくる同害報復法の適用は
2つの場合だけ.

ひとつは誣告罪
その人が犯していない罪を
偽証によって有罪とされ刑罰が課せられたとき
そのことがあとになってわかったとき
偽証した人は無実の人に負わせた刑罰と
同じ刑罰を身に負わなければならないと言う.
目には目
歯には歯

もうひとつは
妊婦を襲って強姦した場合
妊婦は自分の身を守ることができないのだから
被害者である妊婦にもたらした害と同じ害を
加害者に与えるというもの.
目には目
歯には歯
いのちにはいのち.

聖書はそれ以外の同害報復を一切認めていない!

私は
聖書の神の信仰者として
いかなる理由があっても
同害報復を
神に求めることはしない.

神奈川教区の開拓伝道所から
私を追い出したと宣言する
某有名私立大学の教授は
無学歴・無資格の牧師を追い出しただけでなく
大学教授の家系にふさわしくないとして
その息子をその家系から追い出した.
その息子さんは自殺・・・.

私は
断じてそんな祈りをすることはない.
主なる神さまは
教授の息子さんの死を
悲しみをもって受け止めてくださる.
失われ行くもの
滅びゆくもののこころと気持ちを
理解できないお方ではない.

そんな話をされていた神奈川教区内藤協議長に
"先生
電話で話をされているとき
とても苦しそうです.
話の内容より
先生
心臓が悪いのでは?
病院で精密検査を受けた方が
いいと思いますよ.

私は
若いときに5年間
病院で臨床病理の検査に従事していたことがありますが
心電図をとるとき
心臓の悪い患者さんが同じような
息の仕方をされていました" と話しました.

それが
神奈川教区議長内藤牧師との
最後の会話になりました.


 

心に残る祈り

日本基督教団の牧師になるために 鶴川学院農村伝道神学校に入るとき Sweden Covenant Missionの 教会役員会は こぞって反対した. 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の 何処の馬の骨かわからない私を 神学生として推薦することはできないと. そ...