2025年6月30日月曜日

多摩のプロ農家

日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき
アルバイトで
家庭教師をしていました.

1週間に2回
神学校の自転車を借りて
街灯のない
まっくらな
月と星の光だけをたよりに
夜の山道を
鶴川から多摩ニュータウンの近くの農家まで
通ったことがあります.

あるとき
中学生の娘さんの父親である
農家の方
"明日
サツマイモの苗の作付をする.
見に来ないか"と
誘ってくださったので
見に出かけました.

朝見る
山道は
夜通った山道とは
まったく違った道に見えました.
"よくこんな道を夜
山越えしたんだ"と 我ながら驚きました.

しかし,
一番驚いたのは
多摩の農家のサツマイモの作付け風景

広大なさつまいも畑は
まっすぐに畝が延びて
その端は空につながっていました.

そのサツマイモ畑を
その農家の方は
普通に歩く速度で
サツマイモの苗を移植していきます.

足の親指で
土に穴をあけ
その中に
脇に抱えたかごから
サツマイモのつるを1本取り出して
落としては
つま先でつるの上に土をかけていきます.

普通に歩く速度で
あっという間に
サツマイモのつるの作付けをしていました.

私も真似て
同じことをしてみたのですが
その農家の作付けを
自転車に乗っているひとに例えますと
私は
まるで小さなこどもの三輪車にのっているような感じ.

そのとき
私は
プロの農家のプロの農家たる所以を
知らされたような気がしました.

そのプロの農家に抱いた尊敬の念は
いまだにそのときのまま・・・.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

この詩を拝読しました。

感想

多摩の専業農家でのアルバイトという、具体的な体験に基づいた詩で、情景が目に浮かぶようでした。特に以下の点が印象に残りました。

  • 夜道の描写と昼間の対比: 街灯のない真っ暗な夜道を月と星の光だけを頼りに進む様子、そして翌朝、昼間の山道を見て「よくこんな道を夜、山越えしたんだ」と驚く描写は、読者にもその驚きと、当時の心細さを想像させます。

  • 農家の方の描写: サツマイモの苗を「普通に歩く速度で」手際よく植え付けていく様子が、非常に具体的で鮮やかです。親指で穴をあけ、つるを落とし、つま先で土をかける一連の動きが目に浮かび、まさに「プロの技」の圧倒的な存在感が伝わってきます。

  • 「私」と「プロの農家」の対比: ご自身が真似てみたものの、まるで三輪車に乗っているような感覚だったという対比が、農家の方の技術の高さと、それに対する「私」の素直な驚きと尊敬の念を際立たせています。

  • 尊敬の念: 最後に「プロの農家のプロの農家たる所以を知らされたような気がしました」とあり、その尊敬の念が「いまだにそのときのまま」続いているという結びは、この体験があなたにとってどれほど深く心に刻まれたかを示しています。

この詩は、単なる体験談に留まらず、そこで得た気づきや、プロフェッショナルへの敬意が率直に表現されており、読者にもその感動が伝わる素晴らしい作品だと感じました。

このような貴重な体験を詩として残されたことに、感銘を受けました。

2025年6月29日日曜日

悔い改め

あるとき
教会に
高齢の姉妹の息子さんがやってきました.

彼は
牧師である私に
"クリスチャンになるために
何が必要か?"
と問いかけて来ました.

私は
"神さまの前で
神さまのみむねに適う
悔い改めをすることです"と答えました.

すると彼は
"悔い改めをするのは
いつでもいいのか?"と
さらに問いかけてきます.

私は
"悔い改めも
神さまの恵みです.
恵みのときに
悔い改めれば・・・" と答えますと

彼は
"死ぬ間際に
悔い改めて
天国に入れてもらうことにしましょう"といって
教会を去って行かれました.

そして
工場の高い煙突から
履き出される煙が
海から陸に向けて真横にながれているとき
彼は
ひとりで小さな漁舟に乗って
釣りに出かけて
岩場に座礁・転覆して
溺死してしまいました.

彼は
自分のいのちが
風前の灯火のとき
主なる神さまのみ前で
悔い改めることができたのやらどうやら.

彼は
クリスチャンの母や
息子・娘たちによって
仏式で葬儀を挙げられました.  

誰も彼が
人生の最後に
悔い改めることができたとは
信じることができなかったようです.

悔い改め
それは人生の方向転換のことですから
死に面したときではなく
生きているときに
信仰者へと方向転換する必要がありました. 

会社の社長として
この世の富を追求してきた彼にとっては
富から神へと
人生の方向転換することは難しかったのでしょう.

死に面したとき
彼は神との
一世一代の大取引きに
成功したのやら
どうやら・・・.


 Googleの人工知能Geminiさんの感想文


ご自身の詩ですね。拝読しました。

詩を読んで

「悔い改め」という主題が、非常に具体的に、そして劇的に描かれている作品だと感じました。

この詩の大きな魅力は、問いかけと答えの応酬、そして予期せぬ結末にあると思います。牧師である「私」と、クリスチャンになることを問う青年との対話は、聖書的な教えと人間の現実的な側面とが交錯する様子をよく表しています。「死ぬ間際に悔い改める」という青年の安易な考えと、その後の突然の死という対比が、読者に強烈な印象を与えます。

特に印象的だったのは、青年の死を描写する以下の部分です。

そして
工場の高い煙突から
履き出される煙が
海から陸に向けて真横にながれているとき
彼は
ひとりで小さな漁舟に乗って
釣りに出かけて
岩場に座礁・転覆して
溺死してしまいました.
この描写は、情景が目に浮かぶようで、青年の最期をより鮮烈にしています。そして、その死が「悔い改め」を巡る彼の考えと結びつくことで、読者に深く問いかける力を持っています。

主題について

この詩は、「悔い改め」という行為の本質的な意味タイミングの重要性を強く訴えかけています。単なる形式的な行為ではなく、「人生の方向転換」であるという牧師の言葉は、詩全体のメッセージを明確にしています。そして、主人公が富を追求してきた社長であったという設定は、「悔い改め」の困難さを際立たせています。

最後の「一世一代の大取引きに成功したのやら失敗したのやら・・・」という問いかけは、読者に深い余韻を残します。彼の魂が救われたのかどうか、その答えを読者に委ねることで、この詩は単なる物語を超えて、信仰と人生、そして死について深く考えさせる作品になっていると感じました。

非常に示唆に富んだ、心に残る詩でした。

2025年6月28日土曜日

懲戒処分

 私が
Swedwn Covenant Missionの教会の
役員になったのは
19歳のときでした.

洗礼を受けて日の浅い私が
なぜ教会の役員に選出されたのか
未だに謎です.

しかし
1年後
教会役員として相応しくないとして
解任されました.

なぜ解任されたのか
それも未だに謎といえば謎です.

教会役員会の職務のひとつに
懲戒があります.

教会役員会で取り扱うことになった
最初の懲戒は
縫製工場に勤めていたA姉が
A姉のおとうさんとおかあさんが
同時に病気で倒れ
長女のA姉は仕送りの額を
増やさざるを得なくなったのですが,
それでA姉は
児島から離れて
水島のバーに転職したのですが
教会役員会は
水商売に走ったA姉は
信仰を放棄したのと同じだと判断して
除名処分にしたのです.

そのことに反対したのは
19歳で教会役員になった
私だけでした.

2つ目の懲戒は
Sweden Covenant Missionの宣教師と
日本人牧師が
岡山市内のダンスホールで
一緒に踊っていたと
福音派の某牧師から
密告の電話があったということで
Sweden Covenant Mission の宣教に
負のイメージを与えたというのが
懲戒の理由でした.

その結果
二人は牧師・宣教師の資格を剥奪されてしまいました.

そのことに反対したのは
やはり
19歳で教会役員になった
私一人でした.

私が
教会役員を解任されたのは
私が教会役員会の
全員一致が要求される決議に
ことごとく反対するというのが理由でした.

反対のために
反対していたのではなく
私も
病気で倒れた父を看病するために
大学進学の夢を捨てて
働かざるを得なかったので
Aさんの気持ちがよくわかったからです.

Aさんは
キリスト教の信仰を捨てて
水商売に走ったのではなく
キリスト教の信仰をもったまま
その父母を支えるために
水商売の世界に入って行ったのです.

宣教師と日本人牧師についても
19歳の私ですら
彼らが交際していることを知っていました.
ダンスホールでダンスをしたからといって
宣教師と牧師の資格まで
剥奪するというのは
神の愛のない
無慈悲な所業と思えたからの
反対でした.

ふたりはやがて
Swedenで結婚しました.

私は
日本基督教団の牧師になってから
一度も教憲教規に基づいて
''懲戒処分'' を下すことはありませんでした.
自ら教憲教規に違背するようなことも
しませんでした.

すべて
主なる神さまに
委ねました.
牧師である私が裁かなくても
神の御前で罪を犯した人は
自らに裁きを招いて行きました. 

ゲーテは
ファウストの中で
''裁くことができない裁判官は
やがて犯罪者の仲間入りをすることになる'' と
語っていますが,
牧師は裁判官ではありませんので
裁きを主なる神さまに委ねることは
罪人の仲間入りをすることにはなりません.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

あなたの詩「懲戒処分」を拝読しました。若くして教会の役員になり、そこで経験したこと、感じたことが率直に綴られていて、非常に考えさせられる内容でした。

特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

若き日の葛藤と正義感

19歳という若さで教会の役員に選ばれながら、その理由も解任の理由も「謎」と表現されている部分から、当時のあなたの困惑が伝わってきました。しかし、その中でも、A姉や宣教師・牧師に対する懲戒処分にたった一人で異議を唱えたというエピソードからは、あなたの強い正義感と、表面的なルールにとらわれない深い人間理解が伺えます。

「神の愛のない無慈悲な所業」への疑問

A姉のケースでは、家族を支えるために選んだ苦渋の決断が「信仰を放棄した」と断じられ、宣教師と日本人牧師のケースでは、密告一つで資格を剥奪されるという、当時の教会の判断基準に対するあなたの疑問が痛いほど伝わってきました。特に、「神の愛のない無慈悲な所業」という言葉は、あなたの胸中にあった怒りや悲しみを端的に表していると感じます。

後の牧師としての姿勢

これらの経験が、あなたが日本基督教団の牧師になってからの「一度も教憲教規に基づいて''懲戒処分''を下すことはありませんでした」という姿勢に繋がっていることがよく分かります。人ではなく神に裁きを委ねるという選択は、かつて自身が体験した不条理な懲戒への反動であると同時に、信仰者としての深い洞察と慈悲の心から来ているのだと感じました。

ゲーテの引用と牧師の役割

ゲーテの言葉を引用しつつ、牧師は裁判官ではないと結ばれている点も興味深かったです。これは、人間が人間を裁くことの難しさ、そして牧師の真の役割は裁くことではなく、すべてを神に委ねることであるという、あなたの確固たる信念が表れているように感じました。

全体として、この詩は、ある若者の心の成長と、信仰における倫理観、そして赦しと慈悲の重要性を深く問いかける作品だと感じました。自身の経験に基づいているからこその説得力があり、読者に多くの示唆を与えてくれる詩だと思います。



2025年6月26日木曜日

心の狭さ

日本基督教団西中国教区の
山口のちいさな教会の牧師をしていたときのこと.


妻が話しかけてきた.
"あなたゴミ捨て場に平凡社の百科事典が捨ててある.
拾ってこようか?"

私は
"もしかしたらただ
一時的に老いているだけかもしれないよ.
夕方になっても誰も取りに来なければ
もらうことにしよう."  と答えた.

さらに次の朝
"あなたゴミ捨て場に本箱が捨ててある.
もらってこようか?"という.

それで
妻と私は本箱もいただくことにした.

そしてさらに
さらに次の夜
妻が また箱が捨ててあるというので
ふたりでとりにでかけた.

礼拝堂の明かりの前まで
持って帰ると
それは仏壇だとわかった.
"仏壇を捨てるひとがいるの?
普通は廃棄するときは
ゴミ箱に捨てるのではなく
焼き捨てるのでは?"といいながら
その仏壇を元の場所に戻した.

その夜
私は夢を見た.
黄金に輝く雲にのって
釈迦がやってきて
"私を
あなたが牧師をしている
教会の信徒にしてください"と
語りかけてきた.

そのとき
私は
"お釈迦さんを
キリスト教会の信徒として
受け入れることはできません."と
無碍もなく断った.

その夢の話を
妻にすると
妻は言った.
"あなた
こころが狭いのね.
たとえお釈迦さんでも
受け入れてあげたらよかったのに".

そのとき
私は
私のこころの狭さを反省した.

あるとき
妻と二人で
長州藩の家老たちの代々の墓地のある
曹洞宗の寺を尋ねた.

その寺の住職は
山口県立大学の学長をされている方で
その方と話をする機会があった.

その方は私に言った,
"あなたは変わったひとですね.
仏教の僧侶である私に
仏典を引用しながら
'差別なきこころ
それがほとけの浄土である'と
反差別の説教をされる.

この寺の檀家で
親に反対されても洗礼を受けて
クリスチャンになった
娘さんがなくなって
両親から私に
この寺でその娘さんを
キリスト教式で弔ってほしいと依頼され
とても困ったことがある.

しかし
仏典を読んでいる牧師さんなら
これからは同じような事例に接すると
この寺で
あなたにキリスト教の葬儀をしてもらうことにしよう" と.  

その日はやってくることはなかったが,
お釈迦さんの入信を拒否して
自分の心の狭さを痛感した私の中に
仏教や僧侶に対する姿勢に変化が生じた.

江戸時代
当時の司法警察官であり
キリシタン弾圧にかかわっていた
穢多役・非人役の旦那寺である
浄土真宗の寺に出入りして
被差別部落の歴史
穢多寺の歴史を調べることに抵抗感はなくなった.

私は
彼らの語る言葉に
耳を傾けることができた.
同和問題と取り組む宗教者の
良心とその闘いを知ることになった.

私は
どのような宗教の宗教者とであっても
日本基督教団の牧師であり
聖書信仰を生きている私の
Raison d'être を見失うことなく
彼らと関わりと対話を持つことができるようになった.

私は
釈迦の夢を再び見ることはなかった.

もちろん
私は夢の中で
聖書の主なる神さまも
主イエスさまも
一度もみたことがない.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

れは大変興味深く、深みのある詩ですね。読ませていただき、さまざまなことを考えさせられました。

感想

この詩は、一人の牧師の内面的な変化と成長を、具体的なエピソードを交えながら率直に描いています。特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

日常からの気づき

平凡社の百科事典や本箱、そして仏壇といった「ゴミ捨て場に捨てられた物」を巡る妻とのやり取りが、心の狭さに気づくきっかけとなっている点が秀逸です。日常のささやかな出来事から、人の心のあり方について深く考えるようになる過程が、とても人間らしく描かれています。特に、仏壇を元の場所に戻す場面は、牧師としての信仰と、他宗教の対象物に対する戸惑いがリアルに伝わってきました。

釈迦の夢と心の狭さ

最も心を揺さぶられたのは、釈迦がキリスト教会の信徒になりたいと申し出てきた夢を、牧師が無碍もなく断ってしまう場面です。そして、それを聞いた奥様の「あなた こころが狭いのね。たとえお釈迦さんでも受け入れてあげたらよかったのに」という一言。この一言が、牧師自身に「心の狭さ」を自覚させる決定的な瞬間として描かれているのが素晴らしいです。読者もまた、この牧師の心の葛藤と、それに続く反省に深く共感させられます。

宗教間の壁を越える試み

釈迦の夢をきっかけに、牧師の心境に変化が生じ、仏教や僧侶に対する姿勢が変わっていく過程が感動的です。特に、曹洞宗の住職との対話のエピソードは、宗教の壁を越えた相互理解と協力の可能性を示唆しており、現代社会において非常に重要なメッセージを含んでいると感じました。住職が「仏典を読んでいる牧師さんなら、これからは同じような事例に接するとこの寺であなたにキリスト教の葬儀をしてもらうことにしよう」と語る場面は、宗派を超えた人間的な信頼関係が芽生えていることを感じさせ、温かい気持ちになりました。

同和問題への視点

さらに、被差別部落の歴史や穢多寺の歴史を調べることに抵抗感がなくなったという記述は、牧師の視野が広がり、社会的な差別問題に対しても積極的に向き合うようになったことを示しています。これは、信仰が内向きなものに留まらず、社会的な課題解決に貢献する力を持つことを教えてくれます。

Raison d'êtreの再確認

最終的に、「どのような宗教の宗教者とであっても、日本基督教団の牧師であり聖書信仰を生きている私のRaison d'êtreを見失うことなく彼らと関わりと対話を持つことができるようになった」という言葉で締めくくられているのが、この詩全体のメッセージを力強く象徴しています。自己の信仰を堅持しつつも、他者を受け入れ、対話することの重要性を再認識されたのですね。

全体として、この詩は信仰と人間性、そして他者との関わりについて深く考えさせる力を持っています。ご自身の内面をこれほど率直に、かつ詩的な表現で描き出されたことに感銘を受けました。

この詩は、牧師としての生き方、あるいは信仰を持つ者が他者とどのように向き合うべきか、といった問いを読者に投げかけているように感じました。素晴らしい作品を共有していただき、ありがとうございました。 

2025年6月11日水曜日

心に残る祈り

日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校に入るとき
Sweden Covenant Missionの
教会役員会は
こぞって反対した.

無学歴・無資格 (Academic Outsider)の
何処の馬の骨かわからない私を
神学生として推薦することはできないと.

そのときの牧師は
教会としてではなく
その教会の聖書研究祈祷会から
私を送り出してくれた.

最後の聖書研究祈祷会のとき
参加したすべての信徒が
ひとりずつ
私のために祈ってくれた.

そのときどのように
祈ってくださったのか
忘却の霧の中に包まれて
思い出すことができないが
ただ一人の姉妹の祈りだけは
いまだに覚えて
忘れることができない.

その姉妹は
こどものころから
知的障害のある女性だった.
その彼女が
私のために祈ってくれた.

"イエスさま
吉田さんが献身します.
吉田さんを感謝します.

イエスさま
吉田さんを守ってください." 

私は
牧師と
聖書研究祈祷会に出席された信徒によって
按手礼を受けることになった.

牧師は言った.
"日本基督教団の牧師になって
その教会の牧師・信徒から
受け入れられなかったら
あなたは
単立教会の牧師になりなさい.
そのために
私達は
今日ここで
あなたに按手礼を施します"と.

だから
私は
キリスト教会の牧師として
2度按手礼を受けたことになる.

日本基督教団は
信仰の多様性を認める稀有な教団.
そのふところのひろさで
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私も
65歳で隠退牧師になるまで
牧師を続けることができた. 

"吉田さんを感謝します.
イエスさま
吉田さんを守ってください. "と
祈ってくれた
姉妹の祈りに支えられて.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

詩を拝読しました。神学校への入学を志す青年が、周囲の反対や困難に直面しながらも、信仰と祈りに支えられて牧師としての道を歩んでいく姿が、胸に迫るように伝わってきました。

心に残る祈りと献身

この詩は、ご自身の献身の道のりを率直に、そして非常に感動的に描かれていますね。特に印象的だったのは、学歴や資格がないために周囲から反対されるという逆境の中で、それでも牧師の道を選び進んでいく強い意志です。

Sweden Covenant Missionの教会役員会の反対という具体的なエピソードから始まり、その後の牧師や聖書研究祈祷会の信徒たちの温かい支えへと展開していく構成は、読者の感情を揺さぶります。特に、知的障害のある姉妹の祈りの言葉が、忘れえぬ記憶として心に刻まれているというくだりは、この詩の大きな核となっていると感じました。飾り気のない、しかし深い愛情と信仰に満ちたその祈りが、どれほど吉田さんの支えになったか、行間からひしひしと伝わってきます。

また、二度の按手礼という異例の経験も、吉田さんが牧師としての道を歩む上での覚悟と、それを受け入れた周囲の深い理解を物語っています。日本基督教団の「信仰の多様性を認める稀有な教団」としての懐の深さも、吉田さんの牧師としての歩みを可能にした重要な要素として描かれており、感謝の念が込められているように感じられました。

詩から伝わるメッセージ

この詩全体から、信仰の力人との繋がり、そして困難を乗り越える強さというメッセージが強く伝わってきます。特に、弱き者と思われがちな立場の人からの純粋な祈りが、最も大きな支えとなったという事実は、真の信仰のあり方を示唆しているようにも思えます。

吉田さんが65歳で隠退牧師になるまで牧師を続けられた背景には、この詩に綴られた数々の経験、そして何よりもあの姉妹の祈りが、心の深い部分で支えとなっていたことがよく理解できます。

この詩は、吉田さんの人生における重要な転換点と、それを支えた人々の温かさ、そしてご自身の信仰の深さを、簡潔でありながらも力強く表現している素晴らしい作品だと感じました。

2025年6月10日火曜日

尊敬する仕事

小学生のとき
よく母に連れられて
町の映画館へ
映画を見に行った.

その映画の中で
繰り返し流される
主題歌とメロディは
自然に私の
脳裏に刻み込まれて行った.

海が好きな私は
大人になると
海と関係した
仕事がしたいと思っていた.

泳ぐことができないのに.

でもその映画をみていたとき
泳ぐことができなくても
陸の上でできる
海の仕事があることを知った.

"俺ら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って
灯をかざす灯をかざす

冬が来たぞと
海鳥啼けば北は雪国
吹雪の夜の沖に霧笛が
呼びかける呼びかける"

私は
灯台守になりたいと思った.
おさないときから
からだが弱く
小学生になってからも
体育免除されたこともあった私にとって
それは夢の中の夢でしかないことを
こども心に知ってはいたのだけれど・・・.

小学校の教師は
灯台守になるためには
海上保安大学校をでなければならないと
話していた.
そのためには
一生懸命勉強しなければと.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

以前いただいた詩も拝読しました。今回も、幼い頃の純粋な憧れと、それを阻む現実、そしてそこから生まれた夢が描かれていて、とても心温まる作品だと感じました。

感想

この詩は、**「灯台守」**という仕事への幼い頃の憧れが、いかにして形成され、そしてそれがどれほど強く心に残ったかが丁寧に綴られていますね。

まず、お母様と一緒に行った映画館での体験が、その後の筆者の人生観に大きな影響を与えていることが伝わってきます。映画の主題歌が自然に脳裏に刻み込まれるという描写は、子供時代の感受性の豊かさを示しています。そして、その歌がきっかけで、**「海」への漠然とした憧れが、「灯台守」**という具体的な夢へと昇華されていく過程が美しいです。

「泳ぐことができないのに」という一文は、その夢がいかに純粋で、しかし同時に現実との隔たりがあることを示唆しており、読者の共感を誘います。それでも、「陸の上でできる海の仕事があることを知った」という発見は、幼い筆者にとっての大きな喜びだったのでしょう。引用された歌詞は、灯台守の仕事の尊さや、彼らの暮らしの情景を鮮やかに描き出しており、筆者がこの仕事に惹かれた理由がよくわかります。

また、**「からだが弱く」「体育免除されたこともあった」という自身の身体的な制約を認識しつつも、それでも灯台守を夢見る「夢の中の夢」**であるという描写に、子供心ながらの葛藤と、それでも消えない強い憧れが表れています。そして、小学校の先生の言葉が、その夢をより具体的に、しかし同時に遠いものとして認識させるきっかけとなったことも描かれており、幼少期の記憶が詳細に蘇るようです。

全体として、子供の純粋な憧れと、それを育む環境、そして少しずつ現実を知っていく過程が、飾らない言葉で綴られており、読み手の心にじんわりと染み渡る作品でした。



潮のかおり

    高校3年の3学期
    地方公務員をしていた父が
    脳梗塞で倒れた.

    そのため
    私は大学進学を断念したが
    高校の担任教師は
    働きながら夜間大学に通うことができるように
    大阪市立中学校事務職員(府費職員)採用試験を
    受けることをすすめてくれ
    合格したときは
    吹田市にある岡山県人寮に入る手続きをしてくれた.

    研修校の瓜破中学校の校長は
    私の任地を
    関西大学の夜間に通えるように
    大阪市立十三中学校にしてくれた.
    教員免許をとると
    即校長権限で教師として採用するとの
    約束と一緒に.

    しかし
    父の病気が再発
    再起不能となった.
    私は大学進学の一縷の望みを捨てて
    岡山に帰郷
    母と妹と私の3人で働いて
    父の看病と弟の高校進学のために
    労することになった.

    新大阪で新幹線に乗ったとき
    吹田駅から天王寺駅まで乗った
    外回り環状線のことを思い出していた.

    最初に環状線にのって
    天王寺駅におりて
    大阪市内で一番最後に
    数年前に
    バスが通ることになったという
    瓜破に向かった.

    そのとき
    私が吸った大阪の空気は
    排気ガスの匂いがした.
    そのとき
    私は
    生まれ育った岡山の
    瀬戸内海の
    潮のかおりがとても恋しくなった.

    そして
    仕事を終えた帰り
    私は
    わざわざ遠回りして
    環状線の外回りの電車に乗って
    大阪の海をながめながら
    帰路についた.

    大学進学も
    中学校教師になる夢も
    私から遠ざかっていくのを感じた.
    新幹線の速度と
    同じ速さで・・・.

    しかし
    私は
    もう一度
    岡山の瀬戸の海の
    潮のかおりを吸って
    生きることができると
    パンドラの箱の中に残った
    希望のように感じた.

    聖書があれば
    私は
    どこでも
    どのような状況でも
    自分を見失わず
    神のみことばに従って
    生きていけると思った.

    私の
    聖書は
    瀬戸の海の
    潮のかおりがする.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文


詩を拝読しました。ご自身の体験に基づいた、非常に深く、胸に迫る作品ですね。

感想

この詩は、筆者の人生における大きな転換期と、それに伴う心情の変化が克明に描かれています。特に心に残った点をいくつか挙げさせていただきます。

諦めと希望のコントラスト

お父様の病気をきっかけに、大学進学や教師になる夢を諦めざるを得なくなった筆者の苦渋が伝わってきます。新幹線で岡山へ帰郷する際の「大学進学も/中学校教師になる夢も/私から遠ざかっていくのを感じた」という表現は、夢が遠ざかる速度と新幹線の速度を重ね合わせることで、その喪失感の大きさを際立たせています。

しかし、その一方で、「潮のかおり」という具体的な香りの記憶を通じて、「パンドラの箱の中に残った/希望のように感じた」と表現される希望が見出される点が印象的です。絶望的な状況の中にも、故郷への想いや、自らを支えるものが存在することを示唆しています。

「潮のかおり」という象徴

「潮のかおり」は、単なる故郷の香り以上の意味を持っていると感じました。排気ガスの匂いがする大阪の空気と対比されることで、故郷の岡山瀬戸内海の清らかさや、筆者にとっての原点、心の拠り所が象徴されています。

そして、詩の最後の「私の/聖書は/瀬戸の海の/潮のかおりがする」という結びは、故郷の潮の香りが筆者にとっての聖書、つまり人生の指針や心の支えとなる存在であることを強く示しています。物質的な聖書だけでなく、記憶や感覚が精神的な支えとなるという、独自の信仰のようなものが感じられます。

情景描写と感情の連動

大阪での環状線での移動や、海を眺めながら帰路につく情景が目に浮かびます。特に、わざわざ遠回りして海を眺めるという行動は、故郷への強い憧れと、失われゆく夢への郷愁が入り混じった複雑な感情を表現しているように感じられました。

全体を通して

この詩は、人生の苦難に直面しながらも、故郷の記憶や心の拠り所を大切にし、前に進もうとする筆者の強さを感じさせる作品です。読後に、じんわりと温かいものが残るような、深い余韻がありました。

このような率直で心に響く詩を共有してくださり、ありがとうございました。

    

多摩のプロ農家

日本基督教団の牧師になるために 鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき アルバイトで 家庭教師をしていました. 1週間に2回 神学校の自転車を借りて 街灯のない まっくらな 月と星の光だけをたよりに 夜の山道を 鶴川から多摩ニュータウンの近くの農家まで 通ったことがあります. ...